残響②
物陰から飛び出すと、ゼーナは魔力を脚に集中させ、骸骨の剣士へと突撃した。
その一撃は、彼女がこれまで放った中で最も鋭く、最も力を込めた一太刀だった。
骸骨の剣士が反応し、乾いた足音とともに剣を構え直す。迫る一太刀を受け止めようとする――が、今度はゼーナが一歩上だった。
彼女は身体強化に加えて、武器強化も重ねていた。重みのある金属の剣に魔力が馴染み、刃がぶつかった瞬間、剣士の腕を弾き飛ばした。
「っ、今……!」
ゼーナは左脚に意識を集中させ、叫んだ。
「バースト!」
踏み込みと同時に、脚の裏で魔力を一瞬だけ爆発させる。小さな爆発が推進力となり、ゼーナの身体を矢のように押し出した。
この技を“バースト”とリヴェリアは呼んだ。この技は、もともとゼーナが火の変質操作をうまく扱えず、暴発させた失敗から編み出した技だ。だがこれは推進力や目くらまし、攻撃に転用できる技として元々あったようだ。
ゼーナはその加速を活かし、魔法使いの骸骨へ一気に距離を詰めた。そして迷いなく剣を振るう。
骨が軋み、斬撃が胴を捉える。確かな手応え――けれど、それでも崩れはしなかった。
「なら……もう一度っ!」
振り抜いた剣の反動を活かし、ゼーナは身体を回転させ、回し蹴りを叩き込む。
再び爆発。今度は蹴りの勢いに爆風を重ね、傷ついた箇所を砕くように撃ち込んだ。
魔法使いの骸骨は吹き飛び、壁に叩きつけられ、骨の砕ける音を最後に崩れ落ちた。
「あと2体!」
弓を持った骸骨が、ゼーナの動きに合わせてすでに次の矢を番えていた。
(速い……!)
矢が発射されると同時に、ゼーナは身を伏せる。頭上をかすめた風と、柱に矢が突き刺さる乾いた音が重なる。
「くっ……!」
その瞬間、剣士の骸骨が斜めから踏み込んできた。刃が風を裂く音が響き、ゼーナはとっさに剣を構え、受け止める。
ガンッ!
強烈な衝撃に、腕がしびれた。身体強化で補っているはずなのに、力負けしそうになる。
(持たない……!)
バーストを使った代償で、魔力の回復が追いついていない。今、もう一度だけなら使えるかもしれない――けれど、それで決められなければ、次はない。
『ゼーナ、あの弓を先に潰せ。援護を続けられると、ジリ貧になる』
「分かった!」
ゼーナは剣士の剣を滑らせるように受け流し、跳び退った。矢の狙いをずらすために横へと大きく動く。
骸骨の矢を躱した瞬間、脚へと魔力を集中させる。
(これが、最後の――)
「バースト!」
足元で起きた小さな爆発が、ゼーナの身体を弾き飛ばす。床を滑りながら、一直線に弓兵の骸骨へと向かう。
骸骨の瞳孔はないはずなのに、まるでこちらをしっかりと捉えているようだった。
ゼーナは剣を振り抜いた。骨の腕ごと、短弓を切り飛ばす。乾いた音と共に、骸骨は武器を失った。
そのまま体勢を崩した骸骨の胴へ、もう一度、剣を打ち込む。
ガキンッ――!
弾かれた。固い。防具か、あるいは骨が密になっているのか――だが、ひるんでいる暇はない。
「っ、はあああああっ!」
ゼーナは体ごとぶつかるようにして押し込み、頭部へ剣を突き刺した。骨にひびが入り、骸骨兵は膝を折る。
パキン――と、何かが砕ける音。
骸骨兵は、頭部を砕かれ、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
「っ、はあ……っ」
ゼーナはその場に膝をついた。呼吸が荒い。今ので、残っていた魔力はほとんど使い果たしてしまっていた。
けれど、残るは――
「……あと一体、か」
剣士の骸骨が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
剣を下げることなく、一歩一歩、じりじりと距離を詰めてくる。まるで、隙を探っているようだった。
(もう、バーストは使えない。魔力も……回復には時間がいる)
『だったら、冷静にやるしかねぇ。あいつの動きは、正直お前以上だ。何とか隙を作れ。残った魔力は――最後の一撃に取っておけ』
「……うん。やるしか、ないよね」
ゼーナは立ち上がる。手の中の剣は重い。それでも、振れないほどではなかった。
彼女は、最後の一体――剣士の骸骨へと、静かに構えを取った。
剣士の骸骨が、じりじりと距離を詰めてくる。
無駄のない足運び、隙のない剣の構え――その一歩一歩が、訓練を重ねた兵士そのものだった。
呼吸は荒れ、腕も脚も鉛のように重い。魔力はすでに限界に近い。強化も、もうほとんどかけられない。
(でも、やるしかない)
ゼーナは先に仕掛ける。踏み込み、剣を振るう。だが、骸骨は一歩後ろに引き、最小限の動きでそれをいなした。
直後、骸骨の剣が鋭く迫る。防御の構えが間に合わない。
「ぐっ……!」
辛うじて剣で受け止めるが、勢いを殺しきれず、腕に刃がかすめた。裂けた服、皮膚に走る痛み。それでも、ゼーナは立ち止まらなかった。
(本当に、強い……!)
剣術では完全に押されていた。単純な力や速さではない。間合いの取り方、剣の角度、踏み込みの緩急――すべてが正確で、こちらの動きを見切っているかのようだった。
何度か打ち合いを重ねるうちに、ゼーナは気づく。
この相手に、正面からの戦いでは勝てない。
(なら……)
ゼーナは、ゆっくりと一歩前へ出た。
『ゼーナ……?』
リヴェリアの声が警戒を含む。だが、ゼーナは構えを解かなかった。ただ、ほんの少し――骸骨の攻撃が届く範囲に、自らを晒した。
そして、次の瞬間。
骸骨が動いた。
剣が振り下ろされる。
ゼーナは動かない。
その瞬間、残されたわずかな魔力を、上半身――特に左肩と胸部に集中させた。服にも魔力が流れる。ほんの僅かな魔力。でも“守る”ことだけに集中すれば、足りるはずだ。
「っ……!」
衝撃が肩を打ち抜いた。
痛みが全身を駆け巡る。魔力と服の強化がなければ、骨まで砕かれていたかもしれない。
でも――
ゼーナは左手で、骸骨の剣を握った腕を、がっちりと掴んだ。
『ゼーナ!』
「……今、しかない!」
彼女は鋼の剣を、全力で振り抜いた。
狙うは――骸骨の首。
「はぁあああっ!!」
渾身の力を込めたその一撃が、剣を持った骸骨の首を打ち砕く。
カランッ――
頭部が砕け、骨の繋ぎ目が緩み、剣士の骸骨は音を立てて崩れ落ちた。
「……っ、やった……」
ゼーナはその場に膝をついた。全身が痛い。手も震えていた。
けれど、敵の気配は――もう、どこにもなかった。
『よくやった……ゼーナ』
リヴェリアの声が、深く、静かに彼女の胸へと届いた。
ゼーナはその場にしばらく座り込んでいた。全身に痛みが走り、特に肩のあたりは鈍く焼けるような感覚が残っていた。けれど、今の最優先は――魔力の回復だった。
(まずは……魔力を回復させないと…)
傷を癒すための治癒力強化に使う魔力は、ほとんど残っていなかった。だから彼女は、ただ静かに座り、呼吸を整え、空気中の魔素を探るように意識を広げた。
壁にもたれ、天井の淡い光を見上げる。骸骨たちの残骸はまだそこにあったが、ゼーナはそれを見ないようにして、意識を身体の外へ向ける。
時間をかけて瞑想を行い……やがて、体がじわじわと魔力に満たされる感覚が戻ってきた。
そのまま動かず、回復を待ちながら、少しずつ治癒のために魔力を傷口へと流していく。出血はすでに止まっていたが、皮膚の裂けた箇所がまだ熱を持ち、鈍く疼いていた。
一気に治そうとは思わなかった。むしろ、時間をかけてでも確実に“塞ぐ”ことを優先していた。
……しばらくして、彼女はふと気づく。
裂けた服の端が、ふわりと寄り合って――まるで自然に縫い合わされるように、元の状態へと戻りつつあった。
「……服も直ってる?」
『ああ、それでこそ志向の逸品ってもんだ。お前が傷を治せば、勝手に元通りになるくらいには作ってある』
「ずるいくらい、便利だね……」
『便利なんてもんじゃない。とてつもなく優秀な装備だってことを自覚しろよ』
リヴェリアの言葉に、ゼーナは小さく笑って、再び意識を治癒へと戻していく。
何度か小休憩を挟みながら、ゼーナは半日以上かけて治癒を続けた。
肩の傷口はようやく塞がり、赤黒い痕を残すのみとなっていた。腕の擦り傷も、もうほとんど痛まない。動かすたびに軋んでいた身体も、ようやく少しずつ元に戻りつつある。
「……ふぅ」
そう呟いて、彼女はゆっくりと立ち上がり、装備を確認した。
戦いで使った剣を手に取り、さらにもう一本――予備として別の剣を選び取る。二本とも腰のベルトに通し、その重みを確かめた。肩の痛みも、すでに気にならない程度になっていた。
その晩、ゼーナは拠点のベッドでひとり静かに眠った。夢は見なかった。けれど、夜の静けさの中で、心と体がゆっくりと元に戻っていくのを感じていた。
――そして翌朝。
ゼーナはもう一度、剣の柄を握り直し、小さく呟く。
「……行こう」
地下道はやがて、わずかに斜面を下り、空気が変化していく。湿気が増し、わずかな風が肌を撫でた。
星環門が近づいていた。出口が、目の前に迫っている。
ついにゼーナは、星環門前に続く階段の手前までたどり着いた。
『この先が、“星環門”の手前だ』
「……うん」
ゼーナは小さく頷き、その場に腰を下ろす。ここが、最後の休息地点。この先へ進めば、森を出るための最後の戦いが待っている。
「門番を越えれば……森を、出られる」
『ああ、そうだ……』
ゼーナが腰を下ろしたまま、門の先に続く階段を見つめていると、重たい静けさの中で、リヴェリアが口を開いた。
『ゼーナ。そろそろ話しておくか。“門番”について』
「……例の」
『ああ。お前がこれから越えようとしてる“星環門”には、国を守るために配置された門番がいる。私の留守中に国を守るための門番だ』
リヴェリアの声には、わずかな苦味が混じっていた。
『そいつは人形だが、ただの人形じゃない。全身が魔力で動く鎧の塊で、身長はお前の二倍以上ある。腕は槍にも剣にもなるし、変幻自在に形を変えられる。守るために作られた、“兵器”だ』
「強そうだね……」
『当たり前だ。私の代わりが務まるように作られたんだ。まぁ結局、私の足元にも及ばない性能ではあるんだが、今のお前には強敵だ』
「……わかった、というかリヴェリアはどれだけ強かったの…?」
『私ひとりで“国が滅ぶ”程だ…』
その声はまるで冗談のように軽かった。けれど、その言葉の裏にある“重さ”は――ゼーナにもはっきりと伝わっていた。
(……そういうこと、なんだ)
ゼーナは静かにリヴェリアの言葉を受け止める。彼女が何をしたのか、それを聞くことはできなかった。けれど、その行動には理由があるのだろう――そう信じられた。
長い時間ではないが、彼女と共に過ごした日々があった。言葉の強さや冷たさから粗暴に感じることもあったが、その根底には優しさがある。信頼できる人だと、ゼーナは思っていた。
少しだけ、胸が締めつけられる。
けれど――
「……じゃあ、私が勝てば、リヴェリアの代わりは務まるってことだよね」
わざと軽く、冗談のように言って、ゼーナは小さく笑ってみせた。
しばらく沈黙が続いたあと、リヴェリアがぼそりと呟いた。
『……バカ、足元にも及ばないって言っただろ。まぁでも、そうだな。期待はしてる』
その言葉には、どこか優しさが混じっていた。
ゼーナは黙って頷いた。
それ以上、何も聞こうとはしなかった。聞けなかったのかもしれない。けれど、それで十分だった。
しばらくの間、再び沈黙が流れる。
そして、リヴェリアの声が少しトーンを落として続いた。
『ゼーナ。もし無事に門を抜けられたら、門の先にある“別の国”を目指せ。たぶん、もうこの国にはほとんど情報は残っていない。街も、王都も、おそらく跡形もなくなってるだろう。地下道だけは無事だったみたいだが』
「……うん」
『だから、この国に何が起きたのか。それを知るためには、外へ出て情報を集めなきゃならない』
「別の国……」
『ああ。そこでアストリアがどう語られているか、今の世界がどうなっているかを確かめるんだ。……そしてもうひとつ』
「うん?」
『身分は、偽れ』
「……え?」
『何者か分からん者が、滅んだ“アストリアから来た”なんて言えば、厄介事を引き寄せるだろ。余計なことは話すな。名前も、過去も、必要な分だけでいい』
ゼーナはしばらく黙っていたが、小さく息を吸い、頷いた。
「わかった。ゼーナは……ただの旅人ってことで、ね」
『そうだ。それでいい』
リヴェリアの声が、微かに安堵を含んでいた。
休憩を終え、ゼーナは階段を上る。
彼女は一度だけ目を閉じて、気持ちを整えた。
(まずは――門番を、越える)