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忘却の剣、彼方へ  作者: Zero3
第二章

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初依頼②

薬草の採取は、問題なく順調に進んだ。

依頼書に描かれた挿絵を頼りに、ゼーナは地面にしゃがみ込んでは葉の形を見比べ、茎の色を確認する。

最初は戸惑いもあったが、カイルが横で見本を見せてくれたおかげで、次第に判別の仕方を掴んでいった。

二人で手を動かすうちに、必要本数はあっという間に揃っていた。


「よし、これで十分だ」


カイルが籠の中を覗き込み、満足げに頷く。

ゼーナはその横顔を見て、小さく笑みを浮かべた。

淡々とした作業でも、隣に経験豊富な仲間がいるだけで心強い。依頼をこなす実感が、胸の奥に小さな誇りを灯していた。


森の入口に停めていた馬車へ戻ると、荷台の上に薬草を置いた。

続けて、水袋を回し飲みし、乾いたパンをちぎって口にする。

森の湿った空気に包まれた体に、冷たい水が心地よく染み渡った。


「休憩はここまでだな。……次は俺の依頼だ」


腰を伸ばしながら、カイルが立ち上がる。

獲物は「グリンボア」。巨大な猪のような魔物で、森の畑や村を荒らす厄介者だ。

討伐依頼ではよく見かける定番の相手だが、その分、冒険者にとって経験を積む格好の対象でもある。


ゼーナも腰の剣を確かめ、息を整えた。

けれどカイルは首を振る。


「簡単な相手だけど、今回は俺だけでやる。ゼーナは横で見ていてくれ」


「……うん」


ほんの少し悔しさもあったが、同時に安堵もあった。

自分はまだ駆け出し。まずは見ること、学ぶことが大切なのだと理解していた。


そんなゼーナの様子を横目に、カイルは森の奥を見据える。


「実はな。薬草を探してる時に、グリンボアの痕跡を見つけた。食い荒らされた土や折れた木の枝……奴らの習性は分かりやすいからな」


「もう、場所分かってるの?」


「だいたいな。基本的にあいつらは群れじゃなく単独で動く。痕跡の新しさからして、そう遠くには行ってないはずだ」


ゼーナは思わず感嘆の息を漏らした。

自分はただ草を探していただけだが、カイルは同時に別の痕跡を追い、次の依頼の準備までしていたのだ。


「……こういうのも必要なんだね」


戦う力だけではなく、相手を探す目や、環境を読む力。

冒険者として生きていくために欠かせないものを、ゼーナは改めて思い知らされていた。


「よし、準備ができたら行くぞ。……リオンは戻ってきてないが、まぁ大丈夫だろ」


カイルの言葉にゼーナは頷き、荷台に置いた薬草の籠を軽く覆ってから腰の剣を確かめた。

二人は再び森の奥へと足を踏み入れる。


森に入ってから、しばらく歩いた。

足元には柔らかな苔が広がり、踏むたびにわずかに沈む。陽光は木々の枝葉に遮られ、ところどころに落ちる斑の光が揺れていた。


カイルは、歩く速度を落とし、地面へ視線を落としていた。

何かを探しているように、時折立ち止まり、しゃがみ込み、手で土をかき分ける。


「……あったな。踏み跡だ」


小声で呟きながら、カイルは指先で地面をなぞった。

湿った土の上には、丸く深い跡がいくつも残っている。よく見れば、地面の草もところどころ押しつぶされていた。


「これがグリンボアの足跡?」


ゼーナが覗き込むと、カイルは頷いた。


「そう。蹄の跡が深いだろ?重い体で泥を踏み固めた痕跡だ。それに、この先……鼻で掘った跡がある」


その言葉通り、足跡の先には土が盛り上がり、根のようなものが露出していた。

カイルがしゃがみ込み、指でほぐすと中から噛みちぎられた植物の根が見える。


「……食ってる途中だったみたいだな。まだ新しい」


「新しいって、どのくらい?」


「三十分も経ってないな。まだ湿ってる」


その言葉にゼーナは感心する。

ただ痕跡を見ただけでそこまで分かることに驚き、同時に、カイルの冒険者としての実力を実感していた。


「こういうのも経験のうちさ。魔物は姿を見つける前に“気配”を探すものなんだ。足跡、土の削れ方、匂い……それらを覚えれば、戦う前にだいたい分かる」


「なるほど……」


目で見て分かる範囲しか意識していなかった自分にとって、それは新しい考え方だった。


二人は再び歩き出す。

森の空気は次第にひんやりとしてきたが、耳を澄ませば小動物の気配も感じられる。命の気配がありながら、どこか静かで落ち着いた空間だった。


カイルがふと立ち止まり、手を上げてゼーナに合図を送る。

ゼーナもすぐに動きを止めた。


「……この先だ」


指先の方向、木々の隙間から、かすかに土を掘る音が聞こえてきた。

「ズズ……ズズッ」と、重い体で地面を押し固めるような鈍い音。


カイルが背を低くして茂みに近づく。

ゼーナも静かに跡を追い、彼の隣に身を寄せる。


そこには、一頭の大きな獣がいた。


鼻を鳴らしながら地面を掘り返し、何かを探すように牙で根を引きちぎっている。

灰褐色の分厚い毛皮に緑色の苔をびっしりと纏っている。体高はゼーナの身長ほどもあり、長い牙が左右に突き出ていた。


「……あれが……」


ゼーナは驚いた。

――想像よりもずっと大きい。

だが、星環門の中で遭遇した猪の魔物に比べれば体躯は大きくとも、はるかに穏やかな気配だった。


(……大きいけど、なんか弱そう)


その時、カイルが小声で言う。


「ゼーナ。あの茂みの陰に隠れて見ててくれ。あいつは危険ってほどでもないが、最初は観察だけでいい」


ゼーナは素直に頷き、言われた通り近くの茂みに身を潜めた。

葉の隙間から覗くと、カイルは剣を構え、茂みから出てグリンボアと相対する。

カイルの構えには無駄がなく、呼吸すら静かだった。


グリンボアが鼻を鳴らした。

湿った地面を掻きむしるように前足を踏み鳴らし、低い唸り声を漏らす。

その眼がカイルを捉え、次の瞬間、敵を認識したように牙を剥いた。


カイルは小さく呟き、剣を構えたまま微動だにしない。

その姿は不思議なほど落ち着いていて、まるで相手の動きを誘っているかのようだった。


グリンボアは地面を鳴らし、鼻息を荒げる。

土と枯葉が舞い上がるほどの勢いで地を蹴り――次の瞬間、突進した。


「――っ!」


茂みの陰から見ていたゼーナの体が反射的に強張る。

目の前の突撃は、早いとは言えないが森の木をもなぎ倒しかねない勢いだった。

カイルはそれを目前にしても一歩も動かない。


「危ないっ!」


思わず声が出た。

だが、次の瞬間――


カイルの体がふっと横へと滑るように動いた。

ほんのわずか、紙一重の距離で突撃をかわし、その勢いを利用して踏み込みながら剣を薙ぐ。


「――ッ!」


鋭い風きり音とともに閃光が走る。

刃がグリンボアの首筋を正確に裂いた。


巨体がそのまま勢いを殺せず、数歩先でよろめき、地面に激しく倒れ込む。

赤黒い血が湿った土に広がり、鼻をつく鉄の匂いが漂った。

グリンボアは喉を鳴らし、数度身を痙攣させた後、静かに動かなくなる。


それを確認したカイルはゆっくりと息を吐き出し、構えを解く。

剣を握る手にはうっすらと汗がにじみ、呼吸が少し荒い。

たった一太刀――しかし、その一瞬の見切りと動きに、全神経を集中させていた。


「……ふぅ。終わりっと」


小さく息を漏らし、剣を軽く払う。

声には、戦いの緊張がまだ微かに残っていた。


ゼーナは茂みの中から、静かにその光景を見つめていた。

カイルの動きには一切の無駄がなく、流れるような所作で命を断ったその姿は、見惚れるほど整っていた。

ほんの数秒の戦いだったが、その間に積み上げられた経験と技術を、ゼーナははっきりと感じ取っていた。


カイルが振り返り、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。


「こんなふうに弱い獲物でも、仕留める時は気を抜かないで一瞬で終わらせたほうがいい。余計な怪我も減るし、獲物の状態が良い分、ギルドからの評価も良くなるからな」


その声は落ち着いていたが、どこか息が混じっている。

ゼーナはそんな彼を見て、尊敬するように言う。


「……すごかった。私じゃあんなに綺麗にできないから」


カイルは肩をすくめて、わずかに息を吐く。


「慣れだよ。ありがとな」


「それでもすごいよ。……これ、どうするの?」


ゼーナが倒れたグリンボアにそっと近づきながら尋ねた。


カイルは剣を鞘に戻し、短く息を整えてから答える。


「血抜きをして軽くしてから馬車まで運ぼう。首の血管を斬ってるから、首を下にして少し待てばいい」


そう言って、彼は地面に落ちた血の流れを確認しながら、グリンボアの首元を指さした。


「わかった。私がやるから……休んでて」


「重いから気をつけてな」


「うん」


ゼーナは慎重にグリンボアの体に手をかけ、ぐっと力を込めて向きを変える。

分厚い毛皮と筋肉に手が沈む。思ったよりも重かったので身体強化を発動させる。

流れる血が増え、血の匂いが濃くなる。


やがて首が下を向き、血が地面へ流れ出す。

湿った土を赤く染め、じわじわと広がっていく。

その光景を立てかけた死体のすぐ近くでぼんやりと眺めていた――その瞬間だった。


視界が、急に揺れた。

いや、違う。グリンボアの死体がこちらに迫ってきた。


「……え?」


次の瞬間、目の前いっぱいにグリンボアの体が迫る。

まるで巨体が膨らんだように見えた。そして、何かが叩きつけられるような衝撃。


考えるより早く、体が宙に浮いていた。

耳の奥で風が唸り、世界がぐるりと回る。


「――っ!」


あまりにも唐突で身体強化を使う間もなかった。

何が起きたのか理解する前に、ゼーナの体はグリンボアの死体ごと弾き飛ばされ、森の奥へと吹き飛んでいった。

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