想定外の感覚
* * *
(入学説明会のあった夜)
めっちゃ疲れた。もらった資料が多くて。本来説明会には保護者同伴しなきゃいけなかったのに、よりによって母さんはインフルになり父さんは単身赴任中だから自分一人で行かなきゃならなかった。いや、今は説明会のことなんかどうでもいい。
今朝の記憶がまだあるうちに記録しておきたい。高校へ行くためいつもより早起きしたんだけど、何だか神秘的って言うか貴重なと言うのか、不思議な事があった。
振り返れば昔から見慣れてたはずの、最寄りの駅のホームからおかしかったんだ。
どうやら夜中に雪が降っていたようで積もる程ではなかったが外は粉砂糖をまぶしたみたいな景色だった。駅のホームはエレベーターで上がった所にあるため、そこから見る街はいつもと違う場所に見えた。駅前には丘と言うのか、森に囲まれた高台があってそのてっぺんには北欧かどっかの国で造ったらしい大きな鐘がある。この鐘はキリのいい時間になると鳴るようになっていて、今日も7時ちょうどに何かの音楽を鳴らしていた。雪化粧をした街に鐘の音が響く風景は昨日の最低最悪な事件を少し忘れさせてくれるくらいに心が洗われた気がした。これは久しぶりな感覚だった。今までの自分は
修学旅行とかで先生や添乗員が無駄にテンション高く推してくる風景とかを見ても全く無感動・無関心だったのに。
(遊びに行く訳でもないのになんでこんなにソワソワしてんだろう。あ、切符…よかった。落としてなかった。)
今までずっと徒歩通学だった自分にとって、約1時間の電車はちょっとした冒険だった。これからうっかり忘れ物なんてできない。
7時5分。時間通り電車が来た。ラッキーなことに下りなので車両はガラガラだった。昨夜は夜更かししていたので、頭がボーッとしていて乗り換えする終点の駅まで居眠りする予定だった。扉が開いて、車両に乗った。先頭から2番目。
ここからだった。15年間生きてきてあんな経験は初めてだった。
「……!」
寝不足で眠い通り越して頭がおかしくなっていたのかな、自分。乗ってすぐにある人物が視界に入ると、もう睡眠欲はどこかへ吹き飛んでしまった。
その人は全くの見ず知らずの他人なのに、今後二度と会うことはないかもしれない行きずりの人なのに、今も書きながら手が震えている。でも特徴を覚えているだけでも書いておきたい。
その人は間違いなく大人で、やたらと脚が長かった。履いていた革靴はフラットだったので正真正銘スタイルが良かった。下は濃い青のデニムパンツ(ブーツカット?)、上は白いダウンジャケットを着て…そうだ。そのフードの周りに茶色いファーが付いてたんだ。顔はあまりはっきりとは見られなかったけど、電車に乗って一目見た瞬間にあの芸能人と瓜二つだと確信したよね。もちろん本人がこんな何もないところへ来るはずがないのはわかってるんだけど。
その人は自分が入った扉の反対側の横並びの座席の端っこにリラックスした感じで脚を組んで座っていた。仕事へ行くのだろう。黒い大きめのショルダーバッグをクッションのように両手で抱え、起きてはいたものの顔は無表情だった。
自分も(がんばって)無表情でその人と同じ座席の、少し離れた場所に腰を下ろした。具体的には人一人分くらいの間隔を空けて。他に同じ車両に乗っていた客は10人もいなかったと思うし、あの時あの時座席に掛けていたのは自分とあの人の二人だけだ。早朝だったこともあるけど、何せ田舎だからね。
ここから終点までおよそ10分の間、自分はちゃんと座っているはずなのに足が地についてないような、なんとなく身体が自分のものじゃないような妙な感覚に襲われていた。
意識はずっとあっちの方。なぜか暑い気がしたけど、きっと暖房の効き過ぎだろう。自分はどちらかと言うと寒さに強い方だ。
元通りに回復したのは終点に着いて電車を乗り換えてから。そこから自分は、座れなかったものの扉にもたれて爆睡していた。