4話:不思議な生き物
「たっ、ただいまぁ──……」
誰もいない筈の家ではあるのだが、自分以外の誰かがいたらどうしようという気持ちで、恐る恐る扉を開ける。
いつも通り蝶番が軋む音を立てたその先、土間とキッチン、物置をゆっくりと目視で確認していく。念の為、防御魔術は即座に使えるように気を引き締めて。
「……。」
扉の隙間から覗き込む限り、出かける前と変化は無さそうだ。物置やキッチンに置いてある薬草や鉱石が大量に入った麻袋たちも、実験のための大きな鍋や道具に装置なんかも荒らされた形跡はない。一応。…ごちゃごちゃしているのは元からだ。
一先ずは無事であったそこに、エレアスはそっと息をつく。まだ油断してはならないため、中へと入って何も変化がないことを確認していく。キョロキョロと辺りを見回しながら、自身の部屋に続く扉へと手をかける。
キィィ……、
「…………!」
そこには、出かける前と全く違う光景が広がっていた。
部屋の真ん中に置いてあった筈の机はズレて、上に置いてあった本や薬草、実験道具やらは一部が床に落ちている。棚に並べられていた瓶や本も床に落ちており、割れてしまって中身が出ているものもある。チェストの扉や引き出しも中途半端に開いていて、ベッドのシーツもぐちゃぐちゃだ。
そしてなによりも目を引くのは、派手に割れた窓ガラス。
「……。」
信じられない光景に、声が出ない。
落ちている瓶のガラスやらを踏まないように、窓に近付く。大きく割られたそこから外を見る。窓から見えるのは林だが、その先にはいくつかの民家がある。芝生のため地面に足跡のようなものは見えないが、随分勢い良く割ったのだろう、ガラスの破片が遠くにまで飛んでいた。
(そ、そういえば[魔晶石]は……、)
部屋の中へと目を戻し、石を置いた机の上を見るが、そこにはなかった。床に転がっているものを見ていく。緑色に輝く石だ、あればすぐに分かる。実際外でもあれ程目に付いたのだから。
(……ない……。)
しかし、石どころか破片らしきものさえもない。
突然のことに混乱していた頭が、徐々に冷静さを取り戻していく。少しずつ現実が脳内に入ってきて、今の状況を客観的に理解する。
まさか。……本当にこんなことになるなんて。
が、こうして嘆いている暇はない。とりあえず、できることから何とかしなくては。
エレアスは壊れた窓から外に出て、犯人の後を追うことにした。とその前に、ガラスに防御魔術をかける。修復魔術はできないから、一時的なものだ。強い防壁だと長時間持たないので、雨風を凌げる程度に。
そうして林の方へと向き直る。他の民家の方も狙われていないか確認しつつ、その足取りを追っていこう。
「……ん?」
と、そこで芝生の草に縒れた跡があるのに気付く。注意して見ると、芝生の縒れは等間隔であるようだ。ちょうど人間の足跡と同じくらいの幅だ。それはそのまま林の方へと続いている。本当に犯人は林を突っ切って民家の方向へと向かったのだろうか。確証はないが、今残っている手掛かりはこれしかない。
意を決して、エレアスは跡を目印にそれを追うことにした。
********
「……、どうしよう…」
林を抜けたその先。複数の民家がある場所まで出てきた。だが困ったことに、民家周りは石畳になっているため、これまで目印にしてきた芝生の草の縒れがなくなってしまったのだ。
農村の民家にある石畳は、どこも泥まみれの人間が歩いた跡ばかり。どこを見渡しても、石畳は土や泥で汚れている。これでは、犯人の足取りなんて掴めない。
とはいえここで諦めてしまう訳にもいかないので、とりあえず辺りに他の手掛かりはないか見て回ることにする。住民の人達に目撃情報や変わったことは無かったかと尋ねてみるのもいいかもしれない。
それに、すぐそこの民家はゼールの家だ。おじさんとおばさんにはお世話になってるから、挨拶がてら聞き込みをしてみよう。
「こんにちはー!」
と、入口に向かって声を掛けてみるが、人がいる気配がない。おかしいな、いつもならすぐにバタバタと動く音がして、ゼール共々元気な声が響いてくるのに。
(不在かな。)
居ないのであれば仕方がない。隣の民家の人に聞き込みをしてみようと、少し離れた隣のお宅を訪問する。
同じように声をかけてみるが、やはり返事はなく、人がいる気配はない。
「……?」
さらに隣の家もそうだった。その隣も。
ここにある民家は全部で4つだが、全ての家が留守であった。どうしたのだろうか。ここの民家は全員農家だったと思う。昼間は畑にいるとしても、ゼール含めて2〜3人くらいは家の仕事で残っていると思ったのだが。
少し離れた場所にある小麦畑が見える。
パン屋の奥さんとも話したが、今年は肥料のおかげで小麦の実りがよかったと。金色に輝く穂がまるで絨毯のようで美しい。元気に育った小麦が、少し傾いた太陽を背にどこまでも広がって───……
「あ。」
た訳では無かった。遠くの方の小麦はすでに刈り取られたのか、畑の色が違った。
そうだ、収穫の時期だった。収穫となれば、農家は一家総出で畑に向かうのである。道理で、ゼールまで留守にしている筈だ。朝は普通に授業を受けに来ていたから、気が付かなかった。あれはサボりだったのだろうか。
……まぁ、[魔物]のせいで授業どころではなくなってしまったのだが。
それならば、とエレアスは先程の商店街に近い民家のある方へ向かうことにした。犯人の目的が[魔晶石]なら、[魔晶石]がありそうな民家周りを探すのがセオリーだ。ここの農村には住民どころか、誰の気配もしなかったため、犯人はすでに別の村に行ってしまった可能性が高い。
ここから少し歩いた所に別の村がある。商店街程栄えてはいないが、規模はここよりずっと大きい。農家だけでなく、商人や様々な職人も住んでいる村だから、ここよりも確実に[魔晶石]が集まっていそうだ。
エレアスは鞄の肩紐を握りしめると、隣の村を目指して駆け出した。
********
村の入口に辿り着く。入ってすぐの大きな通りは、人が行き交っているため、エレアスは人通りの少ない方へと向かった。きっと犯人は人目につかないルートを選んでいる筈だから。
民家が建ち並ぶ裏通り。職人の家が多いのか、家の裏にも木箱や樽といったものが並んでいる。何が入っているかは分からないが、重量物のため滅多に盗まれるようなことはないのだろう。ここなら、裏口なんかから忍びこんだり出来そうだ。
人のいない、暗くて狭い路地を、注意して進む。
───ガタッ、
「わっ!?」
急に近くで物音がしたため、気を張っていたエレアスは驚いて飛び上がった。たった今通り過ぎた場所からだ。音のした方に恐る恐る振り向けば、そこにはひっくり返った木箱があった。
「え、なに……?」
通り過ぎる際に鞄か何かがぶつかって落としてしまったのかとも思ったが、そういう訳ではなさそうだ。
何故なら、その木箱は動いていたから。ガタッ、ガタッと尚も音を立て続ける木箱。生き物が中に入っているのだろうか、音の度に少しずつ動いている。
「……?」
積んであった木箱の中身を漁っていた野良猫が、バランスを崩して木箱ごと落ちて、そのまま木箱内に閉じ込められたのだろうか。
自分の膝丈よりも大きい木箱に、エレアスは手をかける。しかし、想像よりもずっと丈夫で分厚い木箱なのか、持ち上げるにはかなりの力が必要だ。小柄なエレアスの腕力では難しい。
(……、!)
そこで、エレアスは木箱を押して引きずることにした。これだけでは中の生き物を助けることはできないが、そのままエレアスは木箱を押した。少しずつ動き出した木箱はずりずりと石畳を進み、やがて石畳の段差に突っかかる。
「よっ…ぃしょ…!」
押した勢いをそのままに、閊える木箱の足元を軸にして、木箱の上半分を押すことで、押した木箱が傾いた。と、その瞬間、
「ぅわっ!?」
木箱と石畳の隙間から顔を出した”それ”は、エレアスの姿を確認するや否や、エレアスの腹を目掛けて突っ込んできた。ビュンっと素早く向かってきたそれに、エレアスはびっくりして木箱から手を離した。と、同時に飛びつかれた勢いで後ろに倒れる。
──どすんっ!!!
木箱が倒れる音と、エレアスが尻もちをついた音が同時に響く。
「いっ、たたたたぁ……」
強かに打ち付けた尻と背に、思わず苦痛の声をあげるエレアス。そんなエレアスのお腹の上で、木箱から飛び出してきた生き物が、跳ねている。ぽよんっと軽いものが何度か跳ねる感触に、エレアスの意識は痛みよりもそちらに集中した。
(んん?この感じ、猫じゃ…ない?)
予想外のそれに、目を見開いて起き上がると、腹の上に居たのは見たこともない生き物だった。
「えっ───ぅぶぁっ!」
思わず叫んでしまう前に、べちんっと今度は顔を目掛けて飛んできたそれ。目の前が覆われて、ふわふわと毛玉みたいに柔らかいような、それでいてつるっとした流動体のような、そんな不思議な感触に包まれる。
「ちょ、ちょ、ちょっ!」
顔にへばりつくそれを、両手で引き剥がす。もにゅっとするような、モフッとするようなよく分からないそれ。両手でしっかりと押さえ込んで、エレアスは漸くそれを正面から目の当たりにした。
丸っこくて両手に納まるサイズのそれは、先程見た小麦畑の絨毯を思い出させる色合いだった。一見すると発酵を終えたばかりのふかふかのパン生地のようだが、よく見るとその体の境界は不明瞭な部分もあり、自分の目が霞んでいるのかと思ったが、目を擦ってみても変わらなかった。
「きみ、は……」
目もなければ口もなく、手や足もないそれを生き物と呼んでいいのかは微妙なところであるが、こうして手の中でもにょもにょと動いているのだから、多分生き物なのだろう。
息をしているかは分からないが、握りしめたままでは苦しいだろうと、少し手を緩めてみるが逃げる様子はない。大人しくエレアスの掌の上に乗っている。
片手に寄せて、空いた片手でそのもちもちな体を触ってみる。
もにっ。
嫌がる気配はない。そのまま体の境界を確かめるように撫でてみる。
もふもふ。
(なにこの感触……)
それは大人しく撫でられている。心做しか気持ちよさそうにしている気がするが、如何せん顔がない生き物なので感情がよく分からない。
暫く触ってみるが、体の構造もよく分からない。何も付いていない、ただの丸だった。
「…なんの音だぁー?」
────ビクゥッ!!!
「あっ!」
木箱が倒れる音に気付いたのだろう、住民らしき人が近付いてくるのに驚いたのか、生き物は大きく飛び跳ねると、手の上からするりと逃げてしまった。ぽよんぽよんと跳ねながら、素早い動きで遠ざかっていく。
「ああ〜、木箱が倒れちまったのか。大丈夫か?坊主。」
木箱の所有者だろうか、あの生き物の存在には気が付いていないようだ。良かったと思うと同時に、追わなくてはと思い至り、すぐに立ち上がってあの生き物が逃げていった方を見る。もう姿は見えない。
「あ、あの、すみませんでした!僕、これで失礼します!!」
「お、おぅ。無事でなにより……。」
すごい勢いで立ち上がって一礼するエレアスに、気圧された住民は特に訳を聞くでもなく、急いで立ち去るエレアスを見送った。