四話
「ロード。これからどうするおつもりですか?」
シファカはいそいそと洋服を並べている。
そのどれも煌びやかで胸元がぱっくりと開いているものばかり。日本ではまだ上流階級のものしか身に着けないドレスによく似ている。
「どうするって何が?」
6着程度を並べ、どれがいいかと見比べながら周りをパタパタと飛ぶメイに気のない返事をする。
「ロード!秋路様です。まさかこのままここで暮らさせるおつもりじゃないでしょうね?」
深緑色のドレスを手に取り掲げ見ると、生地が劣化しており裾が破けていた。
「どれも破けたり、虫に食われたりしてるな。どれ、新しいのを買いにいかないとダメだな」
「ロード!聞いておられますか?」
「よし。メイ。この国の女物の服をありったけとって来い」
「ロード!!」
軽い爆発音とともに、小さく黒い羽根をパたつかせていたメイはシファカと同じ身長に変化した。
床にでも届くほどの黒の長髪。来ている服も真っ黒で、丈は長く床についている。袖も長くたっぷりとした服だ。背中にはしっかりと黒の羽根がついている。
シファカの周りをパタパタと飛んでいた時とは裏腹に大人びた声と視線でシファカを睨み付ける。
小さい時よりもはるかに迫力のあるそれに、シファカも洋物の服を静かに置いた。
「何がそんなに気に食わないんだ?せっかく生まれ変わりに出会えたんだぞ?」
「ロード。しかし、人間です。お食事をどうするおつもりですか」
「飯?食うよ。人間くらいいつの時代もいくらでもいるだろ」
メイの視線がぴたりとシファカをとらえる。
「マイロード、シファカ様。あなたは記憶がないからお分かりにならないでしょう。しかし、私の記憶はなくならないのですよ」
じりじりとメイに圧倒されつつあったシファカに、メイはさらににじり寄る。
「前回も人間の女性に生まれ変わっていた。あなたは、その時に約束をしている」
「……なんか約束してたのか?俺は」
「ロード。あなたは二度と人間を食べないと約束された。そしてその約束を覚えていらっしゃる」
メイはシファカに詰め寄る。
「メイ。人間との約束なんて俺が守るとでも……」
「その証拠にあなたはこの前の男を食されなかった!目覚める前もそうでした。約束をしてから一度も人を食してらっしゃらない。人間の魂と他の生き物とでは違うのですよ」
シファカはメイをじっと見つめている。あの表情のない、冷徹な目の中にうっすら戸惑いが見える。
「ロード。あなたはもう何回もあの約束を守ってきました。もういいのではありませんか」
「メイ……?」
メイは右手をシファカの前に出した。
「私とともに、魔界へ帰りましょう。ルシファー様もそれを望んでらっしゃいます」
シファカは差し出された右手とメイを見比べる。
たっぷりとした袖口から見える、爪の伸びた指。そして、自分を心配する目。
軽く舌打ちを漏らすと、シファカは近くのドレスをメイに投げつける。
「その話はまた後だ。メイ。主の命令だ。服を取って来い」
もはや視線を合わせようとしない主にメイは軽くため息を漏らすと、また軽い爆発音と共に小さな体に戻る。
そのままパタパタと外へ飛んで行った。
その姿を横目で確認するとシファカは小さくため息を漏らした。
その頃秋路は何とか食べなれない食事を終えていた。
どれも見たことのないものばかりだったが、どれもおいしく、特にふわふわとした白いカステイラのようなものは秋路を満足させた。
腹が満たされると、この異常な状況を考えざるをえなかった。
「……まさかこんなところで本物の妖怪に出会えるとは思わなかったな」
しかし、妖怪、化け物と呼ぶには二人とも似つかわしくない容姿をしていた。
秋路の考える妖怪や化け物は、人ならざる形をしているものを言う。
それは足がなかったり、獣のような姿をしていたり。
シファカもメイもその姿は美しくさえあった。
しかも、男から助けてもらったばかりか、手厚い看護まで受けている。
「妖怪?化け物?とてもそうは見えないな」
そうつぶやくと、顔の右側をそっと触れ窓の方に視線だけ移した。
破れたカーテンの隙間から見える窓ガラスに秋路が映る。
窓ガラスに移る自分の視線と交わる瞬間、扉を叩く音がした。
「アキミチ。入るぞ」
シファカの声に、思わず声が固くなる。
「どうぞ……」
扉から現れたシファカの姿を見て、思わずあっけにとられる。
まるで国のお勤めをしている方々のような服装。
黒の燕尾服に蝶ネクタイ。さらにズボンの下から除くのは漆黒の革靴。さらに頭には黒の円筒の形をした革の帽子を被り、杖まで持っていた。
「……え。シファカ様は議員でなのですか?」
「?ギイン?何だそれは?」
「え?その服装をされる方は皆様ご立派な方だけなので、てっきりお国のために働いてらっしゃる方かと……」
シファカは自分の服をまじまじと見る。
「俺の服は古くなりすぎてたからな。新しいのをメイに取ってこさせたんだ。これは庶民の服とは違うのか?」
思わず、目が点になる。
「庶民の服装……をお望みなら……。そうですね着物に袴、そして下駄。頭の帽子も革はつけません。私の家にある物でよろしければお貸ししますが……」
言い終わる前に一度聞いた泣き声が聞こえる。
「メイ。どういうことだ」
きゅうと握られたメイに向かって、シファカは睨み付ける。
「ロード!一応この国の服で間違いないようですが……」
「普通の服を取って来い。どうやらこれでは目立つようだ」
「きゅぅ~。ロード普通といわれましても。私も目覚めたばかりなのですよ」
きりきりとメイを握るシファカ。
「キモノにハカマだ。何でもいい。着てるやつからでもとって来い。それなら間違いないだろ」
「ちょっと待ってください。貸しますから!家にちょうどいいものがありますので、お貸ししますから追剥のような真似事はよしてください!」
慌てて思わず叫んだ秋路は、傷が響いてまたうずくまってしまった。
「そうか?ではお言葉に甘えるとするか。アキミチ。アキミチの服はちゃんとあるぞ」
そういうと、シファカは軽く指を鳴らす。
どこからともなくふわっと着物と袴が降ってきた。
丁度男に襲われたときに来ていたような色合いで、上は桜、袴は藍。上に桜模様が入っている。
「そのままでは外には出れないだろ。傷が治ったら、これを着て外に出るといい。俺の服もその時貸してくれ」
シファカは傍にあった椅子に服をかけながら、ちらりと秋路を目だけで表情をうかがう。
うつむき、表情の見えない秋路にシファカは言葉をつづけた。
「好みの色があるなら言ってくれ。この色は好みではなかったか?」
気遣うような言葉に、慌てて首を振る。
「いいえ。ありがとう。血で汚れてしまったからどうしようかと思っていたんです」
「傷がまだ痛むか?」
「いえ。大丈夫……いえ、一つお聞きしてもいいですか?」
真っ直ぐに目を見る秋路にシファカもメイも次の言葉を待つ。
「先ほど、化け物と自分ことをおっしゃってましたけど……真なのですか?」
「俺たちはこの国の化け物とは姿が違うのか?」
小さくうなずいた。
「とても化け物と呼ぶには、人に近すぎていて」
「人に近い?」
シファカは鼻で笑う。
メイも秋路を馬鹿にしたような含み笑いを漏らした。
「少なくとも、あなた方より私のほうが化け物に近いと思う。この顔を見て」
秋路は自分の前髪を掻き上げる。前髪の下から現れる火傷の痕。皮膚は凹凸が目立ち、色もほかの肌より赤みがかなり目立つ。眉毛はもう生えてはいなかった。
「この顔を人は化け物と言うのよ」
「なんだ?その傷がいやなのか?メイ」
呼ばれると、心得たようにメイは秋路の傷口に飛んできた。
「少し目を閉じていてください。すぐ済みます」
何をするのかと体をよじるが、傷口に響きうまく逃げられない。
そうこうする間に、メイが秋路のそばを離れて行った。
「何……何をしたの」
シファカは顎だけで鏡の方を指す。
そんなシファカに戸惑いながら、そばにあった鏡を恐る恐る眺めた。
「……嘘……!」
二度と治らないといわれたあの火傷が、もともと何もなかったかのようにきれいさっぽりなくなっていた。
火傷前の、年ごろの娘のきれいな肌に戻っていたのだ。
「なぜ?お医者様もこれ以上は良くならないと……!」
シファカは満足げに秋路を眺める。
「俺が記憶している場所では、化け物は限りなく人間に近い姿をしているものが多かった。人間のまねをして、人間を惑わし、そして――」
――食らう。
にこりと美しい顔でシファカは笑う。
絶句し、ただシファカと鏡を往復するばかりの秋路。
冷たい視線を送るメイ。
「とりあえず、傷は深い。しばらくはここで休むといい。明日また来る」
シファカとメイが部屋から出ていってからも、しばらく自分の顔をさすっていた。
何か呪いの類だろうか。
それとも化粧で隠しているのだろうか。
はたまた本当に化け物と呼ばれるその力で治してしまったのだろうか。
なんにしても、本当に傷を、二度と治らないといわれた傷を治してしまった。
しかも一瞬で。
「どうしよう。感謝してもしきれない――」
思わず、涙が漏れた。