40キロ
背嚢に4日分の食料を詰める。すでに入っている衣類、ヘッドライトやテーピングなどの備品を含めれば総重量は40キロある。
早坂勇人は背嚢の上に仰向けになって暇に腕を通し、腰ベルトを締める。寝返りを打って四つん這いになってからゆっくりと起き上がった。
仏壇に参り、軍服姿の祖父の写真を拝む。師にも四日間稽古を休むことは報告済み。準備は出来た。
誰もいない廊下を歩き、玄関でゴアテックスのブーツを履く。山道に備えて靴紐を強く閉め、家を出た。
家の前には一本道。片方は街へ、もう片方は山へと続いている。勇人はしばし街明かりを眺めてから、暗い山へと足を踏み入れた。
やることは至ってシンプル。40キロの荷物を背負って40キロの道のりを三日三晩で踏破する。睡眠は一時間足らずの仮眠のみ、食事はミリタリーショップで購入した戦闘用糧食を1日に一回、温めずに食べる。
これは陸上自衛隊のレンジャー訓練で行われる最終行程と同じものだ。この行程を乗り切った者だけが、不屈の意思を表すダイヤと勝者に与えられる月桂冠をあしらった徽章が与えられる。
祖父には高校生になれば挑戦すればいいと言われていた。去年は2日目でリタイア。2年の今年こそは歩き切る。
一歩一歩、砂利道を踏みしめる。歩く振動で背嚢の紐が肩に食い込み、腰ベルトは皮膚をえぐる。
苦痛を和らげる技術は存在する。しかし最後にものを言うのは自分自身の気力だ。
決して負けない。決して屈しない。
不撓不屈。自衛隊ではよく言われる言葉、らしい。まだ入隊していないので聞いた話だが。
赤く残っていた太陽もやがて沈み、星明かりだけが足元を照らす。ヘッドライトもあるが隠密性を重視するため使用は最低限にとどめる。
腕時計を見て時間を確認し、最初の休憩に入る。茂みに荷物を下ろし、ゆっくりと水筒の水を飲んだ。
本来ならば背嚢だけでなく、銃や弾倉などの装備品も加わり、さらに休憩中も交代で警戒を行うが、そこまではできないので省略する。15分休み、また歩き始めた。
苦痛は絶えることなく、徐々に体力は消耗し、眠気でルートを見失いそうになる。疲れは夜中の2時ごろにピークを迎え、燃えたぎっていた闘志は夜闇に消えていく。
前回リタイアしたのもこの時間だった。ここさえ乗り切ればあとは感覚が麻痺して疲労を感じなくなってくる。耐えろ、耐えろと、自分に言い聞かせる。
この苦痛を耐え切れば自分は強くなれる。それだけを信じ、不安も恐怖も押し殺し、ひたすらに前へ進む。
途中で一時間の仮眠を挟み、50分歩いて10分間休憩を繰り返す。朝の5時半、ようやく空が白んできた。霞む視界の中、どうにも見覚えのない道を歩いていることに気づく。
立ち止まって辺りを見回す。行軍路は事前に何度も確認したが、こんな場所は見たことがない。一度深呼吸して頭を冷まし、荷物を置いて地図とコンパスを取り出す。地形と照らし合わせるが、該当する座標は見当たらない。
荷物を背負い、近くの高台に登る。そこから麓の街が見下ろせた。
どう見ても自分の街じゃなかった。
コンクリート製の建物は見当たらず、一昔前の中国映画で見るような木製の家々が並んでいる。碁盤の目状に走る街路を歩く人々は近代化以前の伝統的な中国服。さらには馬車牛車まで走っている。
不眠不休で歩き続けると、幻覚が見える。道端にうずくまる裸の老人や、ないはずの道など、いろんなものを見た。
けれど目の前の光景はあまりに生々しく、幻覚と一蹴するには存在感がありすぎた。
「……状況中断かな。これは」
乾いた喉を動かし、意識を失わないよう慎重に腰を下ろして食事をとった。今は頭が回らない。一眠りしてから考えよう。