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第三話「トラウマとコンプレックス」②


 決して、二度と見ることはないと思っていた。


 ロイクは視界に映る存在を前に、心臓が気持ち悪いほど大きく震えていることを自覚する。エクトルもどうやら同じらしく、目を見開いて硬直していた。


 彼らが視界に映しているのは、べちょべちょと水に濡れた足音を立てて地面を這っている、犬ほどの大きさの〝何か〟。ぶよぶよとした頭と胴体は同じ幅で、瞬きしない目を魚のような顔の脇につけている。尻尾は魚のヒレのようになっており、四肢には蛙とよく似た水かきがついていた。決して自然の生き物とは呼べないそれの名称を、ロイクもエクトルも持ち合わせている。だが、どちらも口には出したくなかった。


 〝何か〟は水の中から次々と現れてくる。やがてその数が十を超え、さらに数が増えてきた頃ようやくロイクが正気に戻った。


「兄さんっ、そいつらを抑えていてくれ。俺はあいつらを捕まえてくる」


 言下ロイクは走り出し、途中行く手を遮るソレらを容赦なく斬り伏せる。一応血は流れているらしく、斬るたびに通気の悪い地下には血の匂いが広がった。ソレらは痛みを遮断されているのかそもそも持ち合わせていないのか、少し傷がついたくらいでは再び襲い掛かってくる。やむなくロイクはソレらを確実に仕留めた。


 口はあっても声は出ないらしいソレらを排除して進むと、それまで余裕を見せていた研究員たちが予想外の事態に慌て出す。どうやらよほどこれらの性能に自信があったらしい。ロイクに立ちはだかる最後の一匹を斬り伏せると、道は完全に開かれ、大股で十歩進めば手が届く位置でロイクは足を止めた。


「大人しく投降し、あれらの檻を閉じろ」


 短く命じれば研究員たちは後ずさって沈黙を返す。ロイクはそれを歩いて追いかけた。やがて研究員たちは背中を壁にぶつける。逃げ場はない、そう言おうと口を開いたその時、斬り離され半身だけになったはずのソレの上半身が突如ロイクに襲い掛かってきた。反射的に回転し襲い掛かってきたソレをロイクは一太刀で斬り捨てる。背後から走り出す複数の足音と成功だと歓喜の声が聞こえてきたところ、この再動性がこれらの特筆点なのだろう。


 次があるかもしれないと思うと安易に背中を向けられないロイクが焦ったのは僅か一瞬。研究員たちがロイクの脇を通り過ぎようとした瞬間、鋭く空気を裂いて飛来した何かが二人の研究員の肩や足をそれぞれ貫いた。悲鳴を上げた二人の研究員が転げ回る中、無事な研究員たちも、自分の番を恐れるあまり足を止める。


「すまない姉さん、助かった」


 ロイクが顔を向けたのはこの部屋の入り口。そこにはシャンジュマンで作られた弓を構えたアガットが立っている。どうやら、上の方は片付いたらしい。


「ああ。……だが、何だ、この状況は……」


 エクトルが可能なだけ大きくした盾に阻まれ徐々に押し返されているソレらを、そしてロイクが斬り捨てていったソレらを見て、アガットは眉を寄せる。彼女がそう問いたい気持ちが十分に分かるロイクは、一度しっかりと呼吸をしてから無事な研究員の一人の首元に剣先を当てた。


「もう一度言う。投降し、あれらを檻を閉じろ。それと、あれは外には出ないな?」


 繰り返された命令と新たな質問に、研究員は今度こそ素直に、二つの意味で頷く。やって来たアガットに付き添われたまま装置のそばまで研究員が向かうと、代わりにエクトルの近くまで来たロイクは、彼の横から盾を押してソレらを水の中に押し戻した。


「よし、一度ここを出よう」


 動くものがいなくなったのを確認し、ロイクたちは捕らえた研究員たちと共に地上へと上がっていく。徐々に視界は明るくなっていき、一階に出た時少しだけ目が痛んだが、少しずつ慣らして上って来たも同然だったのですぐに活動に移れた。


 大部屋の研究室の中には捕縛装置で両腕を交差した状態でがっちりと固められている研究員たちが転がされており、見張りをしていたフェリシーは兄弟の帰還に笑顔を浮かべる。


「おかえり。……あれ? どうしたの?」


 そして、複雑な表情をするロイクたちに気が付くと不安そうな顔をした。ロイクはそんな彼女に無理やり作った笑みを返す。


「いや、何でもない。それより一旦ここを出るぞ」


 何事もないなど嘘でしかないことを、フェリシーはすぐに理解した。だが兄たちがまだ語らないことを選んだのならば従うのみと、元気に頷いて捕らえた者たちを立ち上がらせる。


 ややあって、途中で捕まえた者たちも含め全員が外へと出された。報告するより先にジョスランが事態を把握していたらしく、それから少しと待たずに村の男衆がやってくる。怒りを抑えきれない様子の彼らをエクトル、アガット、フェリシーが宥めている間、ジョスランがロイクに近付いてきた。


「……ロイ兄、正直に答えて。何を見たの?」


 深緑の双眸が厳しくロイクを見上げてくる。通信を切り忘れていたので、彼らはロイクたちが何かを見たのは知っているようだった。だが、その〝何か〟を確定させる情報はないため、今こうして、問いかけている。


 頭はいいがフェリシーほど物分りのよくないジョスランには誤魔化しなど出来ない。ロイクは少し間を空けてから、眉を寄せて苦い顔をした。


「――キメラだ」


 生き物と生き物を融合させ、新たな生き物として作り上げられたモノ。生命倫理に基づき完全禁止がされている禁忌の研究の、その成果。


「まさか、こんな所でまた見ることになるなんてな」


 ロイクたちが囲われていた箱庭ではスフェールの実験と称して非人道的な実験が繰り返されていた。その中にはキメラの材料に使う、というものもあり、ロイクの記憶の中にはその光景が焼きついていた。


 本来ならば余計なことを考えさせないため、〝材料〟であるロイクたちはそれを見ることはないはずであった。だが、逃亡を決めたあの日、ロイクは見てしまったのだ。実験室でキメラへと変容していく、自分とそれほど年の変わらない少年が、体が耐え切れずに肉塊へと変わってしまった瞬間を。


 古い記憶を思い起こしロイクは眉を寄せてぎゅっと目を瞑った。暗い記憶を追い出すように頭の中で何度も忘れようと試みる。すると、突然手を握られる。はっとして目を開けると、ジョスランが不機嫌な顔でロイクを見上げ、ぶっきらぼうにロイクの手を掴んでいた。


「本部に連絡入れておいたからすぐに護送の飛翔船が来るよ。それまでにそのうざったい顔と雰囲気どうにかしてよね、アルカンシエル所属六芒小隊隊長、ロイク・ファミーユ」


 言うが早いかジョスランはロイクの手を離す。もう顔も見ようとしない弟を見下ろし、ロイクはふっと相好を崩して彼の頭を撫でた。すぐに振り払われてしまったが、それでもロイクには十分だ。


「ああ、そうするよジョスラン。ありがとう」


 不器用な優しさへ素直に礼を述べると、ジョスランは「は?」とつっけんどんに返して睨みつけてくる。ロイクがそれにも笑顔を示すと、今度は舌打ちと共に視線を逸らされた。素直じゃない弟に一度失笑してから、ロイクは説得を試みているエクトルたちに助力するべくそちらへと歩みを進めた。


 それを見送ったジョスランは「やっぱりカリーヌ連れて来ればよかった」とひとりごちる。もっと言えばそもそも本当は彼らを連れて来るつもりはなかったのだが、カリーヌに報告していたら聞かれてしまい、連れて来る羽目になったのだ。浄化が終盤だったので置いてきたのはやはり間違っていた。ジョスランは面倒くさそうに長いため息をつく。


 そして、もう一度誠実な態度で村人たちを説得しているロイクに視線を向けた。彼自身が閉ざそうとしていたため完全には読めなかったが、先ほどロイクの心によぎったのはかつていた箱庭の景色だった。一片たりとも思い出したくない記憶をつい読んでしまったことへの後悔で、ジョスランは不機嫌な顔で舌打ちした。


 その時だ。蹴り出そうとした記憶を背後からの声がつなぎ止めた。


「『C ―45766 』」


 忘れたかったナンバーを、捨てたい過去を、触れられたくない部分を、容赦なく抉られて、ジョスランはぞわりと背筋を冷やし反射的に背後を振り返る。目が合ったのは眼鏡をかけた痩身で髭の男だ。四十代かその辺りだと思われるその男は、ジョスランと目が合うと眼鏡の下の濃いくまが出来ている目を細めて笑った。


「やはりな。あの力の連中を見た時から気になってたが、お前たち、あの時逃げ出した奴らだな」


 完全に確信した。言外に自信をにじませて男はにぃぃと口の端を上げていく。ジョスランは数度短い呼吸を繰り返した。首の裏に汗を滲んでくる。兄たちを呼ぶ? 逃げる? 頭の中で選択肢がグルグルと回り出す。すると、見計らったような言葉が背後から大声で響いた。


「とにかく落ち着いてください!」


 それは熱くなる村人たちへと向けたものだったのだろう。だが、空気を振るわせるほど大きく、安堵を覚えさせる低さの声は期せずしてジョスランも落ち着かせる。さりげなく深い息を吐くと、ジョスランは冷めた眼差しを男に向けた。


「は? 誰? いきなりあんたが喋ったから振り返っただけなんだけど。どうせ逃げられないんだから大人しくしてなよ」


 心当たりなどないというように言い捨てると、ジョスランは視線を逸らしてMITに視線を向ける。逃げはしない。下手に逃げれば彼の確信を深めてしまうから。捕らえた者たちになど興味はないというように画面を眺めるその横顔に、男がくっくと喉を鳴らす音が届けられた。


「とぼけるか? まあいいさ。じゃあ俺が勝手に喋ろう」


 宣言すると、男はちらりとロイクたちに視線を巡らせる。


「お前がC ―45766 ならあいつらは『F ―18995 』と『D ―33521 』、『T ―28814 』、『V ―22315 』か? 『S ―53324 』は村か? お前らのせいで研究所が閉鎖されたからな、よく覚えているぞ」


 口調こそ軽いが中身は脅しの他はありえない。ジョスランは無視を決め込みMITを操作し続けるが、その内心は緊張と恐怖が混ざり合っていた。


「それにしても、流石に強くなったな。デュールメタルで作られたロボットの攻撃を受けきる『D ―33521 』、関節部という一番脆い場所とはいえ貫いた『T ―28814 』、ロボットの頭部破壊に加え職員を大量に捕縛した『V ―22315 』、デュールメタルやキメラたちを片付けた『F ―18995 』。『F ―18995 』はリーダーとしても優秀だったな。今回上手く指示を出していた」


 実際自身の目で見たものを手放しに褒め称える男の声は、まるで心底感心しているようにも聞こえる。だが、ジョスランはその〝純粋な褒め言葉〟こそが何より気持ち悪かった。それでも無視を決め込んでいると、男はさらに言葉を続ける。


「『S ―53324 』はもしかして浄化中か? いやはや恐れ入るほど役立つ能力だ」


 白々しい褒め言葉に吐き気すら覚えた。ジョスランはその真意を探るべく、読みたくはないが我慢して男の心を読む。そして後悔した。何も知ろうとせず、無視を決め込めばよかったのに、と。



『お前は役立たずだな。戦い慣れれば知恵がつく。そのうち、お前は必要じゃなくなる』



 最初に読みとれた声にジョスランは目を見開く。驚きではなく、それは怒り。例えば言葉を介して言われたものであれば耳を通し言葉を理解するまでの間にどうとでも出来ただろう。だが、突きつけられた言葉は心を通し心に直接訪れる飾りも緩衝材もない感情だ。読心術の一番困るところは、下手な読み方をすると読み取った感情などに心が揺さぶられることである。いつだかにナタリーが教えてくれた大切なことだが、その時のジョスランは完全にそれを忘れていた。


 全身の毛が逆立つほどに激しい怒りで心が焼ける。殺さんばかりに男を睨みつけたジョスランは歯を食い縛ると大股で彼に近付き、躊躇いなく男の顎を蹴り上げた。突然の行動に、落ち着きかけていた村人たち、気を抜きかけていた六芒小隊は全員がぎょっとして彼に視線を向ける。しかし気付かないジョスランは倒れた男をきつく踏みつけた。


「もう一度言ってみろ……っ!」


 搾り出された言葉は怒りや憎しみなどに塗れ、止めようと真っ先に近付いてきていたフェリシーは直前でびくりと動きを止めてしまう。生意気なことや冷たいことを口にすることがあっても、このようなあからさまな負の感情をジョスランは普段ほとんど表に出さない。


「じょ、ジョスラン。やめろ、どうした?」


 フェリシーに代わってエクトルがジョスランを一瞬だけ後ろから押さえつけて動きを止めると、すぐに自身の身体を研究員たちとの間に差し挟んだ。無意識のうちに読心術を開きっぱなしにしていたジョスランには彼が抱く心配や驚きがダイレクトに伝わってくる。ジョスランを思う、優しい感情だ。だが今のジョスランにはそれすらも鬱陶しかった。


「うるさいっ、触るなっ」


 力任せに振り払おうとするが、体格も力も比較するのがおこがましいほどに違う。エクトルが本気で押さえ込めば動くことも叶わないだろう。だが、戸惑っているままではその効果など出はしない。それどころか、ジョスランが暴れて鎧などにぶつかり傷を負ったら困ると少し距離を開けてしまった。ジョスランはその隙にエクトルの腕から抜け出し男を睨みつける。鼻血を出して転がる男は、それでもなおにやにやと口元を緩めていた。


 視線が合うとまた彼の感情はジョスランの理性をからかってくる。痛みなど恐れないというように絶え間なく襲い来る言葉の嵐に耐え切れず、ジョスランはまた彼を蹴りつけようとした。


 しかしその動きは空回る。エクトルの脇を通ろうとした時、突然腕を引かれ動きを遮られてしまったからだ。この場において今のジョスランを易々と引き止められ、かつタコの出来た手を持つ者は限られている。


「離せって――」


 振り返り言いかけた言葉が遮られた。同時に響いたのは頬を張った高い音。想像だにしていなかった事態に、ジョスランは目を見開いて思考を停止させる。そう、予想もしていなかったし、こんなことが起こる日が来るなんて思ってもいなかった。ジョスランは呆然とした目で自身の頬を張った相手に目を向ける。視線が合ったのは、見下ろしてくる深い赤の双眸。


「いい加減にしろ。いくら犯罪者とはいえ、抵抗出来ない者を暴行するなど恥ずべきことだ」


 厳しく、冷たく、硬質な言葉が落とされる。つい読んでしまった心は奥までは覗けなかったが、怒りばかりが渦巻いていた。アガットと似た性格をしているが彼女のように手を出すことなどこれまで一度もなかった彼が、ロイクが、今、本気で怒っている。


 ジョスランの唇が数度空回った。何かを訴えんとしていた彼は、はじめは理解されない悲しみや戸惑いに顔を歪めていたが、その間にどれほどの思考が展開したのか、僅かな間で、その表情は怒りや憎しみで歪んだ。


 エクトル、アガットがいち早く異変に気付き止めに入ろうとするが、それに先んじてフェリシーが空を指差して腹の底から声を張り上げる。


「護送船来たよ!」


 必死に場の空気を変えようと頑張るフェリシーに一度視線を向けると、ロイクはその後一瞥もせずにジョスランの前から離れた。村人に向けて一旦引き上げることと引き続き大地の洗浄をするために別部隊を要請する旨を伝えている。


 その背中を睨んでいたジョスランは、不意に例の男の方に視線を向けた。唇を引き伸ばしじっと視線を交じらせていると、その視界が急にエクトルに阻まれる。


「ジョスラン、もう関わるな。な?」


 心配した様子を見せてエクトルはジョスランの肩を掴んで後ろを向かせ、そのまま歩かせた。素直にそれに応じつつも、ジョスランは何度も背後を気にした様子を見せる。


 それから約一時間後、捕らえられた研究員たちは皆護送船に乗せられ、ロイクたちもカリーヌと合流し帰途へとついた。しかし、その飛翔艇にはジョスランの姿はない。どうせ帰る所は同じだから、と護送船の方に乗ったのだ。先ほどのこともあるので、少し時間を置いて落ち着かせた方がいいだろう。そう考え、エクトルとアガットはそれを許可した。


 だが、これから数時間後、彼らはこの時の選択を激しく後悔することになる。



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