6話 外は曇天でハレることはない
自分のかけているボロ切れを剥ぐと、ゆっくりと少女は起き上がる。天井に開いた穴からはぼんやりとした陽光が射し込んでおり、空は曇天であった。
朝になったんだと思いながら、起床する。石床に直接寝ているために身体の節々が痛いけど慣れたものだから気にしない。
それよりも……どうやら今日も生き残れたようだと、安堵の息を吐く。昨日は死ぬかと思った。昼間にあった薬草の事件は酷かった。仲間が死ぬかと思ってしまった。
夜中に降った雨により、かなり部屋が水に侵食されている。激しい雷が響き、怖くて怖くてブルブル震えていた。
屋敷の奥から、何か人の声が聞こえたような気もしたのが、さらに恐怖を誘った。
仲間たちは昨日の昼に殴られたことと、薬草集めでくたくたに疲れていて、夜中の雷雨でも起きることはなくぐっすりと眠っていたので、少女は一人寂しく恐怖で震えて布切れにくるまっていたのだ。
本当は二人だけ起きていたのを知っていたけど……変だったので頼ることをしなかった。
朝になったら元に戻っているのかと思いながら、少女は変な二人に顔を向ける。
そして変顔になった。
臆病で皆の後ろに隠れていた男の子。急に大人を倒すほどに強くなって性格も変わったように見えた。
そして、いつの間にか仲間になっていた少女。少女がいつ仲間になったのか、よくわからないがいつの間にか仲間になっていたのだ。
二人とも不気味な感じがしたのだが………。
潰れた蛙のように、二人は折り重なって寝ていた。お互いを掛け布団にでもするように、手を押し付けて寝ており、苦しそうに顔を歪めてウンウンと魘されている。
「うぅ……気持ち悪い……」
「ギブアップする………」
なんだか寝言が弱々しい。
「なにこれ?」
不気味さは消し去り、そのなんとなく間抜けな姿にクスリと笑ってしまうのであった。
◇
ヨグは気持ち悪さを気合で押しのけて、目を覚ました。目の前には俺を敷布団にして上に乗っかっているトゥスの姿がある。
朝の光の中で、蜂蜜色の金髪はキラキラと輝いており、艷やかで洗いたてのようだ。頬を俺の首元に押し付けて、子猫のようにすやすやと寝ている。
「おい、起きろ。起きてくださいトゥスさん?」
「うむゅう……おはようヨグ」
寝ぼけ眼でこしこしと目を擦り、トゥスは俺を見てくる。吸い込まれそうな紅い瞳に茶髪茶瞳の俺の若い頃の姿が映っていた。
やはり若返っていることは間違いないらしい。
はぁとため息をつきつつ、トゥスを押し退ける。コロンと転がりトゥスは床にべシャリと寝っ転がった。
「まだ眠い……あと5分寝る」
「別に良いですよ。いくらでも寝ていてください」
ねむそうに身体を丸めるトゥスを横目に、立ち上がると、石床に寝ていたために強張っていた身体がポキポキと鳴る。
それでも疲れがとれているんだから、たいしたものだ。若い体って良いよな。
うむうむと頷きながら、柔軟体操をして身体を解す。おっさんの体だとフカフカの布団でも疲れはとれなかったからなぁ。
少しの感動とともに、昨日の夜の出来事を思い出し渋面となってしまう。
うん、昨日は最悪だった。意識は混濁というか、少し変わるし、気持ち悪いし、あのコボルド級と戦闘したあとに、すべての体力とマナが尽きたし。
結論はあっさりと出たな。
できるだけ、爽やかな笑みを作って、後腐れの無いように優しくトゥスに声をかける。
「トゥス、君との契約はなしにしておきます。相性も悪いようですし、俺では釣り合いませんよ」
「うぇぇぇぇ! な、なにを言ってる? だめ! 駄目だから! 契約はする!」
一気に目が覚めたのだろう。ガバッと立ち上がると、トゥスは大慌てで突進してくると抱きついてくる。
「身体の相性は付き合っていくうちに合うから! 大丈夫、トゥスが太鼓判を押す!」
「人聞きの悪いことを口にしないでください! 他人が聞いたら、俺の社会的地位がガラガラと崩れ落ちるだろ! あ、そこの君? 違うよ? なんで後退るのかな?」
起きていた少女が、ウワァとドン引きで後退るのを見て、なんとかトゥスを剥がそうと試みる。ふざけんなよ、こんな幼い少女相手とか、捕まるわ!
「い、一回だけで捨てるなんて酷い。トゥスにはもうヨグしかいない」
「わざとだろ! その言い回しはわざとだろ!」
「もちろんわざと! 全知なるトゥスはこういったシチュエーションを常に想定してる!」
「ろくなことを想定していないな! 離れろって、こら!」
ふんぬーと、ひっつくトゥスの脇腹をくすぐってやる。こういったパターンの対応は俺の子供がするから慣れてるんだよ!
膝の上に乗った子供を降ろす時とかに、離れないでむずがる時があるからくすぐると、キャッキャッと笑って降りるのだ。
熟練のくすぐり士の力を見よ!
こちょこちょとくすぐると、トゥスはギャーと叫んで離れ……ない。
「ふぉぉぉ! くすぐったい。アハハハ!」
身体をくねらせて、笑い転げるトゥスだが、抱きしめている。ぎゅうぎゅうと強く抱きしめており、その力は弱まらない。うぬぅ、なんて根性だ、この娘。感心しちゃうぜ。
「もっとくすぐる! アハハ」
違った。くすぐったいのが好きらしい。
「はぁ……わかったよ。負けだ。俺の負けです。話を聞きますから、離してくれませんか?」
「ふふふ、トゥスの勝利。トゥスに敵う者は誰もいない」
ようやく離れてくると、むふんと胸を張る少女。
朝の陽光の中で見ると、その顔立ちが際立っていることに改めて気づく。腰まで伸びている蜂蜜色の金髪は陽光に照らされて、ふわふわと靡く柔らかい髪質でキラキラと輝き、赤い目はルビーのようにどこまでも深い色を宿している。
その顔立ちは幼いながらも将来はとても美しくなるだろうと予想できる。背丈は若返った俺とほとんど同じで、着ている服は見たこともない薄手の黒い服だ。まるで暗殺者のようにも見えるが、トゥスの醸し出す空気から、その冷たい雰囲気をかき消していた。
「むふーっ、それじゃ説明をする。それじゃ自己紹介からする」
嬉しそうに笑みを浮かべると、壁にベタリと張り付いた。なぜ張り付く?
「ふんぬぉー。ファイトーッ!」
気合の声をあげて壁の隙間に指を差し込むと、ロッククライミングを始めて、よじよじと器用に登っていく。何をするのかと思えば、天井に開いている穴を目指している模様。
なるほど?
穴によじ登ると天井に足をつけて外の出っ張りに身体を持ち上げて、ぜぇぜぇと息を吐く。
「す、少し、待つ」
フゥと深呼吸をして息を整えると、トゥスは部屋へを見下ろす。
そしてか細い片手をあげて、片足を伸ばしてポーズをとると、得意げにふんすふんすと息を吐く。
「我こそは『善にして子』なる全知なるトゥス! 教義は『とにかく神に祈りを捧げれば願いは叶う。課金も可』! 我に選ばれし使徒よ、これからは我と共に保険の支払いをするべく働こう……」
見せ場だよと、トゥスは名乗りをあげて、次に訝しげに部屋を見渡す。
「ヨグはどこ?」
部屋にはさっき起きた少女しかいないので、コテリと不思議に思って尋ねる。
「えっと………ヨグなら部屋から出ていったよ。家に帰るって。……家ってなんのことだろ?」
おずおずと答えてくる少女の言葉に、トゥスははぁぁぁ〜と俯き、がっかりしてため息を吐く。
「ヨグ〜!!!」
屋敷を出るときに、トゥスの叫び声が聞こえて来た。
悪いなトゥス。お前に付き合っている時間はないんだ。
◇
「すいません、失礼、おっとすいません」
雑踏の中で、俺は器用に人混みを避けながら走っていた。走っている中で、人から感じる視線がいつもと違う。
人の目が痛い。
俺を見る目が寒々しい。
衛兵が警戒した視線を向けてくる。
わかるぜ。俺の今の姿はボサボサの髪の毛、真っ黒に汚れた肌に痩せすぎの手足。ボロ切れのような服を着込んでおり、スラム街の子供だ。昼の最中から平民区画を出歩いて良い身分じゃない。
スリではないか、強盗の下見に来た使い捨てのガキではと思われているのだろう。
スラム街の子供の扱いなんてそんなもんだ。下手したら、なんで平民区画にいやがると殴られてもおかしくない。実際に殴ってくるクズの平民はいるのだ。
だが必要なことなのだ。『変態』とか『呪い』かはわからないが店に戻ればなんとかなる。
あそこには子供にも秘密にしている魔道具がいくつか隠してあるし、金もあるから神官に見てもらうことも可能だ。
何よりも子供たちが心配しているに違いない。
少し走っただけで、ハッハッと息が荒くなり、呼吸か苦しくなり、足が痛くなる。栄養不足だ。この身体は……まるで俺が若い頃のままだった。
汗で濡れてべたりとひっつく髪を苛立ちながら跳ね除けて、疲れた身体に鞭を打ち、道路を走っていく。
見慣れた道路のはず。だが、見慣れた道路はどことなく違う。
あんなところに酒場があったか?
あの店は潰れたんじゃなかったか?
昨日、トゥスと『契約』した時に流れ込んできた知識。殺したチンピラたちの在ったはずの未来を俺は知った。
嫌な予感は膨れ上がるが、気のせいだと被りを振る。
そんなはずはない。そんなことがあるわけがない。
この角を曲がれば、俺の店があるはずだ。
スラム街からなんとか抜け出し、軍に入り死にそうな目にあって、なんとか平民権をとり、苦労して手に入れた俺の店。
そして、昨日ようやく養子にできた子供たちが待っているはずだ。
心配をかけてごめんなと、頭を下げて謝ろう。
そうして、今日も少し贅沢な食事にしよう。
子供たちは食べ物に弱いから、怒りつつも許してくれて、俺は頭を撫でてやりながら市場に買い物に行こうと言うのだ。
石畳を蹴って、立ち並ぶ家屋を横目に、ようやく見えてきた角を曲がる。
角を曲がって少し先にある行き止まり。そこには俺の店がある。
ポーションから魔道具まで。魔剣や魔石も取り扱う俺の店がある。子供たちが心配したと笑顔で出迎えてくれるはずだ。
「ハッ、ハッ、ハッ……。な、ない。ないっ。ないぞっ!」
だが、目の前には雑草が生い茂る空き地があるだけだった。家屋が立ち並ぶ中で、ポツンと空地がそこにはあった。雨が降ったあとの涼し気な風が雑草を揺らしている。
「馬鹿なっ! これはなんの夢だ? 俺はどんな悪夢を見ているんだ!」
息を荒げて、肺から空気を絞り出すように絶叫する。
何もない。俺の店も子供たちも。
ぐるぐると思考が空回りする。信じられないと現実を逃避したくなる。
「夢ではない。『回帰』が行われた」
後ろに気配もなかったはずなのに、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
ギリッと歯を食いしばり、俺は顔を険しくさせてゆっくりと振り向く。
「昨日もそんなことを言ってたな。……『回帰』ってのはなんなんだ?」
「『回帰』とは世界を過去に戻すこと。やり直すこと。この世界はヨグの子供の頃の時代。ヨグが8歳の頃の時代に戻った」
信じられないことを口するのは、トゥスだった。
「さぁ、我の手をとれ、ヨグ。『回帰』にてなかったことになった努力の結晶。消えた子供たち。取り戻すには神に願いを叶えてもらうしかない」
人の魂を引きずり込むような紅き瞳で俺を見てきて、トゥスはゾクリとする笑みを浮かべて、小さな手のひらを差し出してくるのだった。