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アザーサイド: OTHERSIDE  作者: 杉山 皐鵡
スピンオフ 不発弾〜或いは忘却という名の怪物〜
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Scene 6. 不発弾


「あの怪物の能力が、他者の“忘却”を誘発するものであれば、怪物自身、自分に関する記憶など、とっくに失ってしまっているのかもしれない──」

そんな仮説を呟く柊の隣で、須賀はその話に頷きながらも兄であるオカマのキヨコの、祭壇に向かい祈祷を捧げている背中をじっと見守っていた。


──あの怪物は妻と娘に会いたいと言っていた、しかし《欠番》は優生保護法下では子を成すことを許されなかった筈、とすると“娘”と言うのは妻の連れ子か──


ぼんやりとそんなことを考えていた須賀の脳裏に、ある記憶が蘇った。


それは、昼間に訪ねた白井家での出来事──。

白井もと子の書斎へ立ち入った時、彼女が使っていたと言う座机(すわりづくえ)上へ置かれていた古い写真に須賀はふと目を止めたのだった。


もと子の娘は、その写真の人物は《父》だと説明した。


須賀は、軍服姿のその男性の写真を眺めながら、その話に違和感を感じた。

書斎に入る前、亡くなった白井もと子への挨拶がてら仏壇に手を合わせた際、そこに置かれてあった遺影の男性とは明らかに違う人物の写真だったからである。


捜査とは関わりのない余談だったが、

須賀はそのことがどうも引っかかって、失礼を承知で娘へ尋ねてみた。


「父とは言っても母とは内縁関係でしたから、親族の目もあって仏壇には──

あの仏壇は元々は亡くなった本当の父のものですから、本当の父は私が生まれてすぐ亡くなったもので、何も覚えていません、ついつい“父”と言うとその人のことを思い出してしまうんです──」


そう言って、娘と言っても80歳過ぎの老婆は、懐かしそうに座机から写真立てを手に取り、真近に眺めて懐かしそうに目を細めていた。


「──よく考えてみたら、この人の素性を、私は何も知らないんです、でも、とても優しい人でした──私らなんかよりも何倍も苦労した人なのかも知れませんね、それが最後は、あんな戦争にとられて、かわいそうに──」



──あの怪物の妻子も同じような思いをしたに違いない──


須賀はそう感じながら、大きなトラックの荷台に載せられて、山の悪路を運ばれて行く男たちの姿を想像した。


柊や、須賀の祖父は大本営かそれに近い役職に就きその指揮系統に加担していた筈だ。

須賀は代々自分と同じように《夜警》として《欠番》を監視してきた自分の祖父が、“あの実験”を知らなかった筈はないと思った。


兄であるキヨコが、強力な霊能力者でありながら家職を継ぐことを拒んだのも、オカマと言うだけではなく、そんなことも一因だったかも知れない。

《夜警》は伝統を重んじながら、黒い歴史に蓋をして、未だに同じことを繰り返そうとしている。


この国も、我々もまた“忘却”の只中に居るのだと須賀はキヨコの大きな背中を眺めながら何かに祈るように目を伏せるのだった。


「いた、見つけた──」


祭壇の前でキヨコが不意に呟いた。


次の瞬間、東京警察病院敷地内に雷鳴が轟いた。

異様な数の落雷は、明らかに病院敷地内を狙い撃ちしていた。

病院周辺各所に詰めていた《夜警》及び自衛隊の各部隊が一斉に対空放火を開始した。

しかし、その弾幕は目標へ達する前に次々を空中で炸裂して消え飛んでしまった。

誘導弾に至っては、コントロールを失い、地上を攻撃してしまう始末。


「だから、対空放火はやめておけって言ったんだ」

と溜息をつく柊たちの目の前で、


弾幕に呼応したように数を増した落雷が、瞬く間に地上を火の海に変えた。

自衛隊員たちは動かない装甲車を捨てて、落雷の中を縫うように逃げ惑った。

木々は裂け、周辺の建物は爆音を上げながら黒い煙を吐いた。

病院建物にも地上から火の手が、

屋上では避雷針が許容を遥かに上回る落雷を受け、火花を上げながら倒壊した。


「キャー!」

キヨコの助手の繭子は、思わず隣にいた倉木へ抱きついていた。

倉木は繭子がいるせいか、いつになく的確に隠れ場所を見つけては移動を繰り返した。


柊は地上の地獄絵図をよそに、じっと天に掌を翳し、建物全体へ結界を巡らせていた。


「で、兄、姉貴、どこだ、奴の妻の霊は──」と、自身も結界に助力する須賀が横目でキヨコに呼びかけた。


「ちょっと待ってよ、いま呼び出してるのよ!」


「怪物が来やがったんだよ」


「わぁってるわよ、集中さしてよ!」


そう言い合いをしている須賀兄弟の頭上、

柊が創り出した透明なドーム状の結界には巨大な稲妻が、まるでナイアガラの滝のように容赦なく降り注いだ。


「クソっ、……」


怒涛の稲妻は結界を押し潰さんと、その威力を更に強めた。

その重圧に耐えかねた柊は、顔を歪ませながら片膝をついた。


「舐めるな、バケモノ」


結界が弱まる中、須賀は両手で印を結ぶと光の矢を創り、黒雲に覆われた上空へ向けてまるで弓を引くような動作をした。


怪物は業を煮やしたのか、厚く垂れ込める黒雲の中から、

その稲光りに包まれた身体をゆっくりと現した。

そして、すぐさま弾丸のようなスピードで病院建物めがけて降下して来たのだった。


「来い、撃ち落としてやる──」


須賀は、直接結界を打ち破らんと拳を突き立て突進して来る怪物にめがけて、光の矢を放った。


文字通り光速で直線を描く矢を、怪物は易々と交わし、バチバチ稲光りを上げながら結界へと体当たりして来た。


結界を砕かれた柊は、屋上の端から端まで弾き飛ばされて、果ては転落防止のフェンスを突き破り屋上の外へ投げ出されてしまった。

あわや落下しようと言う時、その腕を掴んだのは倉木だった。


「柊さん、しっかり!」


「バカ野郎、何で逃げてない!」


「逃げなくて、正解だったでしょ──」


“おっとっと”と身体を持って行かれそうな倉木を、今度は繭子が後ろから抱きしめた。


「アタシって、案外、体力には自信あります!」


そんな繭子と倉木の尽力により、柊は再び屋上へ引きずり上げられた。


一方、空中からは須賀の光の矢が舞い戻って来て、怪物の背中を刺し貫かんとぶち当たるが、その体から発せられた有り余る電流に分解されるように消えてなくなってしまった。


「新しい建物など拵えよって──」


怪物は執拗に建物を破壊した。

屋上の縁は跡形もなく崩れ、内階段を擁する塔屋は斜めに傾いた。


その振動にぐらつきながらも須賀は、いまだ辛うじて小規模ながら結界を維持していた。

そして降霊術に余念がないキヨコを庇って、怪物の前へと立ちはだかるのだった。


「ここはもう、陸軍学校ではない、お前をそんな風にした人間ももうこの世にはいないんだ!」


そう必死にうったえる須賀に対し、怪物は叫びながら拳を振り上げた。


「お前ら人間は、俺たちを抹殺し、消し去ろうとした、都合の悪いことをみんな伏せて何十年も、自分たちだけ平和を享受してきた── 」


雄叫びを上げる怪物が、結界ごと須賀を殴りつけようしたその時である。

空に蔓延る黒雲が急に裂けて、また別の雷鳴が轟いた。


怪物はただならぬ気配に、拳を振り上げたまま、雲間から顔を覗かせた月を見上げた。


月光を背にして、何かが一直線にこちらに向かって来るのが見えた。

影は3つに分かれ、其々別の方向へ。

次の瞬間、怪物の身体が屋上から外へと弾き出された。



倉木の肩に掴まり立ち上がった柊の目の前に、不意に黒い作業着姿の大男が現れた。


「ドム!」


と目を丸くする柊。

急ぎその胸ぐらを掴んだドムは、繭子の細い身体を小脇に抱えると、倉木には

「背中に掴まれ」と言って、

彼が背中へ負ぶさった途端に空高く飛び上がった。


一方、半ばトランス状態のキヨコと、それを庇護する須賀のもとには、その弟分である蟹原(カニ)が現れた。


「うっわ、この人重っ!」

蟹原はキヨコの太い腹へ背後から手を回そうとするが、まるで腕が回らない。

彼はあきらめてその両脇に腕を掛けると、少し浮き上がった。


「よっしゃ、イケる」


「何だ、お前、確か──」

と言いかけた須賀の声を遮って、蟹原は叫ぶ、

「どうでもええから、ワシの肩に掴まってんか──」


「兄貴だけ連れて行ってくれ、俺は《夜警》として、“奴”と決着をつけなきゃならん──」


「何を意地張ってんねん、早よ掴まれや、アンタに敵う相手とちゃうやろがい!」


そう声を荒げる蟹原を尻目に、須賀はひび割れた床面を飛び越え、その場から走り去ってしまった。


「アホか、須賀、どないなっても知らんど!」


蟹原は、重たいキヨコの体を何とか抱え上げて、宙へと舞い上がった。



空中では、姿こそ見えなかったが、

至るところで波動のぶつかり合いが続いていた。


病院の壁面が巨大な衝撃を受けて、まるでクレーターのように沈み込み、その中央には壁材にめり込んだ状態の巽晴が姿を現した。


「──あークソ、まただ、」


晴は頭の中に広がる(もや)を取り去るため、何度も自分の頭を強く叩いた。


怪物の雷砲とも呼ぶべき攻撃をまともに食らってしまうと、忽ち“忘却”に囚われてしまう。


晴は、いつの間にか自らが発する電流で、忘却を食い止める術を身につけ始めていた。


「いい加減にしろよ、オッさん!──みんなに迷惑かかってんのがわからねぇのかよ!」


彼は崩れ落ちて来た瓦礫を易々と払い退けて、尚も執拗に雷砲を繰り出してくる怪物へと立ち向かって行った。


攻撃を交わしては、カウンターをお見舞いする晴だったが、怪物男の鋼のような筋肉の鎧を粉砕できず、再び屋上へ叩き落とされた。

晴の頑強な肉体は、屋上を始めとして、各階の底床を粉砕しながら落下し続け、地上2〜3階のところでやっと止まった。

しかしその破壊がもとで建物全体の強度は落ち、倒壊が加速していた。


須賀はちょうど屋上を降りてすぐの10階辺りの階段上で、天井を突き破って落ちて来た晴が、また床を突き破り落ちて行く姿を見送っていた。



「なんだ、戦っているのは、まだ子供じゃないか──」


須賀は、天井に開いた大穴の向こう側を見つめて、再び屋上へと戻る決心をした。


晴は瓦礫の中から立ち上がり、落ちて来た穴を逆に、上空へ向けて飛び上がった。

そして途中、屋上まで来ると、


「おい、少年」


との声に呼び止められた。


「そんなとこで何やってんすか──建物が崩れますよ!」


地上は既に火の海。

そこに孤島のように辛うじて建っている病院。

その屋上で唯ひとり、立っているのでやっとの須賀は、上空に浮かぶ晴へと大声は張り上げていた。


「私は《夜警》の須賀だ、君、名前は──」


「ハルです、(たつみ)(はる)──」


「──巽、土御門卿巽御大(つちみかどきょうたつみおんたい)のお孫さんか、

だが、ハル君、君の攻撃は一辺倒だな──それでは“奴”は倒せんぞ」


「は?──じゃ、どうしろってんですか、」


「有効な攻撃とは、相手の不意を突くことだ──まず君は奴の動きを封じることに終始しろ、私が援護する」


「何言ってんすか──」


「良いから言うことを聞け、これは我々人間の闘いなんだ、君は力を借してくれるだけでいい──奴の身体は体内から放出される電流の幕、言わばバリアで覆われている、君の体も同じように電流を放出できるようだな、目には目を、“バリアにはバリア”だ双方で打ち消しあえれば、我々にも勝機はある!」


須賀のただならぬ気迫に押されて、晴は言われるまま、雷砲を交わしながら怪物のもとへと向かった。





東京警察病院から数kmほど離れた高台では、多くの避難民たちがごった返す中、足や脇腹など数カ所を骨折していた柊のもとへ救急隊員が駆けつけていた。

「大袈裟なんだよ、お前ら──」

柊は“何ともない”と、周囲を取り囲む人間たちに向かって手足を動かして見せた。

「──あ、痛っ」

彼は前後逆さになった足首を抑えて飛び上がった。


「やっぱ、無理じゃないですか、せっかく救急車が来てくれたんですから、乗りましょうよ」


倉木が、倒れそうな柊を支えながら言った。


その傍で病院の建物の方を見つめているドムに、蟹原が詰め寄った。


「ドムの兄貴、ワシもう辛抱たまりまへんわ、ハルの兄貴に加勢しまひょ」


「お嬢の命令だ、こればっかりは辛抱しろ」

ドムは腕を組んだまま動こうとしない。


「カニ、ドム、分かっておろうな──(わらわ)の意に反せば、3万回焼き殺しの刑じゃ──」


蟹原の耳元でラミアが囁いた。


「あ、さすが姐さん神出鬼没なんでんなー」


蟹原は驚きを隠しきれなかったが、上ずった大声で、いつものようにすぐラミアへ媚び諂った。


「ラミアだとぉ⁈──」


突然現れたラミアの存在に気づいたキヨコは、引き留める繭子を振り切り彼女のもとへと一目散に駆け寄った。


「ラミア、まだ弟が病院に残ってる、私の仕事も終わってないのよ、私をあそこへ連れて行って──」


「なんだ、お前か──」


ラミアは面倒くさそうにキヨコをチラリと横目で見ると直ぐに顔を背けた。


「“なんだ”じゃないわよ、こっちはさ、アンタの妹だとか親族にさ、ここんとこ散々迷惑かけられ通しなのよ──ちょっとくらい頼みを聴いてくれても良いじゃないのさ!」


興奮し取り乱すキヨコに、ラミアは反応を示さない。

堪らず2人の間に繭子が割って入った。


「──キヨコさん、ラミアさん怒らせたら食べられちゃいますよ!」


「上等じゃねぇか!」


キヨコは足下に唾を吐いて、ラミアの横顔を鋭い目つきで睨みつけた。


「誰が食うか!」


激昂したラミアは怒りに任せて、キヨコの胸ぐらを掴むと、その巨体をまるでサッカーボールのように易々と、遥か遠く彼方へと蹴り飛ばしてしまった。


「さすが姐さん」

と手を叩く蟹原と、呆れるドム。


そして、

「キヨコさーん!」


と絶叫して泣き崩れる繭子を、多少気まずい感じで眺めていたラミアは、まもなくしてキヨコの残像を追うように、そろっと空へと飛び去って行ったのであった。





晴はビリビリに破れたTシャツを脱ぎ捨てた。

その統制の取れた肉体の表面に、青白い電流が(ほとばし)った。


「陸軍学校は落ちた、次は宮城(きゅうじょう)だ、皇居を殲滅してやる」


上空高くに飛び上がっていた怪物は既に病院建物に背を向け、千代田区方面を眺めていた。


「どこへも行かせない」


晴は、再び怪物の行く手を阻んだ。


「邪魔だ、どけ!」


怪物は稲光を帯びた鉄のような拳で、晴の顔面を殴りつけるが、拳は火花を上げたのみ。


晴は涼しい顔で、怪物を睨みつけた。


「貴様、なにを──」

怪物は様子の変わった晴に、少々困惑しながらも、先程までと同じように、晴の全身至るところへ雷砲を撃ちまくった。


しかし晴の全身を幕のように包むバリアが、その直撃を防いだ。


「そんな力、ダンピールにとっちゃ珍しくもなんともないんだって──俺は、やっとアンタを倒すって、覚悟を決めたんだ」


晴は自らのバリアの出力を増大させながら、敢えて怪物の拳を直接受けた。

もう脳内に“忘却”のモヤモヤは発生しない。

晴のバリア出力が遂に怪物のそれを上回ったのだ。


それから形勢は一変した。晴が繰り出す素早い拳が、蹴りが、怪物を容赦なく捉えた。


腹底深く拳を食らった怪物は、口から黒い血を吐き、少々狼狽えた目で晴を見つめた。


「アンタは、結局、本当に俺を怒らせてしまった、自分が冷静さを失ったことをせいぜい後悔するがいい──」


晴の体内から放出される電流が、その拳を通じて怪物のバリアを侵食し、段々と打ち消してゆく。


全身から雷光の輝きが失われつつある怪物は、晴の執拗な攻撃に押されて、病院の方へと追い詰められて行った。


その骨は砕け、肉は裂けたが、怪物に身動ぐ様子はない。

強く首をしめつけられ、病院の壁へ叩きつけられた怪物は、怒りを顕わにしている晴の顔を、至極冷めた目で直視した。


「俺は、名もない、既に忘れ去られた怪物、お前もいずれそうなる──同じ怪物にな」


しかし、その声は怒りに身を任せる今の晴の耳には届かなかった。



「ハル君、今だ離れろ!」


病院の屋上付近から須賀が渾身の思念を、攻撃に夢中になっている晴へ向けて発した。


須賀は身体中の霊力を結集させ、再び掌から“光の矢”を召喚した。そして動きが鈍くなった怪物の肉体へ向けて、それを放った。



即座に晴が身を引くと、異変を察した怪物は、失われつつあったバリアの残り火を、最後の力を振り絞るように増大させた。


“光の矢”はバリアに阻まれ、怪物の肉体へは到達しない。


「無駄だ」と不敵な笑みを浮かべた怪物の目の前で、あろうことか晴はその“光の矢”を素手で握りしめた。


そして、それを渾身の力を込めて怪物の心臓目掛けて突き刺したのだった。


「せめて、魂だけでも救われるがいい──」


“光の矢”は晴の力を吸収し、“槍”ほども太くなって、怪物のバリアどころか屈強な筋肉の鎧をも難なく貫き、直ぐに怪物の心臓を刺し貫いたのだった。


「逃げろ、」


晴は耳を疑ったが、怪物は確かにそう呟いた。





「ラミア、弟を助けて!」


空中を病院へと向かうラミアの背におぶさった、キヨコは彼女の長い髪を掻き分けてその美しい耳へ唾を飛ばしながら大声で叫んだ。


「だから、急いでいるであろう、うるさい奴め──」


「もっと急ぎなさいよ瞬間移動とか」


「重い荷物を背負っておるから無理じゃ」


「アンタにとっちゃ重いうち入らないじゃないバケモノの分際で!」


「お前だけ先に、飛ばしてやろうか?」


「だいたい、アンタが二子玉まで私を蹴り飛ばさなかったら、もっと早く着いたんでしょうが!」


売り言葉に買い言葉で、そう罵声を浴びせ合うキヨコとラミアであったが、


悪寒が迸しるのを必死に紛らわすキヨコは、ラミアがすぐ先の未来を見通していることが分かっていて、それを尋ねることが恐ろしかったし、ラミアの方、晴という不確定要素の介入によって怪物との戦況の行く末を見定められないでいた。


「──努力はしておるではないか、」

とラミアが怒鳴ると、

「努力って、あなたにはイチバン似つかわしくない言葉よ、それは人間のためにある言葉ですから、」

と涙目のキヨコはそう言い返した。


そんな2人が騒々しくも、病院上空へ到達した時、


怪物を建物付近へ追い詰めた巽晴は、既に“光の槍”を握りしめ、その心臓を今正に貫かんとしていた。


ラミアの心の中に引っかかっていた不確定要素が、その声を荒げさせた。


「──やめろ、晴!──怪物の心臓には自爆装置が──」



そんな声を搔き消すように、強大な爆風と炎がラミアたちへ襲いかかった。


ラミアは咄嗟にキヨコの盾となった。


真っ赤な炎を帯びた強力な熱風は広範囲に広がり、数分に渡りラミアの長い髪や衣服、その全身の殆どを焼き尽くした。


「ふっ──」


苦悶に表情を歪める彼女を、キヨコはその腕の中から見上げた。


「ラミア、もういい離して、アンタが死んでしまう──」


「決して離すものか、──(わらわ)はこれしきの事では死なん!」



しかし、キヨコを抱きしめるラミアの力は次第に弱まっていった。





怪物の爆発時に放射された炎の中には、吸血鬼が絶命する時に発すると言う“鬼火”が含まれていた。


無論、同様の肉体を持つラミアや巽晴が、その炎を浴びて無傷で済む筈もなかった。


東京警察病院から半径約2㎞を焼き尽くした炎は、約1時間後に突如として消し止められたが、鎮火が遅れた理由は、

それは約1時間もの間、キヨコを抱きしめていたラミアが意識を失っていたことに起因する。


病院の建物は、跡形もなく姿を消した。

と言っても燃え残った瓦礫は僅かながら存在し、その瓦礫の中から黒焦げの巽晴らしき人物と、それに庇われるようにして全身に熱傷を受けた須賀の姿が発見された。


生き残った夜警隊員や自衛隊員たちが、駆けつけた市民有志らと相互に協力し合って、巽晴や須賀の体を瓦礫の中から引きずり出した。


結果的にこのような事態を引き起こしてしまった怪物の身体は、髪の毛一本たりとも発見されなかった。


しかし、

中野区中野にぽっかりと出来上がった焼野原を1人歩く巨漢のオカマ“キヨコ”の目には、霊体となった“名もなき男”の姿がハッキリと見えていた。


その男の霊は、瓦礫の上で力無く項垂れたまま座り込んでいた。


「ちょっと、アンタ──そんなになっても、まだ気づかないの?」


とキヨコは、男の霊へ声をかけた。


彼はキョトンとした顔をして、徐にキヨコの顔を見上げた。


「アンタの奥さんね、──ずっと、アンタのそばに居たんだよ──」


キヨコがそう言うと、その男性の目の前に白く光る細い腕が差し伸べられた。

男性が、その腕をたどるように見上げると、若い女性がどこか哀しげに微笑んで立っていた。


男性は、彼女の手を取り、ゆっくり立ち上がると、キヨコに向かって軽く一礼して、フッと風の中に姿を消した。



数日後、

渋谷区某所にある総合病院の精神科病棟。

「あら、澪先生めずらしい、回診ですか?」

当院救急医療病棟(ER)の部長の(たつみ)(みお)が廊下を歩いていると、

若い看護師が声をかけて来た。


「うん、何日か前にERに搬送されて来た患者さんなんだけどね、だいぶ外傷も酷かったから様子見に来た──」


澪はそう快活に答えながら、その患者の病室を目指して歩き続けた。

途中、給湯室から50歳代くらいの女性が花瓶に花を生けて、廊下へと出て来た。


如月(きさらぎ)さん、こんにちは──」

澪がその女性へ努めて明るく声をかけると、女性は、どこか疲労感を蓄えたような顔で、力なく微笑んだ。


その病室の扉には、“如月由美子”と名札があった。

依然「面会謝絶」との表示が施されてあることに澪は少し表情を曇らせながらも、花瓶を持つ年輩の女性を気遣って、扉を開けてやった。


丁度その時、澪の白衣のポケットの中で、院内電話が鳴った。


「──急患か、」

と彼女が電話を取ろうとした刹那、病室内で花瓶が割れたような音が鳴った。


「誰ですか、あなた!」

鬼気迫る女性の声。


澪は急いで病室へ駆け込んだが、室内には、取り乱している女性とベッドで眠っている如月由美子以外、別に誰が居る訳でもなく、床で花瓶が割れている以外特に変わった様子はなかった。


「如月さん、どうしました?」


と言う澪の問いかけに応えるでもなく女性は、ベッド上の如月由美子の頭を必死に撫で回していた。


見ると、如月由美子の頭に巻かれていた包帯が焦げたように黒く変色している。


「今、窓のところに髪が長くて背の高い女の人が立ってたんです──」


女性は如月由美子の頭に、どこにも新たな怪我がないことを、確認すると少し落ち着いた様子で話し始めた。


「──あの女の人、この()の“おでこ”に手をかざして、何か手から雷みたいなもの出してました──」


そんな女性の話を聞きながら、澪はその“女の人”に思いあたる人物でもいるのか、急に変な汗をかきながら、そそくさと足下に散らばる花瓶の破片を拾い始めた。


窓から差し込む暖かな陽光が、ゆっくりと動きながら、如月由美子の顔を照らした。


「眩しいわね──」


女性は由美子へ優しく声をかけると、厚手のカーテンを片方だけ閉めた。


その明暗の移り変わりに気づいたのか、

由美子が徐に目を開いた。


ベッドに仰向けになったまま、ボーっと天井を眺めている由美子の額を、女性は愛おしそうに何度も優しく撫でた。


「お母さん──」


と唐突に呟いた由美子に、女性は激しく動揺した。


「由美子?」


「お母さん──」


「私が誰だか分かるの?」


そんな母の問いかけに答えるように、娘はゆっくり上体を起こすと、無言で母の胸に顔を埋めた。


「私、生きてる──」

娘は、母の心音を聞きながら涙を流していた。

「うん、生きてる」

母はしっかりと娘の身体を抱きしめるのだった。


箒とチリトリを持って病室へ参上した看護師が、如月親子を見つめながら目を潤ませている澪へ話しかけた。


「ERで急患だって、呼んでましたよ」


「いま、いま、いいとこなのに──」


澪は、抱き合う母娘の姿を何度も振り返りながら、しぶしぶ廊下へと出て行った。


病室を出てしばらく歩くと、廊下の真ん中に見覚えのある女性が立っていた。


「ラミア──」


と顔を顰める澪に向かって、ラミアはニマニマ照れ笑いしながら両手をいっぱいに広げた。


「ミオちゃん、母娘(おやこ)のハグ」



「うるさい、1人だけじゃなく、患者さん全員治しなさいよ──」


澪は早足でラミアの目の前を通り過ぎて行った。


「そんなの無理、(わらわ)、魔物だし──」


急ぎ足の澪の後を、ラミアは金魚のフンのようについて回った。


「如月さん、びっくりして花瓶割っちゃたじゃん、脅かさないでよ」


「──でも娘の記憶が戻って喜んでおったであろう?」


「そう言う態度が、傲慢だって──」


と澪が声を荒げながら振り返ると、既にラミアの姿は消えていた。


「ありがとう──お母さん」



澪は、また急ぎ足で歩き出した。



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