22話 譲れないものはある
ショウは信じられない思いで、木蔭に立つ三人の男女を見つめる。整いすぎて彫像のような美しい顔立ちと尖った長い耳。緑を愛するエルフは若草色の服を着込んでおり、その手に節くれだった長い杖を持っている男、レイピアを腰に下げている男がもう一人と弓を持つ女。
ショウはエルフを見たことがなかった。エルフはドワーフやハーフリングと違い、人里には絶対に降りてこない。
その美しい姿は有名すぎるほどに有名だが、その姿を見たことはない。それがエルフという古くからの人種であった。
そしてもう一つの噂も思い出す。
即ち、ドラゴンニュートよりも長命で、この世界の最高の人類と考えているエルフは高慢であらゆる人種を見下していると。
そして、それは魅人に対しては露わであり、最も強く見下しており、未だに同じ人類とは考えていないものも多いとか。
目の前に現れたエルフたちの、ショウたちを人として見ていないその目つきと、知性を持っていないだろうと口元を醜悪に曲げていることからわかる。
「て、てめえら! こんなことをして良いと思ってんのか? 国際問題となるぞ!」
ようやくのこと、岸に辿り着いて這い出すと、怒りで顔を真っ赤にしながら、怒鳴りつけた。
エルフと王国は領土について、いくつか係争中の場所はあるものの、ここは王国の領土と定められていると実家では学んでいた。なので、ここでのエルフの蛮行は国際問題になりかねない。
周りの仲間たちは、エルフの魔法により傷ついて、立ち上がることもできなさそうだと歯噛みする。
「うぅ……た、たすけて……」
うめき声をあげる仲間の前に逡巡することなく立つと、落ちていた大剣を拾いあげてエルフたちを睨みつけて、返答を待つ。
エルフは皆若々しいが、それでも纏っている空気が中心にいる一人だけ違った。他の二人は若々しい感じがするが、その男は老齢の雰囲気を醸し出し、落ち着いた表情をしている。
二人のエルフが後ろに下がり、中心の男がゆっくりと前に出てくると口を開く。
「国際問題? エルフがこの忌々しい地で結んだ条約など無い」
「あん? 王国との条約があるはずだ! 200年前に結んだ条約がよぉっ! 馬鹿な俺でも知ってるんだ、お前らエルフが知らないわけがないだろうがっ!」
歴史が苦手なショウだって知ってるのだ。この歴史だけは覚えておけと親父に怒られながら覚えたのだ。親父もこれだけしか覚えていないけどなと言っていたぐらいに有名な条約なのだ。それは初めて対等な人類として立ったからこそ結べたものである。
だが、ショウの叫びを聞いて、エルフは顎をあげて見下すと鼻で笑った。
「魅人との条約など、栄えある人類種であるエルフが認めるわけがなかろう。この地には咎める者など誰もおらぬ」
「そうそう。君らはギャッギャッと喚いていれば良いんだよ」
「そうね。まったくその顔は見ていて気持ち悪くなるわ」
後ろに控える男女も男の言葉に同調して、馬鹿にしてくる。その目つきは同じ人類を見るものではなく、毛虫や黒い虫などの害虫を見るものだった。
「まぁ、知性のないマモノにも名だけは伝えてやろう。私の名前は『湖畔のアノク』。穏やかなる森の長老の一人」
腕を組み、落ち着いて静かな声音で名を告げると、後ろの男女も名を口にする。
「僕はタルットだ。君の筋肉って本当に凄いね。どうなってんのそれ? 本当に見かけどおりの力なのかな?」
少し楽しげに好奇心を見せて若い男が言うと、不満そうに女がアノクへと文句を言いながら名乗る。
「ゼルリ。ねぇ、アノク様、こんな害獣に名を教える必要はないのでは?」
ショウが名乗ろうとすると、アノクに手で制されてしまう。
「結構。子供程度の知性でも、私の名前を覚えることはできるだろうと名乗った。それにこの『魔溜まり』に対する妨害をしてくれたようなのでな。私の怒りを知るべきだと考えただけだ」
怒りを知るべきだと言いながら、その顔には怒りがまったく浮かんでいないことに、ショウは気づいた。アノクと名乗るエルフにはショウたちへの嫌悪は感じられるが、怒ってはいない。
それは駆除するべき害獣に対してのものだった。害獣に対して嫌悪は覚えても、怒りは覚えない。そういうことだった。
「増えすぎた害獣を駆除するために三年ほどかけたのだが残念だ。貴様らを殺したあとに、また再開しよう。所詮はたった三年。すぐに修復できる」
「………きなくせぇことをペラペラと! 俺たちを殺せるもんなら殺してみな! しぶといぞ、俺はしぶといぞ? 止めておいた方が良いぞぅ? 俺は『闘気使い』。エルフといえど痛い目に遭うからな!」
できるだけ筋肉を見せつけて、熊のように顔を歪めて威圧感を与えようとするショウ。オラオラと大剣を揺らして、凄腕の戦士に見せかける。嘘は言っていない、未来では『闘気使い』になる予定なので。
とりあえず逃げてくれれば、あとは冒険者ギルドに報告しようと考えていたが、タルットと言う名の若い男が前に出てきた。
腰に下げていたレイピアを抜いて、ショウの顔をニヤニヤと覗き込むように近づけてくる。
「へぇ、魅人の『闘気使い』かぁ。僕は魅人の『闘気使い』には初めて会うんだよ。それじゃあ、僕がお相手しようかな。殺しちゃっていいよね、アノク様?」
躊躇いなく、コクリと頷くアノクというエルフ。そして青褪めるショウ。もう少し躊躇うとか、怯むとか逃げるとかしてほしかった。
「プククッ、本当に『闘気使い』なのかなぁ? そら、いくよ!」
レイピアを胸の前に構えて、タルットはショウへと間合いを詰めてくる。
「グッ、魔法使いに騎士団副隊長の俺が負けるかっ!」
大剣の柄を握り締めて、ショウはタルットを迎撃するべく構える。大剣の質量を利用しての遠心力を加えた横薙ぎ。
ブオンと風を巻き起こし、細身のタルットに大剣は襲いかかる。針のように細いレイピアでは受けても折れるし、躱そうとしても今からでは大剣の範囲からは逃れることはできない。
だが、カインと音をたてて大剣はレイピアに受け止められた。タルットは笑みを崩さず、レイピアが折れることもない。
あまつさえ、ショウの全力の一撃であったのに、体幹を揺らがすこともなく、岩のようにその場に立っていた。
「ふふふ、エルフはひ弱だとでも思ったかい、害獣さん? 愚かだなぁ!」
レイピアを押すと、ショウの全力の籠もった大剣は簡単に弾かれる。弾いたタルットはレイピアを引き戻すと、瞬間で突きを繰り出す。
「グッ、この野郎!」
胴体に浅く傷をつけられて、痛みに顔を歪めてショウは大剣を振る。左下からの振り上げをタルットはステップして後ろに下がる。追いかけて腰をひねり右からの剣撃を繰り出す。
ステップにて軽やかにタルットは攻撃をあっさりと躱す。クゥッと唸り、ショウは大きく息を吸い込み、全力での連撃で追いかける。
しかしどれだけ攻撃をしても、風舞う木の葉のようにひらひらとタルットは攻撃を躱してしまい、かすることもできなかった。明らかに敵の方が数段速い。
「あはは、良い風だね。でも遅いなぁ、『闘気使い』って、嘘でしょ? ほら、ほら、ほいっとな」
「ぐ、ググゥッ」
腕を突かれ、顔を切られ、胴体に閃光が奔る。タルットは大剣の隙を狙い、ショウへと攻撃を入れていく。
「反応できないでしょ? 魔法を使うエルフは剣なら倒せるって? 本当に馬鹿だなぁ、僕たちは『身体強化』の魔法が使えるんだよ」
「そういうことかよ、この、すばしっこい!」
何度大剣を振っても当たらないことに、悔しがりながらもショウは攻撃を止めることはしない。その諦めの悪い姿に呆れて肩をすくめるタルット。
「あはは、あれっ?」
だが、タルットは地面に伸びる根っこに躓き、体勢を崩す。その隙にショウは熊のように笑みになり大剣を振り上げる。
「貰ったァァ!」
「うわぁぁぁ!」
いくらでも素早くても、大剣の一撃を防ぐことはできまいと、全力での振り下ろし。大剣の振り下ろしはタルットの頭に確実に入りこみ
カァンと弾かれた。
「あ? な、なんで?」
倒したと確信していたショウはよろめきタルットを見る。タルットは腹を抱えて、笑い始める。
「ぶあはは、びっくりした? たおしたと思ったでしょ? ざんねーん、『魔力障壁』を仕掛けておいたんだ。戦闘時なら当然でしょ? あれれ、闘技なら倒されていたんだけどなぁ、危なかったぁ」
わざと喰らったのだと悟る。『闘気使い』がハッタリだとわかり、必死になって戦う俺をからかうためだけに隙を見せたのだ。
ヒーヒーと笑いながら、タルットは手をフラフラと振ってくる。
「あ〜面白かった。君だけは面白かったから逃げても良いよ。ね、アノク様。一人くらいは良いですよね? ほら逃げなよ」
どうやら幸運なことに道化は逃げても良いらしい。もしかしたら自分だけは生き残ることができるかもしれない。
なので、ショウはニマリと笑いながら息を吐くと
「ざけんなよ! 俺はなぁ、もてるやつに嫉妬するし、金持ちには媚び諂う。小物の中の小物王を目指せる男よ! だが、仲間を捨てて逃げるつもりはねぇ!」
迷うことなく決意を告げて、大剣を構え直す。
「ゴス家の家訓! 『強きは挫けないが、弱きは守るっ!』。親父も、ムカつく弟も守っている家訓だ!」
騎士として守らなければならない家訓。弱き者を守ると心に誓い、それだけは破ったことはない。
そのために力を求め、必死になって修行をしてきた。
「騎士ショウ・ゴスの意地を知れぇっ! うおぉぉぉ!」
息が切れても、スタミナが尽きても、大剣を持つ手が震えても、攻撃を止めることはないとタルットへと立ち向かう。傷だらけの身体から激しい痛みが伝わってきても無視をする。
だが、大剣はタルットの眼前で見えない壁に弾かれて、届くことはなかった。
「ぶあはは! 笑える。まさか魅人がこんなに面白いとは思わなかったよ」
もはや避けることもなく、大剣を余裕の顔で受け続ける。
駄目だとショウは歯を食いしばり悔しがる。届かない。このふざけたエルフには自分の剣は届くことはない。
魅人とエルフとの違い。バニンとの戦いでもここまでの絶望はなかった。
「……だが、それがなんだってんだァァ!」
さらなる力を込めて、無駄であろうと奇跡を信じてショウは大剣を振り上げる。
『これで支払いは完了しましたね』
その瞬間、どこからか声が頭に響く。
ドクンと心臓が脈打つ。細胞の一つ一つがまったく別の物へと変わる感覚が分かる。
底知れぬ力が体内から湧き出て来るのを感じる。
分かる。これならば届く!
ショウの身体から紅き光が吹き出す。
アノクが様子の変わったショウを見て叫ぶ。
「避けろ、タルット!」
「え?」
しかしその叫びは、反対にタルットに隙を作ることになった。タルットが不思議な表情でアノクへと顔を向けると同時に闘気を体内で活性化させる。
「ぬぉぉぉ!」
『闘気剣』
紅きオーラを纏った大剣の一撃。
再びの一撃はまたもや魔法障壁に阻まれてしまう。岩山のように硬い魔法の壁。
「だが、今の俺なら岩山をも斬れるっ!」
ガリガリと魔法障壁を削っていき、ショウの一撃はタルットの左腕を切り落とすのであった。