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はやぶさとスターダスト

 太陽フレアへの恐怖心から屋内に閉じこもりがちだったはやぶさ。


 このままではお姉ちゃんは人間で言うところの引きこもりになってしまうのではないかとさっちゃんは危惧し、どうしたら外へ行かせられるかと頭を捻る。


 そこで、ある妙案を思いついた。


 人間と犬が一緒に屋外を歩き回る行為――いわゆる散歩をさせるようにすれば、自然と屋外に出るくせがつくのではないか。


「今、お姉ちゃんは人で言うところの引きこもりの状態なんです。今の生活を続けていたら、お姉ちゃんは二度と宇宙にいけない宇宙探査機になってしまいます。そうならないうちに、手を打たないといけないんです」


 さっちゃんは渡とハスキーに対し、頭を垂れる。


「どうか、協力していただけないでしょうか。この通りです」


 さっちゃんが渡に対してこんな風に素直にお願いをするのは初めてのことだった。


 真摯な姿勢が伝わったのか、渡は「協力するよ」といってくれた。



 かくしてはやぶさの恐怖心克服プログラムが始まった。


 最初の散歩は、まだ薄暗い早朝の時間帯に行うことになった。


 筋肉のリハビリ同様、はやぶさの恐怖心克服プログラムも最初は小さな負荷をかけることから始めて、徐々に慣れさせていくべきと、渡が判断したためだ。


 その判断は、結果的に奏功した。


 日を重ねるにつれ、はやぶさは徐々に明るく色彩に溢れた世界に馴染んでいった。


 狭い屋内の世界の住人から、広々とした屋外の世界の住人へと次第に羽化していく。


「はやや?」


 ある朝、散歩をしていたときのことだ。


 はやぶさは薄紅色をした巨大な岩石状の物体を街中で発見した。


 直径は一〇メートルほど。


 形状と大きさだけみれば、小惑星の破片か微小天体と考えられる。


 地球の表面にくっついているのではなく、少し浮いているので、月と同様に地球の重力に捉えられている地球の衛星なのかもしれない。


 しかし、密度があまりにも低いのが気になる。低いというよりは、ほぼないに等しいような密度だった。固体とは信じがたいほど希薄な物体だ。


 ケイ素(岩石の材料)ではなく炭素(生命体の材料)を主成分としていることからも、これが岩石でないのは明らかだった。


 でも、ならいったい何なのだろう。


 気になったはやぶさは、さらに観測を続ける。


 薄紅色の物体は、茶色い柱のようなもので地球と繋がっていた。


 この柱のほうは、ほどほどに高い密度を持つ物質だった。


 もし、薄紅色の物体があの茶色い柱によって地球に固定されているのであれば、薄紅色の物体の正体は地球の衛星であるという仮説は完全に否定されることになる。


 謎は深まる一方だ。


 もう少し観測を続けてみよう。


 そう思い一歩を踏みだした瞬間、風が吹いた。


 思いのほか強い風で、驚いたはやぶさは目をつぶる。風は最初の瞬間は強かったが、すぐに弱まりはじめた。はやぶさは恐る恐る目を開く。すると一転、今度は目を大きく見開くことになった。


 薄紅色の物体が、無数の微小な塵を放出していたのだ。


 塵の大きさは二センチほど。全部の塵が一様に同じ大きさをしているようだ。晴れ渡った青空を背景に、白く射光しながら舞い落ちてくる。そのまばゆさは、はやぶさの胸内に夜空に飛散する流星群を浮かび上がらせた。


 流星群は、流星の一群が夜空のある一点を中心に放射状に広がる天体現象のこと。


 その現象を引き起こすのは、彗星塵とよばれる彗星から放出された塵だ。


 はやぶさは旧知の彗星探査機スターダストから、宇宙探査機にとって彗星塵がどれほど危険なものであるかを聞かされていた。


 アメリカの彗星探査機ジオットのように、彗星塵に激突したことで観測機器にトラブルを生じた探査機も中にはいるのだ。


 早く、早く逃げないと……


 踵を返して逃げようとした矢先、ハスキーの綱が手から離れる。


「はやや!?」 


 綱を追って体を回すと、彗星塵に飛び込んでいくハスキーの後ろ姿が目に飛び込んできた。


「ハスキー駄目ぶさ! それは彗星塵ぶさ! ぶつかったら大変なことになるから、早く逃げなきゃだめぶさ!」


 はやぶさの呼びかけも虚しく、ハスキーはあろう事か、彗星塵のもっとも濃密に降りそそぐ場所に走りこんでいってしまう。


 はやぶさは慌てて駆け出す。


 恐怖と焦りに苛まれるはやぶさとは対照的に、ハスキーは嬉々とした様子で降りそそぐ彗星塵と戯れはじめた。


「危ないぶさ!」


 はやぶさはハスキーを守るように抱きしめる。


 ハスキーを彗星塵から守り続けるためには、もう動くことはできない。


 ハスキーを見捨てて逃げるか、ハスキーのために死ぬか。


 どちらかしか選べないなら、自分は……


 自分は、死ぬことを選びたい。


 ここでハスキーを死なせてしまったら、ミネルバを失ったときの張り裂けそうな胸の痛みが必ず舞い戻ってくる。


 二つの痛みに苛まれるようになったら、自分はきっと生きているのが嫌になり、自分で自分の命を絶ってしまうだろう。


 そうなるくらいなら、命がけでハスキーを守ったほうがいい。絶対に。


 このとき、はやぶさは明確に自分の死を覚悟した。


 しかし、覚悟を決めたからといってそれで心が凪ぐわけではない。


 死の恐怖を乗り越えたその先には、別れの恐怖が待ち構えていたのだ。


 大切な人達の顔が、走馬灯のように蘇る。


 JAXAの人達。


 ミネルバ。


 イーグル。


 スターダスト。


 ニア。


 オペレーター。


 そして、さっちゃん。


 さっちゃん。


 さっちゃん。さっちゃん。さっちゃん。


 閉じた目の隙間から、熱いものが染み出して頬を伝った。


 さよなら、さっちゃん。


 ごめんね……


 眠りから目覚めに移行するまどろみの中で、はやぶさは自分が空色のクッションに横たわっていることを理解しはじめた。


 柔らかいが、かといって柔らかすぎるわけでもない、極上の寝心地。


 この寝心地だけで分かる。


 このクッションは、旧友の彗星探査機スターダストのものだ。


 彗星探査機スターダストは、クッション性のある物質エアロゲルを用いて彗星塵のサンプル採取を行った歴史をもつ探査機だ。


 その前世の歴史を反映し、スターダストはクッションの質に並々ならぬこだわりをもつヒューマノイド探査機として生まれ変わった。


 スターダストは最初はクッションを集めることを趣味としていたが、クッションの質を絶対に妥協しない気質が高じて、いつしか自分自身でクッションを製作するクッション職人としても活動するようになった。


 はやぶさはスターダストの作品の特徴をよく知っているから、自分がいま横たわっているのがスターダストのクッションであるということを、まどろみの中でさえ理解することができる。


 スターダストのクッションに横たわっていると、どういうわけかとても懐かしい気分になる。


 安らかな安心感に包み込まれる。


 スターダストに会いたいな。


 でも、もう少しこのまままどろんでいようかな。


 どっちにしようかな……


 そう思いながら寝返りを打つと、硬い何かに頭がぶつかった。


「いたっ!」


 まどろみが吹き飛ぶ。


 立ち上がり始めた意識が最初に認識したのは、優しいクッションを思わせる髪型だった。


 ボブヘアーの髪は、はやぶさと同じくライトグレーに染まっていて、パーマがかけられている。そのふんわりした世界に包まれる形で、こじんまりとした鼻と口と、それから閉じられた目がある。見慣れた探査機の寝顔だった。


「スターダスト!?」


 はやぶさは吹き飛ぶように上半身を起こす。


「どうしてスターダストがここに……? というか、ここはどこぶさ?」


 周囲を見回すと、ハスキーがスターダストに抱かれて眠っていること、自分達の真下にベッドくらいの大きさのクッションがあること、頭上に彗星塵を降らせる巨大物体があることなどがわかった。


「はやや!?」


 巨大物体を再び目にしたことで、はやぶさは意識を失う直前の状況を思い出す。


「大変ぶさ! 彗星塵ぶさ!」


 はやぶさは大声で叫ぶと、眠るスターダストとハスキーを揺する。


「二人とも、はやく起きるぶさ!」


「それは彗星塵じゃないよ」


 寝起きとは思えない明澄な声で言うと、スターダストははやぶさと同じようにクッションの上で上半身だけ起こして伸びをした。


「はぁ。清々しい朝だねぇ」


 けだるげにつぶやくと、スターダストははやぶさを横目で見やる。


 スターダストの目蓋の上半分が閉じたような目は、いかにも眠そうだ。しかし、それは寝起きの状態だからそうなっているわけではない。彼女は生まれつきこのような目をしているのだ。


「彗星塵じゃない……ぶさか?」


「うん。ちゃんと見てみればわかるよ」


 スターダストはベッドの上に積もった塵の一つを摘み上げると、それをはやぶさの目の前にかざす。


「炭素が主成分だし、彗星が由来とは思えない複雑な組成をしているじゃん」

「たしかに……」


「これは恐らく、人間がいう生命ってやつでしょ」


「生命……」


「これと似たようなものってこと」


 気持ち良さそうに寝ているハスキーの背中を、スターダストは撫でる。


「なるほど……生命だったぶさか」


「サクラっていうものらしいよ」


「サクラ……」


「うん。綺麗だよね。流星群みたいで」


 言うやいなや、スターダストははやぶさの目を導くように、摘んでいた塵を頭上のサクラめがけて放り投げる。放たれたそれは、雪のように絶え間なく現れる数多の塵にまぎれて、すぐにわからなくなった。


「綺麗……ぶさか?」


 塵の降雪を見上げながら、はやぶさはつぶやく。


「うん、綺麗だよ。生命の織りなす美っていうのは、私達宇宙探査機には理解しづらいものだけど、でもこれは生命の織りなす美の中でも比較的理解しやすい部類に入るんじゃないかなぁ」


「たしかに……言われてみれば、そうかもしれないぶさ。単色で、単調で……それで……」


「シンプル」


「そう、シンプルぶさ」


 スターダストの口の端が吊りあがる。仄かに笑んだのだ。笑んだそばから、スターダストはその笑みを隠すように顔をそらす。それから、クッションの端に移動して、膝下を吊るすように座る。はやぶさは深く考えずにそれに倣った。


 二人の目の前で、五月の札幌がサクラの色に染まっていく。


 ゆっくりと、されど着実に、時間とともに変質していく。


 そういうところは、宇宙と一緒だ。


「はやぶさ、また泣いてたんだ」


 ふいにスターダストがつぶやいた。その視線は、サクラ色の景色に注がれたままだった。


「えっ?」


「私が見つけたとき、はやぶさはハスキーを抱きながら気を失ってたんだけど、目に泣いた跡があったの」


「そ、そうだったぶさか……」


 完全に忘れていた。


 たしかに、先ほど自分は一時的にだけど物凄く悲しい気持ちになっていた。

 それは……


「舞い落ちるサクラの塵を彗星塵だと思って、それを浴びたらハスキーは死んじゃうと思って、それで飛び出していって守ってあげようとしたんだ」


 真実を正確に推理するスターダストの知性にほんの少し嫉妬の情を抱きながら、はやぶさは、「そ、そうぶさ……」と小さくつぶやく。


「それで、ハスキーを抱きしめながら、自分は死んじゃうと思った――死んだらさっちゃんともう二度と会えなくなると思って、それで悲しくなって泣いちゃったんだね」


 前を向いたままのスターダストをしばらく見つめたあと、こくりと頷いてみせる。


「はやぶさらしいね」


 ふっと息を吐くと、スターダストは眉根を寄せつつ、また口の端を吊り上げる。苦味と悲しみを同時に味わっているような顔つきだ。スターダストのその反応を、はやぶさは自分の単純さに対する辟易と捉えた。そして不貞腐れる。

「またそうやって馬鹿にするぶさ……」


「馬鹿になんてしてない。逆に羨ましがってるんだよ」


「え……?」


 スターダストはクッションの縁を勢いよく手で押すと、黒いワンピースの裾をふわりと風に開かせながら、サクラの塵が積もる地面に着地した。背中をはやぶさに向けたまま、言葉を継ぐ。


「私は死に対する抵抗とかあまり感じないけど、はやぶさはそうじゃない。それって、とても素敵なことなんじゃないの」


「す、素敵……?」


 死に抵抗を感じることが素敵?


 意味がわからない。というか、普通に考えて逆ではないのか。


 死を恐れないのは心が成熟している証拠であり、どちらかといえばそちらの方が素敵なのではないか。


「意味がよくわからないぶさ……というか、やっぱり馬鹿にしているぶさ!?」

「だから馬鹿になんかしてないって」


 くるりと反転しはやぶさに向き直ると、スターダストは不機嫌そうに眉をひそめ肩をすくめる。


「死に抵抗を感じないなんて、寂しいことじゃん。そんな風に感じる自分を私自身が寂しい存在だと思うから、自分とは違うはやぶさを羨ましいっていってるの」


「寂しい……?」


「うん。寂しい」


「そんなことないぶさ!」


 叫ぶやいなや、はやぶさはスターダストを追うようにクッションから飛び降りる。


「スターダストには、自分がいるぶさ! なのにどうして寂しいなんて思うぶさ!」


 スターダストの半分閉じられた形の目が、少しだけ大きくなる。瞠目しているのだ。


「それに、ニアやディープっていうNASAの家族もいるじゃないぶさか!」


 このようにはやぶさが続けると、スターダストの瞳は萎むように平常の大きさに戻った。


「私にとってはニアは腐れ縁で、ディープはライバル。はやぶさとさっちゃんみたいな家族関係とは、ちょっと違うかな……」


 夜になれば宇宙の色に染まり星々が浮かびあがる天空を仰ぎながら、スターダストはさっきと同じほろ苦い笑みを浮かべる。それから、「でも――」とつぶやく。


「はやぶさに自分がいるって言ってもらえたのは嬉しかった。ありがとね」


 言い終わると、微笑みかけてきた。スターダストらしい微かな笑みだった。







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