scene 2 忘れ砂
「御主の使ったその椀も、この船に乗っておった船員の頭蓋骨で作ったんじゃ──」
ピオド老人は急に遠い目をして、何やら語り始めた。
「その男は、確かクレイグと言ったかな、異世界の地球と言う星のアマルカとか言う地域から来た軍人だった、気の良い男でな──」
ピオドは時々思い出し笑いを織り交ぜながら、クレイグとの懐かしい思い出に浸った。
晴は、最初に出て来た“クレイグ”と言う名前の響きが気になって、ずっとその事について考え続けていた。
“クレ、クレイ、クレバー、ダメだ思い出せない、何か重要な事を忘れている気がする”
「さっきからクレ、クレうるさいのう、何じゃクレがどうした」
ピオドは話を途中でやめた。
「何かさっきから重要なことを忘れている気がして、考えても思い出せないんです」
晴はそのうち苛立って頭を掻きむしった。
「それは“忘れ砂”のせいじゃ──この砂漠の砂には、やたら多く含まれておる」
ピオドはそう言って、服の袖を巻くり、
晴へ腕の入れ墨を見せた。
「うん、読めない」
ピオドの腕には何やらアラビア文字のようなもの刻まれていたが、当然、晴にはそれが何と書いてあるのか分からない。
「ワシは、時々砂漠へ砂虫の死骸を探しに行くのじゃが、長居しとると何もかも忘れてしまう、そこで此処に自分の名前と住処とする場所の特徴を刻んであるのじゃ」
そう言ってピオドは、次に奥の部屋から持って来た書物を指差した。
「忘れたくないことは、こうやって予め備忘録に書き留めてある、“忘れ砂”対策は万全じゃ──、しかしな記憶は完全に消えてしまう訳ではない、思い出しづらくなるだけじゃ心配するな」
“何でそんな砂が砂漠に──”
と言う晴の思念が、ピオドへ伝わり、
彼はまた奥の部屋から書物を取って来た。
「それを訊かれると思って予め用意しておいた──」
と言ってピオドは、その備忘録を読み上げた。
「千年前までこの地を支配していたアシュラ族と言う連中が、太古の昔に《アーレス》と言う軍神から“物忘れの実”を食べさせられてな、エライ物忘れの酷くなったんじゃ、粗暴な彼らはこの土地に住むライストリューゴンと言う民と戦争ばかりしておった、和平を取り付けてもすぐ忘れて攻撃してくるんじゃ」
「厄介な連中ですね」
「さよう、厄介な連中じゃった、ライストリューゴンが滅ぶと今度は仲間内で殺し合うようになった、街を破壊し森を焼き払い、仲間の遺体を八つ裂きにして骨も粉々に砕いた、“忘れ砂”とは元はアシュラ族の骨なのだ」
ピオドは《忘れ砂》に関する書物の表紙を閉じた。
「アシュラ族は、滅んだのですか」
晴がそう尋ねると、ピオドはまた表紙を開いた。
「アシュラ族──、ああ国が滅ぶことを憂いたアシュラの王シャンバラはこの地を離れ船で旅立った“軍神アレスを滅ぼし物忘れを治す”とな、しかし帰って来ないところを見ると、アレスに殺されたか、途中で旅立った理由を忘れてしまったんじゃないのか」
話終わったピオドと晴はふと顔を見合わせた。
「何の話をしておったか」
とピオド。
「アシュラ族の話ですよ」
と晴は、ピオドの手にした書物を指差した。
「いや、その前に御主がワシに何か尋ねただろう、」
「何でしたか」
2人はしばらく考えこんで、部屋中を見渡した。
するとピオドがテーブルの上へ置かれた別の書物を見つけた。
「これじゃ、アルタキエーのページに付箋がしてある」
「アルタキエー、そうです何処に有りますか?」
壁の棚を覗きこんでいた晴は、喜び勇んでピオドのもとへ駆け寄った。
「どれどれ、そう焦るでない」
ピオドは得意気に書物を開いた。
アルタキエーについての項目は、アシュラ族についての記述に比べると、実にあっさりとした内容だった。
ピオドは少し申し訳なさそうに、晴の顔を一度見た。
「どうしました」
晴は心配そうにピオドを見返した。
「これには、“アルタキエー”の詳細については、《ヘルメス》に尋ねよとある」
「《ヘルメス》って何ですか」
晴はすぐにピオドへ詰め寄った。
「《ヘルメス》とは、砂漠の果てに住むある女の名だ」
「そのヘルメスさんに聞かないと、アルタキエーの事は分からないって事ですか、ピオドさんは知らないんですか」
晴が更に詰め寄ると、ピオドはそっぽを向いて備忘録を片付け始めた。
「これには、そう書いてあるが、ワシが知らないとは限らんぞ」
ピオドはあくまで知ってる風を貫いた。
晴はさっそく、その《ヘルメス》のもとを訪ねてみる事にした。
「ヘルメスの住む神殿は、ここからだと3バルカンは離れている」
ピオドはそう言って遠くを指差した。
「3バルカン?」“どこかで聞いたような”
《バルカン》とはこの世界で広く使われている長さの単位のようだった。
首を傾げる晴のために、ピオドは潜水艦の道具箱の中からスケールを持って来て、だいたいの長さを説明してくれた。
人間と暮らした経験があるせいか、ピオドの説明はとても明朗かつ的確なものだった。その語り口は、まるでテレビショッピング専門に出演しているタレントさんのようであった。
どうやら、1バルカンが約25㎞なので、3バルカンだと約75㎞ということになるらしい。
ちなみに、それより短い単位は《バルサミコス》と言い、“サ”のところを強く発音する。
1バルサミコスが約2.5㎝なので、1バルカン=約100万バルサミコスと言う事になる。
その上の単位は《バルポンチョ》と言い、更に《ギガバルポンチョ》と続くが、そんな長い単位は殆ど誰も使っていないと言う。
《ヘルメス》の神殿へ旅立つにあたって、《忘れ砂》の影響を軽減するために
ピオドは軍用のガスマスクと細かい目の生地で出来た“ポンチョ”を用意してくれた。
ポンチョを羽織ってフルフェイスのガスマスクを被った姿を鏡で見ると、どう見ても怪しい風態に見える。
晴は映画《SW》に登場するサンドピープルを思い出した。
ピオドからはその他、砂漠での注意事項を説明されたが、晴は“75㎞はちょっと遠いが、飛んで行けば大した事はない”と思いあまりその声には耳を貸さなかった。
「もう会えないかも知れんから、最後に御主の名を教えてくれ、」
ピオドは、ペンを片手に備忘録のページを開いた。
「えっと、」
晴は少し考えて、
「ハル──、あとはちょっと思い出せない」
「ハルか、良い名だ」
ピオドはそう言って、すぐに備忘録へ書き留めた。
ピオドに見送られながら、晴は潜水艦の最上部から、緑がかった大空へ勢い良く飛び立った。
ところが砂漠上空の大気はすこぶる重く、まるで水飴のように体へ纏わり付いて来た。
晴はそれを押して飛びつづけたが、200バルサミコスも進まないうちに、疲れ果ててしまった。
「飛べるなら、もっと低く飛ぶんじゃ、それか、歩いた方がいい」
潜水艦のハッチを開けて様子を見ていたピオドが此方へ思念を飛ばして来た。
「大丈夫、ありがとう」
晴は少し振り返って、ピオドへ手を振った。