第一話「十一年目の不協和音」①
狭い路地裏を縫うように慌ただしく駆け抜けた男たちは、大きなゴミ箱の陰に身を隠し深い呼吸を繰り返す。
「なっ、何なんだ、あのガキども?」
「俺が知るか! だが虹の紋章入りの免許持ってるってことは、アルカンシエルの奴らだろ」
「くそぉ、町の奴らめ。たかがコソ泥に軍にまで依頼出しやがって……」
自身で「たかがコソ泥」と言った男が左右から他の男二人に殴られた。
「ばっかやろう。俺らは精鋭の盗賊団だぞ。たかがコソ泥なんて扱いで堪るか」
誇ることでもないことを堂々と言った口ひげの男は、「誇りを持て」と言わんばかりに胸を張る。それを受け弱気だった男は、それもそうかと意気を持ち直した。すると、その瞬間に頭上から何かの影が飛び降りてくる。
「泥棒見っけ。悪いことは『めっ』だよ」
三メートル以上ある屋根から降りて来たとは思えないほどに平然とした声音でそう言ったのは、男たちの脇に現れた一人の少女。桜色のシャギーがかかったショートカットに、桃色のカチューシャをつけ、濃桃色の丸い双眸を持つ、まだ幼さを残す面立ちをしている。年の頃は十五辺りだろうか。赤やピンクを基調とした服が降りてきた衝撃でまだひらひらと揺れていた。
「くそっ、化け物め」
男のうちの一人が腰の後ろから取り出した銃を少女に向ける。だが、撃鉄を起こすよりも先に眼前にあったはずの姿が消えた。かと思うと、男は頭上から振ってきた少女に踏み潰されてしまう。
「フェリシーは化け物じゃないの。そういうこと言うのも『めっ』」
化け物呼ばわりがよほど心外だったのか、少女――フェリシーは頬を膨らませて足元の男性を睨みつけた。しかし面立ちが幼いため怖いよりも可愛いが先に立ってしまう。迫力のない追っ手を前に、少女の体重の軽さのおかげで気を失うにいたらなかった男は力任せに立ち上がってフェリシーを振り落とした。フェリシーは「わ」と短く声をこぼすと、男を蹴りつけ空中で一回転すると地面に降り立つ。
「ガキが調子に乗るんじゃねぇぞ」
「ひとりで来るなんて余裕じゃねぇか。とっ捕まえて売り飛ばしてやるっ」
「痛い目遭ってもほげっ」
一番後ろの男が情けない声を上げて倒れた。それよりも先に聞こえてきた肉を打つ音もしっかりと聞こえていた残り二人の男は、そろそろと後ろを見る。そしてそこに、先ほど必死に逃げてきた相手が揃っていることに悲鳴を上げた。
「ひぎゃああっ、ま、また来やがった」
「くそっ、逃げるぞ――」
「逃げられると思ったか、悪党風情が」
また前を向き、男たちは逃げられる可能性がまだありそうなフェリシーがいる方向へと駆け抜けようとする。だが、背中を向けたのとほぼ同時に固い声が耳に届けられた。頭が耳の拾った言葉の意味を理解するよりも早く、背中を突かれ足を払われ、男たちの視界からはフェリシーが消える。そして代わりに視界に映ったのは晴天の青空であった。
「ここまでだ。あまり抵抗しないでくれ。あなた方は抵抗したら四肢の損傷程度なら許される扱いになっている」
見下ろしてきたのは一人の青年だ。緑を基調とした服を纏い、前身で交差するようにベルトをかけている。まだ少年との狭間にある若いその人物は、光の加減では深い緑が覗く黒い布がついた額当ての下の赤い双眸に容赦を宿して男たちを見ている。彼の言葉が嘘ではないことを証明するものはないが、あからさまな脅しよりも誠意ある言葉が今の男たちには何よりの裏づけのように思えた。
男たちが言葉を告げられず無言で頷くと、青年は口元に笑みを刻み、剣をしまって男たちをそれぞれの手で掴んで同時に起こす。
「自分で起き上がらせろロイク。悪党を甘えさせるな」
青年――ロイクの行動に眉を寄せたのは男たちを倒した女性だ。こちらもまだ少女との境目にいる年の頃だろうが、表情は凛としており厳しさと同時に落ち着きを覗かせる。少し紫がかった灰色の髪と双眸を持ち、手には十文字の槍が握られていた。纏うのは紫を基調とした華天地方の衣装で、髪もその文化に合わせたものになっている。ロイクは笑みを女性に返して肩を竦めた。
「すまない。でも姉さんに叩き伏せられたんじゃすぐには立てないだろう」
「アガット姉は強い強いだから無理ー」
「なっ、何だお前たち。揃いも揃って人のことを凶暴みたいに」
ロイクとフェリシーに笑顔でからかわれ、女性――アガットはやや心外そうに眉を歪める。そんな彼女に、ロイクとフェリシーは声を出して笑った。
残党の捕獲が完了し、すでに三人は仕事が終わったかのように気を抜いている。捕まった男たちは神妙そうな顔をしているが、口ひげの男はちらりちらりと路地の抜けた先を見ていた。そこにはひとりの男が銃を構えており、銃口をロイクたちに向けている。
ややあって、照準機が完全にロイクの額を捉えた。これで終わり、と引き金を引けば、発砲音と共に銃弾が飛び出す。銃の男も口ひげの男も血しぶきを想像し笑みをこぼした。
だが、肉を穿つはずだった銃弾は、突如ロイクとの間に現れた巨大な六角形の盾に阻まれ跳ね返ってしまう。銃弾が空中を踊るのを口を開けて見上げていた銃の男は、突如背後から殴られ昏倒した。
「俺の妹たちと弟に何しやがる」
ひどく不機嫌そうに告げられた言葉は、告げられた本人には聞こえることはないだろう。だが言葉の主である青年は満足そうに笑うと、男を引きずりながらロイクたちの元へ向かった。途中、道を塞いでいる巨大な盾に触れ小さくして回収する。自由伸縮金属、変化金属とも呼ばれるシャンジュマンで作られた盾は、主の意図に合わせてサイズを変えるのだ。
青の混じった灰色を基調とした鎧と兜を身に纏う大柄の青年は、回収した盾を左手首に装備し直す。右手には同じ形の盾がもうひとつ装備されており、サイズは大人の拳四つ分ほどに縮小していた。中央に輝くのは鮮やかな緑のスフェールだ。
「おいお前ら、仕事中に気を抜くんじゃ……」
長男らしい威厳を見せようと自信満々に注意を口にしかけるが、頬を膨らませたフェリシーと苦笑するロイク、呆れた顔のアガットに迎えられ思わず言葉を区切ってしまう。
「え、な、何だ? 俺何かしたか?」
予想外の反応を前に青年はぎくりと身を硬くした。褒められる、もしくは感心されるのを期待していたらしい長兄に、ロイクは苦笑を消せないままフォローを入れる。
「ちゃんと気付いていたよ。でも今回フェリシーがあんまり倒してないからと思って」
「駄目だなエクトル。末の妹の内心くらい悟ってやれ」
呆れたため息をつきながら、アガットはエクトルの盾と同じくシャンジュマンで作られた槍を手の中で回し、柄を短くして腰のホルダーに収めた。
ダメ押しされ、青年――エクトルはしまったと引きつった笑みを浮かべ冷や汗を流す。そして、対応するべく飛び出していたのか、盾で防御する前に見た位置よりも前方にいる末の妹をちらりと見下ろした。視線が合ったのは、完全に不機嫌になってしまっているフェリシーの濃桃の双眸。エクトルはひぃと青ざめる。
「ご、ごめんフェリシー。兄ちゃん悪気があったわけじゃなくてな、お前たちのことが心配だっただけでな?」
引きずっていた男を放してエクトルは大仰に両手を振って慌てた様子を見せる。だがよほど不満だったのか、フェリシーは頬を膨らませたままだ。諦めずにエクトルが謝罪と言い訳を重ねると、不意にエクトルに背を向け、アガットの胸に飛び込んでしまった。
「フェフェフェ、フェリシィィ。ロ、ロイク。ど、どうしよう兄ちゃんフェリシーに嫌われ……っ!」
「兄さん、兄さん落ち着け。揺らさないでくれ」
想像以上の怒りを前にすっかり取り乱したエクトルは、大柄な体躯に似合わない情けない表情でロイクの肩を掴んで前後に揺さぶる。オレンジの双眸に涙さえ浮かんで見える兄の現実からロイクは若干目を逸らしつつ、片手を自身とエクトルの間に挟みいれ落ち着かせた。
「大丈夫だ、フェリシーが逃げたのは兄さんに悪口を言いたくないからだ。ちゃんと守ってくれたことは分かってる。けれど不満も消せない。だから、大好きな兄さんにひどいことを言わないように逃げたんだよ」
フェリシーは幼い頃からとても素直だ。同時に、兄や姉たちをとても好いている。わがままを通せる娘ではないため、彼らにひどいことを言いそうになると逃げ出す癖があるのだ。そのようなことはもう分かっているであろうに、毎度エクトルの騒がしいことはない。
先ほどのように、エクトルは弟妹を思うがゆえの行動を取ることが多いのだが、彼はどうにも間が悪いところがある。このように弟妹……特にフェリシーと三番目の弟を怒らせることが多い。その度にこのようなやり取りをしているのに、慣れない長兄にロイクもアガットも呆れるばかりだ。
「そ、そうか。フェリシー、俺は大丈夫だから不満は口にしていいんだぞ」
アガットとフェリシーに近付き、エクトルは笑顔でフェリシーを見下ろした。アガットに抱きついたままちらりと顔を上げたフェリシーはしばし無言を通す。そして
「……エク兄のばか」
ぽそりと、まるでお試しのように悪口の定型文を口にした。至極単純なそれは、平坦な口調で告げられたことも加え怒るにも悲しむにも足りない程度のものである。だが、告げられた本人は青ざめ、どっと汗を流し始め、カタカタと小刻みに震えだした。
「ぜぜ、ぜん、全然、だ、だだ、だだだ、だいじょ、大丈夫だぞ……っ!」
「まっっったく大丈夫じゃないじゃないか! いい加減にしろお前という奴はっ」
動揺のし過ぎで舌が回っていない上に足元がふらついている。で、ありながらも強がるエクトルを、アガットは呆れと怒りを詰め込んで怒鳴りつけた。ロイクはその兄弟の様子を笑いながら、捕まえた男たちを手早く縛り上げていく。




