6話:予想外な援軍
あの生き物の姿が見えなくなった瞬間、エレアスの目の前にいた背の高い泥棒から呻き声が上がった。
「うぐぉっ…」
同時にドスっという鈍い音がして、そのまま泥棒は後ろ向きに倒れていってた。完全に縄で縛られしまう前の出来事だった。何が起こったのか理解できず、倒れた泥棒を見たエレアスは、驚きに目を丸くした。
「………君!」
倒れた泥棒の横に居たのは、先程まで隠れていた筈のあの謎の生き物だった。どうやらこの子が泥棒の腹を狙って突っ込んできたようだ。泥棒の様子を見るに、丁度鳩尾にでも入ったのだろう。
臆病だから逃げてしまうかもしれないと思っていたが、果敢にも助けに来てくれたようだ。思わぬ援軍にエレアスは歓喜した。
「──なっ、なんだそいつ!!」
声のした方を見れば、少女を人質に取っていた背の低い方の泥棒が、初めて見るだろう生き物に恐怖していた。目も手足もない生き物がいきなり大の大人に襲いかかったのだから。
(チャンスだ…!)
怯えた泥棒は足がすくんだ様子で、ナイフを少女に向かって構えているのは変わらないが、その体は後ろに後退っていた。
少女と泥棒の間に空間がある。そこを狙って、エレアスは魔術を放った。
「シールド!」
「……っ!?!?」
──パァンッ!!
少女と泥棒の間の、僅かな隙間に防御壁が構築される。それに泥棒が弾かれ、少女が人質から解放された。一安心だが、これで終わってはいない。
「…こんの、やろぉ!!」
早くも鳩尾への攻撃から立ち直った泥棒が、自分を倒した不思議生物に向かってナイフを構える。だが、再び臆病になってしまったのか、それともナイフを理解していないのか、生き物は固まってしまってその場を動かなかった。このままではあの子がやられてしまう。
「シー……っ!」
駄目だ。一度に出せる防御壁は一枚だけ。ここで壁を出せば、少女の所にあるものが消えてしまう。まだ背の低い泥棒もナイフを持っている。先程、防御壁がなくなって少女が人質に取られてしまったのを忘れたのか。
考えている暇はなかった。エレアスは咄嗟にあの生き物に向かって手を伸ばす。それは、激昂した泥棒が生き物にナイフを突き立てるのと同時だった。
「……っ!」
ナイフが当たるよりも僅かにエレアスの動きの方が速かった。伸ばした手が生き物を押し出し、間一髪で切られるのを回避した。
────ザシュッ!!!!
が。
その刃は生き物の方にこそ当たらなかったが、伸ばされたエレアスの腕を掠めたのだった。
赤い血が迸って、ビシャッと辺りの地面に飛んだ。それはエレアスが助けたあの生き物の方にも、返り血として付着した。金色の小麦畑のようなその色の上に、鮮やかな赤が滲む。
「っぅ……っ、」
切られた場所が、ドクドクと痛む。今朝、[魔物]に腕をやられたばかりなのに、またこの痛みか。
「……は、ははっ…、魔術師のガキだと思ってたが、その程度かよ…っ」
泥棒が乾いた笑い声で言う。エレアスを切るつもりは無かったのだろう。だが、これでエレアスの手札は防御魔術しかないと泥棒達は理解した。
「壁しか出せないガキが!俺達の邪魔をするからだ!」
そう吐き捨てた泥棒は手に持っていたナイフを構え直すと、もう一度エレアスとその後ろにいる生き物に向かって襲いかかる。
……避けられない。そう察したエレアスは、迫り来る衝撃を覚悟するようにぎゅっと目を閉じた。
───どぷんっ、
エレアスの後ろで、返り血を浴びて固まっていた生き物の方から、水音が響いた。
目を閉じていたエレアスは、それが何の音かは分からなかったが、泥棒からのアクションがないことを不思議に思って、恐る恐る目を開ける。
見れば、目の前の泥棒はナイフを振り上げたまま、歯を食いしばり、脂汗を流しながらガタガタと震えて固まっていた。
「……!?」
そのただならぬ様子に、一体何が起こったのかと泥棒の全身を観察する。……なにか、金縛りのようなものに苦しめられているような、そんな様子だ。
とぷっ……
再び水音がした。後ろにいる生き物は大丈夫なのかと振り向けば、視界の端に映ったのは地面に大きく広がった”血のようなもの”であった。その中心に、あの生き物が変わらずに佇んでいる。血なのか、そうでないのかは分からない。エレアスが零した血は、確かに生き物と地面にかかったが、ここまで大量に広がる程の出血はしていない。
「なっ……、」
そしてその血溜まりが、生き物を中心にドロドロと大きく広がって、エレアスの周りを取り囲んだ。波のように蠢く液体が、重力を無視するようにエレアスと泥棒の間に壁を作り、やがて球状になった液体の中に完全に取り込まれる。
目の前が暗くなり、光が遮断されて何も見えなくなる。すぐ側にいたあの生き物の姿さえも分からない。
何が起こっている?
しかし、動けないでいるエレアスを包んだのは、思ったより暖かく心地よい闇だった。
「……?」
何故だか安心さえするような感覚に、懐かしいような思いさえも感じる。
そうするうちに、脳内に声と映像が流れ込んでくる。
────『エレアス、大丈夫かい?』
「…にい、さん……?」
その声は、忘れもしない大好きな声。
『また無理をしてお祈りをしていたのかい?』
『母様も心配していたよ。』
『今はゆっくり休んで…、治ったらまた研究室に連れていってあげよう。』
それは、遠い記憶。
無理をして体調を崩したエレアスに、兄が見舞いに来てくれた時のことだ。
「僕…、兄さんのために……。」
微笑む兄の顔の映像。理解した途端、すぐに別の映像へと切り替わる。それは、いつも夢に見ていたあの日の映像。
『ここはもう駄目だ。どこもかしこも火が回っている。』
『やつらの狙いは、きっと私のはず。だから……、』
『お前だけでも…逃げ、て……』
先程までの微笑みを湛えながら、絶望的な状況になってもエレアスを守った兄。あの日の映像が、夢よりも鮮明に描き出される。
だがそれも、またすぐに別の映像に切り替わっていく。
『私が復讐の手助けを致しましょう。』
『貴方のお兄様が研究していらした科学を学ぶことは、この世の森羅万象を知ることと同じ。』
『実に面白そうな研究だ…。』
次の映像は、エレアスの兄より長身で黒髪の男性の姿。
「先生…。」
[悪魔]への復讐を決意した後に出会い、エレアスに色々なことを教えてくれた”先生”だ。
そしてその後は、エレアスのこれまでの研究に関する映像が断片的に流れていく。様々な薬草と鉱石の調合。数々の成功と大量の失敗。沢山の素材が並んだ棚。割れた瓶と零れた中身。
「これは……。」
今までの記憶が映像として流れきると、また暗闇に包まれた。随分と長い夢を見た後かのような、そんな感覚だった。
ズズズズ……
重いものを引き摺るような音がした。やがて段々と目の前が明るくなっていったかと思うと、エレアスと生き物を包んでいたドロドロの液体が解け、今度は逆再生かのように広がっていた筈の液体が小さく収束していく。そして最後にあの生き物の居る下にまで液体が縮むと、最後はまた水音のようなものを響かせて、地面や生き物にかかった返り血を含めて、綺麗さっぱりになくなっていた。
それを見届けたエレアスは、はっと我に返った。
状況は先程と変わってはいなかった。恐らく、体感ほどの時間は経っていないようだ。一瞬の出来事だったのかもしれない。
しかし、衝撃的な光景を目撃してしまった泥棒達は、恐怖に腰が抜けてしまったのか、二人共地面に尻餅を付いて座り込んでいた。
今だ。少女を逃がすなら今しかない。
「……っ、逃げて!!」
「……っ!」
少女と、先程まで少女を人質にしていた泥棒との距離は充分にあった。エレアスは今度こそ逃げるよう、少女に向かって叫んだ。それを聞き取った少女はエレアスを信じたのだろう、意を決した眼差しでエレアスを見て頷き、地面を蹴った。泥棒達は追いかける様子どころか、起き上がれそうになかった。
……これで村の大人を連れて来てくれるだろう。
少女が駆けて行くのを見て、エレアスはそっと息をついた。
そしてエレアスの声に反応したのか、ずっとその場でじっとしていた生き物も、少しだけ飛び跳ねてエレアスに近寄ってくる。エレアスを心配するかのように、出会い頭の時のように飛びついたりはせず、ゆっくり近付いてきた。
それを確認したエレアスは、生き物を抱き抱えた後、近くに落ちていた自身の鞄を素早く回収すると、中に入っていたカプセルのようなボールを取り出し、泥棒達のいる方に投げる。
「……っ!?なんだこれ!?」
地面に着弾すると同時に、もくもくと白いガスが発生する。ガスから逃げるようにその場を離れたエレアスは、煙が届かない所まで走った。見れば、生き物を抱えた腕は、もう出血が止まっていた。黒い液体や返り血が綺麗に消えた際に、一緒に消えたのだろうか。
「大丈夫だった?」
少し離れた所で、腕の中にいる生き物を覗き込む。顔がないため、じっとしていると生きているかも分からない楕円状の生き物に、エレアスも恐る恐る声をかけてみる。先程のアレは、この子によるものなのだろうか。だとすれば、この子は大丈夫なのだろうか。
そんなエレアスの心配を他所に、生き物は元気よく腕の中で飛び跳ねようとした。
「わわっ!……、大丈夫みたいだね。」
煙が晴れるまで暫く待つと、エレアスは先程の場所に戻った。
先程泥棒達に投げた物は、睡眠作用のある薬草と、ガスを発生させるような複数の物質を組み合わせて作った、所謂催眠ガスの煙玉だった。
戻ってみれば、エレアスの目論見通り泥棒達はその場に倒れてぐっすりと眠っていた。今のうちに武器であろうナイフは回収しておく。そして、泥棒が所持していた袋に入っていた大量の[魔晶石]も。
その場にざらざらと取り出して見れば、20〜30個はあった。全てが小さい結晶だったが、赤や青、緑、黄色など、様々な色の[魔晶石]が混ざっている。これだけの量だ、きっと沢山の場所から盗んできたのだろう。
これでこの二人が捕まれば、もう石が盗まれる被害はなくなるはずだ。無事に解決出来てよかった。
「…ありがとう、君のおかげで助かったよ。」
あのままではエレアスも少女も無事ではいられなかった。この子が泥棒達に突っ込んできてくれたお陰で、泥棒達に隙が出来たのだ。謎の液体に囲まれはしたが、結局エレアスは無事だったし、泥棒も捕まえることが出来たので結果的には良かった。
そんな今回の最大の功労者とも呼べる生き物を見ると、生き物は、目の前にばら撒かれた[魔晶石]を興味を示したかと思えば、なんとそのまま[魔晶石]を食べだした。
「えっ!?」
食べている、という表現は口のない生き物には適さないかもしれない。取り込んでいる、と言った方が正確な表現だろうか。石が生き物に触れた瞬間、触れた部分からじゅわじゅわと消えていった。溶けたのではなく、その場から石が消えたのだった。