scene 1 再会
霊峰イプシーロ山の山間に住む人は、山の斜面に段々畑をこしらえて果樹やなんかを育てて暮らしている。
育てているのは、《イピシオネ》と言う蜜柑に似た柑橘類だ。
収穫の時期は村落総出で手伝う。
片手に収まるくらいの小さな鎌のような農具で、ひとつずつ丁寧に枝から実をかりとる。
男も女も老人も子供も、みんな慣れた手つきでどんどん収穫して行く。
収穫したイピシオネは、村の若い娘たちが麓の街へ売りにゆく。
イピシオネを大量に詰めた麻袋のような物を、頭の上へ上手に載せて、
朝早くから山を降りる。
日中は市場の片隅で店を出し、売れ残った分は街中売り歩く。
娘たちは全て売り切るまで決して村へは帰らない。
「イプシーロのイプシオネいかがですか」
小麦色の肌の少女たちに混ざり、一際肌の白い少女が声を張り上げて、街を練り歩いていた。
「アーレイド族の娘にしては綺麗な顔してるな、おじさんと遊ばないか」
と、むさ苦しい男性客が少女へ言い寄って来た。
「このイピシオネ全部買ってくれたら、考えてあげても良いよ」
と彼女はあっけらかんと笑って返した。
男性客はイピシオネをひとつ手に取って、苦笑いを浮かべた。
「全部はちょっと無理だな」
金を受け取ると、白い肌の少女は満面の笑みを浮かべた。
「おじさんまた来てね」
むさ苦しい男性客は機嫌良く手を振って去って行った。
「ああ、またカナコのが先に売れた」
一連のやりとりを隣で見ていた小麦色の肌の少女が、いじけたように言った。
「大丈夫、みんな一緒だから、ラフィのだってすぐ売れるよ、頑張ろう」
白い肌の少女は原田夏菜子だった。
「カナコの方が美人だし手足も長くて素敵だもの、それに比べて私と来たら、頭が大きくて足も短いし、同じ生き物には見えないわ」
うつむくラフィの頬に夏菜子は手を当てた。
「ラフィの笑顔だって素敵よ、もっと自信を持ちなさい」
夏菜子がラフィの頭を撫でていると、大通りを若い男の集団が歩いて来た。
「ほらお客さんだよ、ラフィ、笑顔、笑顔」夏菜子はラフィにもっと笑うように促した。
「イピシオネ、イピシオネ、甘くて美味しいよ」
ラフィは満面の笑顔でイピシオネをひとつ手に取ると、お客に向かって腕をいっぱいに伸ばした。
それでも男たちは迷わず夏菜子のもとへと向かった。
「俺たちガルタから来た船乗りなんだけど、ここら辺で酒が飲めて料理がうまい店をどこか知らないか」
一際ガタイの良い男が、わりと横柄な口調で尋ねてきた。
「さあ、私もこの街は詳しくないので」
と夏菜子は軽く受け流した。
そんな中、がっかりしているラフィの手から、イピシオネを受け取る男性の姿があった。
「イピシオネか、蜜柑みたいだな」
と言って男性はラフィから3個ばかりイピシオネを購入した。
「わ、売れた」
嬉しそうに戯けるラフィに肩を叩かれながら、夏菜子は「蜜柑」と言う言葉に激しく動揺し固まっていた。
「蜜柑って、ガルタ地方にもあるの?」
と夏菜子は、逆にラフィの肩を掴んだ。
「ミカンなんかガルタにも何処にもないよ、いま初めて聞いた」
とラフィは、酷く取り乱す夏菜子を心配そうに見つめ返した。
「夏菜子、大丈夫?」
ガルタから来たと言う船乗りの一団は、大通り沿いの店を物色しながら、どんどん遠くへ離れて行く。
夏菜子は焦る気持ちを抑えつつ、目を閉じて《ダンピール》の気配を探した。
すると船乗りたちの中にダンピールらしき人物が1人だけいた。
「ラフィ、ちょっとごめん、ここ見てて」
「え、ちょっと夏菜子──」
と立ち上がるラフィをよそに、
夏菜子は急いで船乗りたちの後を追った。
◇
その日の早朝、ガルタ地方の港を出た漁船クーチー号は、アルカディア半島沖1.5バルカンの海域でエンジントラブルに見舞われた。
そこで、いちばん近いアルカディア半島西南地区に位置するホロイ港へ寄港することを余儀なくされたのだった。
「修理には、まる一日かかるなぁ」
ドックの作業員にそう言われて、
船員たちは一も二もなく街へと繰り出した。
彼らは倉庫街のホロイからすぐトラムに乗り、アルカディアいちの繁華街があるセクトンと言う街へと向かった。
「セクトンていやぁ、イプシーロ山からの伏流水で醸造してる酒が有名だ──と言っても、17歳のクレには飲めねぇな」
などとトラムの中で、はしゃぐ船員たちの中に、紅林要の姿もあった。
紅林は2日前、海で溺れているところをクーチー号に救助され、行くあてもないのでそのまま船員として船で働いていた。
船員たちは紅林の素直な性格を気に入り、外界人であると薄々感づきながらも、手取り足取り色々教えてくれた。
たった2日間ですっかり打ち解けて、仲間としてすんなり受け入れてくれていた。
イプシーロ山を望むセクトンの街は半島いちと謳われる割には、それほど広くはなかった。
敢えて東京に例えるならば、目黒区と品川区を合わせたぐらいの大きさ、とは言え街の感じは至って洋風で中世ヨーロッパの匂いを感じさせる、例えばポルトガルのポルト歴史地区などがそれに近かった。
白漆喰の壁に、イピシオネのように薄橙色の瓦葺きの屋根。
コロンと太ったような家々が雄大なイプシーロ山の稜線に抱かれて所狭しと群れている。
“ここが異世界だなんて信じられない”
紅林は瞳をキラキラと輝かせた。
トラムの車窓から眺めるセクトンの街は、どこの《ヨーロッパの街》よりもリアルにキラキラと輝いて目の前にあった。
軍神アレスを祀った《クシュパ》と呼ばれる神殿まで伸びる参道。
「せっかくセクトンに来たんだからクシュパを一目見て帰ろうぜ」
船員たちは口々にそんな事を言って、大通りを闊歩していた。
石畳の道の脇で、揃いの花柄の衣装を身に纏ったアーレイド族の少女たちが蜜柑のようなイピシオネと言う果実を売っていた。
「おう、女だ、女だ──ちょっと冷やかしてやろうぜ」
若い船員たちは迷わず少女たちへ近寄って行った。
「ほらお客さん──」
などと少女たちは囁きあって、すぐに船員たちを呼び込み始めた。
「──イピシオネ、甘くて美味しいよ」
中肉中背の女の子が、紅林の目の前に腕を伸ばして来た。
「──ここら辺で、酒が飲めて料理がうまい店どこか知らない?」
船員たちはイピシオネを差し出した娘なんかそっちのけで細身で美しい隣の女の子へ声をかけている。
中肉中背の女の子が少し悲し気な表情を浮かべたのを、紅林は見逃さなかった。
「へぇ──イピシオネか、蜜柑みたいだな」
と紅林はイピシオネをひとつ受け取って、まじまじと眺めた。
「これって美味しいの?」
と紅林が尋ねると、少女は満面の笑みで答えた。
「もちろんさ、イプシーロのイピシオネは世界一さ」
「へぇ」紅林は思わず笑ってしまった。
「それじゃ、1個──いや、やっぱり3個もらうよ」
紅林は金を渡して、イピシオネを受け取ると、そのまま船員たちの後について歩き始めた。
船員たちはセクトンの土産物屋を物色した後、その近くに賑やかなバルを見つけて、ワイワイ騒ぎながら、その店内へと入って行った。
軒先で二の足を踏む紅林を、
「大丈夫だよ、無理に飲ましたりしねぇから、クレも入れって」
気づいた船員のひとりが外まで彼を呼びに来た。
紅林が、納得して店へ入ろうとした矢先、
「クレ、紅林でしょ」
と聞き覚えのある声が聞こえた。
紅林が声のした方を向くと、アーレイドの民族衣装を身に纏った背の高い少女が1人立っていた。
「あれ、さっきの、クレお前、金払い忘れたの?」
キョトンとする先輩船員に、紅林は
「先入っててもらえますか、」
と静かに言った。
「紅林だよね、そうだよね」
少女はビジャフのような頭巾を脱いで、
顔を晒した。
「夏菜子」
紅林は思わず呟いた。
唖然とする紅林に、原田夏菜子はゆっくりと歩み寄って来た。
「夢じゃないよね」
「ああ、夢じゃない」
紅林が夏菜子の手を取ると、
夏菜子はそれだけじゃ足りないように、その体へ力一杯抱きついた。
「クレ、生きてたんだ」
人目も憚らず泣き喚く夏菜子の背中に、紅林はそっと腕を回したのだった。