10話 平民権
王都の平民権を発行する部署は極めて退屈で暇である。手持ちぶたさに欠伸をして、早く仕事が終わらないかと、外をいつも見ているぐらいだ。
運の悪いことに、そんな暇な部署に配属された男は、今日もまた頬杖をついてうつらうつらと舟を漕いでいた。もはや、舟の扱いは超一流で、どんな荒波も乗り越えられると自負している。
なので、閑古鳥が群をなして巣を作っている部屋に、誰かが入ってきた時も、すぐに目を覚まして真面目な顔を作ることに成功したのだった。
一応は王都の役所だ。建物は立派であり、忌々しいことに、平民権を発行する部署はさらに内装が豪華だ。
受付カウンターも重厚な木製だし、椅子だってたっぷりと綿が詰めてある。絨毯も敷き詰められているし、調度品も一流品とはいかないが、役所に飾るにはお高い物が多い。
なぜここまで凝っているかというと、平民権はバカ高い。訪れる者に有り難みを持たせる。ただそれだけのために金をかけて作られていた。
入ってきた者たちは、まず立ち止まり驚いた顔で部屋を見回して、自分が平民権を買える立場になったことを感動を持って涙する。
なにせ平民権は一人金貨100枚。一般的平民の年収5年分だからだ。平民権を持たない貧乏人が苦労して貯金しただけはあると、強く思うわけだ。
今回もそうだろうと思っていた男は久しぶりの仕事だなと、欠伸混じりに扉に目を向ける。
そして、ギョッとした驚きの顔になってしまった。
入ってきたのは六人だった。これは別に良い。
一人はお婆さんだ。仕立ての良い服を着ており、老いてはいるが身なりに気を使っていて、裕福な家だと想像できる。
子供たちのうち、四人も綺麗に洗われてはいるが、古着に見えるので、これもまぁ良いだろう。これから平民権を買うために、精一杯の装いにしたのだとわかる。
問題は最後の一人だった。
子供だ。他の子供たちよりも、背は低いし身体つきは悪い。年齢はまだ奉公に出る歳よりも幼いだろう。
だが、着ている服は上等のものだった。他の子供たちとは一線を画す。少しぶかぶかなのが気になるが仕立ては良く、シワ一つないし新品だ。
平民服に見せかけてはいるが、あれは貴族服だとピンとくる。暇だとはいえ、彼は金貨100枚する平民権を発行する重要な部署にいる。
戦士とはいえないが剣は使えるし、多少の魔法も覚えているエリートなのだ。エリートで無ければ、金貨をくすねる者がいるので仕方ない。
即ち、彼は有能だった。暇をもてあます部署なのに、有能な者が常駐しないといけないアンバランスな所なのである。
もちろん礼儀作法も学んでいる。たからこそ、その子供が平民権を持てない貧民ではないと気づけた。
歩き方から笑い方、所作が上品で整っている。隠しきれない滲み出る生まれの良さを纏っていた。
なのに、なぜ平民権すらないのか? それも理解できる。
貴族だ。恐らくは没落した貴族か、最近貴族に認知された婚外子。
稀にあるのだ。貴族権を捨てて平民になろうとするものが。政争に負けて落ちぶれた領地を持たない法衣貴族か、散財して財産を失って爵位を返還した貴族か。
犯罪者というわけではない。それならば、のこのこと平民権を買いになど来るわけがない。
それに………。着込んでいる服からマナの光が僅かに感知できる。幻影や精神操作で支払う金を誤魔化したり、盗みに来る者に対抗できるように、男はマナが感知できる訓練をしていた。
後ろにいる他の職員へとちらりと顔を向けると、同じように子供たちを見ていたが、男の視線に気づいてサッと顔を背けた。
この案件が極めて面倒なことがわかるからだ。男だって対応するのは嫌だ。せめて財産を失って没落した元貴族の子供なら良いのだが………。
その子供とメイドのお婆さんだけは、部屋の内装を見ても驚くことはなく平然と受付へと歩いて来た。
他の子供たちは、自分たちがこんなところにいて良いのかと身を引いて、貴族の子供に恐る恐るついてくるのとは大違いだ。
「すいません、少々よろしいてしょうか? ここは平民権を買える場所で間違いはありませんか?」
「はい、そのとおりでございます、おぼっちゃま。こちらにはどのようなご用件でいらしましたか?」
柔和な余裕のある笑みを浮かべて、貴族の子供が声をかけてくるので、男は殊更に丁寧に笑顔で答える。人に好印象を与える雰囲気を持つのも、この部署に配属される理由の一つだ。
平民権を買う者に、よく頑張りましたねと褒めるのを忘れないためである。
「実は僕を含めて、ばぁやと子供たちの平民権を買いたいのです」
はい。金に困っていないことが判明しました。政争に敗れて没落した家の子供の可能性大。
その場合は極めて厄介なことになる。政争に敗れた裕福な家だと、再び返り咲く可能性がある。
昔は対人能力の低い者がこの受付にはいた。金を盗むほどの頭はなく、買いに来た者へと貧民がと馬鹿にして蔑んだ者が配属されていた。
結果どうなったのかというとだ。同じように政争に敗れて没落した者を散々馬鹿にした。そして、あっさりと返り咲いて貴族に戻った相手に、復讐されて処刑された。
もちろん役所の所長も副所長も罰を受けた。処刑はされなかったが、全ての財産を没収、平民権を取り上げられて次の日からスラム街の住人になったという結末だ。
その結果は有名すぎるほど有名になり、対人能力はもっとも重要なファクターとなったわけである。
男は対人能力に自信はあるが、それでも金を持っており、明日にも貴族に戻る可能性のある男の子を相手にするのは嫌だった。
だが、そんな感情はおくびに出すことはせずに、にこやかなスマイルを歪めることはしない。
丁寧な対応で、なおかつ短時間でさっさと終わらせようと、魔法の箱に仕舞ってある半透明の魔水晶片を取り出す。小さなカードに見える魔道具だ。
「お一人、金貨100枚となりますがよろしいでしょうか?」
「えぇ。その水晶片にマナを流すか、血を一滴垂らせば良いんですよね?」
どうやら仕組みを知っているらしい。きちんと教育を受けているのが判明した。警戒度を一つ上げる。
「さようでございます。マナを流し込んだ水晶片は二つに分かれて、一つは国が預かり、一つはご本人が持つことになります。登録された魔水晶は本人のマナか血以外では光ることは決してないので、ご本人様の身分証明書となるわけです」
「わかりました。ばぁや支払って」
「畏まりましたおぼっちゃま」
お婆さんが頭を下げて礼をすると、金貨袋を取り出すと、ドサリのカウンターに置く。
どこから取り出したのか、なぜかまったく疑問に思わずに男は受け取ると、素早く数え始める。間違えたりくすねないように、他の職員たちも集まってきて手伝う。
「たしかに金貨600枚ございます。ではこちらを」
頑丈で壊れることは滅多にないが、それでも貴重な物だ。少し緊張してカウンターに置く。
「お名前をこちらに書いてください」
「『不変』の契約用魔法紙ですね? わかりました」
『不変』の契約用魔法紙は、一度書かれた内容は改竄不可能となる。消したり改竄しようとすると燃え尽きる契約用魔法紙で、このような場合によく使用される。
緊張すらせずに、水晶に人差し指をつけると、男の子が流したマナにより、淡く輝き真ん中からパキンと割れた。
マナも簡単に流せると。かなり優秀な子供だ。顔立ちは茶髪に茶瞳で平凡にみえるが……マナをその身体に薄く纏わせているので、『変装』の魔法か魔道具を使っているのかもしれない。
まぁ、登録さえ終われば、顔などは関係ないことだ。
「通常は平民権は青いのですが、役所に更新をしに来ないと、魔水晶は赤く光ります。赤は税金の未払いとなるので、ご注意ください」
「はい、わかりました。……えぇと?」
羽ペンを持って、名前を書こうとする男の子が困った顔でお婆さんに目を向ける。
「家名は書いてはなりません、おぼっちゃま」
「わかりました。ではヨグ、8歳で良いかな?」
お婆さんとなにやら話していたが、聞こえていない。聞こえていないのだ。家名なんて平民にあるわけがない! 警戒度を最大にする。
「では、ヨグ様。8歳」
残りの子は針でチクリと指先を刺して血を垂らしている。字は書けないようで、お婆さんが代筆をした。
「ギタン様12歳、ガノン様11歳、タルク様11歳、イータ様8歳、トゥス様8歳。はい、登録は完了致しました。平民権のご購入ありがとうございます。これからは更新は税金支払い時に行いますのでご注意ください」
終わり終わりと、ほっと安堵をして恭しく頭を下げる。さっさと帰ってくれ。
本来はよく貯めましたねと褒めるのだが、どう見ても金に困ってはいないし、口にすることなくニコニコと笑顔で言う。
自ら、厄介なことに巻き込まれたくない。
「ふわぁ、これが平民権なんだ!」
「へへっ! やったな!」
「かっけー」
子供たちは無邪気に喜んでいるので、その微笑ましい様子に嬉しくなる。やはり平民権を買って喜ぶ人たちを見るのは気分の良いものだ。これからは平民として差別されることなく暮らせるだろう。
「ありがとうございました。それで、一つお願いがあるのですが」
「は、はい? なんでしょうか?」
まったく喜ぶことはなく、反対に喜ぶ子供たちを見て微笑む男の子。一番年下のはずなのに、行動は親せきの子供を見守るおっさんだな。
なぜかその役どころであるお婆さんは子供のように喜んでいるが。
まだ用件があるのだろうかと、僅かに口元を引きつらせて尋ね返す。
「ここは平民になった人への不動産の斡旋もしてますよね?」
「はい。さようでございます。平民権を持たない方は、ろくな家に住んではいない方が多いですからね。一般的な家をご紹介しております」
「良かった。僕も実は家がないのです。なので金貨3000枚ほどで買える家はありませんか?」
「さ、3000枚でございますか……」
「はい、治安がよく庭もあると嬉しいです」
ニコニコと無邪気そうに微笑む男の子。自分の言動になんら疑問は持っていないようだが……。
それは家ではなく、屋敷と言うんだよ! その金額なら、下級貴族の屋敷が買えるわっ!
「ご、ございます。平民区画の上流地区にあると思いますので、すぐにお探しします」
「えぇ、よろしいお願いしますね。できれば今日から住める家が良いです」
「きょ、今日から……か、畏まりました」
無茶苦茶なことを平然と言ってくるが、怒鳴りつけることはできない。平民は弱いのだ。怒りで内心が煮えたぎる。警戒度が限界突破した。
「紹介料として、金貨10枚ほど渡せば良いかな?」
警戒度はマイナスに下がり、怒りは放り捨てた。
「最高のお屋敷をご用意いたします!」
チャリンと置かれた金貨を素早く掴むと、喜色を浮かべて、男はすぐに不動産を扱う部署へと駆け出す。
妻に隠れてヘソクリができる! 役人でも懐は寒いのだ。
聞き耳を立てていた同僚も目を光らせて駆け出すが、負けるわけにはいかないと、押し合いへし合い不動産を探すのだった。




