第八十八話:女王VS原初
時間は吉井達が砦の奪還に成功した場面より前日の夜にまで戻る。
自分の鑑定結果を確認し、テントから出たフクは身体を大きくして夜の闇を突き進む。
その速度は馬よりも遥かに速く、足音もない。八本ある脚を動かし地面を滑るように進んでいく。
実は蜘蛛の魔物は持久力はそれほどない、蜘蛛の武器は糸を使った巣による罠と爆発的な瞬発力である。
一瞬だけなら、虫の魔物の中でも最速とされるコックローチ種すら捕まえ捕食する圧倒的脚力を持つが、その反面、長時間の移動は苦手なのである。
しかし、フクはそんなことはお構いなしに走り続ける。すでに20分近く走り続けているが一向にその速度は下がらず森へ向かっている。
かつて、自分のマスターである吉井にどうして朝走りこむのか尋ねたことがある。
(マスター、ドウシテ、イッツモ、ハシルノ?)
毎朝の鍛錬後、朝食のパンを細かくちぎって食べさせてくれる自分のマスターにそう聞くと、マスターは少し考えこう答えた。
「そりゃ、走り込みは基本だしね。少しでも動ける時間は増やしたほうが有利だろうし……いやどうだろう。うーん、改めて考えてみると、そんなことじゃなくて、多分僕は、辛くても疲れても、大事な時にいつでも動き続けれるようになりたいから走ってるんだと思う、走りこみってのは心を鍛えるって爺ちゃんも言ってたなぁ」
そう言って、優しく身体を撫でながらパンを食べさせてくれたマスターの言葉は正直良くわからなかったが、必要な時に動く為に持久力が大事という部分は理解できた。
だから、そう動けるように身体を作り替えた。他にもいろいろな質問をフクは吉井にしていた。
吉井はいつもフクの質問に対して首を捻って考えてから答え、時には一緒に考え込んだりもした。ファスやトアも同様に丁寧に答えてくれている。
だから質問するたびにフクは思っていた、自分はその答えを丁寧に受け止めようと。
(マスター、マッテテネ)
フクは吉井達と過ごした宝物のような時間を反芻しながら走る。それはこれから起きるであろう戦いに備え経験を再認識しようとする本能なのかもしれない。
しばらく走り、ついに森の手前まで来ると、その異常に気付きフクはまず身体を小さくした。
(イト、ハッテル)
木々の枝、幹、果ては地面に細い糸が張られている。巣のように捕らえる為でなく察知するためだろう。 他の人間や魔物であれば気づくのは難しいだろうが、間違いなくアラクネのものだとフクは確信する。
砦で見たアラクネの情報にはこの森にはテントゥ・アラクネと呼ばれる人間の雌に擬態した魔物がいるらしい。
糸に近づき観察していくと、その強度、込められた魔力の緻密さに驚かされる。
同種だからこそわかる、この糸の主は魔物としては現状の自分より強い。
だが、それはフクにとって喜ばしいことだった。より強く、できれば手本となるような人間の雌として美しいアラクネをこの子蜘蛛は望んでいた。
強敵の存在を感じながら一切の躊躇なくフクは森へ入った。
森の中にはゴブリンやオークはもちろん、見たこともない魔物がまるで夢遊病者のようにぼーっと突っ立っている。その魔物達にも例外なく糸が巻き付けられていた。
(スゴーイ、イイシゴト、シテマスナー)
初めて見る自分以外の蜘蛛の魔物の巣は、非常に興味深かった。
一見するとバラバラに規則性も無いような糸の配置はわずか数本の糸により伝達を行い、相互に干渉しながらも『巣』としての存在を巧妙に隠蔽しつつ機能している。
気づけずに森に足を踏み入れれば、この巣の情報を共有している全ての存在に侵入者がどこにいてどんな状況かが手に取るようにわかるだろう。
フクは、その巣の機能を逆手にとり、一番近くの情報が集まる場所へと移動していった。
(ミツケタ)
思わずそうつぶやく。糸が集まる場所、そこには妙齢の人間の女性の上半身を持つアラクネが糸を編み込みながら情報を整理していた。
その髪はやや赤みがかかった茶髪で長髪をアップに纏めてうなじを露出させていた。
女性的でありながら鋭い切れ目と額に複眼があり、鼻筋は高く、その唇は紅をひいたように色づいている。
もしそのアラクネが人間であったのであえば、町を歩けば男女問わず通り過ぎたものは振り返るであろう圧倒的な美貌を誇っている。
おそらくは自分で織りあげたのだろう、長い帯のようなものを全身に巻き付けており、露出は多くその大きな胸と細い腰を強調している。
抱けば砕けそうなほど細身でありながら、その下半身は強靭な蜘蛛そのもので、黒を基調とした下地に黄色の斑が毒々しい、異形ゆえの美しさがそのアラクネにはあった。
アラクネは糸を使い他のアラクネに情報を渡しているようだ。こうして情報を精査し、伝達していくことで何かをしているのだろう。
ともあれ、今宵最初の獲物はきまった。
そのアラクネとてユニークモンスターさらには蜘蛛の魔王種であるテオドラから恩寵を授かった存在である。その実力はA級の冒険者パーティーでようやく対応できるかどうかというところ、しかし彼女は不幸だった。
どれほど強い存在であっても、巣の維持に能力のリソースをさいている状況、さらにはまさか森に張り巡らされた、絶対の自信を誇る巣をかいくぐり奇襲をかけてくる存在のことなどどうして察知できようか。
正面からであれば、勝敗はわからなかったであろう。だが名も知らぬアラクネにとって残念なことにこれは試合でなく殺し合いである。
大人に子供が殴り勝つことは難しい、しかしナイフを持った子供が台から飛び掛かり後ろから大人を刺し殺すことは驚くほど簡単にできる。ましてやその子供がナイフの扱いに長けていたのならなおさらだ。
指先はもちろん全身に糸を繋げ、情報の伝達を伝えていたアラクネの陶器のような白いうなじに何かが降りる。反応すらできず、すぐにやってくる激痛、そして痺れ、自らの身に何が起こっているのかすら理解できず、助けすら呼べず、その美しいアラクネはフクの餌となった。
(ウーン、ビミョウー)
数分後、カラカラに干からびたアラクネの死体の横でフクは首を捻る。
望んでいた以上の上物を食べきったにもかかわらず満足できていなかった。
己の中にあるスキルを今の食事で完成させることはできる、しかし、我慢を続けてきたフクにとってただの上物ではもはや満足はできない、極上でなければダメだ。
そして、その極上の餌はこの糸の集まる先にいる。
ならば迷う必要などあろうはずもない。
最高の獲物を食べ、そしてスキルを完成させ、ついでにマスターの為に何かお手伝いをしてあげよう。
そんなことを考えながら、フクは今食べたアラクネの糸からもっとも近い位置に居た別のアラクネの場所に向かう。
森の奥へ行くのは後だ、まずは力を蓄えてから。晩餐は始まったばかりなのだから。
糸を辿り、アラクネを二体、三体と捕食していく。
フクが気を付けたのは敵に襲撃を悟られないこと、そのためにアラクネ達が伝達していた糸に自分の糸を上書きし、食い残したカラカラの死体に纏わせることでダミーの情報を流し続けた。
一体目のアラクネを捕食しその糸に対する理解をスキルにより【簒奪】したことによって可能となった糸の操作により、アラクネ達は女王を含めこの小さな襲撃者に対する対応が遅れてしまった。
これが、冒険者の工作だったなら、あるいは普通程度の蜘蛛の従魔であったなら、ここまで発見が遅れることはなかっただろう。むしろ逆手にとって相手を操作する程度のことならアラクネ達は平気でするだろう。
しかし、まさか規格外の蜘蛛の魔物がこの場面に登場し盤面をひっくり返すなどアラクネ達が想定していた事態を遥かに超える非常事態だった。
そして何事も取り返しがつかないことほど、発見は遅れてしまう。
結局、アラクネ達がその襲撃に気付けたのは、末端の情報を収集しているアラクネ達5体がフクに食べられた後だった。
レノーアと呼ばれるリーダー格のアラクネが事態に気付きテオドラに連絡しようとしたとき、微かな振動を感じ足元を見ると、白い見たこともないような小さな蜘蛛の魔物がそこにいた、だが瞬く間に巨大な体躯となり、牙から毒が滴り落ちる化け物と変わる。
咄嗟に周囲の糸を使い反撃しようとするが、糸は反応しないどころか自分の身体を締め上げる。
テオドラへの連絡すらこの目の前にいる蜘蛛の魔物に誘導された結果だと気が付くが、すでにどうにかする力は彼女の中には残ってはいなかった。
「レノーアッ! 返事をしろッ! チィ……生き残っている子は全員避難しなさい」
レノーアからの連絡を受け取ったテオドラがまず初めに行ったこと、それは巣の修復だった。
未だ生存している部下たちがこの後起きる戦闘の詰めに於いて転移者達を確実にとらえるための盤面を揺るがないものとすること、そのために生き残っている部下は森の外へ出ていくように指示を出した。
操っている魔物を使うことも考えたが、遊び場への影響や、相手も糸を使う以上下手に扱いしっぺ返しを喰らうのを避けたかった。
先ほど聞こえた、「ミツケタ」という声、我らの巣に干渉するほどの練度を持っている同種の魔物の存在。もしかすると自分と同じ魔王種かもしれない。
そこまで考えてもテオドラは撤退しようとは思わなかった。愛おしいあの御方の遊び場を壊すわけにはいかなかった。
何よりも、同種の、蜘蛛の魔物から逃げることはプライドが許さなかった。
それに……テオドラはその外皮に覆われた手から人の首を投げ捨てる。その後ろには森へ侵入した冒険者達の死体が捧げもののように積み重ねられている。
あの御方は今自分の玩具に夢中だ。巣はまだ壊れてはいない、明日のショーは絶対に中止してはならない。
「ミツケタですって? 誰だか知らないけど、舐めた口をきいたものね。じゃれてあげる、かかってきなさい」
新たに糸を張り巡らせ侵入者の場所を探る。
侵入者の場所はすぐに分かった。
それは目の前、吹けば飛ぶような脆弱さを装った凶悪な存在。
月の光を受け白く輝く、子蜘蛛が姿を現した。
「あらあら、妾はてっきり同じ魔王種だと思っていたのだけれど、どうやら違う様ね。名乗りなさいおちびちゃん」
「ウ、ウ……ア……ガ……」
子蜘蛛はモゴモゴと何かを言っているが、空気を振るわせて喋ることが難しいようだ。
しかし苦しんでいる様子はなく、むしろ楽しんでいるようにも見える。
相手の様子に訝しむテオドラに、フクは改めて向いて念話で話かける。
(マダ上手ク、喋レナイヤ、モウチョット、練習シナイトネ、初メマシテ、……初めまして、おばさん、うん、いいね、おばさんを食べれば、上手くいきそう)
「上手く? 何言ってるのおちびちゃん、いや小娘?」
(クスクス、喋る振りして、後ろの糸がぼくを狙ってるね?)
「おや、多少の手遊びはできるようだね、生意気なクソガキが、すぐに八つ裂きにしてあげる」
(クスクス……マスターは今なにしてるかなー、さてっと、コロス!)
冒険者達は眠りにつき、静かな森の中で糸と糸とがこすれ硝子を引っ掻くような甲高い音が鳴り響き、人知れず、魔王と呼ばれる魔物と原初の魔物の戦いが始まった。
…すみません。やっと戦い始めました。フクちゃんほんと戦い方がヒールだよなぁとか思いつつ書いてます。
次回予告:決着(多分、きっと、するんじゃないかなぁ)
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