3話 止まない雨
ハッとヨグは目を覚ました。どうやら寝てしまったらしい。舌打ちをしつつ起き上がろうとして、身体がズキズキと痛むのに顔を顰める。
手足は擦り傷だらけのようでヒリヒリするし、闘気を使ったために筋肉痛も酷い。こんなに軟な身体ではなかったはずだが……。
周りを見ると真っ暗でよくわからない。ベッド……ではなさそうだ。
手触りがザラザラとしている。石の感触だ。ここはどこだ? 周りに人の気配は感じる。数人が周りにいるようだが……寝てるのか?
何かボロ切れが身体にかかっていることに気づく。掛け布団の代わりなのだろうが、鼻をつまむほど酷く臭い。
スラム街……なのか? なんとなくこの荒れ果てた様子には記憶がある。どうして俺はここにいるんだ?
とりあえず現状を調べなければなるまい。灯りをつけようと手の指に嵌めている指輪を使おうとして、何もないことに落胆してしまう。
そりゃそうか。スラム街に無防備に寝てりゃ、魔道具なんか盗まれるに決まってる。結構高かったんだけどなぁ。
しかし、こんなところで寝ている暇はない。店に戻らないと子供たちが心配する。いや、確実に今も心配しているだろう。
人差し指を立てると、指先にマナを集めて集中する。
「マナよ、炎となれ。薪に火をつけるように、炎を燃やせ」
『灯火』
人差し指の先に小さな炎が生み出される。真っ暗だった周囲を照らして
「うおっ!」
目の前に少女の顔が浮かび上がって、思わず仰け反る。
「むふーっ。サプライズ成功! おはようヨグ」
「あ、あぁ、おはようお嬢様?」
ビビった! この娘まったく気配を感じなかったぞ?
暗闇の中で、小さな炎に照らされる女の子は、よく全体像は見えないにもかかわらず、ドキリとするほど可愛らしかった。
炎に照らされる蜂蜜色の髪は柔らかそうで艶がある。得意げに微笑むその口元に、スラリとした鼻梁、星よりも神秘的な光りを宿す紅眼の少女だ。
得意げにふんふんと鼻を鳴らしているので、俺を驚かすためだけに目の前で息を潜めて待っていたのだろうか。凄い根性だな。
服も見たことのない薄手の形だが、艶があり高級そうな素材だと感じさせる。どこかの貴族か裕福な商人の娘だろう。
この場にはそぐわない少女だ。どうやら俺を知っているようで、ジッと見てくる。なにに興奮しているのかわからないが、ふんふんと鼻息荒く、地味に怖い。
「起きるのをずっと待っていた」
「それはどうも。え〜と、ここはどこでしょうか?」
息を吐き気を落ち着けると、丁寧な言葉を心掛けて少女に尋ねる。『灯火』を動かして周囲を照らすと、予想通り廃屋だった。
天井には穴が開いており、ひび割れた石壁、瓦礫が落ちており埃だらけの石床が広がる。ガランとしてなにもない空虚な寒々しい部屋には、ボロ布をかぶった子供たちが数人寝ているのが見えた。
「むふーっ、ここはスラム街、ヨグは『闘気』の使いすきで半日寝ていた。今は夜中」
「『闘気』を? そんなに使った覚えはないが……なにをしていたんだっけ……」
穴の開いた天井から、星空が垣間見える。夜中であるのは確からしい。そんなに寝ちまったのか。
頭を振りながら、寝る前のことを思い出そうとする。たしか……子供たちと記念日を祝って……皆が寝たあとに、冒険者が持ち込んできた遺跡から見つけたという怪しい触れ込みの指輪の鑑定を行っていたんだ……。
嵌められている紅いルビーが嫌に心を波立たせて落ち着かなくする指輪だった。マナは感じたが、それ以上に嫌な予感がビシバシ感じられたので、安く買い叩いたのは覚えている。
微かな記憶を辿ろうとすると、少女が身を乗り出し頭を押し付けてきた。
「そうだ………たしか、変な声が聞こえてきて……」
「願いを叶えたいか? むふーっ、願いを叶えたいよね?」
むふーむふーと顔をグリグリと押し付けてくるので、その子供っぽい姿に思わず笑ってしまうが、グイと押し退ける。
「悪いが、宗教はお断りなんだ。なにをしていたのかは、とりあえず帰ってから考えることにする。えっと、お嬢様も帰るか? 送ってやるぜ?」
どうせ迷子になったんだろと、立ち上がりながら少女へと手を伸ばす。連れ帰ったら謝礼金を貰えるかもしれない。そうしたら、ここで寝ている子供たちにも分けてやろう。
少女は俺の差し出した手に自分のほっそりとした手を重ねると、握りしめてくる。
思いがけなく、強い力で引っ張られてしまい、たたらを踏んでしまう。キスできるほどに顔を近づけてきて、ゴチンと頭突きをされた。
火花を散るくらいにかなりの強さで頭突きをしてきたので、二人で額を押さえて蹲ってしまう、
手加減というものを知れ! かなり痛かったんだけど?
「あうっ! 痛い」
「なに、が、したいんだお前……」
「キスするぎりぎりで止めて、妖しく微笑むつもりだった」
アホだろこいつ! 呆れを通り過ぎて、唖然としてしまうと、仕切り直しなのか、額をさすりながら、むぅと唇を尖らせる。
「どこに帰る? ふふふ、どこに帰る?」
「俺は店をやっていてね、お嬢様。珍しい物も扱っているから」
「店なんかない。最初からない。なくなったのではない。最初から存在していない」
真紅の瞳が俺を見てくる。その言い回しが気に食わなくて、じっと見返すがこの子の瞳はこんなに真っ赤だったか?
ギュッと魂が掴まれたかのように怖気が奔り、背筋がひやりとする。
こいつ、人間か? 気づかれないように生命力を闘気へと変換させよう。なにかヤバい。
軍で敵に囲まれた時も、凶悪な魔物を前にした時も、ここまで危機感を感じたことはない。逃げるにしてもタイミングが重要だ。
それまでは話を引き伸ばして時間稼ぎをするか。
優しげに笑みを浮かべて、少女へと話を続けるように促そうとする。
「話の意味がわからないのですが」
「敵ではない。だから闘気を練らなくて良い。また倒れる」
だが、台詞は阻まれて、探ってくる気配はまったく感じなかったのに、俺の行動は見抜かれていたらしい。内心舌打ちしつつ、笑顔は崩さない。
話が通じる相手なら、話し合いで終えることもできる。
「なくなったのではない。存在すらしていない。長々と説明して理解させるには一万五千六百時間が必要となる」
「わかった、長くても良いから話してくれ」
「ろ、論より証拠。この子供たちの顔を良く見る」
そっぽを向いて、少女は寝ている子供たちの側に近づきボロ布を捲る。どうやら説明をする自信がない模様。先程の怖気は消え去り、庇護をしたくなるアホな姿になっていた。
「見覚えがあるはず」
「ないな」
「き、きっと見覚えがある!」
ドヤ顔で俺に聞いてくるので、秒で答えてやる。本当は微かに覚えがあるが、フフンと得意げに顔を向けてくるので、少し悪戯心が芽生えたのだ。
ムキになって声を大きくしようとするので、苦笑して手をひらひらと振って制止する。煽り耐性の低そうな娘だなぁ。
「わかった、本当は微かに見覚えがある。でも、スラム街の子供たちは俺と一度は会ってるからなぁ。一人一人は覚えてねーよ。いや、いませんよ」
思わず素が出たと、こほんと咳払いをして誤魔化す。丁寧な所作と会話は信用される第一歩だ。
「俺はスラム街の子供を引き取って、養っているんです。それを知っている他のスラム街の子供たちが時折飯を強請ってくるんですよ」
「ガガーン! トゥスの予定と違う展開!」
俺の噂を聞いて、訪れる子供は多い。だが、俺も育てるのは三人が限界だから、数枚の銅貨を渡して終わりにしている。それでも子供たちは訪れるんだけどな。
だから、大勢の子供たちの顔を見ているので、記憶にあるのは当たり前なのだ。
だが、俺の解答は少女には予想外だったようで、ヘナリとしゃがみ込むと、ウンウンと唸り始めた。
「これは予想外。こ、この子供たちは! っていう展開から、ふふふ、わかった? ここがいつか? と、トゥスは妖しげな微笑みをして、ミステリアスな美女となる予定だったのに……」
何やらくだらないことを考えているらしい。なんというか、美女は無理だろ。夜目に慣れてきたからわかるけど、少女の背丈はかなりちっこい。
時間の無駄になりそうだから、店に帰るか……。この娘は放置しても大丈夫な予感がするし。
「悪いけど、帰らせてもらいます。元気でな、お嬢様」
「ま、待つ! えーとっ、そう、そうだ! 身体、身体、自分の身体を見る!」
帰ろうと腰を上げると、慌てて飛び込むように抱きついてきた。ぎゅうぎゅうと抱きしめてきて、少し苦しいんだけど。
とはいえ、さっきから気にはなっていたことを突いてきたな。
「……小さくなってるな。『変態』の呪文をかけられたと思ってるんだが」
俺の手足。小さいんだ。歩いても歩幅がおかしいし、抱きついてくる少女を放そうとする手も子供のものだった。
なので原因を推測するが、抱きついたまま、首を振ってフンスと笑ってくる。
「それは嘘。ヨグは自身の身体が状態異常に極めて強いと知ってる。『変態』のような高位の呪文でも耐えられる」
「よく知ってますね。たしかにそのとおりです、俺は『状態異常』に強い。致死の魔法毒でも効かないからな」
「むふーっ、かっこいい! それでこそトゥスの使徒になる者。それじゃ鏡を見てみる」
鏡ねぇ……。嫌な予感がするが見ない訳にはいかないだろう。もちろんこんな場所に鏡なんてない。だが、天井に開いた穴から入り込んだ雨による水溜りはある。
「マナよ、冬の天気を感じさせよ。冷たき吐息を風とせよ」
『氷生成』
人差し指を水溜りに向けて、魔法を詠唱する。指先からチラチラと雪の結晶が舞い降りると、水溜りは少しずつ凍りつき、やがて鏡のようになった。
鏡に自身の顔を映し出し、しかめっ面をしてしまう。何だこれ………。
「茶髪に茶目………平凡な顔つきだな」
懐かしい昔の顔だ。軍の狂ったポーションを飲む前の俺だ。即ち……若返っている。信じられない。若返っているぞ?
「若返っているんじゃない」
「なに? どういう事だ?」
「『回帰』が行われた。ヨグは記憶を持って『回帰』が実行された世界にいる」
「なんだ、『回帰』ってのは?」
「それは………。この後にしたほうが良い」
目を細めて、少女は危険なる空気を纏い、外へと顔を向ける。
どういう意味だと聞こうとしたが、すぐに理解した。小さく声が聞こえてくるのだ。
「兄貴、ここですぜ、闘気使いのガキのいる場所」
「本当だろうなぁ? 本当だったら高く売れるぜ?」
さっきの冒険者の声音だ。他にもだみ声の男の声もあるし、5、6人の足音も聞こえてくる。まさかスラム街で気絶して無事だったのか?
「子供のヨグの闘気だと、少し動けなくはするけど、気絶までは無理だった。だからあいつらは仲間を連れてきた」
「そういうことか……。ちくしょうめ」
いつもの俺ではないのだ。流し込む闘気が足りなかったのだろう。
このままだとマズイな……。俺は逃げることはできるが、寝ている子供たちは無理だろう。下手をしなくても殺される運命が幻視できる。
迷う俺から少女が離れると、手を差し出してくる。
「大丈夫。まずはお試し。トゥスの使徒よ、力を見せよう。この手を取ればあいつらなんか簡単に撃退できる」
突然怪しげな様子を見せる少女に、眉を顰めて考え込む。こいつは人間ではないだろう……。
だが、今は選択肢がない。俺のせいで子供たちを殺されるわけにはいかない。なにか力があるのかもしれない。
「お試しってなんだ?」
「む、……一回だけ契約前に力を見せる」
素直に手を取ると思っていたのだろう。ご不満な様子で頬を膨らませる少女に、ニヤリと笑って返す。契約ってのは重要だからな。ノリで怪しげな書類にサインはする気はないぜ。
「一回だけならオーケーだ。よろしく、えぇと?」
「むふー、トゥス。トゥスの名はトゥス。よろしくヨグ」
そして俺はトゥスと言う名の少女のほっそりとした手を握った。