最後の一個
リアは通りを全速力で走っていた。
(早く、早く行かなきゃ、売り切れちゃう!)
「クマタン」はこの数年で人気が出た可愛らしいクマのぬいぐるみだ。いろいろな衣装やポーズのものがあり、老若男女問わず大人気だ。中でも春と秋の年二回、数量限定で売り出すものは蒐集家にとっては外せないもので、だいたい発売初日には売り切れてしまう。
リアも熱心な蒐集家の一人で、限定物は必ず購入していた。
(それなのに、今日に限って出遅れるなんて!)
屋敷を出てから走りづめに走り、ようやく目的の店が見えてきた。もう少しでたどり着くという時に、店の前に人影が立つ。
その人物は陳列台の上の限定品クマタンを手の上に乗せた。リアが着くまであと十歩。陳列台の上は――もう空っぽだ。
手の上のクマタンをじっくりと眺め、店主に差し出す。あと五歩。
ぎりぎりでリアは店先に駆け込み、台にぶつかる寸前でなんとか足を止めた。
目は誰かの手の上のクマタンに釘付けのまま、勢いよく止まったせいで思わず声が出た。
「あ゛」
クマタンを手に乗せた人物は、物凄い勢いで駆け込んできたリアにも驚かなかった。ただ面白そうに手の上のクマタンと汗だくでクマタンを凝視するリアを見比べて、にこっ、と笑った。
店主に向けていたクマタンを乗せた手がその方向を変えてリアに差し出され、「どうぞ。お譲りしますよ」と滑らかな声が響いてようやく、リアは相手の顔を見た。
ここはもちろん「いいえ、あなたが先に手に取られたのですから」と言わなければいけない場面だ。
でも、でもクマタンの限定品・・・しかも最後の一個。限定品は売り切れたら終わりで追加販売はない。
「う・・・っ・・・」と詰まってしまったリアに、とうとう相手の青年―クマタンが乗った手の持ち主は若い男だった―が堪えきれず吹き出した。
「あなた、通りの端からずうっと走ってきてたでしょう?どうしても欲しかったんですよね?私は蒐集家でもないし、熱意のある人のところに行く方がクマタンだって幸せですよ」
青年はリアの手を取り、自分の手の上のクマタンを乗せ換えて、店の者に声をかけた。
「このお嬢さんがお買い上げですよ。お勘定をしてあげてください」
緊張して様子をうかがっていた店主がほっとしてクマタンをつまみあげながらリアに声をかけた。
「リアちゃん、良かったねえ・・・」
クマタン蒐集家のリアはもちろん店主とは顔馴染みだ。心配しながら見守ってくれていたらしい。
ここでようやく、リアの肩から力が抜けた。
「おばさん・・・」
「いつもは早く来るのに、遅いからハラハラしちまったよ。そのお兄さんによくお礼言いなね」
「うん、ありがとう」
リアはようやく青年に向き合って頭を下げることができた。
「あの、譲っていただいてありがとうございます。本当に助かりました。ぜひ何かお礼を・・・」
「いやいや、そんな大したことじゃないから。でも、そうだなあ・・・一つお願いしていいかな?」
「何でしょう?」
「この後、私とお茶でもどうかな?」
リアに断るという選択肢は全く思い浮かばなかった。