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忘却の剣、彼方へ  作者: Zero3
第一章
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戦い②

移動中も、ゼーナの魔力操作の訓練は続いていた。


足腰に魔力を流し、身体を強化しながら走る。それだけで体の動きが軽くなり、景色が滑らかに流れていくように感じられた。

川沿いの道は決して平坦ではなく、岩場や濡れた土も多い。それでも、身体強化によってバランスが保たれ、進行はさほど苦にならなかった。


『移動中でも身体強化は続けとけ。慣れれば移動はもっと早くなるし、何より“急な危険”に即座に対応できるようになる』


頭の奥で、リヴェリアの声がいつも通り淡々と告げる。


『魔力操作の強みは、その“自由さ”にある。今は足や腰に集中して強化してるが、必要なら瞬時に他の部位へ切り替えれる。たとえば攻撃を受ける部位を強化してダメージを抑えたり――使い方次第で、死も避けられる』


ゼーナは荒い息を吐きながら、それでも絞るように問いかけた。


「魔法は……こういうの、できないの……?」


『できなくはないが、魔法は呪文を唱える必要がある。即応性は劣る。加えて、そういう魔法は基本“全身一括”だ。細かく使い分けなんて器用な真似はできねぇ』


「なるほど……っ」


走りながらの会話は苦しい。だがゼーナは、それでも一歩ずつ、知識と技術を自分の中に刻み込みながら進んでいた。


川沿いを走る時間は、思ったよりも長い。最初は身体強化のおかげで軽かった足取りも、次第に重くなっていく。


(……やっぱり、疲れる)


魔力はまだ残っている。けれど、“身体”の方が先に悲鳴を上げていた。


『おいおい、もうバテたのか? まだ半日も経ってねぇぞ』


「私……まだ目覚めてから、ほんの数日しか経ってないんだけど……」


『だったら体力つけるしかねぇな。これからは基本、拠点を作らず進む。ある程度戦えるようになったからな。移動しながら鍛える』


「……わかったけど……どうしてそんなに、私を“強くしよう”とするの?」


ずっと心に引っかかっていた疑問だった。

ただ逃げるだけでも、森から脱出することはできるはずだった。隠れて、やり過ごして、食べて、休んで――生き延びることは可能なはずだ。


それなのにリヴェリアは、“戦う術”を教える。痛みと危険を伴う道を、あえて選ばせようとしていた。


『別に、親切で教えてるわけじゃねぇ』


吐き捨てるような調子。だが、その裏に何かを隠している気配があった。


『私の勘が正しければ、この森には出口が一つしかねぇ。そしてその出口に、おそらく“門番”がいる』


「門番……?」


『ああ。そいつを倒さなきゃ、この森からは出られないだろうな』


その言葉に、ゼーナの胸が凍りつくような感覚に包まれる。


『そいつが“今”どれほどのもんかは分からねぇ。だが、少なくともこの森の魔物たちと同等か、それ以上だってことは想像がつく』


「……だから、戦えるように……?」


『そうだ。あんたに死なれちゃ、私も一緒に消えることになる。それに、私自身、この森から出て“確認しないといけないこと”がある。だから教えてやってんだ』


そこまで言うと、リヴェリアは黙った。

彼女の“目的”は語られなかったが、ゼーナにはわかっていた。


彼女は、この森の“外”を見据えている。そして、ゼーナにもそこを目指させようとしている。


いつか、門番と対峙する時が来る。ならば、逃げてはいけない。戦う力を身につけなければならない。そうゼーナは思った。


(……死にたくない。私も生きてここを出たい)


その一念だけが、ゼーナの胸の奥に強く灯っていた。


大きな木の根元に腰を下ろし、汗ばんだ額を拭う。

深呼吸とともに、瞑想の姿勢で魔素を取り込み、魔力を回復させた。


しばらくして、再び歩き出そうとしたその瞬間――


――ずるり。


背後の地面から、聞き覚えのある“這う音”が響いた。


心臓が跳ねる。

あの夜の記憶が、瞬時に蘇る。振り返る余裕すらなかった恐怖の中、ただ逃げるしかなかった、あの時の光景が。


ゼーナはゆっくりと振り返った。


少し離れた木々の影に、透明な粘体がいた。


スライム――以前、命からがら逃げ延びた、あの魔物と同じ姿。


今回は、腐りかけた小動物らしき死骸に張り付いていた。粘体の中で、生き物の残骸がぶよぶよと揺れている。


『……いいタイミングだな』


リヴェリアの声が落ち着いた調子で響く。


『いよいよ、実践だな』


「……えっ」


『実戦に勝る訓練はねぇ。あれくらい、楽に倒せなきゃ森の出口なんて夢のまた夢だ。さあ、いけ』


気づけば、ゼーナの手には木槍が握られていた。


これまでの訓練。斬る、突く、避ける、魔力を流す。すべては“戦うため”に積み重ねてきた。


だが、それでも怖い。

戦うことには痛みと恐怖が伴う。


けれど――


この森を出るには、“門番”と戦うしかない。

逃げれば、ずっと逃げ続けることになる。

戦えなければ、進むことはできない。


ならば――今、ここで。


「……ッ!」


ゼーナは木陰から飛び出した。

草を踏みしめる音に反応して、スライムがぴたりと動きを止める。その透明な体の中で、取り込まれた死骸が不気味に揺れる。


次の瞬間、スライムは地面を弾けるようにして跳ね上がった。


速い――!


ゼーナは咄嗟に身体をひねり、横に飛ぶ。直後、彼女がいた場所にスライムが叩きつけられ、土が派手に飛び散った。


(……やっぱり、すごい威力……!)


以前感じた恐怖が、再び全身を包む。だが今のゼーナには、戦う術がある。


息を整え、足腰に魔力を流す。体が熱を帯び、力がみなぎる感覚。木槍を強く握り、今度はその柄にも魔力を込める。刃のように鋭く――イメージを描いた。


リヴェリアから教えられた“武器強化”。


『いいぞ、ゼーナ。その調子だ』


背後からの静かな励ましが、彼女の背中を押す。


「行くよ……!」


スライムが再び跳ねる。ゼーナはその動きを見極めようと身を低く構える。


跳躍の軌道を読み切った瞬間、横へ身体を捻りつつ、木槍を鋭く突き出した。


だが、木槍の穂先はスライムの表面を滑り、粘体を浅く裂いただけだった。


「くっ……!」


スライムは即座に跳ね直し、空中で身体を捻ってゼーナに向かってくる。動きが予想以上に素早い。


次の攻撃は避けられない――


『身体強化だ!』


リヴェリアの声が鋭く飛ぶ。

ゼーナは即座に左腕に魔力を集中させた。


直後、スライムが左腕に直撃。


「うあぁっ……!」


強烈な痛みと衝撃が走る。

だが、魔力で強化していなければ、骨が折れていたかもしれない。

ゼーナはなんとか姿勢を立て直す。


(まだだ……まだ、やれる……!)


木槍を構え直し、魔力を巡らせる。

回避に全神経を集中させ、攻撃を防ぎながら応戦するが、柔らかいスライムの体には決定的な一撃が通らない。


(どうすれば……!)


焦燥が思考を曇らせかけたそのとき――


『落ち着け、ゼーナ。あいつの弱点は“核”だ。体内にある、小さな芯。それを貫けば勝てる』


(核……!)


透明な粘体の奥、小さな球体のような“核”が揺れているのが見えた。


(あれを――)


ゼーナは再び跳躍するスライムに向かって木槍を突き出す。だが、核は直前で体を歪めて回避した。


避けきれず、肩に衝撃が走る。鋭く、焼けつくような痛み。息が止まりそうだった。


(核を狙おうとすると、動きを読まれる……)


考えろ、どうする――!


そのとき、身体強化に回していた魔力が無意識のうちに手のひらに集まっていた。そのせいで手のひらが異常な熱を帯びている。魔力が暴走しかけている――

だが、ゼーナはそこに閃きを見た。


「熱っ……!」


彼女は咄嗟に手を開き、スライムに向けて魔力を送り込む。

熱が強まり、炎のイメージを強く描く。


ボンッ――!


火はつかない、失敗だ。だが、ゼーナの計算通りだった。

小さな爆発が手のひらで起き、眩い火花と煙が弾け飛ぶ。

同時に、手のひらに激痛が走る。


スライムが動きを止めた。光と音に一瞬、硬直したのだ。


(今だ――!)


ゼーナは手のひらの激痛を無視し、煙の中を突進する。


足に、腕に、木槍の先端に、魔力を一点集中。

核だけを狙い、強化した槍がスライムを貫いた。


手応え――確かにあった。


スライムは木に張り付けられ、ブルブルと震えている。

だが、核はかすっただけで、まだ動いていた。


『とどめを刺せッ!』


「これでッ!!」


ゼーナは木槍を手放し、腰の木剣を引き抜いて核めがけて振り下ろした。


ブツン。

スライムの体を貫いた音とともに、粘体が四散した。


――勝った!


ゼーナはその場に膝をつき、大きく息を吐いた。

体中が痛み、手のひらには火傷の痕が残る。けれど、彼女は生きていた。


『……やったな』


リヴェリアの声に、微かな安堵が滲んでいた。


ゼーナは荒く息を吐きながら、その場に膝をついた。

全身に痛みが走る。特に左腕はひどく打撲していて、少し動かすだけで顔が歪む。

右手のひらも、魔力の暴走によって赤くただれていた。


だが――彼女は、生きていた。


『……やったな』


リヴェリアの声には、珍しく安堵の色が含まれていた。


ゼーナは、じっと火傷した右手を見つめながら、小さく呟いた。


「……偶然、思いついただけだったけど……」


『偶然じゃないさ。お前が諦めずに戦った結果だ。それがなきゃ、偶然すら起こらねぇ』


ゼーナは目を伏せた。

不意に、込み上げてくるものがあった。

痛みも、恐怖もあった。でも、逃げなかった。自分の力で、生き延びた。


『いいか、ゼーナ。これが“戦う”ってことだ。痛みも怖さも、それが“生きてる証”だ。お前は今、自分の手で、生を掴み取ったんだ』


リヴェリアの言葉が、胸の奥に深く染み込んでいく。

ゼーナは目頭をぬぐい、小さく頷いた。


もう――逃げない。


ゼーナは再び立ち上がり、木に突き刺さった木槍を引き抜いた。

勝利の余韻は短かった。体中に残る鋭い痛みが、改めて現実を突きつけてくる。


倒木に寄りかかりながら、ゼーナは荒い呼吸を整える。


左腕の打撲は見た目にも腫れており、右手の火傷も決して軽いものではない。

それでも、ゼーナは冷静に傷の具合を確かめた。


『落ち着いて、まずは呼吸を整えろ』


リヴェリアの声は、相変わらず冷静だった。


「……うん」


ゼーナは頷き、目を閉じて意識を内側へと向けた。


森の空気に漂う魔素を感じ取り、それを体内へと取り込んでいく。

魔力へと変換されたそれを、負傷した左腕に流し込む。


じわじわと、痛みが和らいでいく。

かつては思うように流れなかった魔力も、今は以前より遥かにスムーズに操作できるようになっていた。


(少しは、成長してる……)


ほんの少し、自分を認めるような気持ちが湧いた。


『傷は、まぁ完璧とは言わないが癒えてる。だけど、完全に治るまでは少しずつでいい。日々の魔力操作で、少しずつ治していけ』


リヴェリアの助言に従い、今度は右手の火傷に集中する。

指先に集めた魔力が光を帯び、じわりと皮膚の奥に浸透していくような感覚があった。


完全に癒えたわけではない。

けれど、動かすには支障ない程度には回復できた。


治療を終え、ゼーナは再び倒木に体を預けて一息ついた。

しばしの静寂が森を包む。

川のせせらぎが、どこか優しく聞こえた。


「……リヴェリア、私、ちゃんと戦えたかな」


問いかけるように呟いた声に、リヴェリアは短く間を置いて応えた。


『まぁ、初めてにしては悪くなかったさ。だが……森の出口の門番相手には、まったく足りねぇ』


厳しい言葉だったが、ゼーナはそれを素直に受け止められた。

リヴェリアの言葉には、常に誤魔化しがない。そのぶん、信じられた。


「……やっぱり、門番って、強いんだ」


『私の予想が正しけりゃな。桁違いの強さだろう。今のままじゃ、まず勝てねぇ』


リヴェリアの口調は変わらず淡々としている。


『だから、もっと強くなる必要がある。今回みたいにギリギリで勝つようじゃ、何度も戦ってるうちにどこかで死ぬ。魔力操作の精度をもっと高めて、意識せずとも自在に使えるようにしなきゃならねぇ』


ゼーナは小さく頷いた。

その厳しさは、すでに彼女の中にしっかり根付いていた。


「でも……私、逃げなかった。怖かったけど、ちゃんと、戦った」


自分で口にしてみて、初めてそのことが確かな実感として胸に落ちた。


『そうだな。お前が今回勝てたのは、その気概があったからだ』


リヴェリアは、短いながらも、しっかりとした肯定の言葉を返してくれた。


しばらくのあいだ、森の音だけが二人を包む。

鳥のさえずり、水の音、風に揺れる枝葉――そのどれもが、今日という一日の意味を静かに伝えているようだった。


(……また、動かなきゃ)


ゼーナは倒木から身体を離し、ゆっくりと立ち上がった。

左腕にはまだ鈍い痛みが残るが、それでも前に進めるだけの力は、もう彼女の中にあった。


足取りはまだ重い。けれど、胸の奥にはひとつの小さな自信が灯っていた。


ゼーナは、一歩、また一歩と、森の中を歩き出した。


――生きるために。

――そして、森の出口の“門番”と向き合う、その日のために。

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