ミネルバとミネルバⅡ1とミネルバⅡ2とマスコット
さっちゃんのCM出演は、予期せぬ弊害を生みだした。
さっちゃんのファンクラブのさっちゃんに対する愛を、暴走させることに繋がってしまったのだ。
ある日、渡の家が一〇〇人の暴徒化したファンによって包囲された。
『渡辺渡、出てこい! 貴様はもう包囲されている!』
『渡辺渡、貴様は自分を、はやぶさ2ちゃんのオペレーターとしてふさわしいと、本気で思っているのか!』
『宇宙に興味のないお前に、はやぶさ2ちゃんのオペレーターを務める資格はない! 身の程をわきまえろ!』
『一刻も早く、はやぶさ2ちゃんとはやぶさちゃんを解放しろ!!』
拡声器を通して倍化した声が、家中に響き渡る。
迷惑極まりない連中だと辟易しつつも、渡は、彼らの言うことはもっともだとも感じていた。
探査機はやぶさとはやぶさ2は、探査機界におけるビッグネームだ。また、日本人にとっての国民的アイドルでもある。そんな2人は今、オペレーターからスペースミッションを与えられないために、宇宙探査機として働けない状況に陥ってしまっていた。ファン達が抗議活動を始めるのも無理はない。たしかに、無理はないのだが――一つだけどうしても、納得のできないことがある。渡はネット通販で購入した拡声器をにぎると、閉じられた窓とカーテン越しに、ファンクラブに向かって叫んだ。
「勘違いしないでほしいんだが、俺ははやぶさ2のオペレーターになったわけでも、はやぶさのオペレーターになったわけでもない! 契約したのは、うちの犬なんだ! うちの犬とはやぶさが、お互いに契約を交わしたんだよ! だから俺は関係ないんだ!」
『そんな話、信じられるか!』
「本当だっての! はやぶさ本人に聞けばわかるよ!」
はやぶさに拡声器を渡し、小声で「頼む」と告げる。
「ほ、本当ぶさ!」
瞬間、罵声がやむ。
『どうしてだ……どうしてなんだよ、はやぶさちゃん!!』
「そ、それは……その……」
言葉を切ったはやぶさが、視線を送ってくる。どうしたらいいかわからない様子だ。もしかしたら、俺の立場を考えて真実を話すことを躊躇っているのかもしれない。
こうなったら、腹を決めるしかないな。
「言っていいよ」
渡は笑顔で頷いてみせる。
「言っていいよ――表に居るファン達に、自分がどうしてハスキーをオペレーターにすることを選んだのか、その本当の理由を教えてやれ」
渡はそう言って、微笑みかけてきた。おどおどするはやぶさを安心させ、落ち着かせるためのやさしげな笑みだ。その笑みを見た瞬間、はやぶさの胸に罪悪感が満ちていく。
「ち、違うぶさ……あっ」
自分が発した声の大きさに驚く。拡声器をあわてて口から離した。
「渡さんが思ってる本当の理由は、ちがうぶさ……」
「本当の理由が、違う……?」
眉間に皺を寄せ、渡が小首をかしげた。
「はやぶさがハスキーをオペレーターに選んだのは、ハスキーの飼い主である俺が、宇宙探査機の存在そのものを迷惑に感じてると言ったから……じゃなかったのか?」
「そ、それは……それもたしかにそうなんぶさけど……でもそれだけじゃないぶさ……」
「それだけじゃない……?」
渡が送ってきた怪訝そうなまなざしから、はやぶさは逃げるように目を逸らした。
「マジかよ……ってことは、なにか別の理由があるってことか?」
「は、はい……」
「なんだそりゃ……」
渡は両手で頭を抱え、露骨に疲れた表情をしてみせた。そのまま動かなくなる。その様子を見たはやぶさは、渡に申しわけない気持ちでいっぱいになる。
「ど、どうしたらいいぶさか」
「……ん?」
「秘密を、言った方がいいぶさか……? それとも、言わない方がいいぶさか……」
「それははやぶさが決めてくれ」
きっぱり言われた。はやぶさは自分の優柔不断な態度を、たしなめられた気持ちになる。
「い……いいぶさか?」
「秘密って先に言われたら、誰だって無理に聞こうとは思わなくなる」
「そ、そうぶさよね……」
渡がこのようにはやぶさを突き放すような態度をみせたのは、数ヶ月ぶりのことだった。
機嫌を悪くさせてしまったのは、自分だ。
ああ、やっぱり自分は、本当に駄目な探査機なんだ……
あの頃から、本当に何も変わっていなかったんだ……
はやぶさは、自分で自分の汚点と考えている過去――探査機はやぶさ時代の記憶に、思いを馳せる。
はやぶさの前世である探査機はやぶさの本質は、本番機(はやぶさ2)のための技術実証機。いわゆる踏み台だった。
世間からの期待の低さを反映するように、はやぶさは打ち上げられた直後はぼんやりしていた。ぼんやりしていたからこそ、搭載していた装置の一つである「小型機ミネルバ」の小惑星イトカワへの投入を、失敗してしまった。
そこで目が覚めた。
いくら自分が世間から注目されない実験機だからといって、それで卑屈になって、探査を投げやりに行ってはならない。
自分には、自分のことを昼夜を問わず見守ってくれているオペレーターや、ミネルバという、かけがえのない仲間がいた。
もし自分が卑屈になるあまり無責任な探査を行えば、自分に関わる人たちに大変な迷惑がかかることになるのだ。
ミネルバとの別れをきっかけにそのことを痛感したはやぶさは、以後、
「自分は確かに、低コストで作られた実験機かもしれない。でもだからこそ、ほかの探査機より余計に頑張らなきゃならない。がんばるしかないんだ」
そういう思いで、がむしゃらにミッションに向きあうようになった。
「クロス運転」といった、考えられる最終手段を使い尽くしながら、はやぶさはなんとかぎりぎり地球に帰ってきた。
しかし、帰還は予定より4年半も遅くなった挙句、12個あった姿勢・軌道制御スラスタが全損していたことにより、サンプルだけ地球に落として宇宙に舞い戻るという当初の予定も果たせなくなった。
地球で燃え尽きる姿は人々の心を揺さぶりはしたものの、当のはやぶさにとっては、あの終わり方は、探査機としての弱さ、未熟さの象徴でしかなかった。
自分が欠陥機だったせいで、ミネルバは喪失し、JAXAのオペレーターには散々迷惑をかけてしまった。
自分はきっと、宇宙探査に向いていない探査機なんだ。
もういちど生まれなおした今度こそは、誰にも迷惑をかけない探査機になりたい。
もし人間のオペレーターと組むのであれば、宇宙へ行けと自分に命じないような人と組みたい。
そんな風に思っていた矢先に出会ったのが、ハスキーを連れた渡だった。
さっちゃんと二人、「オペレーター募集」の看板を掲げて立っていたときのことだ。
無数のファン達にとりかこまれる中、その背後から、異質なほどトーンの低い声が聞こえてきた。
「結局お前ら宇宙探査機やドローンってのは、探検っていう人間の楽しみを奪っただけの存在なんじゃねーのか?」
この声の主こそ、渡だった。
ネガティブなはやぶさは、自分ひとりがBT時代を作り上げたわけでもないのに、渡に対してまで罪悪感を抱くようになる。自分が迷惑をかけてしまったのなら、なんとか償わせてほしい。埋め合わせをさせて欲しい。はやぶさは渡を、代償行為の相手として定めた。
そして、自分のオペレーターになってほしい、と懇願した。
ストイックな頑張り屋のように見えて、裏ではミネルバへの罪悪感に苛まれつづけている。それが、はやぶさという探査機の真実の姿だった。
いつまでも自分で自分を許すことができない。
渡から恨み節をぶつけられたことで、はやぶさはミネルバの怨霊が目の前に現れたように錯覚してしまったのだ。
自分のオペレーターになって欲しいというはやぶさを、渡は最初は冷たく突き放した。
はやぶさは諦めない。
やがて断ることに疲れたのか、渡は、「じゃあ、ハスキーがいいっていったらいいよ」と言ってくれた。
「ハスキーさん、どうか……どうか、自分のオペレーターになっていただきたいぶさ!」
はやぶさが頭を下げると、ハスキーは、
「ワン!」
と答えた。というか啼いた。
「やった!」
はやぶさが歓喜して飛び上がる。
「は? なんで喜んでんだ?」
「いま、うん! って言ったぶさ!」
「いや、ワンって吠えただけだろ」
今この瞬間にいたるまでの経緯をちょうど思い返し終えたところで、はやぶさの意識は現実に引き戻される。気づくと、ハスキーに頬を舐められていた。
「クーン、クーン」
ハスキーが悲しげに啼く。まるではやぶさの心に寄り添ってくれているかのようだ。
「オペレーター……」
はやぶさはハスキーを抱きしめ、毛のなかに顔を埋めた。不安定だった心が静まりはじめる。やがて背筋を戻すと、ハスキーのクリっとした黒目をのぞき込んだ。
「オペレーター、自分がオペレーターの元で働きはじめてから、もうすぐ二ヶ月が経つぶさ……」
ハスキーが、不思議そうな眼差しを返してくる。まるで、いま自分がしている話に耳を傾けてくれているかのようだ。
「自分は、オペレーターの役に立てているぶさか?」
「ワン!」
「うん!? オペレーターはいま、ウンって言ったぶさか!?」
渡に問う。
「あ、ああ……」
人差し指で頬を掻きながら、渡が淡く笑んだ。
「多分な」
「よかったぶさ!」
ふわふわの毛に包まれる。その感触で、自分はまた無意識にオペレーターを抱いてしまったのだと気づく。とっさに離れようとした――その時だった。
ガシャン!
真後ろで大きな音が鳴った。ビクッとふりむく。
床に石が転がっている。
「び、びっくりしたぶさ……」
この石が窓を割って入ってきたのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
もしカーテンが閉められていなかったら……
バン!
今度は部屋の内側から大きな音がした。またビックリして、後ろに捻っていた体を戻す。音を立てたのは、さっちゃんだった。さっちゃんが、立ち上がりざまに両手で座卓に一撃を見舞ったのだ。
「ちょっと、外に出てきます」
座卓を叩くときにさっちゃんの手から滑り落ちたウサギのぬいぐるみが、ふいに自力で立ち上がった。渡が、「うおっ!?」と驚きの声を上げる。
魂を吹きこまれた白いウサギは、二階へつづく階段を一段飛ばしで軽快にかけ上げる。
はやぶさとさっちゃんの部屋に行ったのだろう。その背を追って、さっちゃんも階段を登っていく。
自室に入ったさっちゃんは、アイドルコスチュームに着替えた。この日のために極秘裏に製作してきたものだ。鏡の前で自分のふっくらしたほっぺをたたく。
用意してあった紙袋を手に提げると、いつも抱いている白いウサギのぬいぐるみ(はやぶさ2小型機マスコットのオマージュ)と、自室に置いてあった2つの青いウサギのぬいぐるみ(はやぶさ2小型機ミネルバⅡ1、Ⅱ2のオマージュ)を従えて外に出る。出た瞬間、玄関前を包囲していたファンクラブから大歓声が上がった。
「「ウォォォォォォォ!!」」
彼らの前で、電源の入ったマイクを口元に持っていく。
「歌います」
「「ウォォォォォォォ!!」」
「踊ります」
「「ウォォォォォォォ!!」」
「これ、使ってください」
持ってきた紙袋からアイドル応援用のペンライトを取り出す。一人一人に手渡していく。
「「!? ……ウォォォォォォォ!!」」
「公園に行きます」
「「ウォォォォォォォ!!」」
さっちゃんは土管が横たわる空地へとファンを誘導した。
土管の直径は一メートルほど。三本あり、並べられた二本の上に一本が載せられている。
三匹のウサギが、アクロバティックに飛んだり跳ねたりしながら、土管の下の段に着地した。サーカスの曲芸師の動きだった。偶然に似たわけではない。以前テレビでサーカスを見て感銘を受けたさっちゃんが、三匹に練習させたのだ。曲芸師の動きと言っても、三匹は人間とは比較にならないジャンプ力をもつため、自然とジャンプが目立つパフォーマンスとなる。
三匹の優雅な着地を見届けたさっちゃんは、三匹を見下ろすように土管の上段に立った。
「コズミック・ステージへようこそ」
「「ウォォォォォォォ!!」
「小さなあかりという歌を歌います」
「「ウォォォォォォォ!!」」
「作曲は友人、作詞は私です」
「「ウォォォォォォォ!!」」
さっちゃんは手を使って観客の視線を右端にいるウサギへといざなう。
「右から、ミネルバⅡ1、マスコット、ミネルバⅡ2です」
手で示す先を変えながら、三匹のうさぎを順に紹介する。
「この子たちはこの日のために血の滲むような練習を重ねてきました。今日はぜひ、この子たちのダンスパフォーマンスに注目してあげてください。それと、終わったときに必ず盛大な拍手を送ってあげて下さい。でないと許しません」
「「ウォォォォォォォ!!」」
「歌います」
「「ウォオォオォオォ!!」」
イントロが流れはじめた。未来的にして幻想的な曲調。電子楽器で奏でられたものだ。
音楽に合わせて三匹が動きはじめる。
さっちゃん自身がダンスパフォーマンスと形容したものの、三匹のウサギが見せはじめたパフォーマンスは、音楽番組に出てくるダンサーが見せるような激しいものではなかった。サーカスの曲芸を見本としたジャンプ中心の演技なので、要素と要素のあいだには必ずある程度の間ができる。その緩急が、独特な曲調との調和を可能にしていた。
「夜空を見て思う 生まれてきた意味を
きらめく星達は どうして輝き続けてるの
無限の宇宙には 無限の星がある
まぶしすぎる世界 私には遠い
怖くなって目を背けた 眠りたい、そう思った
胸の中の星が 騒ぎはじめた――」
三匹のウサギは土管ステージの下段をメインの持ち場としつつも、ときに上段に登ったり、逆に地面に下りたりもする。地面から一気に上段に跳ね上がることもあるし、その逆もある。パフォーマンスの印象が単調なものにならないようにするための工夫だった。
「高鳴りが止まらない 星の光は道標 私の道照らしてる
その道を歩いてく いつか星になれる日を信じて いまは小さな灯だけど」




