月3
はやぶさは月着陸船イーグルに会いに行った。
イーグルは、スペースクルーズの観光客を、宇宙遺産一○○○登録物件の一つである「アポロ17号関連史跡」へ案内しているところだった。
案内が終わったところで声をかける。
五ヶ月ぶりにイーグルとの再開を果たすはやぶさ。
「イーグルさん、お久しぶりぶさ!」
「お久しぶりです、はやぶさ」
もっとも尊敬する先輩を前に、はやぶさは有頂天になる。
しかしすぐに、置いてきた渡のことを思い出し、胸が苦しくなる。
イーグルは、今のはやぶさには気分転換が必要と考え、自分の手伝いを依頼する。
翌日、はやぶさは全史の更新具合をイーグルにたずねる。
イーグルは一ページも更新されていないと返す。
はやぶさは愕然とする。
イーグルは唯一のSS級探査機だ。たとえオペレーターがいなくとも、その気になれば、全史などいくらでも更新できるはず。
イーグルは、自分の意思で全史レースに参加しないことを決めたとはやぶさに伝える。
前世でのルナ15とのムーンレースに勝利したあと、競争の虚しさを知ったというのが不参加の理由だった。
イーグルはH探査機としての観測装置を使った探査を今後一切行わず、先程のような史跡の紹介だけを行っていくつもりなのだという。
H探査機としての観測装置を一切使ってこなかったのであれば、全史が一行も更新されないのも無理はない。
イーグルは本気で全史レースから脱落するつもりなのだ。
はやぶさは自分がスペースミッションから逃げようとしているわりに、イーグルに全史レースの辞退を考え直すよう説得する。すると、その矛盾をイーグルにつかれる。
「あなたが私を失いたくないと思うのと同じように、あなたの周りの人たちも、あなたを失いたくないと思っているのではないのですか」
イーグルの優しさに胸を動かされ、はやぶさは丸一日ぶりに渡のもとに姿を現す。
はやぶさが病室を訪れたとき、渡は杖を頼りにベッドから立ち上がろうとしていた。
「ま、まだ動いちゃ駄目ぶさ!!」
「ごめんな、こんなことになっちまって」
「ど、どうしてオペレーターがあやまるぶさか!?」
「はやぶさに、嫌な思いさせちまっただろ」
「嫌な思いなんて、ぜんぜんしてないぶさ!」
渡ははやぶさにタブレット画面を見せる。見せながら、IMS操作する。
はやぶさは行方をくらませていた一日のあいだに、ティコクレーター横断レースなるイベントの開催が急遽決定した。オリンピック号とタイタニック号、両方の乗客とクルーに参加資格があるレースで、一位から三位にはメダルと賞金が授与される。
ティコクレーターは直径八五キロの巨大クレーターだ。一億八百万年前という比較的新しい時代に生じたため、整った丸い形をしている。このクレーターを、縁のある地点から中心軸をはさんだ反対側へむかって駆け抜けるのが、ティコクレーター横断レースだ。
今回が第一回のレースとなるため、どのルートを通れば早くつく、というようなデータは存在しない。一発勝負だからこそ、事前のコース作りが勝敗の鍵をにぎる。
渡はレースのコース作りに参加することを決めたとはやぶさに伝える。
「このコース作りに必要なのは、地表の性質を調べる探査だ。高度な成分分析は必要ない。むしろ、はやぶさとさっちゃんはサンプラーホーンっていう地表のリアクションを調べられる装置を持ってるんだから、他の探査機より断然有利なはずだ。このチャレンジはきっと、俺たちのチームの圧勝になるぜ」
渡の見解にはやぶさは勇気づけられる。
渡も、はやぶさが元気を取り戻してくれてホッとする。
はやぶさとさっちゃんはティコクレーターの内部をぴょんぴょんと跳びまわりながら、サンプラーホーンで地表のデータを収集していく。きりのいいところで切り上げると、ビッグデータの分析に入る。
レース当日。
渡たちは、これしかないという最高のルートを見つけ出していた。
そのルート情報を、ゲスト達に「追加アクティビティ」として自信を持って提案する。
しかしどういうわけか、このアクティビティを利用するゲストは一人も現れない。
原因は、渡の評判だった。渡を嫌う同僚のスペースクルーたちが、渡がクレーターでスキーに挑み大怪我をしたと流布していたのだ。
クレーターで大怪我をしたクルーの作ったルートを、クレーター横断レースの参考にはできないと多くのゲストは考えたのだろう。
渡自身が怪我をしているので、自分で走ってコースの正しさを証明することもできない。
結局、チャレンジは灰燼に帰した。
コースの正しさが検証されないまま終わったので、はやぶさとさっちゃんの全史が更新されることもなかった。
ゲストからの評判が悪くなったため、渡の月でのスペースワークは完全に行き詰ってしまった。
怪我をして動けない上にこの状況、もはや絶体絶命というほかなかった。
病室で三人が打ちひしがれていると、突然SS級月着陸船イーグルが見舞いにくる。
イーグルは渡にはじめましてと挨拶をする。
「ご挨拶にうかがうのが遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。後輩たちがいつもお世話になっております」
「いえ、世話をしてるつもりなんて、俺は全くないんで」
イーグルは三人が窮地に陥ったことをよく理解した上で、激励に赴いてくれたのだった。
「はやぶさのオペレーターがあなたで、本当によかった」
予想もしないイーグルの言葉に、渡は思わず「えっ?」と聞き返してしまう。
「あなたは前例のないチャレンジに挑むことを、無意識に自分の日常として考えている、そういう類の人間なのではありませんか」
「ええ、まあ……そうなのかもしれないです」
「私は貴方と同じような人間を、貴方以外に三人知っています。アポロ計画で共に月に行った、ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズの三人です。三人とあなたは同じ――」
言葉を切ったイーグルが、右手を胸にもっていく。目を閉じながらそこをポン、ポンと叩く。
「――を、持っていました」
「いやいや、その三人と比較されるのはいくらなんでも……」
「私は本気で言っているつもりです。もちろん信じる信じないは、貴方の自由ですが」
イーグルの片側の頬がフッと綻ぶ。頂点に立つ宇宙機にふさわしい、奥ゆかしくも底知れない微笑だった。
スペースクルーとして宇宙にいる限り、自分の探査機であるはやぶさとさっちゃんにミッションを与えることを最後まで放棄しない。渡はそう決意を新たにした。
自分の怪我が完治するまであと二日。完治してから月を離れるまでが一日。
そのことを踏まえた上で、いま自分ははやぶさとさっちゃんをどう動かすべきなのだろうか。目を閉じて思案する。
どういうわけか、ふいに任田の顔が浮かぶ。
渡は地球を離れる前、任田から、
「月に行ったら竪穴と溶岩洞窟の写真をとってきてくれ」
といわれていた。
「月の巨大竪穴と溶岩洞窟ってのは、ケイバー(洞窟探検家)の間でも知られてんだよ。なんでもそれが、地球外で発見された初の洞窟らしい」
洞窟……か。
同じ探検部の任田が結びついていることで、渡は洞窟に自分が成すべきスペースワークがあるのではないかと考えはじめる。
月には二〇〇個以上の巨大な丸い竪穴と、数百箇所もの巨大地下空洞がある。それらすべてが、「月の溶岩洞」として、宇宙ユネスコの保全対象として登録されていた。
はやぶさとさっちゃんを最寄りの竪穴に向かわせる。
その縦穴は長さ一〇km、幅一kmの超巨大溶岩洞に繋がっていた。地球の常識ではありえないこの規模は、地球の六分の一という月特有の低重力環境の上に成り立つものだ。
洞窟の地面には、いたるところに落石が転がっていた。
これらはもちろん、天井が部分的に崩落してできたものだ。
月の溶岩洞の崩落のほとんどは、月震――ムーンクエイク――によって引き起こされている。
そのため、ゲストを月の溶岩洞に案内するには、月震を予測する力か、あるいは月震によって天井のどの部分が崩落してくるか予測する力のどちらかが必要とされた。
そこは、日本の月探査機かぐやの独壇場となっていた。
三種の地形観測装置、二種の鉱物観測装置、ひとつの重力異常観測システムを搭載しているかぐやは、地下に強い。
かぐやのいるチームがゲストを案内する様子をみて、はやぶさとさっちゃんは、とてもじゃないがこのチームには太刀打ちできないと感じる。
かぐやチームが案内を終えたところで、声をかける。すると、
「溶岩洞でアクティビティをやりたいならやはり月震対策は必要不可欠」
と釘を刺された。
月震……月震……
「……あ」
H探査機として蘇ってからはじめてのひらめきが、はやぶさの胸内に走る。
そのころ渡は、はやぶさの視点を自身のIMSに映して見ていた。
月の洞窟のスケールの違いに驚く。
この映像を地球にいる任田に送って意見を求める。
「いや、すっげーなマジで」
と、任田。
「でも、いくらなんでも凄すぎるっつーか……探検をする場所としてはどうなんだろな」
「任田の目から見て、月の溶岩洞は探検するに値しないってことか?」
「そうだなぁ……なんかが足りない……」
「なんかってなんだよ」
「洞窟探検の醍醐味ってのは、メリハリなんだよ」
「メリハリ?」
「ああ。狭い場所を抜けて広い場所にたどりつくとか、途中で滝を下るとか、そういうメリハリよ」
「洞窟に滝とかあんのかよ?」
「あるよ! ニューブリテン島の地底河川とかに」
メリハリ……地底河川……滝……
月にはじめて地震計を設置し、ムーンクエイクの存在を確かめたのは、他でもないはやぶさの大先輩イーグルだ。
はやぶさはいま一度イーグルの元を訪れる。
生まれ変わった今のイーグルは地震計を持っているのか、たずねるためだった。
アポロ月面科学観測ボックス――前世のイーグルが積んでいた地震計を含む装置――の小型化したものをもっている、と言って、イーグルは見せてくれた。
自分たちには地震計が必要だから自分たちの探査に協力してほしいと、はやぶさはイーグルに頼み込む。
しかし、イーグルは全史の更新を避けるために、自分自身の観測装置を一切宇宙探査に用いないことを固く決意していた。
全史レースリタイアの運命からイーグルを救うためにも、はやぶさはアポロ月面科学観測ボックスをイーグルから盗難することを決意する。
渡、はやぶさ、さっちゃん、ハスキーが集う。
はやぶさは、
「イーグルさんからお借りしてきたぶさ!」
といって、アポロ月面科学観測ボックスを二人に見せる。
渡、さっちゃんそろって仰天。
渡が、「ムーンスライダー」なる奇想天外なアイデアを発表。
月には、天窓(縦穴)が一つもないせいで人間がアクセスできない埋もれた溶岩洞も、多く存在することがわかっている。その空間と地上を、ソリが滑るくらいの角度をもつ穴で繋ぐことができたなら、新たな観光資源の開拓になるのではないか。
瞬間、さっちゃんの双眸が大きく見開かれる。
「できます」
と、さっちゃん。
「その穴を開けられる探査機を、私は一名だけ知っています」
さっちゃんがルナ16を説得し、穴を掘ってもらえることになる。
ルナ16が気合を入れたため、穴自体は半日で開通する。
いままで誰の目にも触れたことのなかった未知の溶岩洞が、その姿を現す。
ここから先ははやぶさとさっちゃんの仕事だ。
レーザー高度計「LIDER」をはじめとした観測機器を駆使して、二人はマッピングを進めていく。
オリンピック号とタイタニック号が月を発つ日はもう明日に迫っていた。懸命にマッピングを進めるが、間にあわない見通しが立ち始める。
このままでは、アクテビティを行うための時間が残らなくなってしまう――
そんなときに手を差し伸べてくれたのは、なんと崇女だった。
「はやぶさとはやぶさ2が可哀想で、見ていられない」
そういって崇女は、ディープに二人のマッピングを手伝うように命じたのだった。
月を発つその日に、ようやくムーンスライダーはアクティビティ可能になる。
三人が行ったマッピングはかぐやのチームのそれと比べれば拙いものだったが、アポロ月面科学観測ボックスがその穴を埋めてくれた。
渡は自分と崇女がムーンスライダーを滑り降りて洞窟に飛びだすシーンをおさめた動画を、スペースチャンネルに投稿する。すると、すぐに反響が沸き起こる。
ゲストが押し寄せてきたが、わずか五人を乗せたところであえなくタイムアップとなった。
この日は、渡がはじめてスペースワークを成功させた記念すべき日となった。
全史の更新は五機に割り振られる形となった。
結局、今回のミッションでいちばん全史を稼いだのは、「自分にしかできないこと」をやったルナ16だった。
ルナ16の更新ページ数は一〇。
はやぶさとさっちゃんが、ともに八ページでそれに続く。
「自分の道を見失うな」というルナ16の言葉を、さっちゃんはあらためて噛みしめる。
だが何はともあれ、これで第一次全史レースのゴールである一〇〇ページが見えてきた。
S級探査機としての初期ページ数 = 八〇
犬ぞりコース研究 = 三
ジョルダーノブルーノ・クレーターのマッピング = 二
新発見溶岩洞のマッピング = 八
八〇+三+二+八=九三
はやぶさとさっちゃんは抱き合って喜ぶ。
四番目に更新が大きかったのは、イーグルだった。
元から九九ページあった全史が六ページ更新され、一〇五ページになる。
ページ数が一〇〇を突破したため、イーグルは彼女の意に反して、第一次全史レースで「あがり」となってしまう。
はやぶさが、アポロ月面科学観測ボックスは借りたのではなく、勝手に持ってきたものだと告白。
月を去る直前、はやぶさとさっちゃんはイーグルに謝りに行く。
イーグルは知らないあいだに自分の全史が更新されたとはやぶさに告げる。
はやぶさがイーグルに飛びつく。一瞬瞠目したあと、イーグルははやぶさをやさしく抱きしめる。
はやぶさは改めて、全史を放棄しないで欲しいとイーグルに懇願する。
「わかりました」
と、イーグル。
「ほ、本当ぶさか!?」
「ええ。ですが、その代わりに条件があります」
はやぶさは目をぱちぱちと瞬かせる。
「あなたが、今のような元気な姿をこれからもずっと見せてくれること――それが、私が全史にレースに参加する条件です」
急にはやぶさの視界がおかしくなる。
顔が勝手に歪もうとする。
目から溢れようとするものを抑えつけるために、はやぶさはイーグルの胸に強く、強く顔を埋めた。
イーグルは、スペースクルーズに同乗しなかった。
「これからは月で、ルナ16とともに探査を行っていくつもりです」
はやぶさが縁をつないでくれたお陰で、今回イーグルは奇しくも自分が負い目を感じてきたルナ15の妹、ルナ16と、ミッションを共にできた。
今回のミッションで、自分の「アポロ月面科学観測ボックス」が地下研究に役立つことがはっきりしたため、これからは月でルナ16と手を携えて地質探査を進めていくことにしたのだ。
月は大気摩擦がなく重力も弱い衛星なので、二隻の宇宙豪華客船は月では月面にそのまま降り立っていた。
浮上をはじめたタイタニック号を、偉大な二機の宇宙機が並んで見送る。
渡とはやぶさとさっちゃんは、窓越しに見える二人にいつまでも手をふりつづけた。




