閑話 乳母殿の秘密 乳母殿視点
「乳母殿、アーロン殿下の本日の夕食はご入用ですか?」
城の料理人に聞かれて大きく頷く。
私は城で働くみんなから「乳母殿」呼ばれるアーロン殿下の専任の侍女だ。
アーロン殿下がお生まれになった時はすでに乳母を出来る年齢よりも遥かに歳を取っており、王妃様も産後すぐから健康で元気でいらっしゃったため、乳母の役目は全くしていない。
だから、どちらかというと「ばあや」に近い役割りだ。本来なら「ばあや」と呼ばれるところだが、王妃様もアーロン殿下も尊敬と親愛を込めて「乳母殿」と呼んでくださる。
そのため、ありがたいことに王城におられる人々もわたしのことを「乳母殿」と呼んでくださる。
アーロン殿下が幼少の時には公務が忙しい王妃様に代わりアーロン殿下の身の回りのお世話をして、いつも一緒にお留守番をした。
だから恐れ多いが、自分の孫同様いやそれ以上にアーロン殿下が可愛くて仕方ない。きっと目の中に入れてグリグリされても少しも痛みを感じないぐらいわたしはアーロン殿下が可愛い。
そんな侍女の欲目かも知れないが、アーロン殿下は優しくてカッコよくて、賢くて、非の打ち所がない若者だ。
歳を重ねた私をすみれの花のようなさりげない優しさで見守り、剣を持てば白百合が咲き誇ったように凛々しい。
努力や気遣いを誰にも知られたくない奥ゆかしい殿下は、鍛錬は早朝にお部屋で素振りをされている。
「乳母殿、このことはふたりだけの秘密だぞ」と人差し指1本を唇の前に立てて、茶目っ気たっぷりにウィンクしながらわたしにお願いをされた時のわたしの気持ちと言ったら、もう尊死で天に召されるかと思いました。
その誰にも知られていない努力の成果か、聞くところによると、アーロン殿下は騎士団に入ってもおかしくないぐらいの実力がおありらしい。
そんな茶目っ気もあるアーロン殿下のたくさんの秘密の中で、これはわたしだけが知る秘密のひとつだ。
さて、先ほどアーロン殿下の側近のエーベル殿から、
「今日の殿下はご機嫌が悪いです」と恒例の朝夕の引継ぎで引継ぎを受けた。
なにがあったのかと詳しく聞けば、昨夕の食事時に王妃様がアーロン殿下に「尋問」をされていた例の件がまだ尾を引いているらしい。
朝の送り出しの時に雲行きが怪しいと思っていたが、やっぱりそうだったようだ。
アーロン殿下はお優しい方だから、今ごろ激しく落ち込み、反省をされていることだろう。
特にここ最近はアーロン殿下に「お相手を」という重圧が酷くなってきている。
アーロン殿下はご自身の恋愛に関して自己評価がなぜか低いが、周りは外見も中身も素晴らしく成長された殿下をほっておけるわけがない。
だからたまにはそんな可愛い反抗もされて良いと思うし、むしろ今回はよくされましたと、褒めて抱きしめて差し上げたいぐらいだ。
アーロン殿下の気分が少しでも良くなるように、食後にはハーブティーを追加でご用意しておこう。
殿下がいまは恋愛に積極的ではないことはよく知っている。
わたしの命が尽きるのが先か、アーロン殿下が最愛の方を見つけられるのが先か。
どちらにしてもまだ先のことだ。
願わくばこの腕にアーロン殿下と最愛の方のお子を抱いてみたい。
そのためにもわたしはアーロン殿下に秘密で、恋愛成就のお祈りと筋力トレーニングは毎日欠かさず行なっている。
このわたしの秘密をアーロン殿下が知ったら、あのお優しいアーロン殿下のことだ。無理にでも叶えようとされるに違いないので、これだけは絶対にアーロン殿下には秘密だ。