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忘却の剣、彼方へ  作者: Zero3
第一章
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襲撃②

ゼーナが目を開けると、柔らかな日差しが天幕の布を透かして差し込んでいた。


しばらくの間ぼんやりと天井を眺めているうちに、ゆっくりと意識がはっきりしてくる。こうやって穏やかに目覚めるのは、本当に久しぶりのことだった。森の中でも、草原でも、いつも魔物の気配に怯えながら眠っていたから、こんなふうに安心してゆっくり眠れたのは初めてだった。


上体を起こし、小さく息を吐く。


昨日、ゼーナは初めて人と出会った。調査隊の冒険者たちは、突然草原から現れた彼女を疑っていた。だが結局、誰一人として追い出すことはなかった。与えられたのは、小さなテントと「しばらくここで休んでろ」という短い言葉だけ。それでも、ゼーナにとってはそのすべてが信じられないほどありがたいものだった。


テントの中には特に何もなく、小さな寝台と木の器に入った飲み水だけが置かれていた。それでも、これまでの生活と比べれば、これ以上望むものなどないほど恵まれていた。


昨日はその安心感のせいか、記憶にある限りでもっとも深く眠れた。目が覚めたときには、もう昼に近い時間だった。いつもなら緊張から夜明けとともに目を覚ましてしまうのに、今日はこんな時間まで眠ってしまっていた。


魔力は、まだあまり回復していないようだった。


この草原に満ちる魔素の薄さに身体が慣れていないのか、魔力を回復するにはかなり時間がかかるようだった。星環門の内側にいた頃は、ただ息を吸うだけでも魔素が体内に流れ込んでくるような感覚だった。だが、ここではそう簡単にはいかないらしい。昨日、四足歩行の魔物から逃げるために使用したバーストの分だけは、なんとか回復していると感じられた。


ゼーナは静かに呼吸を整え、目を閉じた。


リヴェリアが教えてくれた、魔力回復のためのいつもの瞑想。ゆっくりとした呼吸を繰り返しながら、外気に漂うわずかな魔素を感じ取り、それを身体に取り込む。そして体内の残った魔力を丁寧に巡らせ、魔力の回復を促す。ゼーナは草原の風がテントの外を静かに吹き抜けていくのを感じながら、意識をゆるやかに内側へと沈めていった。


しばらくそうしていると、心も身体もずいぶんと軽くなった気がした。


もう少しこのまま瞑想を続けていれば、さらに魔力が回復するかもしれない――ゼーナがそう思った、その時だった。


「魔物接近! 非常事態だ!」


突然、鋭く張り詰めた叫びが拠点に響き渡った。


一瞬で瞑想が崩れ、ゼーナははっと目を開いた。


心臓がどくどくと高鳴る。テントの外では誰かが大声を上げ、地面を駆ける複数の足音が鳴り響いていた。


そういえば――今朝早く、ヴァルトが率いる調査隊の冒険者たちは、調査のために出発していったと聞いていた。拠点に残っているのは、警備役として割り当てられた冒険者が二人と、調査を支える補助人員だけだったはずだ。


つまり、いま本当に戦えるのは、その二人しかいない。


不安が、胸の奥をざわつかせた。もし敵の数が多ければ、もし強い個体が混ざっていたら――拠点が簡単に突破されてしまうかもしれない。


ゼーナはじっとしていられず、立ち上がってテントの隅に立てかけられていた二振りの剣を手に取った。


昨日、保護された際に誰もこの剣を取り上げなかった。おそらく、ゼーナがこの剣で暴れたとしても簡単に制圧できると判断されたのだろう。そんな軽視が、いまはありがたかった。


両手に剣を握ると、少しだけ不安が和らぐ気がした。


戦いたいわけではなかった。ただ、何もしないまま震えているのが怖かった。


ゼーナはそっとテントを出て、拠点の入り口から外を覗いた。


視線の先では、二人の冒険者が魔物と戦っていた。遠目にもわかるほど、複数の狼に似た獣型の魔物が彼らを取り囲み、次々に襲いかかっている。


だが、二人の冒険者の動きは落ち着いていた。焦りも慌てもなく、冷静に魔物たちの攻撃をかわし、正確に反撃している。


ひとりは剣を使う冒険者だった。魔物が飛びかかってくるたびに紙一重で身をかわし、刃を振るって的確に斬り伏せていく。その一連の動きには無駄がなく、洗練された技術が宿っているように見えた。


ゼーナは、思わず地下道で戦った骸骨兵たちのことを思い出した。あの骸骨の剣士もなかなかの使い手だったが、いま戦っているこの冒険者のほうが遥かに上手いと感じられた。動きが丁寧で、力任せではなく、正確さと経験に裏打ちされた剣技だった。


もうひとりの冒険者は、槍を使って戦っていた。


その男の槍は、振るうたびに雷を纏った。青白い閃光が疾り、空気がびりびりと震えるようだった。


一歩踏み出すごとに地面に火花が散り、次の瞬間には雷をまとった穂先が魔物の身体を突き抜ける。突きの速度と力は圧倒的で、そこに宿る雷の魔力が一撃ごとに魔物の肉体を内側から焼き切っていた。


あれが、魔法というものなのだろうか――。


ゼーナは、雷を纏って魔物を貫く技を見ながら、静かに目を細めた。


魔力操作とは、どこか違う技術のような気がした。少なくとも、自分が使ってきた力とは根本から別のものに思える。


少なくとも――ゼーナには、あんなことはできない。


改めて、自分がどれだけ狭い世界で戦ってきたのかを知った気がして、胸の奥が小さく震えた。


人間が戦う姿。仲間と共に戦い、力を合わせて脅威に立ち向かう姿。それは彼女にとって、初めて目の当たりにするものだった。


(……強い)


二人の冒険者たちは、すぐに十体ほどの魔物をすべて倒し終えていた。ゼーナの目には、どちらも怪我ひとつなく、呼吸すら乱れていないように見えた。


「……よかった」


思わず、小さく呟いてしまう。


あれほどの実力があるのなら、自分が無理をして外に出ていく必要はない。静かにしていれば、それで十分。魔力がまだ完全に回復していない今は、大人しくしているのが一番だと、そう思えた。


胸を撫で下ろし、ようやく気を緩めた、その時だった。


草原の奥で、地面がふたたびわずかに震えた。草の波を割るようにして、新たな影が現れる。


「え……?」


ゼーナは目を凝らす。そこに姿を現したのは、さっきまで冒険者たちが倒していたものと同じ、狼型の魔物――だが、見た目がまるで違っていた。


全身の筋肉が異様に膨れ上がり、皮膚は裂けて赤黒い肉が覗いている。体格も段違いで、冒険者たちよりも遥かに大きい。今までの魔物の二倍以上はあるだろう。見た目からして、ただならぬ凶暴さと強さを漂わせていた。


思わず剣を握り直す。しかし、それでもゼーナは飛び出さなかった。あの冒険者たちは、確かな実力者だ。これほどの魔物相手でも、きっと倒してくれる。ゼーナはそう考えた。


心臓が高鳴る中、ゼーナはじっと戦いの行方を見守った。


巨大な魔物が突進し、冒険者たちが迎え撃つ――だが、剣を使う方の冒険者は魔物の一撃をまともに受け、弾き飛ばされた。


ゼーナは息を詰める。


もう一人の冒険者は、雷を纏いながら魔法で動きを加速させ、機敏に魔物の攻撃を避けながら応戦していた。魔物は異常な力を持っていたが、その冒険者もまた並外れていた。雷光が走るたび、魔物の肉が抉られ、動きがわずかに鈍っていく。


やがて剣の冒険者が立ち上がり、魔物の背後から攻撃を加える。その隙に、雷を纏った槍が高くから放たれ、それが見事に魔物の頭部を貫いた。


魔物が呻き、地に崩れ落ちる。ゼーナはようやく大きく息を吐いた。


これで――終わった。そう思った。


だが、その安心はほんの一瞬だった。


倒れたはずの魔物が、ゆっくりと、しかし確かに再び立ち上がった。頭部は半壊し、血を垂らしながらも、その眼だけは生きていた。そして、冒険者たちの隙を突くように、拠点の方角へと全力で走り出した。


「え……!」


拠点が狙われる。冒険者たちは、もう間に合わない。


気づいたときには、ゼーナはすでに走り出していた。


剣を握りしめ、魔力を身体に巡らせる。バースト一回分――たったそれだけしか魔力は残っていなかった。けれど、今は迷っている暇などない。止めなければ、拠点の人たちが――誰かが、犠牲になる。


走りながら、魔物の動きを観察する。動きに知性はなく、ただ真っ直ぐに突っ込んでくるだけ。防御の意志も見られない。ならば、狙うべきは――


(ここだ!)


脚に力を込め、バーストで加速する。魔力を一点に集中させ、跳躍の勢いのまま、二振りの剣を交差させて魔物の胴体に向けて振り抜いた。


手応え。剣が深く肉を裂く感触が、腕を通して伝わる。


魔物の動きが止まり、その巨体が前のめりに崩れ落ちた。もう、動く気配はない。


「……っ、はあ……はあっ……」


ゼーナは肩で息をしながら、魔物の死体を見下ろす。ようやく、止められた。


だが、その安堵も束の間だった。


全身から一気に力が抜けていく。魔力の消費を誤ったのだ。森とは違い、この草原では魔素が希薄すぎた。ほんの一撃分の魔力を使い切っただけで、ゼーナの身体は限界に達していた。


「……あ、だめ……」


ふらりと足元が揺れる。意識が遠ざかるのが分かる。踏みとどまろうとするが、身体はもう言うことを聞いてくれなかった。


視界が白く霞む中で、ゼーナの身体はそのまま草の上に崩れ落ちた。


遠のく意識の向こうで――誰かが、自分に向かって叫んでいる声が、確かに聞こえたような気がした。

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