02.織田家を有利な状態にしてみよう
さて、まずは手始めに織田家の身内争いを辞めさせてしまいたいな。
大輝は信長のオジキである織田信友をはじめ、弟の信行など信長と敵対する身内の勢力を全て信長の配下とする設定を行った。
この設定により、尾張で繰り広げられていた内乱が終結。
織田家一同は信長を主とした戦国大名家となり、尾張大名としての地盤を確かな物にした。
あと、思い切って斎藤道三を信長の家臣という設定に改変してみようかな。
・斎藤道三
美濃(現在の岐阜県)を治める戦国大名。
元は一介の油売りの身分に過ぎなかったが、紆余曲折を経て戦国大名の地位に就く。
「下剋上」の典型例とも言える人物である。
後に信長と親密になった道三を良く思わない息子の義龍の謀反によって殺害される。
この斎藤道三という男は、周辺大名からも恐れられている存在だったから今回の改変によって織田家は一気に強大な勢力を持つ大名になっただろう。
そして、この頃の斎藤家にはあの「明智光秀」も家臣だったから織田家はとんでもない優秀な人材を早い時期に手に入れたことになるな。
・明智光秀
信長の家臣として仕え、様々な才能を発揮して数々の功績を残す。
しかし、信長が天下統一を目前に差し迫った時期に謀反を起こして信長を殺害する。
俗に言う「本能寺の変」である。
この時代においては斎藤道三に家臣として仕えていた。
ここまで信長贔屓にすると最早チートレベルかも、やりすぎたかな?
少しそう考えていたがこういったifは一度見てみたいと思った大輝は設定を行い、行方を見守る事にした。
やがて、桶狭間の戦いが起こるであろう時期に迫った。
・桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)
織田信長と今川義元との戦い。
25,000人と言われる今川軍の大軍に対して織田軍はわずか2,000人程度の兵で奇襲を行い、勝利を収める。
この戦いがきっかけで織田信長という存在を全国の大名が知る事になる。
しかし、その時期になっても桶狭間の戦いは起こらなかった。
どうやら織田家の家臣となった斎藤道三らの存在が大きかったようであり、今川家は織田家を攻める事によるリスクが余りにも大きい事から侵略を諦めていたようである。
さらに時間を進めてみると今度は今川家の家臣であった「松平元康」が新たに織田家に投降して家臣となっているではないか!
松平元康
幼少期は人質として過ごすなど不遇の時を過ごす。
元服後は今川家の家臣として従事。
桶狭間の戦いで敗北し、混乱していた今川家からのどさくさで独立し、大名となる。
その後、様々な出来事を経て天下統一を成し遂げ、江戸幕府を開いて「徳川家康」として後世まで名を残す人物となった。
あの徳川家康が織田家の家臣ですよ、家臣。
これはもうチート大名以外の何物でも無いっす(笑)
逆にここまできたら清々しいわ、もうしばらくこの状態を見届けてみようかな。