25話:人形に取り憑いた[魔物]
「ギィィイイイィィィ!!!」
人形は断末魔のような音を立てると、やがて全てが
灰になって消滅した。
人形に貼り付けられていた魔術の布が、行き場を無くしたようにペラリと床に落ちる。最後には灰の中から紫色の小ぶりな[魔晶石]がころんっと転がり落ちて、人形ごと[魔物]はいなくなった。そしてその灰すらも、さらりと空中に消えていった。
先程までの喧騒とは打って変わって静まり返った空気の中、一連の流れを見ていた村人の一人が感嘆の声を上げた。
「これが、エクソシスト様のお力...!」
その声に釣られて、他の村人が堰を切ったようにざわめき始めた。
「すごい...[魔物]を一瞬で...、」
「あの丸いのが[神の使い]なの...?」
人間の言葉を理解できず、言葉を話すこともなかったため、知能が低く[魔物]としての力は弱かったように思える。しかし、こんな[魔物]にも村の魔術師や一般市民が複数人で相手をしないと抑え込めないのが当たり前なのだ。それ程までに[魔物]という存在は人間にとって恐ろしく、またエクソシストや[神の御使い]といった存在は必要不可欠なのだ。
「ティオ、食べる?」
地面に転がり落ちた[魔晶石]を、[魔物]退治のご褒美としてティオに渡す。キュオンからは、ティオが祓った[魔物]の[魔晶石]は食べさせても構わないと許可を貰っていた。
エレアスが差し出した[魔晶石]に、ティオは嬉しそうに駆け寄った。短くなった腕に石を乗せてあげると、そのまま本体の方へと取り込む形で石を食べ始めた。
その光景に、再び村人達がざわついたが、その時来た道の方からファルコが走ってきた。
「怪我人の方は広場の方で治療を行っていますので、そちらへ向かってください!」
まだ先程の場所で治療を行っている最中なのだろうか、金色の道具は持っていなかった。
突然の案内に、戸惑う村人達。しかしここにいる村人の殆どが怪我を負っているのは目に見えて分かっていたため、エレアスは食事を終えたティオを抱き上げ、村人達に広場へ向かうよう促した。
「みなさん、広場へ行きましょう!」
もはや[魔物]の痕跡も残ってはいない。それに安堵する村人や魔術師を引き連れてエレアス達は来た道を戻った。
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広場は、先程大怪我を負っていた男性が倒れ込んでいた場所からすぐの所にあった。
広場と言っても、道が分岐する交差点のような場所と言った方が近かったが、他の場所よりも開けているため人が集まるにはちょうど良かった。
広場の真上では、先程ファルコが持っていた金色の道具が宙に浮かんで温かく優しい光を放っていた。
「治癒の魔術の効果を増幅し、広範囲に拡散させる魔道具です。この光が当たる場所に居れば、少しずつ傷が癒えていきますよ。」
ファルコが村人達に説明すると、皆が広場に集まって一息つくように腰を落ち着けた。見れば、先程まで切り傷で出血していた腕や脚などの血が止まり、少しずつだが傷が修復されていっているようだった。
「治癒魔術かい?こりゃ珍しい...。」
「お役に立ててなによりです。」
村の魔術師である老婆が感心するように魔道具を見上げて言う。それに対してファルコは謙遜するように会釈をすると、広場の少し奥の方へと向かった。
それにエレアスとキュオンもついて行くと、そこにはあの大怪我をしていた男性の姿があった。既に腕の大きな傷も治り、顔色も回復した様子だった。近付いてきたエレアス達を見て、まだ立てない様子ながらもその場で深々と頭を下げた。
「今回の第一被害者の方ですね。何があったのか...分かる範囲でお聞かせ願えますでしょうか?」
「すみません。助けていただき、本当にありがとうございます...。えっと、どこから話したら...、」
「あの人形は何だ?」
まだ混乱しているのだろう、頭の整理がついていない様子の村人。ファルコが優しく丁寧に聞くも、短気なキュオンは単刀直入に問い詰めた。
「おやキュオン君、焦りは禁物ですよ。」
それをふふっと笑って穏やかに嗜めるファルコ。それにはキュオンも黙った。
そして暫くの沈黙の後、村人の男がゆっくりと口を開いた。
「あの人形は...、うちの婆さんの遺品なんです...。」
ぽつり、ぽつりと少しずつ話していく男。
男が言うには、あの[魔物]が取り憑いた人形は、元は普通の布製の人形だったようだ。
両親を流行病で早くに亡くした男は、幼い頃から祖母に育てられていた。健康な生活を送っていた祖母は、男が立派に成長するまで元気に過ごし、先日そのまま老衰で亡くなった。
喪が開けて祖母の遺品を整理することにした男は、家の隣にあった大きな納屋を片付けることにした。そこは祖母のさらに祖父母の代から受け継がれてきた納屋で、物置として使われてきた。しかし特に納屋の中身に興味がなかった男は、今日この日まで納屋に入ったことはなかった。
初めて納屋の中へと入った男は、その雑然さに驚いた。古い農具に本、価値のない骨董品に家具に玩具...。正直少しだけお宝が眠っていないかと期待していた男だったが、それは夢に終わった。とはいえ持ち主不在のまま、このまま納屋にずっと眠らせておく訳にもいかないので、男は簡単に処分できる小さな物から捨てていこうとした。
そうして納屋の中を物色していくと、何やら少しだけ見覚えのあるような人形があった。毛糸と布で出来た、可愛らしい女の子を模した人形だった。
手に取ると、少しだけ記憶が蘇ってきた。
それは男が小さい頃、両親を亡くしてすぐに祖母に引き取られた時の話だ。泣いてばかりの男に、祖母は自分が大事にしていた人形を見せてあやそうとしたのだ。
しかし、幼いながらにこの布製の人形を怖いと思った男は、その人形を近付けることを拒否したのだった。以降何度かこの人形を見たことがあったが、どうしても人形のことが不気味に思えてしまい、男は祖母に人形を片付けるようにお願いした。
そして男の願いを聞き受けた祖母は人形を家の中の目に付く場所に置くことを止めた。それ以降人形を見ることはなくなったのだが、まさかこの納屋にしまわれていたとは思わなかった。
祖母が大事にしていた人形を捨てるのは忍びなかったが、その祖母も今はもうこの世にはいない。自分が持っているのも憚られたため、祖母の後を追うように焼却をしてしまった方がよいかもしれないと考えた男は、持っていた廃棄物入れの袋に人形を入れようとした。
その時だった。
男の手からするりと脱出した人形は、そのまま床へと落ちていった。手が滑ってしまったのかと思った男は、再び人形を手に取ろうとしたが、その時、人形が独りでに起き上がったのである。
目を疑った男が、手で目を擦って再び人形を見ようとすると、そこに人形はなかった。どこにいってしまったのかと辺りに目をやるが、それらしきものはない。
その瞬間、男は頭に受けた衝撃により、その場へと倒れ込んだ。
倒れ込む瞬間、男は目の前の棚の一番上の段に立つ人形と、目の前に散らばり落ちていく花瓶の破片を見た。脳が揺れる程の衝撃に、倒れた身体はすぐに動くことが出来なかった。
そして棚の上にいた人形が男のすぐ傍にへと飛び降りてきた。信じられない光景に口を開けていると、落ちた陶器製の花瓶の破片を手に持った人形が、男の腕にそれを振りかざした。
ザクッザクッと、何度も腕が切り付けられる。到底人形の力とは思えない攻撃に、訳も分からず痛みに呻いていると、今度は首元を柔らかい何かが触った。人形の手だ。気付いた時にはもう遅かった。そのままとんでもない力で首を締め付けられた。
そして抵抗もできないままに死んでしまう...と思った時だった。花瓶が割れた音を不審に思った隣人が様子を見にきてくれたのだ。
男が記憶にあるのはここまでだった。
あとは気が付けば、痛みの中で近所の村人が納屋から男を連れ出していったこと、止血のために腕をきつく縛られたことを断片的に覚えてるのみで、しっかりと意識が戻ったのはファルコによる治癒魔術が効いてきてからだった。
「あと一歩遅かったら大変なことになっていたわ...。」
「納屋から派手な音が聞こえて来たから行ってみれば...まさかだったよ。」
男の傍らにいた村人が口々に言う。おそらく、男の家の近くの住民であり、騒動の初期に対応に当たっていた人々だろう。怪我を負っていた男を救出してくれたようだ。
「人形が、あんな...、恐ろしい...!」
納屋の掃除を手伝おうかと声を掛けてみれば、割れた花瓶と倒れた男に首を締めている人形。思わず上げた悲鳴に、他の近所の住民が駆けつけ、皆で人形を男から引き剥がし、そして暴れる人形をなんとかして抑えたという。
その光景の異様さと恐ろしさは人々の心に深く刻みつけられたことだろう。しかし、そんな村人達を前にファルコは静かに言った。
「...古い物に、[魔物]や[悪魔]が取り憑く...。実は...よくある事例なんです。」
「えっ?」
村人には聞こえない声だったが、隣に居たエレアスには確かに聞こえた。思いもよらない事実にエレアスは言葉を詰まらせ、ファルコを見た。エレアスの訝しげな視線に気付いたファルコは、そのまま言葉を続けた。
「教会のエクソシスト要請の内、7割程が民間からの依頼です。そして実際の[魔のもの]による被害の中で...半分近くがこの手の事例です。」
「そんな...、古い物に取り憑くって、古い物なんて殆どの物がそうじゃないですか。」
エレアスは愕然とした。
ファルコの話では、エクソシスト要請の内およそ3割が物に取り憑いた[魔のもの]の退治である、と。
しかし確かに古い物に取り憑くと言うことであれば、この地区のエクソシストの仕事がそればかりになってしまうのも頷ける。この田舎町では家財道具の内殆どの物が年代物に分類されるだろう。新しく作られた物で周りを固めるだなんて、それこそ都市部に住む貴族でしか出来ない。
「古い物全てに取り憑く訳ではありません。おそらく...向けられた所有者や周囲の悪感情が多い物程...[魔]が引き寄せられるのでしょう...。」
例えばこの人形のように、と今回の一番の被害者である男を見たファルコ。
先程の経緯説明で、男は幼い頃から人形を怖いと思っていた、と言っていた。そう言った負の感情が[魔物]を引き寄せてしまったのだろうか。
「取り憑かれたタイミングは分かりませんが...、少なくともあの男性への殺意...納屋に仕舞われる前から取り憑かれていたのか...それとも...、」
男性や周囲の村人の被害状況を確認しつつ、圧倒的に男性への被害が大きかったこともあり、ファルコは独り言を呟くように推理をしている。
しかし件の[魔物]は話せなかった上に既に消滅してしまった後だ、事件の詳しい概要は分からず終いになりそうだった。