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忘却の剣、彼方へ  作者: Zero3
第一章
14/28

外①

自由領テラノヴァと魔領地との境界に位置する《魔門》が、音を立てて開いたのは、真昼のことだった。


その門は長い年月、誰にも開かれることなくそこにあった。かつて幾度も調査が試みられたが、何者の力をもってしても動くことはなく、人々はいつしか《魔門》と呼ぶようになった。


だが、その日。


轟音と共に大地が震え、周囲の空気さえ撥ね退けるような衝撃が広がった。鈍く錆びついていたはずの門が、まるで神話の巨人に押し開かれたかのように、強引に、凄まじい勢いで開いたのだ。


門の両翼は地面を引き裂き、周囲の石畳を粉砕しながら開放され、奥の闇を暴き出す。


それは、誰にとっても予想外の出来事だった。


数日後――


自由領テラノヴァ、冒険者ギルド本部の会議室。


厚い扉の向こうで、低い声が響いていた。


「……で、その“門”がいきなり開いたってわけか」


言葉を発したのは、体格のいい男だった。刈るものすらないほど綺麗に剃られた頭皮が照明を鈍く反射し、鋭い眼光と無骨な表情をいっそう際立たせている。背には二本の六角金棒を背負い、ただそこに立つだけで場の空気が締まるような圧を持っていた。


ヴァルト・ガルドナー。星級冒険者。今この自由領に滞在していた中でも、高い実力と信頼を持つ人物だ。


向かいには、ギルド本部長ハロルド・ガロン。白髪混じりの髪を整え、資料の束を前にしているが、その眼差しは穏やかさの奥に、確かな警戒を宿していた。


「そうだ。観測者の記録じゃ、扉が開いた瞬間に魔素の乱流が起きてな。魔物の出現は確認されていないが、門の奥には“何か”があると見て間違いない」


「その“何か”の正体は?」


「今のところ不明。門の周辺の地形は……古代遺跡に酷似している。つまり、まだ解明されていない古代のものの可能性が高い」


「遺跡、ね。何千年も動かなかった門がいきなり開いて、しかも中に遺跡があるかもしれないとくりゃ、誰だって腰を上げるだろうな」


ヴァルトが椅子の背にもたれ、天井を見上げた。


ハロルドは笑みを浮かべながらも、その眼差しには静かな緊張が宿っていた。


「……ヴァルト。お前に頼みたい。調査隊のリーダーを引き受けてくれ。状況が異常すぎる。星級以上のリーダーがいなけりゃ、何かが起こった時に対応できん。もちろん報酬は用意する」


「そのために呼ばれたんだろ?」


ヴァルトが肩をすくめると、ハロルドは苦笑しながら頷いた。


「さすがだな。察しが早い。銀級から金級の中堅どころを十名ほど選抜して、調査隊を編成してある。錬度も高い連中ばかりだ。お前が現場で指揮を取ってくれれば、安心して送り出せる」


ヴァルトはわずかに口元を歪めて笑い、椅子から立ち上がる。


「わかった。やるよ。ちょうど退屈してたとこだ。ただし、俺が危険と判断したら、即時撤退する。それだけは譲らねえ」


「ああ、それでいい」


ハロルドは立ち上がり、分厚い書類の一枚を取り出して差し出す。


「これが現地の座標と、門の変化の観測記録だ。あと……念のため伝えておくが、あの門には名前がある」


「名前?魔門じゃないのか」


「それは愛称のようなものだ。“星環門”――だが、文献上の名にすぎん。今の時代じゃ誰も知らん。ギルド内の古文書をひっくり返して、その隅にようやく見つけた程度の代物だ」


「……星環門、名前すらも忘れられた遺跡か」


ヴァルトはその名を反芻するように呟き、手元の書類にもう一度視線を落とした。しばし無言の時間が流れる。


そして、静かに立ち上がり、資料を小脇に抱える。


「了解した。あとは俺に任せてくれ」


短くそう言い残し、ヴァルトは踵を返して部屋を後にした。


ハロルドは、静かに目を伏せる。


「本当の問題は……門が開いたことじゃない。内側から“何か”が開けたってことだ」


彼はそう呟くと、再び分厚い書類に目を落とした。


――――――――――――――――――――――――――――


名前を呼ばれた瞬間、カイル・ロウザンの胸の奥が大きく跳ねた。


選考官の無表情なうなずきを見たとき、ようやく実感が湧いた。

彼の名が、数十人が挑んだ狭き門をくぐり抜け、ただひとり銀級から選ばれたのだ。


まるで夢のようだった。

だが、これ以上ない好機であることは間違いない。


カイルが冒険者となったのは二年前、十八のときだった。

草を摘み、魔物の牙を拾い、森の浅瀬でスライムや牙犬とやり合う――そんな地味な仕事ばかりだったが、手を抜いたことは一度もなかった。依頼主の要望に応え、報酬の多寡にかかわらず任務を全うしてきた。


半年後には銀級へ昇格したものの、そこから先は伸び悩んでいた。


昇格を果たしたのに、その先が見えない。気づけば似たような依頼を繰り返す日々。星級や金級の背中を見つめながら、自分に足りないものを考え続けていた。


そんな折、《魔門》が開いたという報せを耳にし、調査隊の選抜が行われると知って、カイルは迷わず応募した。訓練を重ね、過去の戦歴を整理し、できる限りの準備を尽くした。


試験はぎりぎりだったかもしれない――それでも、彼は選ばれた。


この機を逃すわけにはいかなかった。


数日後、ギルド前の広場には選抜された十人の冒険者たちが集まっていた。銀級はカイルひとりで、残る九人はすべて金級。どの者も錬度と実績を兼ね備えた強者ばかりだった。


その中で、自分だけが明らかに場違いに見える。

だが、だからこそ、カイルは背筋を伸ばし、剣の柄に手を添えた。


結果で示すしかない――その覚悟を胸に秘めて。


やがて、六角金棒を二本背負った男が姿を現す。


ヴァルト・ガルドナー。星級冒険者。その名を知らぬ者は少ない。戦果も武勇も群を抜いており、本物と呼ぶにふさわしい存在だった。


「――整列!」


低く腹に響くような声が飛ぶと、冒険者たちは即座に姿勢を正した。


ヴァルトが全員に視線を走らせると、広場の空気が一変する。張り詰めた静寂の中、彼の言葉が放たれた。


「俺が調査隊のリーダーを務める、ヴァルトだ。生きて帰りたいなら、俺の命令には従え」


その声音は静かに、しかし否応なく集まった者たちに重く響いた。


ヴァルトの言葉には威圧も怒気もなかった。ただ、経験に裏打ちされた重みがあった。

その場にいた冒険者たちは皆、自然と背筋を伸ばし、姿勢を正していた。カイル・ロウザンもまた、その一人だった。


「今回の任務は、門の周囲の安全確認と、内部のごく浅い範囲の探索だ。長時間の滞在や深入りはしない。あくまで現状の把握と――」


ヴァルトは一拍置いてから、静かに言葉を継いだ。


「――今後、本格的に調査隊を送り込むために、どれだけの戦力が必要かを見極める“前調査”でもある」


その一言に、場の空気がわずかに引き締まる。

目の前の任務で確かな成果を残せば、次に繋がるかもしれない――そう考えたのはカイルだけではなかった。


「魔門の向こうは、長年閉ざされていた未知の領域だ。しかも、魔素濃度が異常に高い。つまり、ただの森や遺跡とはわけが違うってことだ」


ヴァルトの声が一段と低くなった。空気が沈み、誰もが静かに耳を傾ける。


「今のところ、明確な脅威は確認されていない。だが、門が開いた以上――そこに“何か”がいる可能性は十分にある。あるいは、すでに門の外に出ているかもしれない」


彼の視線が、遠く門のある方向へと向けられた。


「だから今回の任務は、“確認”だ。門の周辺と、内部のごく浅い範囲に何があるのか。それを調べ、どの程度の脅威が潜んでいるのかを見極める」


その言葉に、カイルは無意識に背筋を伸ばしていた。


「……以上だ。準備が済んだら馬車に乗れ。調査拠点までは馬車で、その先は徒歩で進む。……行くぞ」


カイルは静かに拳を握った。

ここで実力を示さなければ、次はない。自分に課されたチャンスだという意識が、胸の奥を熱くした。


だが、その直後――ヴァルトが、低く鋭い声で補足を加える。


「それと、最後にひとつだけ補足だ。……門は、外側から開けたんじゃない。内側から、強引にぶち破られたように開いたらしい」


その言葉に、場の空気が凍りついた。


一瞬、静寂が訪れる。

“内側から”――門の中にあった“何か”が、力づくで門をこじ開けたということなのか。

門の存在を知っていた者ですら、その巨大さと堅牢さは伝説とされていた。

それを打ち破る存在が、今、外に出てきているかもしれない――その可能性が全員の脳裏をよぎる。


カイルもまた、じっと門のある方角を見つめていた。

胸の奥に、かすかな冷たい感覚が広がっていく。未知への恐怖。そして、それ以上に――挑戦の火が、静かに灯っていた。


__


ゼーナは、広場で泣き続けていた。


崩れた瓦礫の上に座り込み、星環門を背にして、何も考えられず、ただ涙を流していた。


最初のうちは、声を上げて、抑えきれない感情を吐き出すように泣いていた。だがやがて、声は掠れ、嗚咽は静かになり、涙だけが音もなく落ち続けた。


そうして何度も夜を越した。何も食べず、何もせず、そこに座り続けた。


泣き疲れて目覚めて、リヴェリアのことを思い出しては、また涙を流す。


――数日が経った。


ゼーナは、ようやく立ち上がった。


喉はからからで、体も重く、疲労は限界に近かった。それでも、星環門を見上げた瞬間、不意に心の奥で誰かの声が小さく響いた気がした。


(……行かなきゃ)


リヴェリアが言っていた――門を出たら、まっすぐ進め、と。


彼女はもういない。けれどゼーナの中には、彼女が残してくれた数々の“教え”が今も生きていた。


戦い方、生き抜く術、そして――


ゼーナは、自分の右手へと視線を落とした。


地下道で拾った手袋。だが今、それはもう別物になっていた。


あの戦いのあと、気づけば形が変わっていた。右手を覆うそれは、ガーディアンの変形金属、“メタモライト”で補強され、明らかに別の形状を持っていた。

リヴェリアが最後に、ゼーナのために残してくれたものだったのだろう。


メタモライトは、魔力を流せば自在に形を変える。リヴェリアがそう言っていた。


だが今のゼーナには、まだそれを自由に操る技量がない。魔力を込めても、指先が膨らんだり、先端が歪んだりする程度だった。


それでも、リヴェリアは工夫してくれていた。甲の部分は厚く設計され、拳で殴れば十分な打撃力となる。刃のような突起もあり、変形せずとも“武器”として使えるようになっている。


未熟な自分でも扱えるように――リヴェリアは、そう考えて残してくれたのだ。


(……ありがとう)


ゼーナは、心の中でそっと呟いた。


右手を静かに握り込む。金属の節が、カチリと音を立てた。


その感触が、どこかで「行け」と背中を押してくれているように感じられた。


形あるものと、教えられた力。どちらも、大切にしていこう。


そう心に誓って、ゼーナは星環門へと歩き出す。


門は、かつての衝撃で半ば開いたままになっていた。巨大な金属扉は、軋む音を立てながら風に揺れ、その隙間から外の世界を覗かせていた。


ゼーナはその隙間を、ゆっくりとくぐり抜けた。


――外。


最初に彼女が感じたのは、光だった。

大樹の中で目覚めたあのときを思い起こさせるような、まぶしい陽の光。


地下でも森でもない、開けた空。霧も枝葉もない。空は高く、ただ青く、広がっていた。


足元には、風にそよぐ草原がどこまでも続いていた。


遠くには緩やかな丘がいくつも重なり、色とりどりの花が点々と咲いているのが見える。陽光が草に落ち、柔らかな影をつくっていた。鳥のような鳴き声が聞こえ、獣や魔物の気配、草と土と生き物の匂い――すべてが、新しくて、鮮やかだった。


平原――広く、豊かで、命に満ちた世界。


ゼーナは、しばらくその場に立ち尽くしていた。


風が髪を撫でていく。温かく、優しい風だった。

森で感じたあの刺すような湿気や、重たい空気は、もうなかった。


遠くには、羽のような突起を持つ鹿のような生き物の群れが駆けていた。追いかけるように別の小さな影が跳ねていく。魔物か、動物か、ゼーナにはまだ分からなかった。


(……外の世界)


ようやく、出られた。


ずっと、この場所を目指していた。


けれど――


「……リヴェリア」


ゼーナの唇からこぼれた声は、小さくかすれていた。


この光景を、彼女にも見せたかった。

彼女が導いてくれた先が、こんなに広く、美しい世界だということを、一緒に見たかった。


けれど、もうそれは叶わない。


ゼーナは目を閉じ、風の音に耳を傾けた。


(ちゃんと生きる。リヴェリアの分まで)


静かにそう心の中で言い聞かせ、彼女は一歩――草の海の中へと踏み出した。

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