scene 1 鬼火
“草木も眠る丑三つ刻”誰もが目を背けて来た闇の中で“彼ら”の闘いは既に始まっていた。
主な登場人物
柊俊郎
……警視庁捜査一課9係主任、警部補。
倉木……刑事、巡査
「恐らく、瀉血……」
鑑識のひとりがそう口走ると、
現場中がどよめいた。
他の事件現場から直行してきたため遅れて現れた警視庁捜査一課捜査主任の柊俊郎警部補も、険しい面持ちで鑑識の見解に耳を傾けていた。
引き裂かれた衣類の裂け目から、赤黒い傷痕とともに、血の気の失せた青白い肌が露見していた。
殺されたのは男性。
恐怖に歪んだまま死後に硬直した顔が、壮絶な死に様を窺わせる。
その見開いた瞳
男はただ無言で虚空を見つめていた。
その遺体が、発見されたのは
8月某日未明、
八王子市鑓水にある犬塚山公園内の灯籠の袂であった。
灯籠は元々、某寺の別院であった道了堂という建物のものだ。
1963年に道了堂の管理人だった老婆が殺害され、無住となった堂宇は廃墟となった。1973年には某大学教授が不倫相手の女子大生を殺害後遺棄した現場ともなり、更に1983年には不審火により堂宇が焼損し、後に取り壊された。
現在、跡地には、堂宇の土台と境内の石畳、石灯籠などが残されている。
この鑓水と言う地域一帯は、
江戸時代、養蚕が盛んだった八王子から横浜へ絹を運搬した「絹の道」の中継地として繁栄した。
八王子市役所では道了堂跡地を史跡として保全することを決め、
1990年頃、犬塚山公園としてこの一帯は整備された。
とはいえ、現在は鬱蒼とした雑木林が生い茂り、
夜ともなれば、人気のなくなった公園内で何が起こっているのか、外から伺い知ることは出来ない。
さらに《鑓水》という地名が、昔、寒村の村人たちが口減らしのために老人や子供を槍で突いて殺し、その槍を水で洗ったことに由来するなどと言う話が流布され、
この地は、東京都内でも有名な心霊スポットとなったのである。
「発見したのは、八王子市内に住む男女4名です、肝試しに来ていたそうです」
若い捜査官の倉木がそう報告すると、
柊は、公園敷地内で別の捜査官に聴取されている男女4人の方をちらりと見て、
「あいつらは、違うな」と呟いた。
「何ですか?」
倉木は、柊の呟き声にすぐに反応した。
柊は意に介さず、改めて投光器に照らし出された遺体の側へ近寄った。
「瀉血って、身体中の血が抜かれてるってことですよね」
倉木の声が少し震えた。
柊は、ギロリと鋭い目を倉木に向けたが、狼狽えたような倉木の目を見つめて、まもなく少し得意気に話し始めた。
「瀉血ってのは、医学用語だ、西洋でも東洋でも、古くから行われてきた治療法だ、悪い血を抜くと病が治ると信じられてきた」
「悪い血……」倉木はよくわからないと言う様に呟いて、
「(被)害者が、穢れを祓われたってことですか、何か宗教的な儀式ってことですかね……」
と掘り下げた。
「さあな……儀式と言えば、ここいらの地名“鑓水”の由来って知ってっか?」
柊の薄ら笑いに、倉木は嫌な予感がして、
辺りを見渡した。
「知らないですし、知りたくもないです」
「あっそ、」
柊は襟元のネクタイを緩めて、気怠そうにため息をついて、しゃがみ込んだ。
そしてペンライトで遺体を照らし、首、手首などについた傷痕を眺めた。
1ミリにも満たない、細かな刺し傷であった。
「凶器は、鋭利な千枚通しのような物です…」
鑑識のひとりが柊の背後から話しかけた。
「ひと突きで的確に動脈を刺し貫いている……なのに、遺体には殆ど血痕が飛び散ってない、奇妙なんです」
鑑識のその男は首を傾げた。
それに対して柊は、
「うん」と頷いただけだった。
目撃者からの事情聴取を終えた刑事が、柊のもとへとやってきた。
「主任、あの4名はもう返して大丈夫ですかね、」
「……どうせ、何も見てねぇんだろう、いいよ」
屈んでいた柊は、面倒くさそうに顔を歪めながら立ち上がると、その刑事の方を向いた。
「犯人と思しき人影などは誰も見て無いようですが……車で公園内に入ってすぐ……青白い火が見えたと」
刑事は半笑いで言った。
「どこ……」
柊は、真顔で辺りを見渡した。
「ちょうど、その灯籠の上あたりだそうです」
と刑事が指差した方を見て、
柊はポツリと
「鬼火だ」と呟いた。