5話 大商人は赤い雨に濡れる
暗闇の中、人気のない屋敷は不気味であった。しかも廃屋である。苔が生えて泥に塗れている木床はところどころ腐っており、ギィィと軋み音が聞こえるし、穴が開いて石壁が覗いている箇所もある。石壁が基礎材でなければ、とっくにこの廃屋は倒壊していただろう。
「……雨が降ってきやがったな」
先頭を歩く仲間が忌々しそうに、崩れた壁にランタンを向けて、外の様子を見せる。昼の雨は降りやんでいたはずなのに、また雨粒が空から落ちてきて、シトシトと小さな音が聞こえてくる。
すぐにざぁざぁと激しい雨音に変わり、まるで嵐のようになる。
「ちっ、なんか嫌な感じだぜ」
仲間の一人が舌打ちして、忌々しそうに雨模様となった外を見る。一瞬、雷光が光るとガラガラとどこかに雷が落ちる音が聞こえてきた。
「なんか……変じゃないか?」
「あぁ……入る前は晴れていなかったか?」
「あぁ、星明りがあったからな………」
どことなく不気味さを感じているのだろう、ヒソヒソと他の仲間が怯えた顔を見合わせる。
だが、その嫌な雰囲気を吹き飛ばす怒声が響く。
「馬鹿言ってんじゃねぇ! たまたま雨になったからってビビってるんじゃねぇよ! こんな廃屋に入ったから、そう思ってるだけだ。この先には金があるんだ、お宝だぞ! しゃんとしろ!」
怒声を上げたのはタビオだ。無神経な心が幸いし、この不気味なシチュエーションでもまったく恐れを見せていない。
こういう悪い雰囲気を消し飛ばせるのは、タビオの良いところだと、そこだけは評価しながらバーナコッタはタビオに同調してみせる。
「そうだ、本当に悪霊がいるなら、ここいら辺一帯は不死者で溢れてら。悪霊に殺された奴らはゾンビ、スケルトン、同じ悪霊になるからな。ガキが住んでいるのが、大丈夫な証拠だ」
バーナコッタの言葉に、そういやそうだなと仲間たちは安心し、どことなく弛緩した空気になる。
「それよりもガキを売った金でなにを買うか考えとけよ、な? 大金が手にはいるんだからよぉ」
「そ、それもそうだな。ははっ、少し怯えちまったよ」
笑いながら怯えを収める仲間たちと共に、ホールらしき場所に到着する。3階建ての吹き抜けであり、通路全体が見える場所だ。
「よし、てめえら、バラけてガキを探せ。聞いたところだと、たいして強くないから襲われても声ぐらいはあげられるだろ。そうしたらあとは俺様が片付けるからよ」
タビオが筋肉を見せつけるために、パンプアップをしてはちきれんばかりの腕を持ち上げて見せた。笑っているつもりなのだろうが、顔を獣のように歪めて酷く醜悪だった。
皆が指示に従い、ばらけて探そうと動こうとするが
ガラガラ
と一際大きな雷鳴が響き、ピカリと閃光が崩れた穴から射し込み、一瞬皆が雷に驚き身体を硬直させる。
「ビビらせやがって……。さっさと探そうぜ。ガキ以外は相手じゃねぇからな」
「あ、あぁ……。い、今なんかいたぞ……」
バーナコッタが仲間を促すと、なぜか一人が顔を蒼白にさせて吹き抜けの階段へと指差す。
「どうしたんだ?」
「今、一瞬……銀髪の少女が……。いや、男か? いやいや、愛人の悪霊じゃねぇか?」
「悪霊?」
皆が階上へとランタンを掲げるが、暗闇の中でぼんやりと映し出される階上には誰もいない。周りを窺うが、バーナコッタたち以外は誰もおらず、雨音だけが耳に入り、人の気配はない。
「悪霊なんているわけねぇだろ。いたら、即座に逃げなきゃいけねぇ」
「あ、あれ? 気のせいだったか? 雷の光に映ったんだよ、人が立っていたような……」
「悪霊は壁抜けできるだろ……。まさか、本当に悪霊なんじゃねぇか」
「悪霊なら、とっくに襲われてら。ほら、さっさと調べるぞ」
生命を憎む悪霊は隠れたりしないで、生命体を見つけたら即座に襲いかかってくる。高位の悪霊なら知性があるとの噂を聞くが、そんな存在がスラム街にいるわけはない。
だが、人気のない廃屋。雷が鳴り響き、激しく降る雨。そして、中に入り込む愚かな冒険者たち。時折話す怪談話のシチュエーションにそっくりなので、必要以上に皆は怯えていた。
「き、気のせいだよな……」
「まったく、ビビリやがって。ほら、分担して屋敷を調べるぞ。タビオの兄貴、頼りにしていますぜ」
仲間と顔を見合わせて空笑いをしながら、バーナコッタはタビオへと顔を向ける。だが、変なことに気づく。
無神経の塊の男が厳しい目つきになっている。ランタンの光に照らされて、ぼんやりと映る横顔は今までバーナコッタが見たことがない真剣な表情だ。
「あ、兄貴?」
もしや本当に悪霊がいるのかと、ごくりと喉を鳴らして、声が震えないように尋ねるが返事は返ってこない。
なんだってんだ。こんなシチュエーションでそんなに真剣な表情になるんじゃねぇよ、頭に脳みそが入っていないがさつな男が!
内心で憤りながら、再度問いかけようとすると、タビオは緊迫した叫び声をあげる。
「誰かいやがるっ! てめぇら用心しろ!」
はぁ? とバーナコッタはタビオの言葉に訝しげになる。周りには人気はない……。
パリン
だが、反論はランタンが割れたことで封じられた。
「あ、アチィッ。な、なんだ? ランタンが割れた!」
突如として砕けたランタン。割れたガラス片が地面にチャリチャリと音を立てて落ちて、油が床で燃える。
慌てて他の仲間がランタンを掲げようとするが、他のランタンもなにもされていないのに、パリンパリンと割れていった。
全てのランタンが割れて、床に落ちた油が燃える炎だけとなってしまう。雨が降り月明かりもない屋敷内は一気に暗くなり、周囲を見渡すことができなくなる。
「な、なにが、ゲヘッ」
仲間の一人が怯えた声をあげると同時に、なにかが光り首を通り過ぎていった。
鮮血が吹き出して、よろりとよろけると信じられないといった顔でバーナコッタたちへと顔を向けて、ぐるりと白目になると、ドウッと倒れ伏す。
「ひ、ひいっ、プンデが死んだ! ガバッ」
仲間の一人が怯えた声をあげると同時に、同じようになにか光るものが通り過ぎていって、首が切断されて落ちる。
「て、敵だっ!」
「どこからっ!」
「ま、魔法か? 闘技なのか?」
慌てて剣を抜き放つと、仲間たちは恐怖の相貌で暗闇に向けて構える。
再び光の線が奔り、剣にぶつかると火花を散らす。
「悪霊か? 悪霊なのか?」
「悪霊じゃねぇっ! 生き物の匂いがぷんぷんするぜえっ」
タビオが咆哮すると、四肢を踏ん張り歯を剥いて唸る。
「ぬぉぉぉっ! 俺の鼻は誤魔化せねぇっ!」
『契約コボルド』
目を魔物のように光らせて、『契約』を発動させると、タビオの肌がみるみるうちに狼の毛が生えていき、顔が変形していくと狼となる。そして、一回り身体が筋肉で膨れ上がり、凶悪なるコボルドの姿へと変身する。
変身したタビオの身体に、光るなにかがぶつかるが、先程の仲間と違い僅かに毛皮が斬られるだけで、致命的とならない。
「ふしゅるるる………コボルドと『契約』している俺様にはそんな手品は効かねえ!」
唸りながら狼の口を歪めて牙を覗かせて、タビオは両手に生えた鋭い爪を伸ばして身構える。
初めて見たコボルドの姿に本当にコボルド級だったのかと驚きながらも、バーナコッタは安心を覚える。
どうせ嘘だと思っていたのだ。怪力だけが頼りの多少腕の立つ馬鹿な冒険者だとばかり思っていた。予想外だが、本当にコボルド級なら敵も相手ではないはず。
「さすがは兄貴! 頼りにしてますぜ!」
雨音に隠れて、再び光の線が空間を奔る。その光の線をタビオは気にせずに受けるが……。
「ア?」
「ウグッ」
「ゴホッ」
タビオだけではなく、光の鮮血は仲間たちへと襲いかかった。身体を守るために剣を構えると、足へと軌道を変えて、腹を狙い、腕を切り裂く。
ドサリドサリと仲間たちは倒れていき、バーナコッタも焼きごてを押し付けられたかのように、足に痛みを感じるとバランスを崩して倒れてしまう。
「ガハッ」
崩れ落ちて強く顔を打ってしまい、バーナコッタはなにが起こったのかと、自身の足へと顔を向ける。
床には左足だけが立っていた。カタカタと震えると左足は倒れて、バーナコッタは絶叫した。
「あ、アァァァッ! お、俺の、俺の足がァァァっ!」
目立つタビオだけを狙うのではなく、他の仲間も狙う敵に憎しみを覚えて、切断された自分の足を目にして、激しい痛みに絶叫する。
「ポ、ポーションを、ポーションを。タビオはなにをしてやがるっ! さっさと敵を殺せよぉっ!」
脳筋は敵に突進するしか能がねぇんだから、さっさと倒せよ! そ、それよりもポーションだ。切られてもすぐにポーションを使えば繋がるはずだ。
とっておきのポーションを取り出そうと慌てる中で、タビオが暗闇の中に突進していくのが見えた。
腐ってはいれどそこそこ頑丈な木床を踏み込み一つであっさりと砕いて、獣と化したタビオは何者かと戦闘を開始する。
「こそこそと隠れやがって! 死ねぇっ!」
タビオの怒声が響き、暗闇の中で戦闘が始まる。
ドスンドスンと激しい戦闘音が響く。石が砕ける音、ガラガラと崩れていく壁。壁を蹴り、普通では不可能な動きでタビオが歯を剥いて、拳を振り上げる。
ランタンもない暗闇で、聞いたこともない激しい戦闘音が続く。
「た、頼むぜタビオの兄貴。これからも仲良くやっていくからよ」
足を切断面につけると、ポーションを振りかける。淡い光が切断面を覆い、傷が消えて足がくっつく。
だが、とっておきとはいえ、所詮は今のバーナコッタが買える程度の低位のポーションだ。切断された箇所からは痛みは消えることはなく、ジンジンと熱く感じる。
歩いたら、足はまた千切れてしまう可能性がある。皮一枚を繋げたにすぎないのだ。
ガキを売った金で神殿に大金を払って、癒やしの魔法をかけて貰わなくてはならないだろう。
「ちくしょうめ………余計な出費だ」
辺りを見渡すと、他の仲間たちは出血で息絶えており………静かになっていた。
屋敷が倒壊するかと思うような激しい戦闘音がおさまっていることに気づく。
「た、タビオの兄貴? 倒したんですかい?」
どちらが勝ったのか、緊張して硬い声音で暗闇へと声をかける。と、暗闇の中から床で燃えている消えかけている炎の中で、コボルド化しているタビオが姿を現す。
ホッと安堵の息を吐くバーナコッタだが、すぐに顔色を変える。
「なんだってんだ……うまい話だったんじゃねぇのかよ……」
タビオの脇腹はごっそりとなくなっていた。強力な攻撃でえぐり取られたのだろう。砕けた肋骨が覗き、内臓が零れ落ちている。
口から血の混じった泡を吹いてタビオは呟くと、バーナコッタの目の前で悔しそうに床に倒れるのであった。
「あ、あひゃぁっ!」
悲鳴を上げてバーナコッタは足が千切れても構わないと、血相を変えて身体を翻し、廃屋から脱出しようと駆け出そうとする。
だが、駆け出そうとするバーナコッタの胴体を、光の線が通り過ぎていく。
「ああぅ?」
バーナコッタは駆け出した勢いで床に俯けに倒れる。腹に強い痛みを感じて、慌てて立ち上がろうとするが、足に力は入らずに身体が震える。
自分がどうなっているのか、感覚でわかり絶望する。目の前に赤い血が広がっていく。
死ぬ……まさか、こんなところで俺は死ぬのか?
「そ、そんな、馬鹿な……俺は、俺は……大商人に……なるんだ……」
「そうですね。たしかに仰るとおりです。来世では回帰保険をお勧めします」
後ろから、鈴を鳴らすような声が聞こえてくる。正体不明の敵なのだろう。
「さようなら『狼牙商会』の大商人バーナコッタ、『死狼』のタビオ」
その言葉がなぜかしっくりとくる。
そうだ、俺は誰もが恐れる大商会『狼牙商会』のバーナコッタだ。タビオと一緒にこの先で成り上がるんだ。
そうだ。血のように赤いワインが好きだった。弱者の血を啜るように、膨れ上がる財産が誇りだった。
目線一つで気に食わない奴は姿を消して、高価な酒を飲み、美女を抱いて、この世の春を謳歌する。
大商人バーナコッタ。タビオと組んで作り上げた『狼牙商会』。
何度も死ぬような思いをして、成り上がったのだ。
「そ、そうだ……俺は大商人になったんだ……」
夢ではない。それはあったことだったのだと、薄笑いを浮かべてバーナコッタの目から光は消えるのであった。