バルデスという家
教育は大事です。
バルデス侯爵家はちょっと、いやかなり変わった一族である。
一族のモットーは「一に領民、二に領民、三四がなくて五に王家」。領民が安心して豊かに暮らせるようにひたすら心を砕くのが領主であると信じてやまない。領内の道路や水路の整備はもちろん、農地の改良や特産物の開発などを率先して行ってきた。当然、領民からの信頼がとても厚く、関係はグリンバウムで最も良好だ。
それだけならばさほど変でもないのだが、バルデス侯爵家が他の貴族家と決定的に違っているのは家庭内の教育方針だった。国家より領民に重きを置いた結果、万一王家に不評を買って貴族位を剥奪されても、国を追い出されても生きていけるように。
「どうなっても、どこででも、生きていける術を身につけなさい」
リア――アリアンヌ・バルデスとその二人の兄は、両親からそう言われて育てられた。
だからバルデス家の子どもたちが学ばなければならないことはとても多い。
生活の基本である料理(自分の口に入るものも作れないなど言語道断)、
洗濯や衣類の繕い(清潔であることは健康の第一歩)、
掃除と整頓(生活環境を整えるのは当たり前)などなど、貴族らしからぬ事柄から
自国と近隣の国々の地理、語学、歴史、それぞれの王家と主な貴族家の名称。
もちろん王の前に出ても恥ずかしくないほどの礼儀作法や、基本的な魔術とダンスは必須項目。
加えて、剣術や護身術に棒術、水泳に乗馬も。
挙げ句「万一に備えて」野宿の方法、食べられる木の実、動物の狩り方と捌き方まで。
これらの事柄を全て身につけなけれはいけないのだから、バルデス家の子どもたちは幼少時からとても忙しいのだ。
忙しすぎて、グリンバウムの貴族子女のほとんどが入学する王立学院にもバルデス家の子は通わない。
王立学院は基礎的な学問の他に、貴族間の親睦を深め、将来の人脈を作る目的もあるのだが
バルデス家の子らにとっては「そんな暇ない!」のだった。
ただ、そのおかげで貴族の子女としては異例なくらいの体力(走力や握力など含む)が自然に得られたのは良かったんだろうけど、とリアは思う。
(だから、それをちょっと生かしたくらいでこんなに怒らなくてもいいと思うんだけど…)
「お嬢様!ちゃんと聞いていらっしゃるのですかっ!」
「聞いてるわ、テレサ。私が悪かったわ、本当に反省してます」
屋敷の家政を取り仕切るテレサは、フンッ!と鼻を鳴らした。
「何度も何度もそう伺っておりますが、ちっとも懲りずに繰り返されるのは何故でございますかねぇ」ジロリ、とリアをねめつける。
怖い。バルデス家の三兄妹が生まれた時から屋敷にいるテレサは、時に実母以上に怖いのだ。
「あら、そうだったかしら?」
「大夜会が近づいておりますからね。春の時のように、直前にご欠席、などということがあっては大変です」
「ぁ、う、えっと」
「あの時は登っていた木から落ちて足をひねられて」
「も、もういいからテレサ」
「猿ならぬお嬢さまも木から落ちるのかと、屋敷中の皆が噂しましたよねえ」
「っわかった!わかりました、テレサ!ごめんなさい!」
「そうでございますか?…本当に、気をつけて下さいませね」
相当に不満そうではあったが、テレサは矛をおさめてリアの部屋を出て行った。
「はあぁー……」
ようやくお説教から解放されたリアは、手に入れたばかりのクマタンをそろそろと鞄から出してテーブルに置いた。
(買えて良かったよぅ…)
それにしても、ハルとのひと時は楽しかった。今まで街で見かけたことはなかったが、王宮勤めだというからきっと忙しい人なのだろう。
またあんな風にお茶できるといいんだけどな。そのうち会えるかな。
クマタンを眺めながら、そんなことを思っていると、コンコン、と軽いノックの音。
どうぞと応えると、上の兄がため息をつきながら部屋に入ってきた。
「リア…あまりテレサを心配させるな」
「ユリ兄」
リアと同じ白金の、ただこちらは真っ直ぐな髪を伸ばしてうなじで結び、すらりとした長身の背に流している兄―バルデス侯爵家の長男ユリウスは、その若草色の目をしかめて妹に苦言を呈した。
「まったく、ちょいちょいと家を抜け出して。一体なんで…ああ、目的はソレか」
テーブルの上のクマタンを見つけたユリウスがもう一度ため息をついた。
「ちゃんと理由を言って、普通に行けばいいじゃないか。わざわざバルコニーから出かけかくともな」
「だって、いろいろ付いて来られても窮屈なんだもん」
「……それは、まあ、否めないが。だったらせめてもう少し早く帰ってこい」
痛いところを突かれると、リアもうなずかざるを得ない。
「うん、そこは確かに……ごめんなさい」
珍しく素直な妹に思わず笑みをこぼして、ユリウスはリアの頭をくしゃりと撫でた。
「お前ならよほどのことがない限り大丈夫だとは思うけど、気をつけろよ」
「うん、ユリ兄」
部屋を出ようとしたユリウスがふと振り返った。
「ああ、今度の大夜会だけどな。お前は私がエスコートするから、そのつもりでいろ」
「え、お義姉さまは?」
「まだお祖母さまの喪中なんだよ」
「そっか、そうだったね。じゃあ今回はフィルにはお願いしないでおくね」
「ああ。私からも謝っておくよ」
リアはきょとんとした。「謝るほどのこと?」
「………。あー、ま、お前は、別に謝らなくても、いいんじゃないか」
「ユリ兄は謝るの?」
「ま、気持ちの問題だ」
首をひねるリアを残して、ユリウスは部屋を出た。
(決してバカではないのに、なぜあれほどまでに鈍いのか………)
苦労性の長兄であった。
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