27話:エルゲマの苦悩
────ガタンッ、……ゴトンッ…
舗装されていない平坦な道を、質の良い馬車が通る。
辺りには農耕地と森と草原しかなく、のどかで穏やかなマクリアグロス特有の景色が広がっている。ここはマクリアグロスの中心街から馬車で1時間程離れた場所だ。
石や枝を踏みつつガタゴトと揺れて進む馬車の中で、窓から見える田畑を見ながら目を細めた男───エルゲマ・ピス・リティアートは、そっと息をついた。
「やっと…、あれから解放される…。」
それはノフィアス教のマクリアグロス支部教会から、辺境にある自らの屋敷へと帰る最中。
都心部のような喧騒が苦手なエルゲマは、静かな田舎町であるこの光景をとても好んでいた。先祖が残した辺境の保養地のような古い別荘ではあるのだが、エルゲマにとっては終の棲家とでも言うべき屋敷であった。ここで贅沢をするでもなく静かに人生を過ごすつもりであった。
しかしその生活を維持するためには、少なからず家業を手伝わなければならないことも重々承知していた。母方の弟である叔父が当主を務める本家リティアート家から託された小さな商売の仕事や事務仕事を行い、当主の機嫌を取るようにできる限りで言うことは何でも聞いてきた。王都の豪華な屋敷に住む叔父は、田舎町に暮らす野心のないエルゲマにはそう興味を示すこともなく、長い間の平穏が続いた。
その平穏が崩れたのが、今から4ヶ月ほど前だった。
美術品や使わなくなった物などを保管していた部屋が、突如何者かによって荒らされていたのだ。
エルゲマの屋敷に使用人は5人しか居ない。警備の甘さ故盗人でも入ったのかと疑ったが、部屋の中はぐちゃぐちゃになっていただけで価値のある物は何一つ盗まれていなかった。不審に思いつつも被害が無かったために片付けるだけ片付けてそのままにしておくと、次の日も部屋は荒らされていた。これは誰かの悪戯か嫌がらせかと思い、警備員を雇って配置してみたものの、特段怪しい人物は捕まらなかった。それでも部屋は荒らされていた。
内部の犯行かと思い、使用人を1つの部屋へと集めてみたが、結果は同じだった。誰も侵入していないのに部屋が荒らされることが分かった。
そうして犯人を探している間に、部屋の荒らされる範囲はどんどん狭くなった。部屋全体だったのが、部屋の半分だけになり、今度は部屋の一部だけ、そして遂にはとある物を保管してた棚だけが荒らされるようになった。
その"とある物"というのが、リティアート家当主が3年程前にエルゲマに保管するよう渡して来た、深い青色をした大粒の宝石が輝く指輪であった。
まさかと思ってその宝石を別の空き部屋へと移すと、驚くことに荒らしの被害は無くなった。
安心したエルゲマは、しばらく何もない日々を送ることが出来たが、それは長くは続かなかった。1ヶ月も経たないうちに、今度は宝石が置いてあった部屋が荒らされたのだった。幸いにもほとんど物のない部屋だったため、被害はそれ程無かったものの、これでエルゲマは宝石に何かあるのではないかと思い始めたのだった。
そうしてまた数日するうちに、荒らしの範囲は宝石が保管されている場所の周りだけになった。いよいよ宝石に悪い何かがあると確信したエルゲマは、度々エルゲマの屋敷に美術品を見に訪問しに来るリティアート当主に、宝石のことを聞いた。
すると、一瞬で苦い顔をしてみせた当主は、「やはりか...。」と言った反応を示した。それは宝石に何かがあることを初めから知っていた反応だ。
何があったのか聞いてみれば、まず宝石は5年前にとある貴族から譲り受けた物であることが分かった。続いて、その宝石が700年前から伝承として残る歴史的な遺産であることを聞かされた。500年の行方不明の果て、巡り巡ってリティアート家に来たこと、そして高名な魔術師が愛用したこの石には大変な強い力が宿っていると説明され、大切に保管するようにと再度念を押された。部屋への被害については強い力のせいだと濁されれば、それ以上の追求は出来なかった。何より、当主はこの宝石を大変興味深く見ているようで、また宝石を見に来るとだけ伝えて去っていった。
納得いかなかったエルゲマは、その後人を雇って宝石について調べた。すると明らかになったのは衝撃の事実ばかり。リティアート本家の屋敷に勤めていた使用人からは、エルゲマの屋敷同様に宝石の保管部屋が何度も荒らされたこと、そしてその宝石の指輪を着けた当主が何度も危険な目に合っていたということだった。さらには、当主にその宝石を譲ったという貴族は、それと同じ年に亡くなっており、その後家自体も没落してしまったという。
宝石を危険に思ったエルゲマは、再び宝石を見に来た当主に、宝石の破壊と破棄を提案した。
あの宝石には強い力などではなく、悪い物が宿っているのだと、このままではこの家も潰れてしまう、と。
しかし当主は激昂してその提案を却下した。石一つで強固に築き上げてきたリティアート家が滅ぶ筈は無いと傲り、既に宝石がもつ何らかの力に心を奪われてしまっているようだった。誰のお陰でこの屋敷で悠々自適に暮らせているんだと脅されれば、エルゲマはそれ以上当主に口答えすることは出来なかった。
結局宝石を保管することになったエルゲマの屋敷では、宝石の影響か様々な事件が起こった。この3ヶ月ほどで辞めていった使用人は数多く、エルゲマ本人もすっかり疲弊していた。しかし、リティアート家当主の力の前では、エルゲマは宝石を保管し続ける以外の選択肢を選ぶ事は出来なかった。
宝石を破壊することも、破棄することも売却することも出来ず、叔父へと突き返すことも出来ない。
どうにかして、宝石はそのままに、石に宿ってしまった悪い物だけを消すことは出来ないか。そう考えた先にあったのが、ノフィアス教のエクソシスト達による[魔祓い]だった。
これで、これで開放されると思った。
宝石に宿る[魔のもの]さえどうにかしてしまえば、あとはただの無害になった宝石をただ保管し続けるだけで、エルゲマの生活は守られるのだ。
やっと開放される、その思いでエルゲマは教会から帰途へと着いた。3日後には、エクソシストがあの宝石をどうにかしてくれる。
そうして自らの屋敷に到着した時だった。
「エルゲマ様!大変です!!」
屋敷に着くなり、馬車の到着音を聞いて駆け付けて来たのか、血相を変えた使用人が息を切らしながらエルゲマを呼んだ。
「どうした!?」
「宝石の保管部屋が何者かに荒らされて…!」
また何かあったのかと、冷や汗をかきながら急いで馬車を降りれば、使用人からは嫌でも聞き慣れてしまった報告をされた。
そういえばこの使用人はまた最近雇ったばかりの者だったかと思い至り、安堵と呆れの溜息を漏らしてしまう。
「なんだ…、またそれか…。それなら宝石に宿った悪いものの所為だから、」
「いえ!宝石も無くなっております!!」
「何!?」
しかし事はそう単純な話ではなかったようで。
今まで保管部屋の荒らしは数え切れない程起きていたが、物が盗まれたのは初めての事だった。
油断した。使用人は部屋には近付こうとしないし、あんなものを盗む奴なんて居ないと高を括って、保管部屋には警備員などを付けていなかった。
"宝石によって何かが起こる"という事態より恐れなくてはならない、"宝石が無くなってしまう"という事態を完全に失念していた。あれはエルゲマ所有の物ではあるが、どちらかと言えば"リティアート家当主の所有物"だ。エルゲマは叔父に代わって保管しているに過ぎないのだ。
「なんてことだ…!」
もし、宝石が無くなったということが叔父にバレたら。
「急いで捜索しろ!」
「かしこまりました!!」
血の気が引いて行くのが分かる。
何としてでも次に叔父が屋敷へと訪れる前に───……いや、3日後にエクソシスト達が来る前に、宝石を見つけ出さなくては。
********
エルゲマの依頼から3日後。
「来たか、少年。」
日が昇って直ぐの時間、エレアスとティオは言われた通りマクリアグロスの教会へと訪れた。教会内にエクソシスト用の待機部屋があるからと、集合場所へと指定されたそこの扉を開ければ、ソファに寝転がったキュオンが居た。
「今日はアレで来たのか?」
「はい!ファルコさんに貰った札…教えてもらった通りに使ったらちゃんと来れました!」
それは3日前の人形の[魔物]退治の後にファルコに貰った、マナを込めた魔術札だ。
あの後ファルコに使い方を学び、自らの拠点近くの転送小屋へと転移して帰宅した。その時の教え通りに再び魔術札を使って、今度は逆に教会内の転送部屋に転移してきた。これでエレアスは他の教会エクソシストや魔術師同様に様々な場所へと短時間で移動できるようになったのだった。
悪用を防ぐために教会所有の転移術式円は、教会関係者の予め登録されたマナにしか反応しないようになっているそうだが、もちろんファルコのマナが込められた魔術札であればしっかり反応する。しかしそんな物を幾つも量産することは勿論できない。そんな訳でこの貴重な魔術札は、転移魔術が使えないエレアスのために特別にファルコが用意してくれた物なのだ、大切に一つ一つ有難く思って使わせてもらう。
「そういやぁ、前の時みてぇな道具は持ってきたのか?」
「はい!万が一に備えて、色々持ってきました!」
キュオンが言っているのは、以前泥棒の連行中に蔦の[悪魔]と[悪魔信者]に襲われた時のことだ。
樹皮のような硬い手足を持った[悪魔]にダメージを与えるため、斬撃以外での攻撃方法が必要だったが、攻撃魔術が使えないエレアスは、手製の簡易火付け棒と火薬を詰めた玉で爆破し、見事樹皮を割ることに成功したのだ。
「魔術も[魔晶石]の力も使わずに火をつける、か……。」
独り言のように、キュオンが呟いた。
火付け棒の先端には摩擦で発火する薬品を染み込ませてあり、火薬は木炭や複数の鉱石の粉を混ぜ合わせたりして作ってある。
どれも一般には出回っていない代物ではあるのだが、原理と方法さえ知っている人間なら誰でも作れる筈のものだ。最も、そんな方法なんて知らなくても魔術師なら魔術でいくらでも、そうでない人間も[魔晶石]さえあれば火を起こすことなど簡単にできるのだから、この国でそれらの方法を知る必要はない。そもそもそんな技術自体が必要のないものなのだから。
「どこでそんな技術を学んだ?何のための技術だ?」
驚いた。優秀な魔術師でもあるキュオンが、使う必要のない科学技術に興味を持つとは思わなかったからだ。
「…兄さんが研究してたんです。」
ソファに座り直して聞く体勢を取ったキュオンに、エレアスもしっかりと話すつもりでキュオンに視線を合わせた。
「技術…というより、本来は…世にある様々な物質の性質と現象を読み解く、科学という学問です。」
「それで?」
話の続きを促すキュオンに、エレアスは兄の研究と、自らの学び、そして科学について少しずつ説明することにした。




