第四話「我ら六芒小隊」①
これは罰なのかもしれない。優しい兄弟たちを疎んだことへの。彼らの愛情を疑ったことへの。勝手に傷付き勝手に逃げ出し、折角〝先生〟がくれた自由を捨てようとしたことへの。
地面に膝をつき、ジョスランは眼前に迫る恐怖をただ見つめる。
この地域に来た時最初に驚いたのは、次から次へと溢れてくるキメラたちだった。すでに情報が行っているのかやって来ていたアルカンシエルたちから逃れて、さらに先に進んだ。
すると、目玉が八つ並んだ巨大なバッタが突然飛び上がってきて目の前に現れたのだ。それに蹴りつけられ、操縦不能になりつつも何とか着陸した。そのジョスランたちを待っていたのは、人の倍は大きなキメラたち。何人かの研究員たちはそれらに殺された。
残ったのはあの痩身の男とジョスランだった。痩身の男はジョスランを犠牲に逃げようとしたが、この時背中を押されて倒されたのがジョスランの幸運だったのだろう。次の瞬間、鋭く高速な何かが飛来し、男は身体の真ん中を貫かれた。それでも一思いには死ねず、血を吐き苦しんでいると、男は突き刺さったそれに引かれるように宙を浮いて連れ去られる。
視線で追いかければ、男は〝ソレ〟の持つ一番大きな口の中に放り込まれ、ごきりぐちゃりと耳を塞ぎたくなるえぐい音を立てて、咀嚼された。悲鳴が聞こえたのは最初だけ。後はただ〝食事〟の音が響くのみ。
食事はまだ続く。四肢でのっそりと動くソレは、口を開けるたびに中から赤い舌が伸び、周囲にいたキメラたちを次々に食らって行く。おぞましい光景だが、ジョスランは目を逸らせなかった。忘れるはずがない。ああ、忘れられるはずがない。ジョスランたちの太陽を落とした悪魔。
見た目はあの時と何も変わっていない。全体はくすんだ白をしている。体躯は人より遥かに大きく、大まかな形状はぎりぎりトカゲなどが近い。ソレの顔にあるのは血塗れの口だけであった。本来の口があるべき所に赤い唇の大きな口、目があるべき所に全く同じ形状の少し小さな口、額と思わしき場所に三つ目の口がある。そのどれもが鋭い牙を二重に内包し、長い舌が隠されていた。
周囲のエサを食べきったキメラはジョスランに顔を向ける。口以外の感覚器はないというのに、キメラは確実にジョスランを次のエサとして見つけた。口が開かれ、鋭い歯がジョスランを狙う。
ああ、もう駄目だ。
心の中で〝先生〟や兄弟たちの顔を思い浮かべながら、ジョスランは涙を零して目を閉じた。全て捨てるつもりでやって来たのに、結局最後に思うのは彼らのことばかりだ。未練ばかりが残る中、すぐ近くに生臭い息を感じる。
何の躊躇など持たないキメラの牙が、ジョスランを噛み千切ろうとした。
だが、それは叶わずに終わる。その代わりにジョスランに訪れたのは、耳を殴りつけるようなご激突の轟音と、抗えぬ衝撃波。
斜め後方に吹き飛ばされたジョスランだが、すぐ背後に倒れている、乗ってきた飛翔艇のシートに偶然納まったため怪我はしなかった。
轟音で耳が痛いが、それ以外の痛みは何もない。一体何が起こったのか、とそっと身体を起こして周囲を見回し、ジョスランはようやく事態を把握する。
「僕たちの、飛翔艇……みんな……?」
まさか、そんな。信じられないと見つめていると、キメラを吹き飛ばしたのに関わらず、強化した装甲のおかげでへこんだだけで済んだらしい飛翔艇が急にバックしてくる。そしてジョスランの近くで止まると、開いた扉から溢れるように兄弟たちが出てきた。
「ジョスラン!」
「ジョスラン無事か?」
「痛みは? 傷はないか?」
「大丈夫? 怪我してない?」
「ジョス兄、迎え来たよ!」
一気に群がってくる兄弟にジョスランはようやく正気に戻り、罪悪感から、彼らを遠ざけようと突き飛ばそうとする。だが、身体は動かない。誰かに止められたわけではない。今更恐怖が湧いて来て身体が震え出したからだ。
そんな彼の手をロイクが自身の両手で握り締める。それと同時に何かを握らされ、ジョスランは何かと視線を下げた。震えて上手く動かない手を、ロイクはそっと開き、手の中に収めた何かをジョスランが見えるようにする。そこにあったのは、ジョスランが捨ててきた、六芒小隊のエンブレム。ジョスランはまた視線をロイクに向けた。
「……これ……」
「お前のだ、ジョスラン」
いつもの通りの優しい眼差しが穏やかな笑みと共に寄こされる。だが、ジョスランは暗い顔で俯いてしまった。ロイクがその名を呼びいぶかしみを露にするが、それが返答を得るより早く、倒れていたキメラが起き上がり、空気を振るわせる猛獣の咆哮を上げる。
「ちっ、やっぱり硬いな」
「ロイク、フェリシー、行くぞ」
「分かった」
「うん。先生の仇討つんだから!」
戦闘の状態に入るべく前線組は武器を抜く。そのうちの一人であるロイクもジョスランの手を離して剣を抜こうとするが、反射のようにジョスランが手を握り返してきて動きを止められた。驚き視線を向ければ、当の本人すら驚きを浮かべ、必死で離そうとしている。ロイクはその様子に優しい笑みを浮かべ、そっと手を離させた。
「ジョスラン、殴ったりしてごめんな。帰ったら、ゆっくり話そう」
殴ってしまった方の頬をそっと撫でてそう言い残し、ロイクは剣を抜き駆け出す。その様を見送っていると、突然脇から抱きしめられた。カリーヌだ。何も言わないが、彼女がタランを使っていることは、落ち着いていく心から理解出来る。
ややあってジョスランの心は平静を取り戻し、震えは止まった。それを見定めると、カリーヌはにこりと微笑み、戦闘を始めた兄弟たちに視線を向ける。一度彼女に視線を向けたジョスランも、何も言わずに前線を視界に納めた。
敵が敵とはいえ、目に見える苦戦はしないだろう。そう思って安心していたジョスランだが、その安心は僅かな間に崩される。
「っ」
ロイクが尻尾で吹き飛ばされた。幸い剣でガードしたようだが、ジョスランはその様に目を見開く。戦況を見ていたジョスランは、あの尻尾が本来フェリシーを狙ったものだと分かっている。それをエクトルが盾で防御した。ロイクに向かったのは尻尾の先で、言ってみればほとんど威力が軽減された結果のはずだ。
だがこれはどうだ。怪我こそないが、ロイクが吹き飛ばされた。体重差が明確に作用した結果だろう。冷静に考えようと努力していると、隣のカリーヌが少しだが前に出る。ジョスランは慌ててその手を取った。
「ちょ、カリーヌ何してるの? 危ないよ」
当然のことを言ったつもりだったが、カリーヌはおかしなことをしたつもりはないと言いたげな真剣な眼差しを返してくる。
「危ないのはみんな同じだよ。少しでも危なくしないであげるのは私の仕事。杖があるからある程度は指向性がつくけど、あんまり遠すぎると万が一に間に合わなくなっちゃう」
危険は承知している。滅多に見せない強気な表情を前に、ジョスランは言葉を飲み込んだ。そんな彼と改めて向き直り、カリーヌはじっと彼を見つめた。
「ジョスランは?」
「え?」
問われた内容が分からず問い返せば、カリーヌはジョスランの胸に指を突きつける。そこにあるのはジョスランの武器――MIT。
「ジョスランは、いつまで戦わないの? あれは、凄く強い敵だよ。先生の仇だよ。みんなで力を合わせないと勝てないよ。六芒小隊、みんなで」
みんなで、と強調され、ジョスランは顔を歪めて視線を逸らした。
「……僕なんて、いなくたって支障なんかないでしょ……?」
謙遜ではない卑下の言葉。彼らしくない自嘲気味の笑顔を、カリーヌは訝しむ。その彼女から、ジョスランは耐え切れずに視線を逸らした。それでも、堰を切った言葉は止まらない。
「ロイ兄やアガット姉やフェリシーみたいに前線で戦えない。エク兄みたいに敵の攻撃も受けられない。カリーヌみたいに誰かを助けることも出来ない。僕が、ここにいる理由なんてないでしょ? リーダーだって、だからこのエンブレムに僕を含めなかったんだよ」
強く握り締め、ジョスランはエンブレムを見下ろす。精巧な作りのそれを最初貰った時は素直に嬉しかった。だが、ある時気付いてしまった。そこに、自分がいないと。
「前面の剣、背面の盾、飛翔の両翼、頭上の光、足元の閃き。描かれているのそれだけじゃないか。どこに、僕がいるの……?」
剣はロイク、盾はエクトル、両翼はフェリシー、光はカリーヌ、閃きはアガット。六角形の中に含まれるモチーフはたったの五個。それに気が付いた時から、ずっと怖かった。いつか皆が戦い慣れた時、ジョスランがいらないと言われるのが。必要ないと手を離されるのが。
泣き出しそうになると、突然両頬をカリーヌの手で挟まれた。手を当てるというよりも両側から叩かれたような状態だ。ジョスラン同様後方支援の彼女だが、年齢相応の力はあるため、ジョスランは当然の痛みを感じる。
しかしロイクの時ほどショックがないのは、周囲にいい子で通す彼女も、双子同然のジョスランには割りと遠慮がないことを知っているため。叩かれたのも実ははじめてではない。
それでも驚きはある。呆然とカリーヌの目を見ると、その青い双眸は似合わない怒りに染まっていた。
「ジョスランの馬鹿。頭いいけど馬鹿」
頬に当てられたままの手に徐々に力が籠もっていく。本気で怒っている、と遅れて気付いたジョスランは、少し慌てて彼女の腕を剥がしにかかった。男女の差でかろうじて勝る腕力で何とかそれをどかすと、何かを尋ねるより早くカリーヌは自身のエンブレムをジョスランの眼前に突きつける。
「いい? 教えてあげるからよく聞いてよ? 前面の剣、背面の盾、飛翔の両翼」
エンブレムに刻まれるモチーフを一つ一つ指差し、カリーヌはジョスランが先ほど述べたものを繰り返していく。
「頭上の光、足元の閃き」
そこで終わりだ。まさか六角形がそれだとは言わないだろうなと思っていると、彼女はジョスランが完全に無視していた最後の一つを指差した。
「つながりの輪」
細い指が指し示す、剣や盾を囲み光などと被る植物の葉でつながれた輪。ただのデザインだとしか思っていなかったそれに、ジョスランは目を見開く。カリーヌが勝手に思っているだけかもしれない。そう考える自分もいるのに、それ以上に喜ぶ自分が騒がしい。いた。自分も。いたのだ。このエンブレムの中に。六芒小隊の中に、ちゃんと、刻まれていた。
ジョスランは僅かに顔を歪める。その双眸に涙がうっすらと滲むのを見て、カリーヌエンブレムを少し下げた。
「ジョスラン、いらないなんて言わないで。私たちの戦いを、いつもつなげてくれてるのはジョスランだよ。確かに、ロイ兄も慣れてきたけど、それはリーダーだからって頑張ってるからだよ。ほら見て、今みたいに強い相手じゃ、ロイ兄だって余裕がない」
視線が前線に向けられ、ジョスランもそれを追いかける。そちらでは確かに、いつもの精細さが欠ける戦いが繰り広げられていた。相手が強いのもあるが、ロイクたちが全く連携が取れていないのだ。半ば呆然としてその光景を眺めていると、カリーヌに腕を引かれる。視線を再度双子同然の妹に移せば、強い双眸がまたジョスランを見据えていた。
「助けてよジョスラン。一緒に戦おう。私たちは六芒小隊、私たちは、ファミーユ兄弟だよ」
ぎゅっと手首を握り締められる。ふと読心術を発動してしまうと、言葉と寸分違わぬ思いが彼女の心の中に渦巻いているのが分かった。ジョスランは瞼を下ろし、二呼吸分の間を置き、再度双眸に世界を映す。
「カリーヌ、離して」
「ジョ――」
「これじゃMIT触れない」
まだ意地を張る気かと眉を寄せたカリーヌだったが、続いて真剣な表情で告げられた言葉に呆気に取られ、そしてすぐにジョスランの手を離した。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「戦うよ。僕は、六芒小隊のジョスラン・ファミーユだ」
まっすぐに戦線に向けられた眼差しに強さが宿る。カリーヌは知っている。この目の時の兄は、どんな時より強いのだと。
ジョスランとカリーヌは目を合わせ、少しずつ遠ざかっているロイクたちを追いかけ、適度な位置でまた止まった。カリーヌは杖を握り締め、ジョスランはMITを開く。まず必要なのは、あのキメラがどんな生き物から情報を集めたのか、今はどんな個体なのか、だ。そのためには、兄たちの協力が必要である。
「フェリシー、一回下がってこっちに来て!」
大声で妹を呼べば、耳のいいフェリシーは一度視線をジョスランに向け、タイミングを計って戦線を離脱した。そして、身軽に数回跳ねてジョスランの前にやって来る。
「何? ジョス兄」
「これ、この端末を可能な限りでいいからあいつに打ち込んで。あと、みんなめちゃくちゃに戦いすぎ。正面からはあの舌が危ないから戦わない方がいいよ。随分長いけど巨体が幸いして身体の横までは届かないみたいだし、回り込んで」
軽く注意を交えながら、ジョスランはフェリシーに銃身が透明になっている銃を渡した。中には先が針状になっている画鋲のような変わった弾が込められている。それが小さな機械だと気付いたフェリシーは、一度それを眺めてから元気に頷いた。その瞬間にまた戦線に戻ろうとするが、直前に足が止まる。そして、振り向いたかと思うと心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
「フェリシーね、またジョス兄と戦えて嬉しい」
やはり内心とぶれのない言葉がよこされ、ジョスランは軽く目を見開く。言葉と感情が一致した時に読むとこんなにも綺麗な音がすることを、ジョスランははじめて知った。
「頑張ろうね、ジョスラン」
隣に並び戦線を油断なく見つめるカリーヌの言葉に、ジョスランは強く頷く。




