帰還③
調査隊は、魔門の前での異常な遭遇を終え、沈黙のまま帰路についていた。
誰もが軽口を叩く余裕もなく、ただ足音だけが草原を踏みしめる音を重ねていた。
ゼーナもその一人だったが、歩きながら彼女の頭の中には一つの疑問があった。
ノクスという男の口から語られた言葉――“魔刻術”……。
(魔法のひとつとか...?)
冒険者の事や世界の事、ゼーナにとって世界はまだ未知で溢れていた。
今まではそれでも構わなかった。生きることに精一杯だった。その上、記憶が無いゼーナにとっては知識よりまず、剣を振るう理由を探す方が先だった。
しかし――今は違う。外にでて、ここで生きる以上、世界のことを知らなければいけない。
(ちゃんと知っておかないと……)
調査隊の中で誰に聞くべきか、ゼーナは少しだけ悩んだ。名前を知っていて、まともな会話したことがあるのはヴァルトだけだった。
しかし、ヴァルトは調査隊の先頭を歩き、先程の出来事で思うことがあるのか、威圧感があり、話しかけづらかった。その他には、拠点襲撃の際に見かけた槍の冒険者、リオン。他の冒険者と彼のやり取りを見た限り、ゼーナ的には論外だった。そうして目を向けた先にいたのは、隣を歩くカイルだった。
昨日から何度か目にしている青年。直接会話したことはないが、無駄な威圧や嫌味は感じなかった。
ゼーナはほんの少し躊躇いながらも、口を開く。
「……ねえ、あの、聞きたいことが……」
カイルは少し驚いたようにゼーナの方を見た。
それもそのはずだ。今までゼーナから誰かに話しかけることなど無かったのだから。
「……お、おう。どうした?」
どこか戸惑いながらも、カイルはすぐに歩調を合わせた。
ゼーナはほんの少しだけ間を置いて、尋ねる。
「さっき……あの人達が言ってた。“魔刻術”ってなに?」
素直な疑問だった。ゼーナの声には興味と、少しだけの不安が混じっている。
カイルは一瞬黙り、ゼーナの顔を見て、ハッとした様な表情をする。
「そうか。……まあ、そうだよな。君、記憶がないって言ってたもんな」
年上としての気遣いか、それともただの人の良さか。カイルの声は、どこか年の離れた妹に話すような、柔らかなものだった。
「そうだな……」
カイルは少しだけ言葉を切り、歩を緩めてゼーナの方を見た。
「“魔刻術”ってのは、人間が極限まで強くなった時に発現する力だ。魔法を使ったり、戦って傷ついたり、魔力を使用したり……そうして肉体に魔力が蓄積していくうちに、ある種の“変異”が起こるんだよ」
「変異……」
ゼーナの頭には森での植物や、拠点を襲った変異した魔物が浮かぶ。ああいったものだろうかと考え、少し顔をしかめる。
「あぁ違うぞ!変異と言っても、さっきの魔物みたいな変異じゃない。学者じゃないから明確な違いは説明できないけど、あんな風にはならないよ」
ゼーナのしかめっ面から考えを読み取ったのか、カイルが補足をしてくれる。
「よ、良かった……」
「話を戻すぞ。その変異の“方向”は、生まれ持った才能や性質によって違うらしい。で、その才能に合った努力を続けて、自分ってものをちゃんと理解した時――魂が深く、肉体の魔力と繋がった瞬間に、やっと“魔刻術”が覚醒する」
カイルの説明は、慎重ながらも分かりやすいように言葉を選んでいるのが伝わった。
「それって……魔法とは、違うの?」
「全然違う。魔法は術式があって、理論上は誰でも習えば使える。でも魔刻術は、その人間の根幹から産まれた固有の力なんだ。だから全く同じ魔刻術を持ってる奴なんて、世界中探しても一人もいないと思う」
「ヴァルトには、その魔刻術が無いって言ってたよね?」
「うん。星級冒険者の中で、唯一。普通は金級くらいから、魔刻術を持ってる奴が増えてくる。でもヴァルトは、そういう力が無いのに星級に登った。だから“真の強者”なんて呼ばれてる」
ゼーナは一瞬、黙って先頭のヴァルトを見た。ヴァルトの戦い方を思い返す。道中の魔物やノクスへの攻撃。彼の行動に魔法らしきものや、特殊な技はなかった。ただの力による攻撃だった。
「ふうん……」
「……そういえば、拠点襲撃のときに君も見たんじゃないか?」
ふいに、カイルが思い出したように口を開く。
「リオンっていう槍使いが、雷を纏って戦ってたの、覚えてる?」
ゼーナは小さく頷いた。確かに見た。拠点から少し離れた場所で、雷のような光を纏った槍を振るう男の姿。稲光が地面を穿ち、魔物たちをまとめて薙ぎ払うその光景は、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
「……あれが、リオンの“魔刻術”なんだ。“雷纏って呼んでる見たいだ。あの雷は、ただの見た目だけじゃなくて、本物の雷撃と槍の貫通力を上げ、驚異的な身体能力を得る見たいだ」
「確かに凄かった……」
ぽつりと零れたゼーナの言葉に、カイルは苦笑するように肩をすくめた。
「まあな。あいつ、口は悪いけど実力は本物だよ。ああやって、魔刻術を使いこなしてる奴は冒険者にも結構いる。でも、さっきも言ったけど、それを習得するには相当な努力と経験が必要だ」
カイルの声には、ほんの少しだけ重みがあった。魔刻術を扱える者たちへの、素直な敬意が滲んでいた。
ゼーナは歩きながら、小さく息を吐いた。頭の中に少しずつ、新しい情報が積み重なっていく。
「……ありがとう。教えてくれて」
「はは、どういたしまして」
カイルは照れたように笑って、前を向いた。
その笑顔がどこか安心できて、ゼーナも小さく口元を緩めた。少しだけ、ゼーナには世界の輪郭が見えてきたような気がしていた。
――――
やがて、一行は調査拠点の簡素な柵門をくぐった。
見慣れた木造のテントや荷車が並ぶ光景に、ようやく一息ついたようだった。
陽が傾き始め、空が赤く染まる頃、ヴァルトが調査拠点の全員を前にして短く告げた。
「これ以上の調査は中止する。拠点も解体し、物資をまとめて都市に戻る」
言葉は簡潔だったが、そこに込められた意味は誰の耳にも明らかだった。
魔門の先、まだ見ぬ領域。
本来であれば、そこからが本格的な調査の始まりだったはずだ。
しかし、帝国の者たち――ノクスという異質な剣士を含む集団が、すでに内部に入っている。
このまま進めば、帝国と正面から衝突する可能性がある。自由領の調査隊としては、それを避けねばならない。
ヴァルトの判断は妥当だった。だが、空気はどこか、張り詰めていた。
ゼーナはその場の雰囲気を肌で感じていた。
誰も声を荒げたりはしなかったが、どこかに釈然としない空気が流れていた。
言葉にされない感情――それが、かすかに伝わってくる。
諦めでも、怒りでもない。けれど、心の奥に渦巻く何かがあった。
(……みんな、納得してない感じ)
冒険者たちは、それぞれ無言のまま作業を始めていた。
荷物をまとめ、武具を整えるその動きに、わずかな力みが見える。
声には出さないが、胸の内に押し込めたものがあるのだと、ゼーナは思った。
帝国の剣士――ノクス。
あの男とヴァルトが対峙した場面を、ゼーナは思い返す。
ほんの一瞬の、鋭い殺気と金属音。
まるで何かが始まるかに思えたが、それは一瞬で霧散した。
だがその空気の重さは、確かに全員が感じていたはずだった。
ゼーナにとっては、あれが“人間同士の戦い”というものを初めて目の当たりにした瞬間でもあった。
ただ強いだけではない、何かがある――そんな得体の知れなさが、ノクスから漂っていた。
ゼーナは拠点の片隅で、荷物をまとめる者たちの様子を見ていた。
リオンが木箱を持ち上げるとき、小言を吐き、一瞬だけその額に皺が寄ったのが見えた。
カイルが手袋を外し、溜息を吐くように空を見上げていたのも目に映る。
些細な動きの一つ一つが、何かを物語っているように思えた。
それでも誰も、ヴァルトに何かを言う者はいなかった。
ゼーナは、その理由もぼんやりと理解していた。
ヴァルトの判断は、きっと正しい。
けれど、彼のように冷静に、割り切れる者ばかりではないのだ。
未知の地に挑む機会を、目前で手放さざるを得ないという現実。
そして、自分たちではどうにもならない存在を目の当たりにしたという事実。
ゼーナ自身には、冒険者にとってそれがどれほどの意味を持つのか、まだ分からなかった。
だが、大きな悔しさを、彼らが感じていることだけは感じ取れた。
「……ゼーナ、これ運ぶの手伝ってくれ」
カイルに声をかけられて、ゼーナは思考から抜け出し、声の元へ向かう。
やがて、すべての荷が積み終わる頃には、夜の帳が完全に降りていた。
星々が広がる空の下、馬の鼻息が白く吐き出される。
荷車を引く馬車が一台ずつゆっくりと動き出す。
その後ろに、隊員たちが乗り込む幌付きの馬車が続いた。
軋む車輪の音が、夜の静寂の中に微かに響く。
誰も言葉は発さず、ただ、淡々と帰路につくその姿に、ひとつの任務の終わりが刻まれていく。
ゼーナは荷車の隅に腰を下ろし、夜風に髪を揺らしながら、ゆっくりと振り返った。
遠ざかっていく草原の向こう――夜の闇に沈んだ星環門の位置を、目で追う。
あの門の向こうが、かつてアストリアと呼ばれた大国であったことはゼーナしか知らない。
(……アストリア……リヴェリアと、私の体……リシアの故郷)
(アストリアに何が起きたのかを明かして見せる――)
かすかな誓いを胸に、ゼーナは目を閉じた。
眠気はまだ来ない。ただ、揺れる馬車の音だけが、静かに彼女を次の土地へと運んでいく。
――――
魔門――“星環門”の内部は、静まり返っていた。外の世界とは空気の密度すら異なるように感じられ、濃密な魔素がわずかに肌を刺す。
岩壁には無数の紋様が刻まれ、天井の見えない闇の奥からは時折、かすかな揺らぎが降ってくる。
帝国の調査隊は、すでにかなり奥まで踏み入っていた。
「……古い。かなりの年月が経っている。ですが、保存状態は悪くない」
ノクス・ラディアは、足元に転がる石板に目を落とし、手袋越しに軽くなぞった。
背後では部下たちが黙々と遺構の調査を進めている。
「ノクス様。これを」
部下の一人が、瓦礫の中から錆びついた剣を差し出す。柄の部分には、崩れかけながらも判別可能な紋章――輪を基調にした、見慣れぬ意匠が刻まれていた。
「……」
ノクスはそれを受け取り、しばらく無言で見つめる。どこかで見た様な気がした。そして、常人では不可能な鮮明さで記憶を遡り、何かを思い出したように、目を細めた。
「……昨日の調査隊。ヴァルト・ガルドナーの後方にいた少女。彼女の装備にあった物と、同じ紋だ」
独り言のようにそう呟いたあと、ノクスは静かに剣を返した。
「国の紋章でしょう。この遺構から見ても、ここは……かつて存在した国家の残骸だ。名や歴史は…記録されていなかったと思うが……間違いない」
周囲の部下たちが驚いたように顔を見合わせる。ノクスはそれに気づいてもなお、淡々と話を続けた。
「……実に興味深い。調査はこのまま続行を。もし同じ刻印が施された物が他にもあれば――すべて記録に残しておいてください」
一拍置いて、ノクスはわずかに視線を遠くへ向けた。
「それと。――あの少女について、少し時間をかけて調べる必要がありそうです」
その声に、驚きと緊張が混じった沈黙が広がる。
「接触は……慎重に。ただ、もし機会があれば話くらいは、聞いておきたいですね」
そう言って、ノクスはわずかに口元を綻ばせた。
それは笑みの形をしていながら、どこか人間らしさを欠いていて、とても冷たいものだった。




