10話:ノフィアス教の教え
「ノフィアス教のマクリアグロス支部教会へようこそ。エレアスくんは、この教団のことは知らないみたいね?」
「あ、はい……、」
ナテマに連れていかれるままに、礼拝堂の正面とは違う出口から外へと出る。何処へ向かっているのかは分からないが、教会の敷地はそこそこ大きいようで、あらゆる建物があった。
「私みたいなのがシスターで驚いたでしょ?」
「そうですね…」
「うちの神様とその教典はね、そういうのは煩くないのよ。」
ナテマの言葉に素直に頷いてみれば、その意外な教会の実態があった。どんな宗教においても、基本的には司祭やシスターといった聖職者はその清き身をもって”神に仕えている”立場なのだから、厳粛で禁欲的なのが当たり前のはずだ。寧ろ、それらを破れば”穢らわしい”として非難されかねない。
宗教に対してそのようなイメージを抱いていたエレアスからすれば、ナテマの服装は衝撃だった。しかし、それが許される宗教というのは興味深い。このノフィアス教において神に仕えるという行為は、一体どのような理解になっているのだろうか。
エレアスが考えこんでいるのを察してか、ナテマはノフィアス教と教会のことについて話し出した。
「ノフィアス教はね、[唯一神様]のお力を元に、不幸や厄災をもたらす[悪魔]を排除し、人々や世界の平和を願う宗教なのよ。」
「[悪魔]…!」
ナテマから飛び出したその存在の名前に、エレアスが反応する。それまで教会内の景色を見ていたエレアスだったが、ナテマの方をじっと見る。
「そうそう、あの怖ぁ〜い[悪魔]。力の弱いやつは[魔物]って言うわね。ノフィアス教の一番重要な教えは、この[悪魔]と[魔物]……つまり[魔のもの]を倒すこと。ただそれだけ。」
それは、今のエレアスが一番に考えていることと同じだった。家族を奪った[悪魔]を倒し、復讐をすること。
それまでは興味なさげに聞いていたエレアスの声にはっきりとした興味の色が出てきたことにナテマは笑う。
「それ以外は何だっていいのよ。服装もお祈りの仕方も、それそこ神様の姿だって。」
「えっ、神様ってあの姿じゃないの?」
エレアスの隣を歩いていたコリィ。それまでナテマとエレアスのやり取りを黙って聞いていたが、ナテマの発言に驚愕を隠せなかったようだ。
コリィが言っているのは、おそらく礼拝堂にあった像の姿のことだろう。彼女がそう聞くということは、この教会に来ている信者の中でもそこまで熱心でない者は、コリィのようにあの像が神の姿だと思っているということ。
「そうよぉ、教典には[唯一神様]は人々をお救いになるために様々な姿になられるけど、より多くの人間を救うために沢山の腕と目を持つと言われているわ。」
像があった礼拝堂からはどんどん遠ざかっていく。エレアスたち一行は、庭やいくつかの建物の中や周りを歩く。ほとんどの建物が白を基調としたシンプルで古い建物であったが、礼拝堂と同じくらいの金の装飾が施された少しだけ華やかな建物が見えてくる。
「色んな姿になれるうちの一つの姿があの像ってことかしら?」
「そうかもしれないわねぇ。でもアレは教典を元に彫刻師がデザインしたものだから、ほとんど彫刻師の趣味みたいなものよ。」
それを聞いて、出会い頭のナテマの言葉にエレアスはやっと納得した。自分たちの神の像に対して悪趣味と言っている訳ではなく、彫刻師のデザインが悪趣味だと言っていたのだ。ナテマの言動には驚かされることが多いが、腐っても彼女はちゃんとこの教会のシスターなのだ。
「ま、私あんまり教典ちゃんと読んでないから、もしかしたらどこかにそう書いてあるのかもしれないけど。」
「「…………。」」
……この人、本当にシスターなのだろうか。
そうして先程見えた建物に到着し、中へ入る。いくつかの部屋があったうちの一つの扉をナテマがノックした。
「おじい、失礼するわよぉ。」
扉を開けた先には、人の良さそうなご老人がいた。立派な白髪の髭を蓄え、紺色のローブを羽織っている。身なりの良さからして、この教会の偉い人のような気がするが……。
(今おじいって呼んだな…。)
そんなエレアスの心配を他所に、老人は怒ることなく朗らかな笑顔で応えた。
「おお、ナテマか。それによくナテマと話している子だね。…そちらは……お客さんかな?」
「あ、はい!コリィって言います。今日は彼の付き添いで来てて。」
「エレアスです。最近この辺で[魔晶石]を盗んでいた泥棒を捕まえたので、ご報告に来ました。」
挨拶をすると老人の眉がピクりと動いた。[魔晶石]泥棒のことを知っているのだろうか。それなら話は早そうだ。
「ほうほう…、それはご苦労。私はこのマクリアグロス教会の司祭をしているゲースティだよ。教会を代表して礼を言おう。」
司祭ということは、おそらくこの教会で一番偉い人なのだろう。だが、傲ったような素振りはなく、物腰のやわらかな老紳士といった様子だ。この人なら、[御使い様]について聞いたら教えてくれるだろうか。
すると司祭の視線が、エレアスの腹辺りを射抜いた。
「して……、…その腕に抱えておるのは…」
司祭が見ていたのはあの不思議な生き物だった。ピクりとも動かずに大人しくしていたため、ナテマに会った時はスルーされたが、司祭は生き物であると見抜いたのだろう。眉と皺に覆われた目が鋭く生き物を見定めている。その視線に驚いたのか、生き物は飛び跳ねると、エレアスの顎下に突っ込んできた。
「わっ、…ぅおぶっ、」
「えっ、それぬいぐるみじゃぁなかったの?」
柔らかで弾力のあるアッパーカットを喰らったエレアスに、ナテマは驚きの視線を向ける。やはり生き物と思っていなかったようだ。しかし初めて見る生き物であることに違いはないようで、ナテマは警戒して1歩後退った。まずい、害はないとこを伝えなければ。
「あ、あの……!この子は、」
「ふむ、[魔物]ではないようだ。」
そう言った司祭は、首から下げられたロザリオのような首飾りを見ている。ロザリオに大きくあしらわれているのは[魔晶石]だ。純白に輝くそれは、優しい光を放っている。
「あら、本当ねぇ。」
先程まで警戒していたナテマも、司祭と同じようにして人差し指に嵌められている指輪の石を眺めている。小さくて確認できなかったが、あれもどうやら[魔晶石]のようだ。[魔晶石]に何か秘密があるのだろうか。
「何故…分かるんですか?」
確かに[魔物]とは違って人懐っこく、襲ってきたりすることもないため、エレアスもコリィの村の人達も、この子を[魔物]と言う人間はいなかった。それでも”得体の知れない生き物”という事実には変わりなく、[魔物]ではないと断定することも出来なかったのだ。それを、何故断定することが出来たのだろうか。
「この石はね、[魔のもの]から採れる石なんだが、だからこそ[魔のもの]が近くに居ると共鳴し、その光は激しく点滅するんだよ。」
つまり司祭が言うには、[魔晶石]は[悪魔]や[魔物]ではないかを判別することが出来る、あるいは近くにそれらが居ないかを知ることが出来るということだ。
この得体の知れない生き物に対して、石はなんの反応も示さなかった。それが答えだ。
とは言え、[悪魔]や[魔物]でないと判っただけで、その正体について判った訳では無い。
「……コリィの所の村人から、[御使い様]についての話を聞きました。」
「…ほう。」
エレアスは単刀直入に気になっていたことを聞いた。
村人達が言っていた、教会の人間が連れている存在のことを。
「どうぞ、座って話そうじゃあないか。」
そう言って部屋にある応接のためのソファへと案内される。生き物を宥めるようにそっと撫で、エレアスは促されるままに司祭に向き合って座った。
「我々の言う[御使い様]とは、[神の御使い様]のことだ。我らが[唯一神様]が人間に使わしてくださった聖なる使い…。」
司祭は興味深くエレアスと生き物を見つめると、ゆっくりとその存在について語り出した。
「ノフィアス教の目的については知っているかな?」
「先程ナテマさんからお聞きしました。」
ノフィアス教で最も重要な教え。それは人間に害なす[悪魔]や[魔物]を排除すること。
「うむ、それなら話は早い。…[神の御使い様]は、我々が[魔のもの]を倒すためにお力添えをしてくださっているのだ。」
エレアスの返答に司祭は頷くと、エレアスの膝の上に乗っている生き物を見ながら、話を続けた。
「[神の御使い様]は人間と契約を交わし、その人間に対して御加護を与えてくださる。それがなければ、我々人間は[悪魔]に打ち勝つことはできない…。」
つまり、[悪魔]や[魔物]を倒すためには[御使い様]の力を借りるしかないということだ。とすれば、昨日エレアス達の目の前で[魔物]を切り倒した男はなんだったのだろう。エレアスが昨日のことを思い出していると、司祭は神妙な面持ちをしていた。
「……その子が、[神の御使い様]かもしれぬと?」
「分かりません。その子と行動を共にしたのは昨日からなので…詳しいことは何も分からず…。」
もしそうなら、この生き物は[悪魔]を倒すというエレアスの目的にも、教会の目的にも重要な存在となる。それは教会側も慎重にならざるを得ないだろう。
「この子の正体について探っていたところ、[御使い様]の話を聞いたので。」
ちらっと隣に座るコリィを見やれば、彼女もまた緊張して話を聞いていた。
「そうか…。しかし私も見た限りではなんとも…な。如何せん、[神の御使い様]は様々なお姿をされておる。」
「様々な姿?」
苦い顔をする司祭に、エレアスは問いかける。
この不思議な生き物の正体はそう簡単に分からなさそうだ。しかしまた、[神の御使い様]についても興味深い情報を得られた。
「そう、教会の者と契約している[神の御使い様]は複数いらしゃっしゃるが…、それぞれ姿形が異なるのだ。」
単なる量産型の神の使いかと思えば、そういう訳でも無いそうだ。神の使いにも個性があるのだろうか。
司祭は説明するのが難しいのか悩みに悩んだ挙句、にこりと笑ってエレアスにとある提案をした。
「とりあえず、この教会にも契約している者が居るから…その者に会ってみたらどうかね?」