4/4話 理不尽に、理不尽を打ち砕く
もう、無理だ。
メルトは、次に来るであろう激しい苦痛に備え、目を閉じる。
……しかし、放たれた魔法は彼女ではない何かに衝突し……霧散した。
「……はっ?」
何が起きたのか、分かった者はほとんどいないだろう。いや、目を瞑っていたメルト以外はしっかりと見ていた。何が起きたのかを。
目の前では、先程までいなかったはずの茶髪の男が、左手に少し小さめな鉄製の盾を持ち、右手で鉄製の剣を振り切っていた。
「うん、まあ、そこそこの威力だね。彼女、相当魔力のコントロールが上手いみたいだ。この魔術を、死なない程度の威力にまで抑えるなんて」
「あ……は、ハルト……さん……」
「は、ハルト……?」
その名前を聞いて、彼女は思い出す。そうだ、この名前は、この学年で最下位の男の名前だ。目の前のこの男が、あのデタラメな成績を持つ平民だ。
あの時明かされた、この男の魔力量。ああ、知っているとも。この男につけられたその点数は……たったの10点。そんな男がどうやってこの一撃を?
「貴方が……最下位のハルト・ベルトランなの……?」
「うん、その通りだ。そういう君は、『わがまま令嬢』のリズベットだね? 噂を聞いたよ」
「ええ、そうよ……。ところで貴方、さっきの『迅雷』にどうやって割り込んで、どうやって防いだの? 魔力10点の屑に、防げるような一撃ではないのだけれど……?」
取り巻きの目には驚きがあった。が、リズベットには違う。驚きよりも先に……この男に対する恐怖があった。
「簡単さ。素早く割り込んで、剣を振るって防いだ。ちょっと身体強化はしたのだけれど、それだけだよ」
「ば、バカを言いなさい。あんな安物の剣だけでどうやって防ぐと……」
「簡単さ。この剣は単純に、柄に電気を通さない素材を巻きつけているんだ。それに、ぶつかった衝撃程度なら、まともな強化が無くとも腕力で十分跳ね除けられる。それだけだよ」
理屈では、その通りだ。ハルトは話しながら剣の柄を見せてくれたが、確かに不導体となるものがまかれている。出来るというなら出来るのだろうし、実際にやったのを彼女たちはみた。
しかし……雷系統の魔術は総じて弾速が早い。視界に一切映らないところから、瞬間的にここまで距離を詰め、かつ魔術を弾く。あの程度の魔力しか持たない奴が、そこまでの身体強化魔術を扱えるわけがない。
そんなことを考えていると、彼らが何かをする前にハルトが話しかけて来る。
「さて……二人は何やら面白いことをやっていた様だけど。ここで一つ提案があるんだ」
「……何かしら?」
「うん。彼女はそろそろ戦えなさそうだから、私、選手交代してあげようかなぁ、なんて考えてたんだけど、どうだい?」
「なっ! 何言ってるんですかハルトさん!?」
メルトは……彼女は分かっている。いや、実際に体験した。魔力で圧倒的に劣るものが、どれ程までに惨めな思いをするのか。どれ程までに怖い思いをするのか。どれ程までに……苦痛を味わうことになるのか。
「だ、だからっ! 悪いことは言わないからそんなことしないで……」
「ええ、良いわよ。選手交代、認めてあげる」
「なっ!?」
リズベットが、権力者が決めた以上、決闘相手は変わる。メルトから、ハルトにだ。
「な、なんで……私の代わりに……」
「……理不尽だったろう?」
「え……?」
「抗えない、強大なまでの権力……それを乱用した脅迫……肉体的なダメージを与え苦しめられ、その姿をみて、笑い、人の尊厳を奴らは穢した。いや、それだけじゃない。女性に対して、『慰め者』? ……ああ、間違いない。奴らは君を、酷く傷つけた」
……そうだ。メルトは、人としての、女性としての尊厳すら踏みにじられた。
体についた無数の傷。もしかしたら、痕になってしまうかもしれない。そうなったらと考えると、彼女は身を震わせる。
もう、痛いのは嫌だ。恐怖と痛みで体は動かないけれど、逃げ出したい。この苦しみから、彼女は解放されることを望んだ。
「だが、それも終わりだ」
その言葉に、メルトは、背を向けているハルトを見上げた。
「この世は、魔力だけが全てじゃない。知識を蓄え、知恵を磨けば、大した魔術を使わなくとも、魔力の多い魔術師を完封できる。剣術を極めれば、その一振りは強大な魔術すらはね除ける。努力次第で、人はなんでもできるんだ」
それは、事実だ。
曰く、相手の得意な魔術を上手く封じれば、戦いは幾分も有利にすることができるという。
曰く、この王国の最強の剣士は、その一振りで強力な風を放ち、そこらの魔術師を束にしても敵わないという。
しかし、今の彼女には何もない。中途半端な、頭に詰め込んだだけの知識だけがあるだけの、頭でっかちなだけの自分。
そんな自分には、まだ何もできない。この理不尽を、はね除けることはできないのだ。
自然と、その手には力がこもっていた。その瞳からは涙が溢れてきた。悔しい。そんな感情が、胸の奥から湧き上がってきた。
「君はいずれ、奴らのような不逞の輩をはね除ける力を手に入れる。それまでに君は、その知恵を磨いて、打ち勝つだけの力を得るんだ。大丈夫、それまでの……君がまだ、この理不尽に抗えない間は、きっと、私のような誰かが守ってくれるからね」
「でも……でもっ! 魔力がないハルトさんはっ! どうやってこの場を切り抜けるんですか!」
その通り、彼には魔力がからっきしない。魔力が全てではないとは言ったが、これほどまでに低い人間に、魔力だけでおよそ46倍の……これほどの力量差をはね除けることはできないはずだ。
それに、強い魔法の武具ならまだしも、彼の使っている装備は、なんの変哲も無い剣と盾。いくらなんでも、魔術師の使う道具とは思えない。
「お願いします! 逃げてください! 私は、どうなっても構いませんから! お願いです! 例え知らない人でも、他人が傷つくのは見たく無いんです!」
「うん、私は大丈夫。なぁに、これでも鍛えているからね」
どれだけ叫んでも、ハルトは聞く耳を持たない。ハルトは、一歩ずつ、ゆっくりとリズベットに近づいていく。
「……なんなら、貴方にもハンデをくれてあげようかしら?」
「ハンデ? いったいどんなものだい?」
「先に攻撃してもいいわ。私は、貴方が攻撃をするまで魔法は使わないであげるし、ここから動かないであげる」
「ふーん。私にとってはなんとも都合がいいハンデだけど、本当にいいの?」
すっとぼけた、アホみたいな顔で首をかしげるハルトに、リズベットは不快感を覚える。
取り巻きたちが、彼の言葉に吹き出した。勝てるわけがない。魔力がそこらの平民よりない屑が、この稀代の天才に。
「構わないわ。防御魔術だって、貴方ののろい魔術を見てからでも間に合いそうだもの」
それに……たとえ近接戦を仕掛けようとしても、リズベットには今まで習ってきた武術がある。極めたそれは、そこらの男が振るうなよなよしい一撃程度なら、簡単にいなせるはずだ。この戦いは、全面的にこちらに分がある。
「よし! じゃあ是非そうさせてもらおうかなぁ!」
ハルトは呑気な声をあげ、軽く二回屈伸する。それが滑稽に見えたのか、取り巻きたちはくすくすと笑った。
ハルトは再び剣を強く握りしめ……背を向けたまま、メルトに話しかける。
「……いいかい、メルト? さっきも言ったけど、努力次第で、力量差なんてものは、いくらでもひっくり返せる」
「ど、努力にだって、限度はあるんです……」
「大丈夫。私は少なくとも、目の前の彼女よりは圧倒的に強いよ。それほどの努力はしたからね」
「どこから、そんな自信が……」
「それに……私はね、理不尽には理不尽で返さなきゃ気が済まない性格なんだ。だから……手加減はできないぜ、リズベット!」
ハルトは剣を地面に突き立て、一言、短く詠唱した。
「ただ理不尽に……理不尽を打ち砕く」
瞬間……彼の中の魔力が、膨れ上がった。
彼を中心に、凄まじい風が吹き荒れる。足元の草が、木々の木の葉が勢いよく揺らされ、舞い上がる。
ハルトの身につけている剣に、盾に、金色に輝く魔力がまとわりつき、強大な……それも、伝説の武具を思わせるほどのオーラを放つ。
「!?」
「なっ!? 何よこれぇ!?」
「見くびりすぎたんだ、リズベット。君は、相手の潜在能力を見誤りすぎた。下手に自分に力があったから、そうして他人を貶める事をし過ぎたんだ。だから君は見ようとしない、自分より弱いと決めつけた者の、本当の力を」
彼女はたまらず、防御の魔法を張る。しかし、可視化されて見えるこの高密度の魔力を見て、これだけでは守れないと、本能で分かってしまう。
「これは、そうやって不条理を、理不尽を振りまき続けた君への、理不尽な裁きの鉄槌だ。この魔術は、弱者である私が身を粉にしてまで作り上げた、正真正銘の、涙と汗の結晶。これが、私の唯一にして最強の奥義。その名は……」
彼は、剣の先を引き抜く。剣が纏ったその黄金の魔力が、刃にさらに集中した。
「『幾億の無謀を積み重ね』!」
力強く言い放ち、彼は剣を振り上げる。
剣から、黄金に輝く、高密度の魔力が放たれ、爆音とともに、リズベットと、彼女の張ったちっぽけな防壁に直撃する。
防壁は、彼女に出来得る最高のものであったが、しかし、その魔力の直撃と同時に霧散し、抑えきれなかった魔力がリズベットを襲う。
「きゃあああああああああああああああ!!」
リズベットはいともたやすく吹き飛び、学校の敷地を囲う壁にぶち当たる。壁は厚いながらも大破し、大きな穴をあけて、その一部が崩れていった。
土煙が舞い上がり、彼女の姿は見えなくなる。土煙が治ると、そこには、すでにボロボロになり、気を失ってしまったリズベットの姿があった。呼吸はしているようで、胸はしっかり上下している。
「な……なんて事……?」
「魔力の絞りカスも持ってないような、こんな男が……リズベット様を……」
「し、しかも、たった一撃で……!?」
すでに彼からは、その凄まじいオーラや魔力は消えており、その場で何食わぬ顔で立っていた。
ハルトが取り巻きをひと睨みすると、彼女たちは小さな叫び声をあげ、蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。
「い……今の、は……?」
「言っただろう? あれは私の努力の結晶だよ。それこそ、血が滲むほどの努力を強いられたけどね。それも文字通りの意味で」
そう言ってハルトはケタケタと一人笑うと、彼女の前で屈み込む。
何をしようとしているのかわからず、メルトが首を傾げていると……。
「ほら、その傷。早く見てもらわないと痕になっちゃうかもしれないからね。それに、骨が折れてたら大変だ。すぐに医務室に行かないと」
「で、でも……一応私、もう歩けますし……」
「いいよいいよ、今は甘えておきなさい。それと、無理を言うもんじゃないよ。女の子なんだし、自分の体くらいいたわらなきゃ。ほら、早く早く」
そう言われて、渋々メルトは彼の背中にしがみつき、おぶられる。
おぶられている最中、彼が「壁を壊してしまった。これからどうなるのだろうか」とか、「リズベットの方も大した怪我がなければいいけど」と語りかけてくる中で、彼女はこんなことを訪ねた。
「努力すれば……私も、ハルトさんみたいになれますか……?」
「ああ、なれるとも。もしかしたら、君は私よりも、優れた魔術師になれるかもしれないよ」
彼の表情は見えなかったが、きっと、今日見せてくれた澄ました笑顔で答えてくれたんだと、そう思った。
「本当に……ありがとう、ございます」
「良いんだよ、気にしなくて。だって、同じクラスメイトなんだから、ね」
校舎の屋根の上には、そんな様子を見物していた一人の少女の……いや、幼女の影があった。
「へー……今年の新入生は血気盛んだねぇ。入学早々、あの壁を壊してくれちゃってまぁ……」
しかし、と、彼女は独りごちる。
「彼の魔術。あれは実に興味深いね。あの魔力の質は、きっと『力の器』じゃなくて、『命の器』から引っ張って来た物だろうね。魔術の効能も、驚異的な身体強化やさっき見た高出力の魔力放出。それに……微小だけど時間操作も使ってる。本当に無茶苦茶な術式だよ。全く、どんな思考回路があれば、こんな魔術が編み出せるんだろうね」
そんなことをぶつくさと言いながら、彼女はスッと、その場から姿を消した。
翌日の朝。さわやかな日の光を浴び、町はその姿を明るく照らされる。人々は動き出し、訪れた1日の始まりがより良いものになるように祈る。
そんな中、一人の茶髪の少年が、街道をゆっくり歩いていた。そんな彼の耳に、少し外れたところから、女性の叫び声が聞こえてくる。
「いやっ! やめて下さい!」
「てめぇ、この俺の一張羅を汚しやがって!」
その声の方向から、数回の乾いた音が鳴り響く。
その路地の奥……女性は頬を抑え、痛みに耐えていた。事の発端は、ぶつかった拍子に持っていたエールが溢れ、男の服を汚したこと。非は確かに彼女にあったが、それに対する男の態度は、少々度が過ぎていた。
相手は何やらゴタゴタといちゃもんをつけ、腰に携えた短剣を引き抜いた。
「クソアマが……抵抗するんじゃねぇぞ……。へへっ、体つきは良いじゃねぇか」
ああ、私はこの男に散々に弄ばれて、挙句死んでしまうのか。女性が、己の命を諦めかけた時……。
「大丈夫かい?」
少し先の曲がり角から、茶髪の少年が、いつのまにか現れていた。左の手には鉄の盾、右の手には鉄の剣。その服装は、平民の人の見慣れない学生服。
その少年はこの場を見て、小さな声で一言だけ呟いた。
「……理不尽、だな」
少年の体から、ほんの少しだが、金色の魔力が漏れ出した。
今回で、この作品は終了となります。ここまでしっかり読み込んでくれた皆様……本当に、ありがとうございます!
ご感想、苦情、その他諸々何かございましたら、ぜひ感想に書き込んでくださいませ。それでは、今までご精読、ありがとうございました!