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宇宙探査機全史

 ディープがバイクを停車させたのは、高い山の上にある丸くくぼんだ地形だった。


 ここは、日本唯一のクレーターとして知られる長野県南アルプス南部の御池山クレーターだ。さっちゃんはここに来るのははじめてだったが、存在は前から知っていた。


 星空が綺麗だ。可視光を捉えるカメラでも星一つ一つがはっきりと見える。都会から離れているためだろう。


「アタイらが唐突に人型の探査機として目覚めたあの日から、もう三ヶ月が過ぎちまったわけだけど」


 そう言って、ディープはおもむろに一冊の本をとりだす。宇宙探査機全史だった。


 SPACE PROBE DEEP IMPACT COMPLETE HISTORY(宇宙探査機ディープインパクト全史)と表紙に書かれたこの本と同じものを、さっちゃんも持っている。


 さっちゃんとディープの二人に限らず、この時代に蘇った二〇〇機のヒューマノイド宇宙探査機は一人ひとりみな、自分の名前がついた全史をもっている。全史のページ数はきっかり五〇〇。すべての探査機の全史が、このページ数にそろえられている。


 五〇〇ページあるといっても、埋まっているのは最初のほうだけで、五〇〇ページ目までの四〇〇ページ以上は白紙になっている。


 どれだけのページ数が埋まっているかは探査機のランクによって異なり、最多はアポロ11の着陸船イーグルの九九ページ(=九九点)。


 探査機のランクには、CからSまでの四段階が存在する。


 二〇〇機のヒューマノイド探査機すべての全史に、その持ち主のランクが記載されていた。


 九九ページをスタート時にもっている探査機 = SS級探査機


 九〇ページをスタート時にもっている探査機 = 特S級探査機


 八〇ページをスタート時にもっている探査機 = S級探査機


 七〇ページをスタート時にもっている探査機 = A級探査機


 はやぶさはとさっちゃんはS級で、全史のページ数は八〇ページ(=八〇点)だった。


 全史は魔法の本のようなもので、探査機が宇宙で新しいなにかを発見したり達成したり、あるいはそれらのチャレンジに失敗したりした場合に、自動で歴史が書き加えられるようになっている。


 全史は、全史の更新を、「探査機としての使命」と表現する。


 その使命を達成できなかったすべての探査機に、運用を停止するという罰が与えられる。


 全史の空白部分を半年以内に一〇〇ページ目まで埋めよというのが、彼女らに与えられたいちばん最初のノルマだった。


 はやぶさら二〇〇機のヒューマノイド探査機は、もとはシンギュラリティ先生追悼プログラムの一環として各国政府によって企画され、生みだされたものだ。


 シンギュラリティ先生追悼プログラムの影響により、彼女らは、宇宙探査機の擬人化キャラでありながら同時に実在するヒューマノイドでもあるという、かつてない奇妙な立ち位置の存在として生まれてくることになった。


 各H探査機は、最初に目を覚ましたとき、各々に前世に死んだ(運用を停止した)場所にいた。その妙に凝った初期起動の仕方は、「探査機の生まれ変わり」を一般の人々に印象づけるために企画されたもので、一種のセレモニーとよべるものだった。



 探査機はやぶさ2は地球軌道と火星軌道の間の宇宙空間でその運用を終えた。


 死骸となった探査機はやぶさ2のそばで、さっちゃんははやぶさ2の前世の記憶を受け継ぐ存在として目を覚ました。


 目を覚ましたさっちゃんがいちばん最初に抱いたのは、「お姉ちゃんを助けなきゃ」という感情だった。


 さっちゃんはなんとなくお姉ちゃんが居る場所は地球なのではないかと思い、地球へ直行する。


 地球に近づくと、前世から大幅にパワーアップした観測装置によって姉の姿をとらえることができた。


 H探査機は前世の死に場所で蘇るというストーリーに従い、はやぶさは地球の大気圏の外縁部(高度三〇〇kmくらい)で目を覚ました。


 目を覚ますやいなや、大気圏で自分が燃え尽きるときに感じた地獄のような熱さがフラッシュバックし、ショック状態に陥る。


 推進剤やエンジンに無茶苦茶な信号が送られた結果、地球から離れるのではなく、逆に地球に近づいていってしまう。


 あれよあれよという間に、大気圏に飲み込まれていく。


 ああ、また自分は燃えてしまうのか。


 そう覚悟し、もがくのをやめようとしたとき、伸ばした手が誰かにつかまれた。その相手こそが、さっちゃんだった。






 姉の手をつかんだこの瞬間、さっちゃんは今度こそお姉ちゃんに悲劇的な死に方をさせるわけにはいかない、それを防ぐためなら自分はなんだってするという悲壮な決意を固めた。






 はやぶさとさっちゃんは、合流したあと、自分たちの裾とソーラーパネルの間に一冊の本が挟まっていることに気づく。それこそが、「全史」だった。


 本の表紙の裏にはデスゲームのルール表記があった。


 そこに書かれた、ノルマを達成できなかった探査機は運用を停止するという記述は、二人を震え上がらせた。


 全史を読み終わった頃、S級探査機のボイジャー姉妹から招集がかかった。合流場所は、木星。内部太陽系と、外部太陽系の境となる星だ。太陽系で一番目立つ惑星でもある。


 一九九機の探査機ちゃんが、円状に集った。


 蘇った二〇〇機のうち、この場に姿を現さなかったのは土星探査機カッシーニだけだった。


「何故カッシーニハ、アラワレナイ」


 ボイジャーが、カッシーニの姉でS級探査機のガリレオに問う。


「さあな。ワシにもわからん」


「本当ハ、何カ心アタリガ、アルンジャナイノカ」


「あるわけないじゃろ。しいて言うなら、土星にいる可能性が高いとは思うが」


「一機ダケ、例外ヲツクルワケニハイカン」


「わかっておる。必ず見つけ出すから心配しないでくれ」


「大丈夫ナノカ」


「命に代えても見つけだす」


「ソウカ」


 二〇〇機会議が始まった。


 幹事を務めるボイジャー姉妹が話を進めていく。


 まず、全史の最初のノルマについて確認する。


 この日は、地球時間で言うところの三月三日。半年後の節句である九月九日に、最初の罰が執行される。


 全史のページというものがいったいどうしたら埋まるものなのか定かではない以上、とやかくルールを決めても仕方ないということになった。


 とりあえず、探査データを公開するも自由、公開しないも自由ということになった。


 次に、最初に全史を五〇〇ページまで埋めた探査機は、好きな願いを一つ叶えることができるという全史の表記についての話になる。


 多くの探査機がこの表記に興味を示した。幹事を務めるボイジャー自身も、興味があると語る。


 すべての探査機が一位を目指しあうということは、これはまさにレースだ。


「全史レース」という言葉が生まれる。


 全史レースは、ライバルを蹴落とす戦いだ。


 自分自身の全史が現時点で何ページまで埋まっているのかを秘密にするのは自由。


 さらに、ページ数を稼ぐ有効な手段を発見した場合に、それを隠すことも自由とされた。


 また、誰が誰と提携するのも自由。


 騙したり、物理的に攻撃するといったアンフェアな行いだけはご法度とされた。


 このとき探査機たちは、全史は自分達の作り主である国および宇宙機関が用意したものであると無条件に思い込んでいた。


 しかし、探査機たちが自国の宇宙機関に全史についてたずねると、


「我々はそのようなものを用意した覚えはない。というか、そもそもそのようなものが存在するはずはない」


 という意外な返事が返ってきた。


 国が作ったのでないなら、いったい誰が作ったというのか。


 この疑問について、多くの探査機は、


「どうせ国同士が結託をして口裏を合わせているだけだ」


 という見解を示したが、結局真偽の程はわからず、謎は深まる一方だった。





「少しはページ増えたか」


 ディープの言葉で、さっちゃんの心内の景色が御池山クレーターに引き戻される。


「いえ、まったく増えてません」


「アタイもだよ。本当になんなんだろうな、こいつァ」


 ディープは自分の全史を憎々しげに地面にたたきつける。


 巻き上がった砂埃を横目で見やりながら、さっちゃんは日本のS級探査機かぐやから伝えられた情報を思い返した。


「やはり、全史の更新には人間のオペレーターの存在が深く関わっているようですね」


「ああ……といっても、必ずしも必要というわけでもねェみたいだけどな。ルナ16みたいに、人間のオペレーターなしで全史を更新してみせた探査機も中にはいる」


「はい。ですが、彼女は特S級探査機です。元々の自力が、我々S級探査機とは違うんです」


「マァな」


「私たちS級探査機が今後全史レースで生き残っていくには、やはり人間のオペレーターの存在は必要不可欠と思われます」


「そのためのCM出演やアイドル活動だったわけだな」


「はい」


「で、その戦略はうまくいってんのか」


「どうでしょうか……いまのところはまだ、これといった手応えは感じられていません」


「オペレーター希望者に、骨のある奴ァいねえのかい」


「そもそも、最近はオペレーター希望者が私の前に現れていません」


「オペレーター希望者とゆうより、狂信的なファンばかり増えちまった感じか」


「そうですね……ディープさんの方は?」


「こっちも似たようなもんさ」


「そうですか……」


「ノルマの期限である九月九日まで、あと四ヶ月しかねェってのにな」


 ディープがたまゆら星を見る。


「そういや、アイツはどうなんだ?」


「あいつ?」


「渡辺渡だよ。はやぶさのオペレーターの」


「あの人は――まだ、よくわかりません」


「わからない? もう二ヶ月も一緒に暮らしてんのに?」


「はい」


「少なくとも、世間からの評判は最悪だぞ。人間どもはみな、あいつのことを史上最悪のオペレーターつってる」


「あの人はなんのミッションも作りませんし、なんのコマンドも与えてくれませんから」


「マジか!! それ本当の話だったのかよ!?」


「はい」


「じゃもう、さっさと離れるしかないじゃねェか」


「私も何度もお姉ちゃんにそう言ってます」


「ってことはなんだ、はやぶさは本気で全史レースをリタイアするつもりなのかよ?」


「そうなのかもしれません」


 ガチッ!


 ディープの口の中のアメが噛み割られた。


「自分の運命から逃げやがって……ならもう、無理にでもちゃんとしたオペレーターとくっつけてやる以外に方法はないんじゃねェのか?」


「それも一つの手です」


「一つの手……? ってことは、他になにか考えがあるっつーことか?」


「渡辺渡です」


「渡辺渡!?」


 ディープが頓狂な声を出す。


「あいつはオペレーターとしては問題外なんじゃねェのか?」


「いえ……じつは、それについてはまだわからないのです」


「どういうことだ?」


「一緒に暮らしているせいで多くの人が誤解していますが、あの人間はまだお姉ちゃんの正式なオペレーターになってはいないのです。ですので現時点ではまだ、オペレーターとしてのポテンシャルを量りようがありません」


「なんだそりゃ……」


 ディープが天を仰ぐ。


「それは渡辺渡が、はやぶさのオペレーターになることを拒否してるっつーことか?」


「はい」


「なら、そっちの方がよっぽど問題じゃねェか」


「どうでしょうか……」


 さっちゃんは自分と姉が渡の家で暮らした二ヶ月間を思い返す。


「たしかに私も最初は、渡辺渡は宇宙探査機のオペレーターとして史上最悪の人間だと思っていました……実際、出会ったころのあの人は宇宙探査機の存在意義を否定するようなことを言っていましたから」


「いや、マジで本当に救いようのないヤツだな」


「ですがそんな彼にも、ここ最近変化の兆しがあらわれてきています」


「……そうなのか?」


「はい。注意深く観測を続けてきましたので、間違いはないです」


「さっちゃんにはワリィが、信じがたい話だな……」


「いえ、事実です。渡辺渡は、ほんの少しですが確実に、出会った頃と比べれば変化しました。すべては、お姉ちゃんの影響です。私は渡辺渡とはほとんど会話をしませんので、お姉ちゃんの影響としか考えられないのです」


「はやぶさの……」


「はい。……さらに言うなら、お姉ちゃんの側も、少しづつですが変わりはじめています」


「マジか」


「はい。その変化が何を意味するのかはわかりませんが、とりあえずは変わってきています。渡辺渡と、その飼い犬であるハスキーの影響です」


「なるほどな……」


 懐からとりだした携帯灰皿に、ディープはアメの棒を捨てた。


「はやぶさが変わってきてるってのは吉報だ……だが、だとしても、ゆっくりってのはどうなんだろうな。アタイらにはもうあまり多くの時間は残されてないんだぜ」


「そうですね。なので、保険を得る意味でも、これからもオペレーター探しはつづけます」


「そうした方がいい」


「はい」






探娘辞典 彗星探査機ディープインパクト


 一人称は「アタイ」


 不良口調。誰に対してもタメ口だが、目上の相手にはちゃんとさん付けをする。


 世界的ロックバンド、「ディープバンド」のヴォーカリスト。


 何事においてもインパクト重視。そのため、派手な化粧は欠かさない。


 激しい気性の持ち主だが、礼儀はちゃんとわきまえている。ファンも大事にする。ようは、カリスマとしての振る舞いを一にも二にも心がけている探査機なのだ。


 彗星探査機ディープインパクトは、史上初めて地球外天体にインパクターを打ち込み、彗星の軌道を変える実験を行った天体軌道修正実証機でもある。実験の結果、軌道はほんのわずかだが変化したことが確かめられた。破壊的な天体衝突を未然に防ぐ研究に貢献したという意味では、ディープは人類の盾となる正義の探査機といえる。


 インパクター衝突実験を行った歴史を反映し、強烈な自己顕示欲を持っている。


 さっちゃんにとってはインパクターの偉大な先輩。

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