ハルの正体
やっとヒロインの容姿が出てきます。
リアと別れて歩き出したハルは、すいと横目に目配せをした。意を受けて気配がひとつ、離れてゆく。
そのまま通りをすたすたと歩き、つと路地に入って目立たない家のドアをノックした。すぐに扉が開けられる。
素早く中に入ったハルの後ろで扉が閉まり、声がかけられた。
「お帰りなさいませ。すぐお戻りに?」
「うん、ちょっと遅くなってしまったからね。ローリーがうるさいし」
言いながら、眼鏡とベレーを取り、衣服を改める。
お湯で濡らして絞った布を侍女から受け取って顔を拭い、塗っていたものを落とす。
最後に術を解いて髪の色を戻せば、最早そこにいたのは先ほどまでリアと楽しく会話していた「ハル」ではなかった。
「お顔が明るうございますね。何か良いことがございましたか?」
「そうだね、ちょっと…いやけっこう、楽しかったな」
「それはよろしゅうございました。ではお戻りになられ次第こちらは片付けますので」
「うん、よろしく」
「はい。どうぞお気を付けて、殿下」
侍女たちに見送られ、彼は無造作に出現させた魔法陣に足を踏み入れ、そこから消えた。
「いつまで遊んでんだ」
魔法陣から現れた彼にかけられた第一声は、おそろしく不機嫌そうだった。
グリンバウム王国の王宮奥深く、ハーレウス第一王子殿下の執務室。
書類山積みの側近の机から、赤い髪の秀麗な若者がグレーの瞳を光らせながら文句を言っている。
「ほんのちょっとって言ったのに、帰ってきやしねぇ。見ろこの仕事の山」
「悪い、ローリー。今からは頑張るよ。しっかり気分転換させてもらったしね」
「ああ、そうしてくれ。確かに出かける前よりはずいぶん明るい顔だからな。仕事もはかどるだろ」
側近の机以上に書類が積まれた机の前に座る部屋の主―――ハーレウス第一王子。
軽くウェーブがかかった黄金の髪に澄んだ夏空の瞳。
超絶美形、頭脳明晰、文武両道と非の打ちどころない理想の王子と名高い人物。
薄く口元を綻ばせながら素直に執務机に向かった王子に、赤い髪の若者が不審そうに声をかける。
「なんだよ、ニヤニヤしてなんか気味悪いな。そんなにいいことがあったのか」
「ちょっと面白い子と出会ってね。お茶してきたんだ」
「けっ、こっちは一人でひーひー言ってたってのに、いい気なもんだな。可愛い子ちゃんとデートとは」
「確かに可愛いかったけど…ただの可愛い子ちゃんじゃなくてね。話が面白かったんだよ」
「へーえ、珍しいな。たいがい女に点が辛いお前がそう言う女の子って今までいなかったろ」
言われて、ハーレウス―――さっきまで「ハル」と名乗っていた彼は、彼女のことを思い浮かべる。
緩いウェーブがかかった白金色の長い髪(走ったせいでボッサボサだったが)、深緑の大きな瞳。
鼻筋が通った小作りの顔に花びらのような唇は、黙っていれば人形のようだと言われたろう。
だがあの豊かな表情、キラキラと輝く瞳が彼女を実に生き生きと魅せていた。
顔に似合わぬあの毒舌っぷりが痛快でさえあった。
飾りは少ないが上等な布地の服といい、どこか裕福な商人の娘か。
いやしかし、平民にしてはあの姿勢の良さと仕草の美しさは……とつらつら考えていると横から書類が飛んできた。
「あのなあ、ニヤついてないで仕事しろ。--そんなに可愛かったのかよ。どこの娘だ」
「たぶん相当な商人の娘だと思うんだけど」
「家は聞かなかったのか。商人の娘って根拠は?」
「貴族の令嬢は王都の通りを全力疾走しないだろう?」
「……確かに」
話しながら仕事をしていると、天井から慣れた気配が降ってきた。見上げたハーレウスが声をかける。
「ご苦労。ちゃんと家に入るのを見届けた?」
天井からひそかな声が答える。
「はい、確かに屋敷に帰られたのを見届けました」
「………屋敷?どこの?まさか貴族の子だったの?」
「バルデス侯爵家の屋敷に。おそらくは侯爵のご令嬢かと」
執務室の主従はあっけにとられて顔を見合わせた。
「まさか、侯爵令嬢だって?」
「いや、でも、バルデスなら.……あり得るぞ全力疾走」
「…ああ、そうか、確かに。あの家の娘なら」
天井の声が続ける。
「どうやら、令嬢の部屋から庭の木伝いに抜け出されたようで。かなり叱られていましたよ」
「…侯爵令嬢が、木登りで、脱走、だってええー!」
「ぷ、くくくっ、ははは、あっはははは」
開いた口がふさがらぬ、といった側近の顔を見ながらハーレウスは爆笑した。
「あははは、あー気に入った!ねえローリー、彼女は候補には上がってる?」
「バルデス侯爵令嬢、というと…17歳のアリアンヌ嬢だな。ああ、上がってるよ」
「アリアンヌ、ね。なるほど」
「何がなるほどなんだ」
「いや何でも。秋の大夜会、楽しみになったよ」
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