太陽系グランドツアー
その日、渡とはやぶさとさっちゃんとハスキーは、いつもの座卓をいつもとまったく同じように囲んでいた。渡とハスキーがテレビと対面するように座っていて、渡から見て右側にはやぶさが、左側にさっちゃんが座っている。そしてテレビには、いつものように極地探検ドキュメンタリーの録画番組が流れていた。ハスキーは自分と同じシベリアンハスキーがソリをひく光景を、一心に見つめている。何から何までいつもの光景だった――はずだった。さっちゃんがリモコンでテレビのチャンネルを変えるまでは。
スクリーンの向こうに広がる光景が、唐突に北極からニュース番組のスタジオへと切り替わる。さっちゃんの行為を非難するように、ハスキーが短く吠えた。
「ワン!」
「さっちゃん!」
はやぶさがめずらしく妹に本気の怒声をあびせる。
「いきなりチャンネルを変えるなんて、ハスキーがかわいそうぶさ!」
「お姉ちゃん、その犬はもはやお姉ちゃんのオペレーターではありません。ただの犬です」
「ただの犬じゃないぶさ! やさしいハスキーぶさ!」
「今この家でいちばん偉いのは――」
言葉を切ったさっちゃんが、人差し指を立て、剣を突くような動きをみせる。突き刺されたのは、渡だった。
「この人です」
「今はって……今までは違かったのかよ」
「今いちばん大事にすべきは、この人の立場ではないのですか」
指は渡に、眼光は姉に突き刺したまま、さっちゃんは語気を強める。
「俺の立場は基本的にハスキーの立場……」
「俺の立場は……なんですか? もう一回いっていただけますか?」
声で声をさえぎりながら、さっちゃんが顔を向けてきた。幽霊を軽く超越する真顔だった。
「いえ、なんでもないです」
「ニュースを見ます」
「はい」
「特集です」
画面の美人キャスターが、手元の資料に目を通しながら言った。
「いま話題のスペースクルーズ、タイタニック号に乗る乗船クルーの、追加募集が決定しました」
スペースクルーズというのは、宇宙版豪華客船のことだ。
「今年一〇月に出港が予定されているタイタニック号。二五〇名の乗客と四〇名のクルー、計二九〇名が乗船する予定となっていました。
今回新たに募集されるクルーは五名。
初出港を四ヶ月後に控えたこの時期にこれだけのクルーを増員するのは、異例のことです。
いったいなぜ、クルーズを運営するスペースX社は今回の増員に踏みきったのか――その背景には、日本国内で過熱し続ける『日本船ブーム』がありました」
「さっちゃん!」
はやぶさが座卓を両手で打ち、腰を浮かせた。
「オペレーターとハスキーには、このニュースは関係ないはずぶさ!」
「お姉ちゃんは、黙っててください」
「なっ……」
「いま私は、将来自分のオペレーターになるかもしれない人間が、宇宙というものをどのように認識しているのか、本気で知りたいと思っているんです。これは、そのために必要なことなんです。お姉ちゃんは黙っててください」
さっちゃんが一気にまくしたてた。有無を言わさぬ語調に圧倒されたのか、はやぶさは茫然自失となる。おそらく、このような反抗を妹から受けたことは、いままで一度としてなかったのだろう。
「渡さん」
能面のようなさっちゃんの顔の目だけが動く。流し目が渡をとらえる。
「見てくれますね?」
「――わかった」
「二〇四九年、シンギュラリティ時代の人工知能MAIによって次世代の推進装置――反物質エンジン――が開発されたことにより、宇宙における人工物の移動スピードは劇的に変化しました。このパラダイムシフトにより、太陽系観光時代が幕を開けます。
太陽系観光時代の初期を飾ったのは、一〇人未満で乗る小型の惑星間宇宙船でした。
この惑星間宇宙船は就航直後こそ大きな注目を集めたものの、たびたび起こる死亡事故の影響で、年内には早くもその人気に陰りが見えはじめます。
死亡事故の多くは、はしゃいだ乗客を制御しきれないことが原因で起こっていました。
この問題の根っこにあるのは、宇宙船のスケールです。
規模の小さい宇宙船では、考えられるありとあらゆる宇宙事故を実際に起こると想定したリスクマネジメントをとることは、容易ではないのです。
「やっぱり宇宙っていうのは、軽い気持ちで行ける場所じゃなかったんだよ」
「俺達は宇宙飛行士じゃないんだから、宇宙で命を失う覚悟なんてできるわけないだろ」
こういった否定的な考え方が、巷に溢れかえるようになります。
さらに、以下のような口コミが徐々にネット上に流れるようになります。
「宇宙はたしかに美しい。だが同時に、底抜けに無機質な場所でもある。払ったお金と、かけた日数を納得できるような旅では、残念ながらなかった」
「火星に降り立った瞬間、私を襲ったのは人生最大の感動だった。だが、降り立ったその場所には、景色以外のものは何も用意されていなかった。一時間もしないうちに私は、この壮大な世界で自分たちができることは散歩以外にないのだと気づくはめになった」
高額なチケット代。やたらと長い移動時間。宇宙事故のリスク。
この三点がどうしても克服できない壁として利用者に立ちはだかったことで、宇宙観光は衰退の道をたどりはじめます。
せっかくBT革命という新時代の幕が切って落とされたというのに、このままでは宇宙観光という新時代を象徴する文化が、ちゃんと根づく前に終焉を迎えてしまいます。
BT歴五年(西暦二〇五〇年)、宇宙観光事業は正念場を迎え、利用者の目先を変えるような新機軸が求められていました。
こういった状況の中、その真価を発揮して見せたのはやはり、宇宙開発の本場アメリカでした。
西暦二〇五〇年二月三日。
アメリカ政府は、「太陽系グランドツアーを行う宇宙クルーズ」を建造する構想が実現に向け動き出したことを突如世界に向けて発表します。
同日、時のアメリカ大統領ブラッド・シュルツは演説を行い、次のような言葉を残しました。
「我々は三年以内に大旅行に行く」
アポロ計画の発端ともなった、一九六二年のケネディ大統領演説を意識したようなその言葉に、世界は度肝を抜かれます。
また同演説では、ネクストボイジャー計画と命名されたこのプロジェクトがシンギュラリティ先生の死を悼む気持ちをものづくりに反映する取り組み――いわゆるシンギュラリティ先生追悼プログラムの一環として行われるものであることも強調されました。
開発は、アメリカ最大の宇宙ベンチャーことスペースX社が、NASAの技術的支援のもと行うことになりました。
同年秋、アメリカは事故を想定したリスクマネジメントとして、並んで航行する姉妹船の必要性を認識しはじめます。
しかし、建造する船を一隻から二隻に増やせば、三年以内に大旅行に行くという大統領の公約を実現することが難しくなってしまいます。
公約をとるか、安全性をとるか。どちらにするか悩んでいた矢先、中国を始めとした大国が、自国独自の宇宙豪華客船を建造する動きをみせ始めます。
宇宙開発はどの国にとっても国家事業だ。油断すれば、足元をすくわれる――そう感じたアメリカは、同年冬、かつて国際宇宙ステーション(ISS)をともに建造し、運営した4つの宇宙機関、ロスコスモス(ロシア連邦宇宙局)、ESA、JAXA、カナダ宇宙庁を、ネクストボイジャー計画に参入させる方針を固めました。
参入して欲しいというアメリカの要請を、どの宇宙機関も存外あっさりと受け入れました。各国にとっては、この共同計画はアメリカの宇宙開発技術を吸収するまたとない機会であり、断る理由などどこにもなかったのです。
新たに参入した四つの宇宙機関は、共同で一隻の姉妹船を建造することになりました。
一方、アメリカは当初の予定通り、自国の力だけで一隻のスペースクルーズを建造することになりました。
三年以内に出航するめどが立ち、アメリカ国民のプライドは傷つかず、ただ計画の規模だけが二倍になる――アメリカにとっていいことづくめの流れでした。
二隻の姉妹船にはそれぞれ、オリンピック、タイタニックという名が与えられました。これは、実在した有名な豪華客船タイタニック号と、その姉妹船オリンピック号からとったものです。
悲劇の豪華客船として知られるタイタニック号。オリンピック号は、そのタイタニックとローテーションで運行を行うために建造された同型の豪華客船です。タイタニックより一年早く建造され、就航を開始していました。
タイタニック号が処女航海で氷山に衝突したとき、オリンピック号は八〇〇キロ離れた場所を航行していました。タイタニック号からSOS信号を受信したオリンピック号はすぐに救難に駆けつけましたが、現場に到着したのは、先に到着したカルパチア号が生存者を救助し終えたあとのことでした。
二隻のスペースクルーズに、オリンピック、タイタニックという名がつけられたのは、たんにスペースクルーズが宇宙版豪華客船だから、という理由ではありません。
二隻が姉妹船であることを前提としつつ、「深い絆で結ばれた姉妹が今度は並んで航行するのだから、同じ悲劇は絶対に起こらない」というイメージを作るために、あえてこのような名がつけられたのです。
タイタニック号の船長に選ばれたのは、日本人宇宙飛行士の勝田元でした。日本人が選ばれたのは、タイタニック号の建造にもっとも貢献した国が日本であったためです。
姉妹船の船長が日本人と決まるやいなや、日本のメディアは姉妹船を「日本船」と形容して、もてはやすようになります。
メディアが「日本船」をあまりにも連呼するので、日本国内で「日本船ブーム」がおきます。
「日本船ブーム」は、姉妹船のチケット購入者に占める日本人の割合に直結しました。
姉妹船における日本人乗客の割合は、なんと全体の4割にも及びました。
このような現象が起こるとはNASAはもちろんのこと、JAXAでさえ予想していませんでした。
この結果を受けて、JAXAは日本人クルー五名の追加募集を決定したのです」
「以上です」
短く言って、さっちゃんがテレビの電源を切った。いつも何かしらの番組を映し、何かしらの音声を発し続けてきたテレビが、めずらしく沈黙する。慣れない静寂。この静寂を作った張本人であるはずのさっちゃんはというと、いつまでもたっても何も言わない。それはまるで、渡に感想を言うのを促すような態度だった。
「理由はわかったけど、出航までもう残り四ヶ月切ってるこの時期に追加募集ってのは……さすがに無謀すぎるだろ」
促されるまま、深く考えずに思ったことを言った。
「JAXAはバカではありません。なにもかもが無謀であるなら、最初から募集などしないでしょう」
「まぁ……たしかにな」
「たとえ一か八かでも、募集しないよりはした方がいい……そう判断したのです」
「それはつまり、日本人のためか」
「そうです」
「また日本が変わるんだな……」
「それはわかりません」
さっちゃんは一度、品よくお茶をすする。
「ネクストボイジャー計画は、宇宙観光業界の衰退を挽回するために考え出された最後の一手です。衰退したのは、それ相応の理由があったためです。高額なチケット代、長い移動時間、宇宙事故のリスク。この三大問題を解決できなければ、スペースクルーズも結局は同じ轍を踏むことになるでしょう。今回の挑戦は、乗客とクルーを全員詰め込んで出航したら、その時点で成功というものではありません。むしろ、出航してからが本当の勝負です」
「出航してからが本当の勝負……なるほど。関係者がそう認識しているからこその追加募集なわけか」
「そうです」
「まあ、なんだかんだいって成功してほしいとは思うよ。前例がないことをあえてやろうとする姿勢ってのは、探検に通じるところがあるからな」
「成功してほしいと思うだけですか?」
「ん?」
「渡さんは彼らの冒険をテレビで応援するだけで満足できるんですか?」
「彼らの冒険……?」
言葉の意味がよくわからない。
「彼らの冒険ってなんだ?」
「スペースクルー達の冒険です。スペースクルーズのクルーは、船内というよりもむしろ船外で重要な仕事をすることになっています。船外というのは、月や火星といった寄航先の星々のことです」
「寄航先の星々で、なにかやることがあるのか?」
「当然です。さっきの番組でも言っていたではありませんか。はしゃぐ乗客をコントロールしきれないがために、小型惑星間宇宙船では死者が出てしまっていたと」
「ああ……」
「タイタニック号のクルーは、二五〇名のゲストを過酷な宇宙環境から守らなければならないわけです。寄航先の星々で、やることがないわけがないでしょう」
「まあ、たしかに……」
「同時に、安全な範囲で宇宙の面白い場所や現象をゲストに紹介する役目もあります」
「なるほどな……でも、それならなおさら、宇宙にもともと詳しい奴がスペースクルーになるべきだろ」
「いえ、そんなこともないと思います」
お茶をすすりながら、さっちゃんはたまゆら目を閉じる。
「私たち宇宙探査機から見れば、宇宙に無知な人間も、生半可な宇宙の知識を持っている人間も、所詮は同じ人間です」
「所詮は同じ人間……」
「ロボットではない、という意味ではありません。宇宙の恐ろしさを知る存在ではないという意味です」
「恐ろしさなんて知るわけないだろ。人間は探査機とは違うんだから」
「はい。でも今の時代、人間はヒューマノイド探査機のオペレーターになって、ヒューマノイド探査機の目を通して宇宙を見ることもできます。宇宙を深く知ろうと思えば、知ることもできる立場なんです」
グレーの瞳を渡に突き刺したまま、さっちゃんが片腕を姉の方に伸ばした。
「渡さんは自分がそういう立場なのに、知るわけないだろなんて言い訳をするんですか?」
何も返す言葉がなかった。
「さっちゃん、お願いだからもうやめるぶさ……」
「いや、さっちゃんの言うとおりだ」
渡は降参するように手を上げてみせた。はやぶさに対してよくやる身振りだが、さっちゃんに対してやるのは初めてだった。
「たしかに、H探査機なるものが存在している今の時代、人間は宇宙のことを知ろうと思えばいくらでも知ることができるんだろう。だから、人間とH探査機がお互いに心を開いて分かり合おうとすれば、きっと今回のグランドツアーは……」
「成功するでしょうね」
「ああ」
「ニ人とも、いつもと違う人みたいぶさ……ハスキー……ハスキーだけがいつもと同じままぶさ!」
一人だけ置いてけぼりにされた格好のはやぶさが、ハスキーに泣きつく。
「ワン!」
抱きついてきたはやぶさの腕を振りほどくように、ハスキーが二本足で立った。立つやいなや、倒れる。はやぶさにのしかかる形となった。ハスキーは体重三〇キロの巨大な犬だ。のしかかられたはやぶさは、いとも簡単に押し倒される。
「ハスキーやめるぶさ! くすぐったいぶさ!」
ハスキーがはやぶさの頬を舐めはじめた。一秒前までしゅんとしていたはやぶさが、いまは楽しそうに笑い転げている。ハスキーはきっと、はやぶさの元気のない姿が見ていられなくなったのだろう。ほんとうにやさしい犬だ。




