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世界は、いまだ選ばず 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 む、こーらくんじゃないか。こんな時間まで残っているとは何かあったのかい。

 ――新しいシリーズ本を読んでいたら、遅くなってしまった?

 ははあ、この学校の図書室、シリーズ本に関しては本当によく整えてあるよね。つい一気読みして終わらせたくなる気持ちも分かるよ。ここのところ、君が図書室に入り浸っているのはそのせいってわけね。もはや習慣、といっていいかもね。

 習慣が変われば人生が変わるって言葉があったなあ。昔も今も、積み重ねが大事、ということは、みんなが言いたいことらしい。コンピューターも慣れた処理と、慣れない処理じゃ、作業時間が違うだろう? いわば習慣って、今の時間を犠牲にして、未来の効率を取っているわけだ。

 未来への投資。はためには愚かに見えるかも知れないその行為を、ずっと続ける人はいる。

 こーらくん、一緒に帰らないかい? 帰り道で話そうか。


 これは僕のじいちゃんの話になる。

 戦争が終わっておよそ10年あまり。高度経済成長期を迎え、働き盛りのじいちゃんは電化製品の「三種の神器」を揃えて、悦に入っていた。まだまだテレビが高くて、街頭テレビなどで、番組を見る人が多い中、自分の部屋の中で見ることができるというのは珍しいことだったんだ。

 当時のじいちゃんは、新しくできたばかりの、鉄筋コンクリート製マンションの2階に住んでいた。防音対策も、今に比べるとまだまだしょぼくて、夜のプロレス中継とかは、ちょっと音量を上げただけで、薄い壁を飛び越えてしまうほどだったとか。

 おかげで、じいちゃんの部屋に、隣の人が「テレビ」を見せてくれと、尋ねてくるようになり、そのうわさが広がって、マンションの同じ階層の人は、結構な頻度で、じいちゃんの部屋を訪れて来たんだって。


 じいちゃんは、わざわざ部屋に上がって来るとか、うっとおしい連中だなあ、と思うことはよくあったけど、一人でいるより、複数人でいる方が楽しいのは事実だった。

 画面越しに、身もふたもないヤジを飛ばしながら、酒をかっくらって、愚痴をこぼし合う。それが、まだ娯楽が少ない時代の、数少ないストレス解消手段でもあったのは確か、とじいちゃんは話していたよ。

 テレビを媒介にしてできた、宅飲みネットワーク。いつしかじいちゃんは心地よく思うようになっていたとか。

 

 何人もの来訪者のうち、一番よくやってくるのが、左隣の部屋の「マサさん」だった。当時のじいちゃんと並ぶと、親と息子に思えたと近所の人が言っていたから、結構、年齢が離れて見えるらしい。

 聞いたところ、夜の病院の清掃員をしていて、昼間は眠っていることが多いみたいだ。仕事も毎日あるというわけではなく、テレビ中継がなくても、じいちゃんがいる時にはしばしば部屋を訪ねてくることがあったらしい。

 日本酒派のじいちゃんに対して、マサさんはワインを愛飲していた。どこからか調達してきた、ハイカラな雰囲気漂うワインを持ち込み、じいちゃんの部屋で封を切っては、一晩で部屋をブドウの臭いを染み込ませること、たびたびだったらしい。

 そうして眠らない夜を明かしていくうちに、じいちゃんとマサさんは、すっかり仲良くなったそうなんだ。

 

 そんなマサさんは、日が昇る時間になると、決まって一度、部屋の外に出ることを願い出る。すぐに戻る時があれば、なかなか戻ってこない時もあった。

 特に、五日間曇り空が続いた後の夏至当日。その朝は、十分経っても戻ってこなかったらしい。

 何をしているのか。気になったじいちゃんは、部屋の掃除もそこそこに、マサさんの後を追って、外に出たことがある。

 

 マサさんは、目の前の手すり壁から身を乗り出し、太陽に向かって、こぶし大の丸いコンパクトのようなものをかざしていたんだ。

 彼はじっとして動かない。はたで見ているじいちゃんも声をかけづらく、かといって部屋の中に戻るのも気まずくって、不思議な沈黙の時間が流れちゃったようなんだ。

 どれだけ時間が経ったか。太陽が山のふちから完全に飛び立つと、マサさんがようやく、朝の空気に濡れたコンパクトを、ズボンのポケットにしまう。見守っているじいちゃんが、思わず「ふう」と溜息をつくと、マサさんが「すまんね」と振り向きながら言った。


「晴れの日、特に曇り続きの後の太陽には、うっぷんが溜まっている。ギラギラといたずらに照り付けて、生きとし生けるものを苦しめかねない。だから、このコンパクトで、太陽の力を吸い取っているのだ」


 といっても、にわかには信じられないだろうがな、と付け足して、マサさんはじいちゃんの部屋から酒瓶を回収すると、自分の部屋に引っ込んでいったんだそうだ。

 その年の夏至は、予想されたほどの暑さはなく、過ごしやすい日だったという。


 マサさんの儀式めいた行動は、晴れの日はずっと続いていた。

 じいちゃんは、ばあちゃんと結婚し、引っ越すまでの十数年間、ずっと同じ部屋で暮らしていたようで、マサさんの儀式をたびたび拝むことになる。

 二年、三年は良かったが、五年を過ぎたあたりから、儀式を行うマサさんに、息切れが目立つようになる。心配になって声をかけるけど、「無用だ」と強い調子ではねつけられたんだって。

 マサさんは見るからに無理をしていた。じいちゃんが引っ越す一年前などは、ぐったりしながら、手すりから身を乗り出し、半ば落ちそうな姿勢で「儀式」を続けていたんだ。


 けれど、ある日。あの時と同じように長く続いた曇り空の末に、空が晴れ渡る朝のこと。

 ゴミ出しをしようと、部屋から外へ出たじいちゃんは、マサさんが目の前の通路に倒れているのを見つけた。そばには、砕け散った例のコンパクトがある。

 思わずゴミ袋を放り、抱き起そうとして、びっくりした。マサさんの身体は信じられないほどに重く、冷たくなっていた。まるで墓石のように。

 マサさんがぱっと目を開く。そして抱き起こしたじいちゃんの姿を認めると、思い切り突き飛ばしたんだ。

 じいちゃんは通路にたたきつけられる。「ミシリ」と音がして、通路には、真新しいひびが、じいちゃんの身体を中心に、放射状に走った。

 一瞬息が止まり、その後に何度もせき込んでしまう。背骨がビキリと痛み、上半身がしびれてしまっている。

 辛うじて起こした顔。その視線の先で、ゆらりとマサさんが立ち上がっていた。


「陽光、抑えることかなわず……、世界め。守るというのか。人間を。許さぬというのか。我らが生きるのを。たとえ、その身を削り、人を苦しめることになろうとも、我らを……」

 

 マサさんは、ふらつきながら、自分の部屋のドアノブに手をかける。


「世界、いまだ、我らを選ばず」


 無念そうにつぶやいて、マサさんは倒れ込むように、部屋の中へ消えていった。


 数分後。じいさんは同じフロアの人に助け起こされて、そのまま大家さんにマサさんの異状を伝えに言った。大家さんが合鍵でマサさんの部屋を開けたけど、先ほど着ていた服を残して、マサさんはどこにもいなかった。ただ、ベランダに面した窓が、盛大に開いていたのだとか。

 家具が全然ない、殺風景な8畳間の隅には、小さなフンの山ができている。調べてもらったところ、コウモリのものだとわかったらしい。


 そして、更に数年後。じいちゃんは、太陽の害が広がる恐れを知ることになる。

 これまで、万物を紫外線から守ってきていた、防護幕。オゾン層が壊れていっているということを。

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