第二話「真実のかくれんぼ」②
シエル・シャトー二階の東エリアは、他の場所よりも人気が少ない。主要な施設も人が寄り付く施設もないため、限られた極小数がたまに通るくらいなのだ。一階は全面が飛翔艇などの収納庫になっているため下から響く音はあるが、耐えられないほどではない。それを狙って一人になりたい者や静かにいたい者はこちらのフロアによく集まる。窓枠に座って外を眺めているジョスランも、またその一人であった。
ぼんやりと、しかし気難しい表情でどことも知れぬ遠くを眺める彼の手には、六芒小隊のエンブレムが握られている。手に込められている力が抱くのは果たして祈りか憎しみか。定まらぬ意識が霧散する中、不意に彼は顔を上げた。
ハイヒールの踵を鳴らしてやってきたのは一人の女性。目が合ったのは眼鏡の下の落ち着いた漆黒の宝石だった。現れたナタリーはにこりと笑って彼の隣にやってくる。
「先ほどロイクさんがいらっしゃいましたよ。あなたが最近気難しすぎてどうしたらいいのか迷っているみたいです」
同じく窓の外を眺めながら、世間話のようにナタリーは言葉を紡ぎ出した。一度彼女に目を向けてその美麗な横顔を視界に入れたジョスランは、再び窓の外に目を向ける。
「……普通こういう時って偶然ですねって言わない?」
「言った所で嘘とばれるなら言わない方がいいです」
柔らかい口調でありながらも断じた言い方をされたジョスランは、しかし「そうだよね」と素直な返事をした。
そのまましばらくの間沈黙が続くと、不意にジョスランが喋りだす。
「ナタリーさんのタランって強いよね。読もうとしてもガードされて上手く読みきれない」
他者が聞いていたとしても一瞬では何の話か分からないであろう一言を受け、ナタリーは肩を竦めた。
「ジョスランさんも強いです。私もここまで読まれたのは初めてですし、ここまで読めないのも初めてです」
似たような言葉をナタリーが返すと、ジョスランはまたナタリーに視線を向ける。何か探ってくるような深緑の双眸は静かに輝き、周囲には分かりえる者にしか分かりえない独特の空気が漂い出した。しかし、分かりえる者であるナタリーは怖じずに彼の目を見返す。深緑と黒。二対の視線が交差すると、呼応して二つの空気が混じり合った。
ややあって、ジョスランが不意に視線を和らげる。同時にナタリーも視線を緩めたため、立ち込めていた空気は一瞬で散り去った。
「やっぱり読めない。ナタリーさん相手だと難しいね。ナタリーさんは何か読めた? 僕のこと」
問われると、ナタリーはにこりと微笑む。
「私もあまり。でも、最近の不機嫌の一端がこの力のせいだということは何となく感じ取れました。合っていますか?」
問い返されたジョスランは不機嫌な顔で目を逸らした。言葉よりも雄弁な無言の肯定を受け、ナタリーははめ込まれて開けることの出来ない窓の外に視線を向ける。
先天的に奇跡の恩恵を受けた存在、ナテュール。その分類はスフェールと同じく護、技、力、知、療、速の六つに分けられ、それぞれが特化するものはばらばらだ。
たとえば戦闘に限って言うならば、護は純粋な防御力、技は技の精度や命中率、力は腕力や脚力など、速は行動や攻撃までの早さを強化される、完全に自身に効果のベクトルが向くタイプだ。
療は心身などを癒す特殊系のタイプで、そのベクトルは自他へと向く。そして知は脳を活性化させ記憶力や処理速度を上げ、目、鼻、耳、舌、肌、いずれかの感覚器の許容値を大幅に上げるという、自身にベクトルが向くのが基本のタイプである。
六芒小隊は、エクトルが護、アガットが技、ロイクが力、ジョスランが視力の特化した知、カリーヌが療、フェリシーが速のナテュールだ。
そしてアルカンシエル副リーダーことナタリーは、ジョスランと同じ知のナテュールである。彼女も視力が特化しているため、ここには恐らくそれを使ってやってきたのだろう。ジョスランには不可能だが、特化の能力が強い彼女にとって壁はあってないようなものらしい。ちなみにかけている眼鏡には知のスフェールが埋め込まれており、それで能力を調整していると聞く。
同じ能力、同じ特化感覚、冷静で知的な言動。副リーダーとしての実績。ジョスランが兄弟たちよりも彼女に心を許すには、それだけでも十分すぎる理由になるが、それ以外にももうひとつ、最も大きな理由がある。ナタリーは、誰にも話せない、誰も分かりえない苦しみを分かってくれる貴重な相手でもあるのだ。
「心や記憶を読めるというのも、考え物ですね」
ため息をつきつつ同意を求めるようにナタリーが口にすると、ジョスランはさらに苦い顔をし、それでも小さく頷いた。
ジョスランにとって一番の武器であり一番の厄介ものである能力。それこそが、読心術だ。知のナテュールの中でもさらに希少な能力であり、先天的にせよ後天的にせよ、顕現する者は非常に少ない。ジョスランは15歳の頃に後天的に顕現したため、未だにこの能力には慣れていないのだ。先天的に持っていたナタリーがいなかったら、今頃どうなっていたか知れたものではない。
心の隅々までを読み通せる訳ではないが、ある程度の思考や記憶などは読めてしまうため、会話をする際は口に出している言葉と心に浮かべている言葉二つを聞くような状態になる。現在はナタリーが制御装置をくれたので随分抑えられているが、それでも伸びつつあるジョスランの能力は、こぼれたそれを拾い上げてしまう。
そうして人の裏側を知ってしまったのが年齢的にも不安定な時期にぶつかってしまったため、今やジョスランは他人を易くは信じず、喧嘩を売ることが多くなった。
しかしそんなことを兄弟に話せるはずもなく、結局ジョスランは反抗と反論と理不尽な怒りばかりを彼らに向けることになっている。そのために返って来る心配が、怒りが、戸惑いが、さらにジョスランを頑なにさせるという悪循環が続いていた。
「……ねぇナタリーさん。昔どこかの軍で働かされてたんだよね? そこが負けたからリーダーに拾われた、って読めたんだけど、詳しく聞いていい?」
ジョスランは昔ナタリーを読んだ時に僅かに読めたことを素直に口にする。普通の女性――いや、普通の人間であれば触れられたくない過去には違いないことも分かっていた。だがナタリーの反応は予想通り「可」となる。彼女のこのこだわらなさもまた、ジョスランが安心して会話出来る理由だろう。
「私が18の時ですから、だいたい14年前ですね。外交問題もありますので一応国は伏せますが、私は前線でレーダー手をしていました。知のナテュールとはいえ戦闘力は普通の兵士にも劣りましたし、能力上後方からの方が活かせたのですけどね、情報の伝達速度を速めるために前線に送られたんです。ですがその戦闘で私の伝達のみでは間に合わない数の敵が攻め込んできて、味方は壊滅。足に怪我をした私は、足手まといと判断されて見捨てられました」
その時の情景を思い出しているのか、ナタリーは眼下に広がる大地を深い眼差しで見つめている。自然と読心術を使ってしまったジョスランの頭には焦土のイメージが流れ込んだ。草花は消え、土は焦げ、ぎりぎりで焼け残った木はもはや滅びを待つ他ないただの墨と化し、人がまるで使い古した雑巾のように転がっている。それが彼女が見てきた光景だと思うと、ぞっと背筋が冷えた。六芒小隊はまだこのような戦争の現場には行ったことがないのだ。
不意にイメージが消える。ナタリーがジョスランを閉め出したのだと気付き視線を彼女に向けるが、ナタリーは前を向いたままだ。
「もう死ぬしかないのだ。そう思った時でした。当時各国で注目され始めていたアルカンシエルが戦場を調停しに現れたのは。敵味方構わず死体は収容され、怪我人は保護され、なお戦おうとする者はアロンソさんやエレーナさんたち、古株の皆さんにしっかりお仕置きされていました」
その時の光景を少しだけナタリーが見せてくれたが、見せないでくれてもよかったのにとジョスランは恨みがましい目を彼女に向ける。失礼、と苦笑してナタリーはまたジョスランを閉め出した。
六芒小隊や鉾楯兄弟ではまだまだ足元にも及ばないアルカンシエルの古株たちの〝お仕置き〟は、それこそ子供にはよろしくない光景だ。平和の虹を掲げた悪鬼が山のようにいた場面は、焦土よりも恐ろしい。
「私は丁度物陰に倒れていたので、声を出すか同じく知のナテュール、スフェールを持つ誰かがいなければ見つからないと思っていました。とは言っても、知の担当者というのは本来前線には出ませんから、諦めていました。ですが、リーダーが、見つけてくれたんです」
またイメージが流れてくる。段々と暗くなっていく視界が突如開かれ、光を背負った男が視界を埋めた。
『大丈夫か?』
笑顔を向けられたその時、胸に訪れたのはまだ生きられるのだという安堵、喜び、感動。言葉より先に、頬を、涙が流れる。
「っ、感情まで見せてくれなくていい!」
当時のナタリーの感情とリンクしてしまったことを自覚したジョスランは、はっとして大声を出した。慌てて頬や目を拭うが、そこに水滴はついておらず、心の底から安堵する。
「あら、失礼しました。今でもその時のことを思い出すと嬉しくてつい能力が制御出来なくて」
笑みを返して謝罪するナタリーは再び心を隠した。流石に30年以上付き合ってきた能力だけあって、自由にオンオフを繰り返してくる。確信犯ではないかと疑いながら、ジョスランは窓枠に片膝を抱えて座り直した。
「年を取れば上手く使えるようになれます。今は外部から制御するしかありませんよ。大丈夫、ジョスランさんならあと二年か三年でハイロウの切り替えくらいなら出来るようになります」
その彼を見上げ、ナタリーは慰める言葉をつなげる。ジョスランは一度彼女を見下ろしてからむっとして窓の外に視線を投げた。
「三十路超えた人と十代の僕を一緒にしないでよ。一ヶ月すら長いのに、二年・三年をそんな短いみたいに」
「そうですね、年を取ると一年が早く感じますから、二年も三年も同じような感覚です。ですが、若い方も何かに熱中していれば早いものでしょう?」
年のことを話題に出して嫌味を言ってもナタリーは動じない。もう少し言うと、彼女はどんなに喧嘩を売っても受け流してしまう。若い頃に死にかけ、生きる喜びを知ったためか、些細なことでは怒らないどころか大した感情の変化を見せないのだ。
この冷静さはアガットにも見習って欲しいと思ったその時、ナタリーの胸についていた造花のブローチから電子音が鳴り出した。それはただのブローチではなく、アルカンシエルの技術者が作り出した小型の通信機である。広すぎるアルカンシエル内で大活躍の全体放送以外に、唯一ある呼び出し手段だ。ナタリーは花の裏側を細い指で押して呼び出しに応じた。
「こちらナタリー。どうぞ」
『こちら司令室ヘルゲ。副リーダー、そろそろ帰ってきてあげてください。ロイクが書類に埋もれはじめてます。どうぞ』
笑い声に紛れた連絡を受け、ナタリーは自分の代わりと称してリーダーから雑用を押し付けられている事態に気付いて苦笑する。
「ではすぐに戻ります。ロイクさんはもう戻らせてあげてください。どうぞ」
了解が返されると通信が切れた。ナタリーは再度ボタンを押して砂嵐を奏でる通信を切り返す。そして、窓から離れるとジョスランを見上げた。
「それでは私は戻りますね。ジョスランさんもゆっくり休んでください。何かあったら相談してください、いつでも伺います」
麗しい笑顔を残して、ナタリーは来た時同様聞き苦しくない程度にハイヒールを鳴らしその場を後にする。その背中を見送り、やがて靴音すら聞こえなくなってから、ジョスランは歪んだ顔で俯いた。
「――僕の悩みはね、タランのことだけだけど、読み取れることだけじゃないんだよ、ナタリーさん」
消えてしまいそうなか細く小さな声で、エンブレムを握り締めながらジョスランは呟く。彼女が聴覚に特化したナテュールでなくてよかった。ジョスランはそんなことを思って身体を丸める。心の奥底で叫ばれる真逆の言葉は、精一杯無視した。




