第四話「我ら六芒小隊」③
ロイクが弾き飛ばされたのを見て、兄弟たちは一様にその名を叫んだ。だが、誰一人として彼の元へは駆け寄れない。怒り狂ったキメラが、それまでのどこか泰然とした攻撃から一変、烈火のごとく攻撃を仕掛けてきたからだ。
「~~っ、おいおい、何でこいついきなりキレてんだ? 分かってるのか再生機能やられたって」
盾を広げ、タランをフル稼働し、エクトルはキメラの攻撃を何とか耐える。攻勢に転じえない状況に苦い顔をしていると、MITで必死に状況を探っていたジョスランが短く声を漏らし青ざめた。
「どうした?」
槍を振るい、盾の隙間から襲ってくる舌を撃退しているアガットが尋ねる。ジョスランは一呼吸分だけ間を置き、重い口を開いた。
「多分だけど、さっき壊した装置は再生機能と痛覚遮断――いや、痛覚麻痺の両方を制御してたんだ。それで、これも多分だけど、あいつの痛覚関連は生体をいじったんじゃなくて、機械で興奮系ホルモンの分泌量を操作してたんだと思う。さっきの装置を壊してから、高数値で定着してたそれが変動してる。この興奮状態はその名残だよ」
「え? つまり?」
よく分からなかったエクトルが聞き返してくる。ジョスランは頭を乱暴に掻いて簡単な言葉を探した。
「頭と身体を興奮させるホルモンがいっぱい出てたから痛覚が麻痺してたけど、その量が変な感じに減ったからキレやすくなっちゃってる、ってこと」
至極単純な言葉で説明し直すと、理解したエクトルは納得の返事をする。すると、それまでひたすら続いていた攻勢が一度やんだ。盾で全てを防いでいるゆえ、鉄壁の向こうで一体何が起こっているのか分からず不安を覚えた。
その時だ。突如風を切る音が聞こえ、続いて側面から太い尻尾が真一文字に盾をなぎ払う。盾は空中に跳ね上げられ、エクトルたちの元には巻き起こされた強風が襲い掛かってきた。それでもエクトルは弟妹たちを守ろうと両腕を広げる。
だがキメラはそれを嘲笑うかのように彼を脇から舌で払いのけ、一足飛びに近付いたかと思うと、その巨体からは考えられないスピードで迫ってきた。標的は、ジョスランだ。
「ひっ――――!」
悲鳴すら満足に上げられず、ジョスランは眼前に迫る鋭く並んだ牙を前に逃げることを忘れた。細い腕が食いちぎられんとした、その直前、彼とキメラの間にアガットが身を差し入れる。視界を切り替えた華天の紫が踊るのを見て、ジョスランは目を見開いた。
「うあああっっ」
肉を食い破る鈍い音。血が迸り、アガットを、ジョスランを赤く染める。カリーヌの悲鳴のような声が響く中、キメラはアガットをそのまま連れ去ろうとした。だが、それより早く、正気に戻ったジョスランが叫ぶ。
「やめろっっっっ」
腹の底から叫ぶと同時に、知のタランが発動した。それは、ただのナテュールではない、目覚めた知のナテュールだから出来る荒業。言うなれば受信でしかない読心術の反対、ナタリーが過去の光景をジョスランに送ったのと同じような、送信の応用。彼はキメラの脳に直接「退け」と命じたのだ。
キメラはびくりと短い痙攣を起こすと、アガットを離し引き下がる。頭に流れたジョスランの命令がよほど気持ち悪かったのか、身体を激しく動かし悶え始めた。
だがそれは一時しのぎに過ぎない。早くどうにかしなければ。再びタランの向きを自身に変えたジョスランは、しかしその瞬間に鼻血を垂らす。ぽたりぽたりなどという表現では足りない、止め処ない血に、真っ赤に充血する双眸に、カリーヌがジョスランの名を叫び手を伸ばしかけるが、ジョスランは鼻を押さえる側とは逆の手でそれを留める。
「僕は、いいから、フェリシーとアガット姉を。少しでも、早く」
治して。そう続くはずだった声は喉に降りてきた血に阻まれ咳へと変わった。早々に立ち上がり、やや身を傾ぎながらもアガットの止血をしていたエクトルが安否を尋ねるが、大丈夫だという強がりすら出てこない。
誰一人として満足に戦えない状態が改善出来ない間に、キメラは再びエクトルたちに向き直った。怒り心頭の様子のそれは、全ての口を開き、そこから伸びる舌を大きく振り回している。
投げ出されたエクトルの盾は遠い地面に落ちており、もはや攻撃も防御もままならない。それでもエクトルはアガットを地面に倒れさせ、弟妹たちの前で再び両腕を広げてタランを発動した。
だが、迫る狂気が鋭い牙を合わせるより早く、視界の端から現れた強い赤の光がキメラの顔の先、一番下の口ごと斬り落とす。残った口から狂ったような叫び声を上げて、キメラは暴れながら引き下がった。頭を左右に激しく振るたびに、離れていても血が雨のように周囲を濡らす。
むせ返る鉄の臭いが満ちる中、しかし、エクトルたちは全く別のものを見て呆然とした。彼らの視界に映るのは、煌々と赤の光を放つ剣を握り締めているロイク。彼の復帰ももちろん喜ばしい。だが、それ以上に、ロイクが持つ剣がエクトルたちの心を奪う。
「……それ、先生の――」
カリーヌの呟きに、ロイクは僅かに口の端を上げた。ロイクが今手にしているのは、子供の背丈ほどもある大剣だ。鋭い切っ先を持たない広刃で、重量の割に片手で扱うような作りになっている。この剣はパレシェンと呼ばれる断ち切り専用の刀剣で、製法と素材にも寄るが、これまでロイクが使っていた剣の軽く倍は高度のあるものだ。
はめ込まれている出力に特化した力のスフェールは、ロイクのタランと呼応し赤い光を放ち続ける。しかし体力が消耗されている感覚はなく、むしろ綺麗に噛み合って、かつてないほど自身のタランを感じていた。だが、それでもまだ力は足りない。ロイクは兄弟たちに目を向け、剣の腹を彼らに示す。
「みんな、俺のことを――」
信じてくれるか、と、そう問いかけるはずの言葉は音になる前に飲み込まれた。尋ねるよりも早く、全員が自身の傷や痛みを省みず剣に手を伸ばしたために。
ロイクが軽く目を見開くと、ジョスランがまだ溢れる鼻血を余った手の甲で拭いながら強く言い放つ。
「信じ、てるよ。僕たちは、いつだってロイ兄のこと」
ジョスランの言葉に皆が頷いた。すると、それが契機であるかのように、剣からは赤い光の代わりに白い光が放たれる。輝きは徐々に強まり、僅かな間で、周囲は傾き始めた太陽にすら負けないほど明るくなった。それでいて、目を焼く様な痛みは微塵にも感じない。
かつてこの地で、あのキメラから逃げ出した時に最後に見た光と同じ、いや、それ以上に強く、そして優しい光。ロイクはそれを見つめて、柄を握る手にさらに力をこめる。
「――ありがとう、みんな」
ロイクの口から自然と礼がこぼれた。今なら、〝先生〟の気持ちが分かる気がする。揺るぎなく信頼されるというのは、何と心強く、心地いいのだろう。
兄弟たちに微笑みかけてから、ロイクは表情を一変させ、厳しい眼差しをキメラに向けた。もはや何も考えてはいない、ただただ痛みに悶えて暴れるだけの存在。11年前、ロイクたちの太陽を落とした存在。
決着を、今つける。
ロイクは力強く駆け出し、暴れるキメラへと向かった。そして、まずはその前足を斬り落とす。体勢を崩し倒れこんでくる巨体の陰がロイクを覆うが、彼はほんの一欠片も慌てずに剣を大きく振るった。
腕にかかる重みと、硬い筋肉と骨の反発。それらを全て振り払うように、ロイクの口からは空気を振るわせる大音声が吐き出され、応じて発動した力のタランは身中に逆巻く炎と化す。爆発したかのように溢れる赤と白の光は一帯を覆い、次の瞬間、響き渡ったのは巨大な物が地面に落下した轟音と振動だった。
腕にかかる負荷から解放されたロイクは、天に向いた切っ先を見上げ、その向こうにある色を変え始めた空を双眸に映す。そして、そのまま地面へと倒れこんだ。最後に聞こえた気がしたのは、「よくやった」と満足そうに笑う昔日のあの人の声だった。
光が晴れる。ようやく目を開けることが出来たカリーヌたちが最初に視界に入れたのは、真っ二つに裂かれたキメラの死体と血の海。そして、そこに剣を掲げた状態で立ち尽くすロイクだった。
キメラが完全に生命活動を停止したことを理解すると、最初にアガットが、次にジョスランが、遅れてエクトルが気を失う。さらにロイクまで倒れてしまい、カリーヌは一瞬混乱した。だが、すぐに自身の両頬を叩き気合を入れる。
「みんな頑張ったんだから、ここからは私の仕事!」
ぐっと両拳を握り締めて自身の役割を果たすべく立ち上がると、その途端に、隣で唯一正気を保っていたフェリシーが悲鳴に似た声を上げた。何事かと慌てて彼女を見たカリーヌは、その視線が向く方向へとすぐさま視線を投げ、そして同じように悲鳴を上げる。
倒れているロイクに、熊のような体躯のキメラが迫っていた。大きな角を持ちぎょろりとした目をしたそれは、ロイクを見つけて鼻を引くつかせている。大きな口を開ければ鋭い牙が並び、ロイクに噛み付こうとしているのが一目で分かった。
フェリシーが怪我をした肩を押さえながら駆け出す。カリーヌが杖を握り締めて駆け出す。だが、結局どちらも間に合いはしなかった。彼女たちの目的地では血が舞い散る。
ただし、その主はロイクではなく熊のようなキメラ。頭上から無数のトゲがついた打撃武器――狼牙棒――を振り下ろされ、頭から胸までを叩き潰された見るも無残な姿でロイクの元へと倒れていく。
だが、それは扇のように展開し一瞬にして円形へと変わった盾に阻まれ脇へとそらされた。現れた救世主たちに、カリーヌとフェリシーは泣き出しそうな顔でほっとして笑う。




