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忘却の剣、彼方へ  作者: Zero3
第一章
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痕跡②

室内がふわりと明るくなった。壁の一部が柔らかく発光し、薄暗い空間を静かに照らし出す。


ゼーナは思わず息をのんだ。


「わあ……なにこれ……」


『魔素を利用して明かりをつける魔道具だ。……どうやらこの地下施設は、生きてるみたいだな』


リヴェリアの声が、興味深げに響く。


背後で、地下施設の扉が静かに閉じる音がした。


しばらくのあいだ、ゼーナはその場に立ち尽くしていた。さきほどの激しい戦闘で限界まで酷使された身体が、少しずつ呼吸を取り戻していくのを待つしかなかった。


発光する魔道具は、魔素に反応して起動する仕組みだとリヴェリアは説明した。壁の亀裂から侵入した魔素によるものか、それとも扉を開けたこと自体が起動の合図だったのか。理由は分からなかったが、今、目の前には確かな光がある。それだけで、少し安心できた。


ようやく足を動かし、ゼーナは壁際に背を預けて座り込み、深く息を吐いた。


「はぁ……」


『落ち着いたか?』


リヴェリアの声は、どこか柔らかさを帯びていた。


「うん……なんとか」


ゼーナは肩に手を当てる。戦闘中に受けた切り傷は、すでに血は止まっている。しかし、魔力を回復に回す余裕がなかったせいで、傷は完全には癒えていない。


「リヴェリア、ここ……なんなの?」


ゼーナは静かに問いかけた。


石造りの廊下。整然と刻まれた壁面の模様。崩れもせず、苔も生えていない。まるで時が止まっているかのような、そんな空間だった。


『……ここは、“ミリエール”の地下道だ』


「ミリエール……?」


『アストリア王国にあった魔術学院の名だ。魔素理論と古代魔法の研究機関、そして王直属の諜報・戦術拠点でもあった』


「アストリア……って?」


ゼーナは首をかしげた。


耳慣れない国名や名前に、困惑が浮かぶ。記憶が無いためなのか、それとも本当に初耳なのかすら分からない。ただ、リヴェリアの語り口から、それが“特別な意味”を持つ場所であることは伝わった。


『お前が今いるこの森。ここは、かつてアストリアという王国があった場所だ』


「えっ……」


『上の森を見たあとだと信じられないかもしれないが、以前は繁栄を極めた大国だった。……お前がずっと下ってきた川も、その象徴のひとつだった』


「え?」


『あれは“シルダ川”。アストリアの中心を貫いて流れていた、大地の恵みとも言うべき大河だ。上流に学院や王都があり、下流には農地や交易の施設が広がっていた。街道と並び“国を繋ぐ道”として扱われていたんだ』


「……そうだったんだ」


ゼーナは昨日まで歩いてきた川辺の風景を思い出す。


濁っていた場所もあったが、川そのものは美しかった。森は魔素に侵されながらも、清流が流れ、命の気配が確かに宿っていた。


『川だけじゃない。この施設の存在も、アストリアの痕跡の証拠だ』


確かに、この地下施設は明らかに人工物だった。自然に侵食された形跡はあっても、構造は精密に設計され、崩壊することなく長い年月を耐えている。


「でも、どうして森に……?」


『それが分からない。私が死んだとき、アストリアはまだこんな森じゃなかった。色々あって滅びはしたが、それが“巨大な森”になった理由は、記憶にない』


リヴェリアの声は、わずかに苦さを含んでいた。


「大国が滅ぶような“色々”って……」


『……色々だ。まぁ、私の死の後に、何かが起きたんだろうな』


ゼーナは壁に背を預けたまま、ふと視線を上に向ける。


天井に施された石の継ぎ目は、幾何学模様を描いていた。偶然ではなく、明らかに意図された設計。人の手が確かに介在した証だった。


『ここは“地下通路”でもある。ミリエールから王都、その他の要地と繋がる国家の大動脈だった。軍事、政治、密偵、さまざまな目的で使用されていた』


「じゃあ……この道を通れば、外に出られるってこと?」


『国の出口近くに出られるはずだ。ただ、ひとつ問題がある』


「問題……?」


『この地下道には“駐屯拠点”がある。元々は特殊部隊が詰めていた。魔力探知、侵入者の排除……そういった任務を受け持っていた連中だ』


「つまり……罠、とか?」


『ああ。連中が残した仕掛けや魔道具が、今でも機能してる可能性がある』


ゼーナは言葉を詰まらせた。


けれど――


「でも、地上よりは……安全?」


『闇雲に森を進むよりは安全だろうな。歩きやすさや方角だってわかりやすい』


「……わかった」


ゼーナは息をつき、光を灯す壁に視線をやった。


ここが、かつて“魔術学院”だったという。アストリアという国の、魔法と叡智の象徴。リヴェリアの言葉を信じるなら、ここは王国の中枢に近い場所のはずだ。けれど、ゼーナには実感がなかった。アストリアの知識も記憶もない。目の前にあるのは、淡く光る壁と、ひんやりと冷たい石の床だけだった。


(ここで……人が学んで、暮らしていたんだ)


今はもう、誰もいない。それでも、かつて誰かが確かにいた。その痕跡だけが、静かに残されている。


そのとき――ゼーナの脳裏に、さきほどの魔物の姿がよみがえった。


鋼の剣を握りしめ、殺意を込めて襲いかかってきた、あの毛むくじゃらの魔物。


……なぜ、魔物があのような武器を持っていたのだろう?


「ねえ、リヴェリア」


『なんだ』


「その…駐屯拠点には……兵士の装備が残ってると思う?」


一拍の沈黙。


『残っている可能性はある。あいつらは持ち場を捨てることを嫌う。最期まで拠点を離れず、装備もそのまま残していた可能性は高い』


「なら……行こうよ」


ゼーナの声には、明確な意志が宿っていた。


「さっきの魔物。この鋼の剣を持ってた。私の木剣とは比べ物にならないほどの武器。たぶん、廃墟のどこかから持ち出してきたんだと思う」


『……だろうな。剣に刻まれていた刻印は、確かにアストリアの正規軍のものだった』


その答えに、ゼーナの目が見開かれる。


「やっぱり……。だったら、兵士がいたって言う所にはもっと残ってるかもしれない。ちゃんとした武器が……」


『欲しいのか?』


「……うん」


ゼーナは小さく拳を握った。


「今のままだと、また戦っても勝てるか分からない。魔力も、使いすぎれば簡単に無くなる。だから、ちゃんとした武器や装備があれば安心だなって……」


『……なるほどな。少しは考えられるようになってきたじゃねーか』


リヴェリアの声がわずかに弾む。


『ただし、気をつけろよ。装備を回収するには、危険な区域に足を踏み入れる必要がある。魔物が入り込めないにしても、内側で魔物が湧いてる可能性もある』


「分かった」


『いい返事だ。幸いこの通路は広く長い。魔素も充分満ちてる。魔力を回復しながら、ゆっくり進め。それに、出口の門番と戦うなら、まだまだ鍛錬も必要だからな』


ゼーナは壁に手を当て、深く息を整えた。


目の前の道がどれほど危険で、先が見えないものだったとしても。


「戦ってこの森を生きて出る……。頑張るよ」


『なら、腹を括れ。装備を求めて駐屯拠点を目指すなら、まずは最寄りの分岐を探すんだ。この通路は長くて複雑だが、行き止まりの先に拠点が造られているはずだ』


「うん。案内、頼りにしてるね」


『任せろ』


ゼーナは静かに、けれど確かな意志を込めて頷いた。


「……行こう」







ゼーナは静かな足音で、石畳の通路を進んでいった。地下通路の空気はひんやりとして冷たく、それでいてどこか心を落ち着けてくれるような感覚があった。一定の間隔で並んだ魔道灯が淡い光を放ち、足元を優しく照らしている。魔物との戦闘で酷使された身体はまだ重かったが、それでも魔力の流れは徐々に安定を取り戻しつつあった。


『そろそろだ。左側、あのくぼみの先。そこに“第一駐屯拠点”があるはずだ』


リヴェリアの声に応じ、ゼーナは一度呼吸を整え、慎重に歩みを進める。


やがて通路の壁が奥へと広がり、小さな広間のような空間が目の前に現れた。内部には簡素な机と棚、そしてその奥に、古びた木箱や金属製の収納棚が並んでいた。


「……ここが、駐屯拠点?」


『ああ。特別任務を担っていた部隊が詰めていた場所だ。だが――』


ゼーナが棚のひとつを開けた瞬間、その肩がわずかに落ちた。


「……武器、ないね」


棚の中に整然と収められていたのは、服だった。外套、シャツ、ズボン、ブーツ――どれも実用的で、しっかりとした作りに見える。けれど、武器の姿はなかった。


『いや――これは、ただの服じゃねぇ』


リヴェリアの声が、わずかに熱を帯びた。


『間違いない、これは“黒狼部隊”の専用服だ』


「黒狼……?」


『アストリア王国の中でも、魔力操作を極めた者だけが配属された特殊部隊だ。私が指導していた部隊のひとつでもある』


思わずゼーナは目を見開いた。


「……リヴェリアが……指導?」


『ああ。この服も、私が開発を依頼した“戦闘服”だ。魔力の通りを最大限に高め、着用者の身体強化と同調することで、服そのものも強化できる』


ゼーナは恐る恐るその服に手を伸ばした。


黒に近い深い紺色。フード付きのコートは軽く、それでいて確かな重みを持っていた。内側はシャツと革鎧が一体となった構造で、胴を守りながらも動きやすそうだ。脚のラインに沿った黒のズボンと、足首まで覆うブーツは、しなやかな革で作られており、通気性と防御力を両立していた。


(……これが、リヴェリアが作らせた服)


「本当に、私が着ていいの……?」


『本来なら、数年間の訓練と審査を経た精鋭しか許されなかった。だが今の私たちには必要だ』


ゼーナは静かに頷き、その服を身に纏っていく。


装備を整えて立ち上がったとき、先ほどまで着ていた布とはまるで異なる感触が全身を包み込んだ。軽やかでありながら、確かな防護感がある。身体を動かすたびに、服が自然と動きに追従し、魔力が流れる感覚が伝わってきた。


まるで、服そのものがゼーナの意思を汲み取っているかのようだった。


『当然だ。その服は、魔力操作で戦う者のために設計された。魔力で己を強化できる者にとって、重い鎧は不要。身体強化ができれば、鋼の鎧よりも頑丈に、そして素早く動ける』


ゼーナはその言葉に深く頷く。


つまり――これは魔力操作者にとって、最も合理的な戦闘装備。無駄を削ぎ落とし、魔力と動作の効率を極限まで高めた設計だった。


「……すごい。こんなもの、どうやって……」


『王国最盛期の技術の結晶だ。素材の選定から縫製法に至るまで、魔素の流れを阻害しないよう徹底的に作られている。見た目こそ地味かもしれんが、実戦では最強だ』


ゼーナは袖口をそっと撫で、小さく息を吐いた。


「……リヴェリアって、すごい人だったんだね」


『昔の話だ。今はお前の体に住む居候みたいなもんだ』


どこか照れを含んだその言葉に、ゼーナの口元がほころびかけたが、背筋を正し直した。


(この服に見合うようにならなきゃ)


一歩を踏み出すと、足元の感触がこれまでと違うのがすぐに分かった。地面にしっかりと足が着き、力が逃げない。それだけで、自分が少し強くなったような気がした。


『この先の通路は入り組んでいる。装備を手に入れたとはいえ、油断は禁物だ』


「分かってる。ありがとう、リヴェリア」


ゼーナは拠点内を見回した。部屋には他にもいくつかの遺物が残っていた。古びた魔道具、錆びついた調理器具、そして壁に掛けられた地図。


地図にはいくつもの地下通路が記されていた。ゼーナには読めなかったが、リヴェリアによれば“王都中枢”、“ミリエール”、“南部防衛線”――それらを繋ぐ通路が記されているらしい。


「これ……全部、本当にあったんだね」


ゼーナが指で地図をなぞると、リヴェリアの声が静かに重なる。


『ああ、その地図は間違いなく私たちが使っていたものだ。持っていけば、これからの進路も組み立てやすくなる』


ゼーナは頷いた。


その後、壁際に置かれていた記録簿を手に取る。湿気で破れていたものも多かったが、いくつかはまだ判読可能だった。リヴェリアによれば、そこには魔力操作の応用例、戦闘記録、合図の体系、陣形の構成などが残されているという。


(この人たちも……それぞれの目的のために戦っていたんだ)


ゼーナは再び、しっかりと立ち上がった。


「準備は、できたよ。行こう、リヴェリア」


『ああ。次の駐屯拠点に向かうぞ。今度こそ――武器が見つかるかもしれん』


ゼーナは頷くと、一歩を踏み出した。


駐屯拠点を出る直前、ゼーナはもう一度だけ、部屋の中を振り返った。


誰もいないはずなのに、そこには、ほんの少し前まで誰かがいたような気配があった。


壁に掛けられた装備棚。丁寧に畳まれた服。埃をかぶりながらも、まるで主の帰還を静かに待ち続けているような空気。


ゼーナの心に、ほんの少しだけ寂しさが滲んだ。


けれど、その感情を胸にそっとしまい込み、前を向いた。


『どうした?』


「……ううん。なんでもない」


そう小さく答えながら、ゼーナは駐屯拠点の外へと、静かに足を踏み出した

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