帰還②
帰還②
朝の空気は澄んでいて、ひんやりと心地よく肌を撫でる。
その心地良さの中、ゼーナはゆっくりと目を覚ました。そのままゆっくりと体を起こし、寝台の上に座り、軽く深呼吸をして瞳を閉じる。
いつもの魔力回復の瞑想だ。魔素を取り込み、魔力を巡らせ、体の奥から少しずつ力が戻ってくる感覚を確かめる。
(内側の濃さに慣れちゃってたから、なかなか慣れないな…)
今のままでは“バースト”も1日数回程度しか使えない。何かしらの解決策を見つけないと今後、戦闘になる際は身体強化に頼る事になる。
ゼーナは色々と思考を巡らせながら、瞑想を終え、寝台から離れて装備を整える。調査隊から与えられた寝巻きを脱ぎ、いつもの装備に袖を通す。
(貰った服よりこっちの方が着心地いい気がする)
やはり黒狼装備が優秀なのだろう。そんな事をゼーナは思った。
次に、ゼーナは“メタモライト”を扱う訓練を行う。右手袋に纏う、灰銀色の金属は朝の光を反射し、ひんやりとした存在感を主張している。リヴェリアはこれを次々に変化させて戦っていたが、同じような戦い方はゼーナには出来ない。なので、寝る前など暇な時に訓練をしていた。
ゼーナは傍らに置いてあった剣を手に取り、そっと鞘から抜く。朝の光に照らされ、剣身が濡れたように冷たくきらめく。
ゼーナはその刃に集中し、メタモライトに魔力を集中する。すると、メタモライトが手袋から滑るように移動し、ゆっくりと剣へとまとわりつく。それはあたかも生きている金属のように、剣を長く、大きく変化させていった。
イメージはガーディアンやリヴェリアが変形させていた大剣の形。ゼーナはメタモライトのみで武器を形作るのは技量が足りない。なので、元の武器を補助する様に変形させることにした。
少しの時間が経ち、変形が終わる。片手剣をメタモライトが包み、両手で握ればちょうど良く扱えそうなサイズになっていた。しかも、魔力を込めれば込める程、重さも増す。
(……これなら、今の私でも扱えそうだ)
ゼーナは両手で握り、軽く素振りをする。重量感はあったが、不思議と馴染む感触があった。
(時間はかかるけど、使いこなせれば大きな力になる……)
集中を解き、ほっと息を吐く。ゼーナは再び意識を右手へ戻す。すると、剣を包んでいたメタモライトが静かに剣から剥がれ、元の篭手へと形を戻していく。それと同時に、変形に使用してた魔力がゼーナへ戻る。メタモライトの変形には魔力を使うが、消費されることはないようだ。魔力の回復が遅く、バーストも多用できない現状では、この力が切り札になり得るとゼーナは考えた。
元に戻った剣を鞘に納め、もう一度装備の確認をしていると、天幕の外から声がかかる。
「ゼーナ、準備が整った。もうすぐ出発するぞ」
ヴァルトの声だ。
「うん、わかった」
小さく返事をしてから、メタモライトに覆われた手袋を見下ろす。
朝の光の中で、それはどこか力強く、そして頼もしく感じられる。
ゼーナは天幕の布を押し開け、朝の光を一身に浴びた。
冒険者たちがすでに出発の準備を整え、各々の武器を手にした姿が視界に飛び込んでくる。今日の調査は魔門(ゼーナからすれば星環門)に近づき、入口と内部の浅い部分を調べることが目標。つまりこれが冒険者たちにとってはメインの任務であり、昨日以上に気合いが入っている。今日のメンバーにはカイルとリオンもいるようで、彼らも同じように真剣な面持ちでいた。
「出るぞ。全員、準備はいいな」
ヴァルトの声が冒険者たちを引き締める。その声に応じて、冒険者たちが整然と隊列を組み、ゼーナもその最後尾につく。
初めて他人と行動を共にするその不安と期待が、ゼーナの胸の奥を微かに震わせる。
「よし、行くぞ」
そして、ヴェルト率いる調査隊は拠点を出発した。
――――
調査隊が魔門の入口へとたどり着いたときには、すでに日は高く昇り、昼過ぎを告げる陽射しが草原を照らしていた。
魔門はすぐ目の前にそびえ立っていた。その大きさは、目の前に立つだけで自然と首が上がってしまうほどで、どんな建造物とも比べものにならない威容を誇っている。門の縁には繊細な紋様が刻まれており、それが日差しを受けて淡い光を放ち、不思議な美しさを醸し出していた。門の下部には重厚な台座のような構造があり、見る者を圧倒する存在感を放っていた。
ゼーナにとっては門を見上げるのは二度目になる。外に出るための最終目標だったこの門は、鮮明に記憶に残っている。
しかし、そんな魔門の足元、門の入口付近に、人影があった。調査隊とは別に、一人の見知らぬ男が立っていた。
その男は黒を基調としたゆったりとした服を纏い、まるで旅人のような風体をしていた。また、その右手から肘にかけて、黒い炎を思わせるような装飾をした金属鎧が絡みついている。奇妙な細工で、その禍々しさは服装の緩やかさと不釣り合いに思える。
腰には、細く長い両刃の剣を抜き身のまま帯刀している。柄は鍔のない特殊な形状で、どこか異国めいた雰囲気を漂わせていた。
その男の金属に覆われた右手には、無残に潰された鉄の塊――全身鎧の残骸のようなものが引きずられていた。その姿は、まるで兵士の骸のようで見る者に戦慄を抱かせる。そして、調査隊の中でゼーナだけが気づく。
(あれって……ガーディアンの残骸……?でも……どうして、あれが……?)
星環門の門番、リヴェリアによって門ごと吹き飛ばされたあのガーディアンだ。胸元にはゼーナがつけたバツ印の傷が残っており、あのガーディアンであることを証明している。
「おやおや、こんなところで人にお会いするなんて」
ガーディアンの残骸を持つ謎の男は、口元に柔らかな笑みを浮かべ、まるで旧友にでも会ったかのように声をかけてきた。その笑みには不気味なほどの親しみやすさが滲む。
「見かけない顔だが、どこの誰だ」
ヴァルトの声にゼーナを保護した時のような優しさは無い。その風貌や所作から、ヴァルトの長年の勘が警戒するべき相手だと悟らせた。
「私は帝国から派遣されてきた調査員です。あなた達は?」
男はまるで世間話でもするかのように、穏やかな口調で問いかけた。その態度は飄々としているようで、どこか相手の反応を試すような意図が透けて見える。
「帝国、オルトレギアの調査員だと……?俺たちは冒険者ギルド本部から派遣された調査隊だ。なぜ帝国がここの調査に来る。ここは自由領テラノヴァが管轄の地域だ」
ヴァルトは静かに応じた。その声にはわずかな硬さこそあれ、感情の起伏は見られない。男の一挙手一投足を冷静に観察しながら、わずかでも挑発に乗ることを避けるように、言葉を選んでいた。
「なるほど、冒険者ギルドですか。管轄と言ってもそれは帝国以外の国が勝手に決めただけではないですか。帝国では魔領地に管理管轄なんて規則はありません。ただの未開の地です」
男は肩をすくめながら笑った。その言葉には冗談めいた軽さすら含まれているが、内容は明らかな挑発だった。
ゼーナは背中をわずかに緊張させながら、男の態度と、それに揺るがぬヴァルトの横顔を交互に見つめていた。
男の笑みは柔らかく、それでいてどこか嘲るような色を帯びていた。
「未開の地を“誰のもの”と決めつけて境界線を引くのは、おかしな話です。それは他国の勝手な理屈に過ぎません。帝国にとってこの地は、誰のものでもないただの“領外”。開拓する者がいれば、それが主となると考えています」
その言葉に、ヴァルトはわずかに眉をひそめた。だが、その顔に怒気や焦りはない。ただ、静かに問いを返す。
「つまり……帝国はこの地に対し、領有の意識や他国への配慮を一切持たず、自由に踏み入ると?」
「ええ、当然でしょう。誰のものでもない土地なのですから」
当然のことのように頷きながら、男は引きずっていたガーディアンの残骸に視線を落とした。その手に込められた力は微動だにしていないが、重みにも疲れにも無頓着な様子だった。
「それに……このような興味深い遺物が転がっているのです。調査しない方が不自然だと思いませんか?」
男の発言に、ゼーナは小さく眉を動かした。
「魔領地」という言葉に聞き覚えはない。だが、帝国という存在が、他の国々とは違う価値観でこの地を見ていることはわかった。
言葉の端々に、他国の管理体制を軽んじるような響きがあった。ヴァルトたちの反応も、それに対して明確な警戒を含んでいる。
(……帝国と他の国って、あまり仲が良くないのかも)
そんな印象が、ゼーナの胸に静かに残った。
ヴァルトの脳裏にも、無数の情報が走っていた。
魔領地に対し、各国は常に警戒と監視の目を向けている。そこに潜む“魔人”と呼ばれる存在は、どの国家にとっても決して看過できない脅威だ。
だからこそ、どの国も協定を結び、それぞれの周縁に管轄と責任を定めてきた。だが――帝国だけは違う。
圧倒的な軍事力を背景に、彼らは周辺国の意向など意に介さず、時に“調査”の名目で他国の管理地に踏み込み、現地勢力を押しのけるように行動する。
それは、“侵略”と呼んでも差し支えのないやり方だった。
「帝国だぁ? 冗談じゃねぇ、ここは自由領テラノヴァだぞ! 他国が勝手なことしてんじゃねぇ!」
一人の金級冒険者が、憤ったように声を荒げる。その叫びに、ゼーナは思わず身をすくめた。
「そう言われましても。こちらも命令でしてね……。魔門内部の情報を独占するため、封鎖しろと。その為なら武力行使も構わない……と」
男の声は柔らかいままだった。だがその目が細まった瞬間、ゼーナの背筋に冷たいものが走る。
まるで獲物を前にした捕食者。気づいた時には、男の手元がぶれ――
鋭い金属音が響いた。火花が散り、風が爆ぜたような衝撃が辺りを揺らす。
「っ……!」
ゼーナは反射的に目を閉じていた。
何が起こったのか分からなかった。ただ、音と衝撃に驚き、目を瞑ってしまった。
恐る恐る目を開けると、ヴァルトが先程声を上げた冒険者の横に立っていた。
金棒が冒険者を庇うように差し出され、その足元には深々と斬撃の跡が刻まれている。まるで地面を裂くように。
(は、速すぎる…見えなかった……)
ゼーナには何が起きたか全く見えなかった。目の前の出来事を理解しようとしても、頭が追いつかない。
腰を抜かした冒険者が尻もちをつく。その顔には恐怖と、助けられた戸惑いが色濃く浮かんでいた。
「……手が早いな。ここで俺らと戦るつもりか」
ヴァルトの低い声が場に響く。その声には微かな怒りと、相手を値踏みするような冷静さが滲んでいた。
ゼーナは、その声音を聞きながら、ようやく呼吸を整え始める。
あの男の動きに、そしてヴァルトの対応に、心がまだ波打っていた。
攻撃の予備動作すら見えなかった――リヴェリア以外でこれ程の実力者を見るのは初めてだった。
「いやいや、まさか。星級冒険者の中で唯一魔刻術を持たず、故に“真の強者”と呼ばれるあなたに戦いを挑むなんて」
男はまるで、今の殺気と斬撃が冗談ででもあったかのように、気楽な口調で続ける。
その様子に、ゼーナの喉がまたごくりと鳴った。
――どこか、壊れている。まだあまり他人を知らないゼーナですら、そう思った。
この男の中には、常識や理性という言葉が通じない何かがある。
それを、ゼーナは肌で感じていた。
「今のは“警告”ですよ。門の内部には既に私の部下や仲間が入っています。あなた方がこのまま中に入るのであれば私たちは対処しないといけない。とても心苦しいですが、これも命令なので……」
男の声音は終始丁寧だったが、その裏に潜む不気味さは否応なく伝わってきた。
まるで、気さくに話しかけながら、いつでも人を斬れるような――そんな冷酷さが滲んでいる。
ゼーナは思わず、ほんのわずかに息を止めていた。
目の前に立つ男の“温度の無さ”に、どこか人間ではないものを見ているような錯覚すら覚える。声こそ柔らかく礼儀正しいのに、肌の奥にまで届く冷気のような危機感が、彼女の背筋を這い上がっていた。
ヴァルトは鋭い視線を一瞬男に走らせた後、周囲を見渡す。
金級冒険者たちは、全員がこの男の速さに付いていけない。下手に手を出せば、ただの的になる。
それに、ゼーナという保護対象もいる。この男を相手に全員を守りながら戦うのは不利だと彼は判断した。
「……ああ、分かった。門周辺の安全確認も終わったところだ。ここは引き下がるとしよう」
低く唸るように答えると、ヴァルトはゆっくりと金棒を肩に担いだ。男もそれを見て、にやりと口角を上げる。
「さすが、話が分かるお方だ」
男は剣を納め、引きずっていた残骸のようなものを再び持ち上げると、魔門の入口へと向き直った。
ゼーナは、ようやく肩の力を抜くことが出来た。
胸の奥に張りつめていた緊張がふっとほどけ、全身から少しずつ力が抜けていくのを感じる。
先ほどまでの異様な空気が、男の背を向けたことでようやく霧散したかのようだった。
「……待て」
ヴァルトの静かな声が響いた。
声量は変わらないが、その声色には、今までとは明らかに違う、底知れぬ圧力が宿っていた。
「どうされまし……なッ……!」
男がわずかに首をかしげるように振り返った、その瞬間だった。
眼前に迫る二本の金棒。振り下ろされたそれは、まるで大地を割るかのような勢いで男の肩口めがけて襲いかかった。
ゼーナの目が見開かれる。
ヴァルトの動きは消して素早くはなかった。攻撃の瞬間まで全くの殺気がなく、いきなり武器が振りかざされた。
ノクスはとっさに剣を抜き、金属を纏う右腕を添えて衝撃を受け止める。
鈍い衝撃音が響き、男の足元の大地が砕け、土煙が上る。
ゼーナは反射的に一歩後退していた。風圧が髪を散らし、土の匂いが鼻先をかすめる。
あまりの威力に、その一撃の凄まじさが嫌でも伝わってきた。
ヴァルトの瞳が静かに細められると、金棒に込められた力がさらに増した。
男の剣が、ギリギリと甲高い悲鳴を上げ、刀身が軋む。
ゼーナは息を飲んだ。
先ほどまで軽やかに語っていたあの男の余裕が、今だけは微かに崩れて見えた気がする。
一瞬、男の額から冷や汗が伝い落ちたかと思った、その刹那――
バキィンッ!
金属が裂ける音が響き、男の剣はあっさりと折れた。
「いきなり攻撃を仕掛けたお前が、撤退する俺たちの背後を襲わないという保証はないんでな。せめて武器は捨ててもらう」
「くっ……ははっ……」
男は口元に、妙に楽しげな笑みを浮かべた。
それは不気味なほど柔らかい笑みだったが、その瞳の奥には、一切の恐怖が宿っていなかった。
ゼーナの目には、その笑みがますます“異常”に見えた。
普通なら引き下がるはずの状況でさえ、男の意識は戦いに対する“興味”で塗り潰されている――そんな気がして、ぞっとした。
「お見事……やはり素晴らしい力をお持ちだ……」
言いながら、男は折れた剣を振ってみせ、肩を竦めるように手を広げた。
「これでお互い様、ということにしましょう。流石に武器無しであなたを襲う様なことはしません。信用してくださいますか?」
その口調は気さくで丁寧なものだったが、先程までのやり取りの後では、不気味さの方が目立つ。
ヴァルトは一瞬視線を鋭くし、そしてゆっくりと息を吐いた。
「……そうだな。行くぞ、お前ら」
短く吐き捨てるように言うと、ヴァルトは金棒を肩に担ぎ直した。
その姿を見て、周囲の金級冒険者たちは安堵の息を漏らすと同時に、男から距離を取った。
ゼーナも、その場に立ち尽くしたまま息を吐く。
けれど胸の奥は、まだざわめいていた。
「いやぁ、ありがとうございます。本当に……話が分かるお方だ。是非ともまた、お相手していただきたいですね」
男はやけに人懐っこい笑顔を浮かべ、引きずっていた残骸を持ち上げると、魔門の入口へと歩き出した。
「――ああ、そうだ。名乗りがまだでしたね。私は“ノクス・ラディア”。どうかお見知りおきを。きっとまた、お会いすることになるでしょう」
「こっちは願い下げだ」
ノクスと名乗った男は振り返ることなく歩みを進める。まるで次の再会を確信しているかのような口ぶりだった。
その背中には、どこか底知れぬ闇が漂っていた。
ゼーナはその名を聞いて、小さくその響きを胸の奥に刻んだ。
ノクス・ラディア――不気味な男。