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忘却の剣、彼方へ  作者: Zero3
第一章
13/28

門番②

ゼーナは、しばらく動けなかった。


肩で荒く息をつきながら、震える腕でなんとか立ち上がる。

手の中の剣は、今にも折れそうに軋んでいた。


けれど――


「……やった、の……?」


『……ああ。やりやがったな、ゼーナ』


リヴェリアの声は、いつになく穏やかだった。


そのままゼーナは膝をついた。

力が、音もなく抜けていく。


(やっと……ここまで……)


剣を支えに、膝をついたまま彼女は呼吸を整えた。全身の力が抜けていく。けれど、それは達成感からくるものだった。


勝った――そう思った。


けれど。


「……何?」


崩れ落ちたはずのガーディアンの体が、淡く輝き始めた。

装甲の継ぎ目から、白い光がにじみ出る。


「リヴェリア、これな―――」


『――ゼーナ下がれ!』


警告の声とほぼ同時。閃光が爆ぜた。


眩しさにゼーナは目を閉じる。風が巻き起こり、石片が舞い上がる。

その爆発のような一瞬が過ぎ去った後、ゼーナはすぐに目を開いた。


……そこには、何もなかった。


「え……?」


ガーディアンの姿が、どこにも見えなかった。

だが、違和感があった。空気がざわついている。視界の端が、妙に歪んで見えた。


『――後ろだッ!』


「っ――」


言葉の途中、ゼーナの背中に激しい衝撃が走った。


「ッがあっ!」


身体が宙に浮いた。肺から空気が押し出される。何が起きたのかも分からないまま、ゼーナは広場の外れまで吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。


頭が回らない。けれど、必死に顔を上げた。


視界が揺れる中、彼女の目に映ったのは――


「……ガーディアン……?」


けれど、それは以前の姿ではなかった。


人間とそう変わらないほどの大きさ。圧縮され、無理やり詰め込まれたような不格好な姿。関節部は歪に曲がり、装甲はひび割れていた。


しかし、その胸元には確かに、ゼーナがつけたバツ印の傷跡が残っていた。


『……強引に体を圧縮して、戦闘力を一時的に引き上げてやがる』


リヴェリアの声が低く唸る。


『あんなのは、長く持たねぇはずだ。多分、自壊する前に“殺す”つもりなんだ。勝つとか、守るとかじゃねぇ。完全に殺すための形だ』


背筋が凍った。


動けない。腕が震える。すべてを使い果たして、立ち上がる力すら残っていなかった。


(ダメだ……)


歪な姿のガーディアンが、ゆっくりと歩を進めてくる。

小さくなった体は、大きかった時よりも圧力を増しているようにさえ見え、その足音は広場に染みこむように響いていた。


ゼーナは地面に這いつくばったまま、剣に手を伸ばす。

けれど、指先が震えて力が入らない。視界が歪み、呼吸もうまくできなかった。さっきの一撃で、肺――体の奥まで痛んでいるのが分かる。


「ぐ……っ……!」


それでも、必死に体を引きずって立ち上がろうとした。


けれどその動きより早く、ガーディアンが跳んだ。

小さくなった分、速く、正確だった。


次の瞬間、視界が右から左へ一気に流れる。


(殴られ――)


衝撃が遅れてきた。顔面を横から打たれた衝撃で、ゼーナはまた地面を転がった。

口内を切ったのだろう。口の中に鉄の味が広がった。起き上がろうとしたところに、今度は蹴りが入る。胃を抉られるような衝撃。身体がくの字に折れ、また飛ばされた。


『ゼーナ、動け!意識を保て!』


リヴェリアの声が響く。でも、思考がうまく繋がらない。

体は既に動かない。リヴェリアの声を頼りに立ち上がろうとする。けれど、焼け石に水だった。反撃できる余力なんて、もうどこにもない。


ガーディアンは冷たい機械のように、感情のない動きでゼーナを見下ろしていた。

そして――その手が、伸びてきた。


「っ……!」


ゼーナは剣を振ろうとした。だが、それより先に、冷たい感触が喉元を捕らえた。


ガーディアンの掌が、彼女の首を鷲掴みにする。


そのまま、ゼーナの身体が持ち上げられた。

足が地から離れ、宙に浮く。首を締め上げられるほどの力ではない。だが、もう振りほどく力はなかった。


目の前にあるのは、無表情の仮面のような顔。

その向こうに、感情も、理性も、何もなかった。


(ここで……終わる……?)


頭が、ぐらりと揺れた。視界がにじみ、意識が闇に沈もうとしていく。


体の感覚がない。もう、動かせなかった。


そのときだった。


「――おい」


聞き覚えのある声が、頭の奥に響いた。


「よくもまあ、うちの可愛い弟子を……ここまでボコボコにしてくれたなぁ……?」


怒気を孕んだ低い声。次の瞬間、周囲の魔素が震え出した。空気が熱を帯び、ざわめく。


『リヴェリア!?』


ゼーナの心の中に、驚きの声が響いた。


「少しだけ、借りるぞ」


死ぬ寸前で体が動かなくなった――その感覚は勘違いだった。

あのときと同じだ――目覚めたばかりで、森の中の大木から落ちそうになった時。

ゼーナの体が、彼女自身ではない何かに動かされた、あの感覚。


目の前――喉を掴んでいたガーディアンの腕を、リヴェリアがそのまま掴んだ。


「いつまで触ってんだ、コラァッ!!」


咆哮とともに、リヴェリアの拳が唸りを上げた。


ドガッ――!


ガーディアンの腕が、根元から千切れ飛ぶ。


それだけでは終わらなかった。続けざまに繰り出された蹴りが、ガーディアンの腹部に炸裂する。

その一撃で、ガーディアンの体が吹き飛び、地面を削りながら後方へ転がった。


『な、なんでそんな力が……!?私の体で!?』


ゼーナの心の中で叫びが上がる。リヴェリアが体の主導権を握ろうと、ゼーナの体はもうボロボロだったはずだ。


『それに、もう体は動かせないって、喋ることしか出来ないって言ってた…!』


「そうだ。もう一度この体を使えば……私の魂は消える」


静かに、けれど確かな覚悟を込めた声だった。


『そんなの、駄目……! あたしのために、そんな……!』


「黙ってろ。お前があのままだったら、二人とも終わってた」


言葉のひとつひとつが、重かった。


確かに、あのままではゼーナは殺されていた。けれど、それでも――リヴェリアが、自分を犠牲にしてまで助けるのは違うと、心の奥で叫んでいた。


「ゼーナ、これが最後の訓練だ」


そう言って、リヴェリアはゆっくりと構えを取る。


「魔力操作の頂――その一端を見せてやる。……しっかり見ておけ」


リヴェリアは、ニヤリと笑った。体から立ちのぼる魔力は、もはや暴風のようだった。けれど、そこに宿っていたのは怒りでも焦りでもない。


――弟子を守る師の、誇り。


「ゼーナ。魔力操作の最大の強みはなんだ?」


『え……えっと、自由度と、複数を同時に使えること、だと思う……』


「正解だ。じゃあ、私はいま、どうやって身体を強化してる?」


問いかけられたゼーナは、精神を通して体の魔力の流れを探る。

そして――絶句した。


リヴェリアは、魔力操作のあらゆる応用を“同時に”実行していた。身体強化、武器強化、治癒力強化、魔素吸収――そのすべてが、途切れなく維持されている。


常に全開で魔力を回し、それを絶えず吸収して補っている。あのときゼーナが命懸けで放った一撃を、“常時維持”しているようなものだった。


しかも傷一つ残っていない。すべてが、完全に治癒されている。


『…これが……』


「理解できたか? これが“極める”ってことだ」


その言葉に重なるように、ガーディアンが立ち上がる。

残った片腕を刃へと変形させ、咆哮もなく一直線にリヴェリアへ突進してきた。


「よし、木偶の坊。お前にも教えてやるよ。そいつの使い方ってやつをな」


リヴェリアは、無造作に宙へ掲げた手に魔力を流し込む。

その手に巻きついていたのは、彼女が奪ったガーディアンのちぎれた腕だった。


「――形態・篭手(モード・ガントレ)


金属が蠢き、腕に沿って変形していく。そして生まれたのは、重厚な金属の篭手。


ガァン!


飛び込んできた斬撃を、その拳で難なく弾いた。まるで虫を払うかのように。


「もう一回、ぶっ飛べ」


そのまま拳が唸りを上げて突き出される。


バキィッ!!


ガーディアンの頭部が歪む音がして、巨体が跳ね飛ばされた。地面を数度跳ねながら、瓦礫の中に突っ込んでいく。


『な、何それ……』


「この金属はな、“メタモライト”ってんだ。私のお気に入りだったんだよ。魔力を流せば、どんな形にも変えられるんだ。見てろよ」


そう言って、リヴェリアは再び構えを取った。

そして、倒れたガーディアンへ追撃をかける。


頭部を潰されながらも、ガーディアンはゆっくりと立ち上がる。


だが、リヴェリアの前ではただの訓練道具のようなものだった。


彼女の戦い方は凄まじかった。攻撃のたびにメタモライトを武器へ変形させる。

剣から槍へ、槍から篭手、篭手から斧へ――流れるように変形し、無駄なく、淀みなく、それでいて荒々しくも見える。

すべての動きが戦いそのものを象徴していた。


『……すごい……』


ガーディアンの戦い方は、確かにリヴェリアを模したものだったのだろう。だが、その完成度は比べ物にならない。


「ほらほら、遅いぞ。どうした?」


リヴェリアはメタモライトを触手の様な槍へ変形させる。

その槍はガーディアンの胴を貫き、そのまま引き戻してリヴェリアの目の前まで引き寄せた。


「オラァ!」


次の瞬間、メタモライトは一瞬で斧へと変形し、そのまま振り抜く。衝撃が空気を割り、ガーディアンがまたも吹き飛んだ。


「ハハッ!久しぶりに身体動かすのは気持ちいいなあ!」


その姿は、まるで遊んでいるかのように見えた。


『遊んでる……?』


「遊んでねえよ。……ま…時間もないし、そろそろ終わらせるか」


『リヴェリア……?』


彼女の戦いが凄まじすぎて、ゼーナは忘れていた。忘れようとしていたのかもしれない。

リヴェリアはこの後、消えてしまう。


ゼーナは気づいた。彼女の“存在”が、どんどん薄くなっている。


「ゼーナ。ありがとうな。……最後に、いい思い出ができた」


『やだ……リヴェリア、ダメ……』


「泣くなって。代わりに、とびきりの奥義を見せてやるから」


彼女は、篭手に戻したメタモライトに魔力を注ぎ始めた。武器強化だ。それに加え限界を超えた身体強化――ゼーナの肉体へ、本来耐えられないほどの魔力が集中していく。


「治癒、身体強化、武器強化……全部を、極限まで重ねる。無理やり肉体の限界を越えさせる技だ」


リヴェリアの声が、最後に静かに響く。


「――絶虚解放(フル・ゼナバースト)


言葉と同時に放たれた拳は、まさに空間そのものを抉るような威力だった。


ガーディアンは防ぐ暇もなく、その衝撃に飲まれる。


放たれた拳圧が、そのまま星環門へ突き進み――


バゴォオオオンッ!!!


巨大な扉が、凄まじい勢いで開かれた。


まるで、その拳が“出口”をも切り開いたかのようだった。


崩れた広場に、静寂が戻っていた。


吹き荒れていた魔力の嵐も、今はただの風に変わっている。

星環門の扉は、リヴェリアの一撃で大きく開かれ、先の景色をかすかに覗かせていた。


その中心に立つリヴェリアの気配が、ふと、弱くなる。


『……リヴェリア?』


ゼーナが呼びかけると、彼女の声が、ふわりと返ってきた。


「……ああ。そろそろ限界みたいだ」


『嘘、でしょ……?』


「いや、もう分かってたことだろ。魂の摩耗ってやつだな。魂を体に無理やり通したせいで、私の魂が崩れてきてる。……もう、長くは喋れない」


『でも……でも、リヴェリアがいなくなったら、私は……』


「いいんだ、ゼーナ」


彼女の声は優しく、静かに響いた。


「これからは、自分のために生きろ。アストリアの事はもういい、私ももう消える。気にするな」


ゼーナは、何も言えなかった。


リヴェリアが、ずっと導いてくれていた。魔力のこと、戦いのこと、そして、生き方のこと。全部、リヴェリアが教えてくれた。


「……じゃあ、私は……」


少しずつ戻ってきた体の感覚とともに、ゼーナはようやく言葉を紡いだ。


「私は、リヴェリアと……それから自分のことを、もっと知りたい。それが、私の“やりたいこと”だと思う」


しばらく沈黙が続いたあと、リヴェリアはかすかに声だけで笑った。


『……そっか。それなら……もう、何も言うことはないな』


空気が震えた。リヴェリアの存在が、さらに希薄になっていくのがわかる。


『ありがとう、ゼーナ。お前がいてくれて、最後に戦えて……私は、嬉しかった』


そして、彼女は言った。


『アストリアの最後の戦士よ。お前は私に選ばれた者だ。過去を探すのはいいが囚われるなよ。胸を張って生きろ。そして……』


一瞬、声が途切れる。


『……ゼーナ……ありがとう』


その言葉と共に――何かが、ゼーナの中に流れ込んできた。


まるで、記憶の欠片が染み渡るように。


濁った水の底から浮かび上がるように、イメージがいくつも脳裏をよぎった。


――小さな少女が笑っている。金色の髪。澄んだ声。リヴェリアに抱きつき、名を呼ぶ声。


リシア。あれが、リヴェリアの“娘”。


リシアの手のぬくもり。あの日の朝食の香り。小さな足音。川沿いの帰り道。ひとつひとつが、どこまでも温かくて、愛しくて。


だが、それはやがて――暗闇に包まれていく。


血の匂い。悲鳴。儀式の器。水槽に横たわる少女の姿。髪飾りだけが残された、哀しい最後。


心が裂けるほどの怒りと喪失。


すべてを壊してなお、抱きしめたあの冷たい身体。


娘の身体をもとに作られた器。


そこに宿ったゼーナ。なぜ意思を持ったのかもわからない存在。


ゼーナは――リヴェリアの器として、リシアを代償に生み出された存在だと理解した。


「……」


喉が、ひゅっと鳴った。


ゼーナはただ、生きようとしていた。けれど、その命は誰かのものを踏み台にして得られたものだった。


自分の存在が、リヴェリアの“悲しみの痕跡”から生まれていたことに、ゼーナの胸が痛んだ。


目の前がぼやける。


(私は……ただの代わりだったの?)


しかし。


その問いに、同じ記憶の中で、答えが返ってきた。


リヴェリアが、ゼーナを見ていたまなざし。


名を与え、導き、叱り、励まし、力を貸し、最後には命を懸けて守ってくれた――その全ての瞬間に、ゼーナという存在が“ただの代替品”として扱われたことは、一度もなかった。


ゼーナが誰であろうと、どこから来たものであろうと――リヴェリアは、確かにゼーナを娘のように愛してくれていた。


その想いが、心に満ちてくる。


「……私の、お母さん……」


記憶と想いが重なり、ゼーナの存在を肯定してくれた。

心の奥深くからあふれ出た言葉だった。


胸が、ぎゅっと締めつけられる。


涙が止まらなかった。


――行け


静かに、けれど力強く、背を押す声が心の奥から聞こえた。

もう戻ってはこない、あの声。


そして、沈黙が訪れた。


ゼーナは、しばらくその場に立ち尽くしていた。


なにも返せなかった。ただ、胸の奥から、あふれてきたものがあった。


「う……ぁ……う、ああああああああっ!!」


広場に、彼女の叫びが響いた。


張り裂けそうな、泣き声が、誰もいない空に向かって溶けていった。

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