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忘却の剣、彼方へ  作者: Zero3
第一章
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痕跡①

スライムとの戦いから、一日が過ぎていた。


それが達成感によるものなのか、極度の疲労のせいなのかは分からない。だが、昨夜、ゼーナはよく眠れた気がしていた。


そして今日もまた、彼女は川沿いを下っている。目指すは、川の下流。リヴェリアの話によれば、その方向に出口がある可能性があるというのだ。


道中、ゼーナは常に魔力操作を維持していた。足腰の強化と、昨日の戦いで負った火傷の治癒。だがリヴェリアによれば、今のゼーナはまだ魔力操作を“扱えている”とは到底言えない段階だった。


『魔力操作ってのはな、ただ一つの能力を使えても意味が無い。複数の力を“同時に”扱えてこそ真の力を発揮する』


その声が、ふとゼーナの脳裏をよぎる。


魔力操作にはいくつもの系統がある。


身体そのものを強化する“身体強化”。

傷や疲労を癒す“治癒力強化”。

手にした武器に魔力を流して性質を向上させる“武器強化”。

そして、魔力を熱や衝撃などの現象へと変換する“変質操作”。


この四つが、魔力操作の基本だという。


極めればさらに多様な技術も扱えるらしいが、まずはこの四系統を自在に使い分け、場合によっては“同時”に扱うことが求められる。それこそが、魔力操作最大の特徴――“自由さ”。


だが今のゼーナには、身体強化と武器強化を併用するのがやっとだった。


リヴェリアが目指しているのは、もっと先だ。


『強化しながら治癒する。これを戦いや日常の動きの中で当たり前にやれるようになるのが目標だ。まぁ今はそのための慣らしだと思っとけ』


その言葉通り、ゼーナは移動中でさえ魔力の流れを常に意識するようになっていた。足に魔力を送り、重心を安定させ、歩行ごとに微細な調整を施す。右腕には昨日負った火傷がまだ残っており、治癒の魔力を流しながら癒し続けている。


二つの術式を同時に維持することは、想像以上に集中力を削る。だが、それを日常にしなければならない。


(魔力の流れを……切らさないように……)


そう念じながら、彼女は歩く。治癒と強化――二重の魔力操作を続けているせいか、周囲への注意がわずかに疎かになっていた。


気づくのが、一瞬、遅れる。


前方、川の先。水辺の向こう側に、影がひとつあった。


毛むくじゃらの、二足で歩く生物。シルエットこそ人に似ていたが、その瞳には理性の光がない。

体格はゼーナとほぼ同じ――だが、その動きは獣そのものだった。さらに、手には武器らしきものを握っている。


『おい、また魔物だぞ!』


リヴェリアの警告に、ゼーナは反射的に顔を上げた。


「ごめん……!気づくのが遅れた!」


『いいから、構えろ!来るぞ!』


叫ぶと同時に、彼女は木槍を握りしめた。魔物は川辺の岩を跳び越え、一気に間合いを詰めてくる。


その手に握られていたのは――鋼の剣だった。


本物の、金属でできた武器。

ゼーナの腰に差している木剣とは比べ物にならない本格的な殺傷道具だ。


「……っ!」


咄嗟に木槍に魔力を流し、“武器強化”を施す。直後、鋼の剣が振り下ろされ、それを木槍で受け止めた。


ガリィッ――!


金属同士が軋むような鋭い音が響く。衝撃が腕に痺れとなって伝わり、木槍の柄には浅い裂け目ができていた。


(受け続ければ……いつか折られる……!)


距離を取ろうと後退を試みたが、魔物は執拗に追撃してくる。


「なんで……魔物が剣を持ってるの……!?」


『考えるのは後だ。それよりどう戦うかを考えろ。あいつ、スライムとは比べものにならねぇぞ』


リヴェリアの冷静な助言が、刃のようにゼーナの意識を切り替えさせる。


たしかに、スライムとの戦いでは最悪の場合でも川に逃げ込めた。だが、今回の魔物は最初から川辺にいる。つまり、逃げ場はない。


「来る……!」


毛むくじゃらの魔物が、鋭い眼光を放ちながら地を蹴る。


ゼーナは膝を落とし、木槍を構える。突進してくる魔物に対して、槍の穂先を突き出した。


刹那、魔物は体を捻って回避。そのまま鋭い剣閃が横薙ぎに振るわれる。


「っ!」


ゼーナは素早くしゃがみ込み、その一撃を紙一重で回避する。

剣筋に訓練された整然さはないが、動きには本能的な鋭さがあった。


再度振り下ろされる剣。木槍の柄で受け止めたものの、その衝撃は尋常ではない。


(重い……!)


受けた箇所の柄がわずかにひび割れ、ゼーナはバランスを崩しかけながらも後退し、足に魔力を送り込み立て直す。


『武器強化だけじゃ間に合わねぇ。身体強化も合わせて意識しろ!』


「分かってる……っ!」


叫びながら、ゼーナは両脚に魔力を集中させ、地を蹴った。


瞬間的に距離を詰め、木槍を振るう。だが魔物は剣の柄で受け止め、空いた手を繰り出してくる。


「くっ……!」


腹部に打撃を受け、衝撃で息が詰まる。

だが、地面に木槍の柄を突き刺すことで体勢を崩さずに持ちこたえた。


一進一退。

攻防は激しさを増す。


(…またあれで……!)


脳裏に閃いたのは、スライムとの戦いで使った、魔力の爆発――“変質操作”による応用技だ。


『また、あれを使う気か?』


「うまくいけば……!」


ゼーナは咄嗟に手のひらへ魔力を集中させた。

片手で木槍の攻撃を受け止めながら、もう一方の手を魔物の顔面に向けて突き出す。


その行動に驚いたのか、魔物の動きが一瞬だけ鈍くなる。


その隙に、ゼーナは魔力を凝縮した。過去に用いた方法と同じく、制御しきれないほどの熱量を生み出す。だが今回は違う。爆発に備え、身体強化で手のひらを守る処理も同時に行っていた。


「……今だ!」


叫んだ瞬間、ゼーナの手のひらから小さな爆発が起こる。火花と煙が視界を覆い、爆風が空気を巻き上げる。


しかし――魔物は怯まなかった。皮膚が焼けたはずにもかかわらず、ほんのわずかに目を細めただけで、動きを止めることなく剣を振り下ろしてきた。


「うそっ……!」


攻撃に転じようとしていたゼーナは咄嗟に木槍を構え直す。だが構えは甘く、角度も浅かった。金属の剣が木槍を切り裂き、そのまま彼女の肩を掠めていく。


鈍い痛みが走り、服が裂け、肌に熱い線が刻まれる。


『油断したな。毎回自分の思った通りになると思うと、そうなる。……次はどうする?』


リヴェリアの声が冷静に響いた。


ゼーナは木槍を捨て、腰の木剣を抜いた。肩に手を添えながら、治癒の魔力を流し込む。出血はすぐに止まり、痛みも少しだけ和らぐ。


目の前の魔物は一歩も動かず、剣を構えたまま、じっとゼーナを見据えていた。


(……身体強化の強度を、上げる)


脚と腕。攻撃と機動の要となる部位に、これまで以上の魔力を注ぎ込む。骨と筋肉がミシミシと軋み、負荷が全身に広がる。その変化に呼応するように、魔物も低く声を上げて剣を掲げた。


今だ――!


ゼーナは地面を蹴った。魔物が剣を振り上げるよりも速く、一直線に懐へ飛び込む。


渾身の力で斬り上げた木剣が、魔物の腰を捉える。肉を裂き、骨を砕き、魔物の体を大きく浮かせて弧を描かせた。宙を舞った魔物は、岩陰へと叩きつけられ、地面を転がって止まる。


(今ので……終わった?)


肩で息をしながら、ゼーナは警戒を解かず目を凝らした。


だが静寂を裂くように、低い唸り声が響く。


魔物は血を吐きながらも、ゆっくりと立ち上がった。口元から唾液と赤黒い血を垂らし、その鋭い目でゼーナを睨みつける。


(まだ……動けるの……?)


ダメージは確実に通っている。けれど、油断すれば再び反撃を受けることになる。


魔物の右手――そこにあったはずの剣は、地面に落ちていた。それに気づいたゼーナは、即座に駆け寄り、それを拾い上げた。


ずしりと手に伝わる重み。冷たく鋭い金属の感触。それは明らかに、木剣とは比べ物にならない“本物”の武器だった。


『その刻印……!』


リヴェリアの声が、今までにない鋭さを帯びていた。


「……え?」


剣の柄――根元部分には、何かの印が刻まれていた。けれど今のゼーナには、それを詳しく見る余裕はない。


「何か……見覚えあるの?」


『……いや、今はいい。拾ったのは正解だ。使え』


リヴェリアは言葉を濁した。何かを隠しているようだったが、今はそれを問い詰めている余裕などない。


問題は――


(……魔力が、足りない)


身体強化で全身に魔力を巡らせた先ほどの一撃で、ゼーナは大きく消耗していた。まだわずかに残ってはいたが、もう“爆発”のような攻撃を放つ余力は残されていない。


(この一撃で……終わらせる)


ゼーナは二本の剣――木剣と鋼の剣を構えた。


魔物は既に武器を持っていない。それでも、手を広げ、鋭い爪を突き出して応戦の構えを見せる。


ゼーナは距離を詰めた。


視界が狭まる。呼吸が乱れる。全身の筋肉が悲鳴を上げる。


魔物が左腕を振り下ろす。


ゼーナは左手の木剣でその攻撃を弾き、右手の鋼の剣を斜めに振り下ろした。


風を裂く音が耳を打つ。


次の瞬間――剣が、魔物の肩から腰へと深く切り裂いた。


「っ……はぁっ……!」


切っ先が肉を裂き、骨を断つ手応えがあった。魔物はその場で硬直し、膝を突いて、やがて崩れ落ちる。


短い呻き声を最後に、魔物が二度と動くことはなかった。


ゼーナはその場に膝をつき、剣を杖代わりにして地面に突き刺した。


息は荒く、視界が歪む。もう一歩も動けない。


けれど――


「……勝った、んだよね……?」


『ああ。よくやった、ゼーナ』


リヴェリアの声には、賞賛の響きが宿っていた。


ゼーナは顔を上げた。


先ほど魔物がぶつかった岩陰の奥――その背後に、奇妙な石の構造物が見えた。柱のようにそびえ立ち、苔と蔦に覆われてはいるが、どこか人工的な印象を受ける。


(……あれ、なんだろう)


その疑問を考える間もなく、次々と周囲に響く、獣のような咆哮。


一つ、二つ、三つ、四つ――それ以上。


『ゼーナ。今すぐそこから離れろ。走れ――』


「なに、が……」


地面が震える。複数の足音――重く、速い。


木々の隙間から現れたのは、さきほど倒したのと同じ毛むくじゃらの魔物たち。五体、六体、それ以上。中には剣や槍を握った個体もいる。


「うそ……っ」


『魔力が少なすぎる!今のままじゃ迎撃もできねぇ!いいから逃げろ、ゼーナ!』


ゼーナは足を引きずりながら、必死に立ち上がる。残された魔力の残滓をかき集め、脚へと流した。


(逃げなきゃ、死ぬ)


『あの柱の方に向かえ!その先に門がある、でかい石造りの門だ!』


リヴェリアが示した方向は、先程気になった柱の方向だ。その指示に、ゼーナは返事もせず、視界の隅に見えていた柱の奥へと走り出した。


背後から迫る足音。咆哮。殺意の塊が肩越しに迫るような圧迫感。ゼーナの背中を、まるで追い立てるかのように押しやる。


やがて、木々の向こうにそれは姿を現した。


巨大な門――ゼーナの背丈の倍はある石造りのアーチ。扉は既に崩れ落ち、蔓草と苔に覆われながらも、そこに堂々と立ち続けていた。


その奥には、廃墟と化した屋敷があった。壁は崩れ、天井もところどころ抜け落ちている。けれど、どこか威厳を感じさせるその姿に、かつての栄光の名残が見える気がした。


『あの屋敷には地下がある!そこまで逃げろ!』


リヴェリアの声に従い、ゼーナは転がるように門をくぐり、屋敷へと飛び込んだ。


崩れた扉を引き寄せて閉ざす。だがそれはほんの時間稼ぎにすぎない。壁の隙間や天井の穴から侵入されるのは時間の問題だ。


『正面の大広間を抜けて、中央の階段の裏だ!そこに地下への通路がある!』


ゼーナは滑りやすい苔に足を取られながらも、大広間を駆け抜け、階段の影へと向かう。


そこには、確かに存在していた。重厚な鉄扉。その周囲だけは不自然なほど綺麗なままだった。まるで、時がそこだけを避けて通ったかのように。


『この扉は合言葉がいる。“叡智は川と共に”だ』


「なんでそんなこと知ってるの……?この場所のことも……」


『いいからまずは中に入れ!ここは合言葉がなきゃ開かないから安全だ。中で落ち着いたら教えてやる』


リヴェリアの勢いに押されるように、ゼーナは扉の前に立つ。


「……叡智は川と共に」


ガチンッ。


中で金属が噛み合う音が響き、扉が静かに開いた。


ゼーナは肩で息をしながら、その中へと足を踏み入れた。

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