閑話3:桜木 叶の決意
この話は、桜木 叶さんの視点の話になります。
「~♪」
鼻唄を歌いながら、ラックから本を本棚へ差し込む。図書室の隅にある小さなEの棚は私の宝物だ。
この棚には図書委員としての職権を使い(そんな大げさなものじゃないけど)私の趣味の本をコツコツと集めた珠玉の棚なのだ。
TRPGのリプレイ本からルールブック、サプリメントまであったりする。どれも数千円するのでお小遣いからはなかなか手がでないものだ。
さらには、シナリオ作成に使える資料や設定集もある。
他には、都市伝説や怪しげなオカルト本もこっそりと置いていたり、秘密だけど私物の本もJANコードを貼ってこっそり置いていたりする。
家に置いてるとお母さんに捨てられかねない。
本当はこれらの本を使ってTRPGやオカルトについて友達とじっくり遊びたいのだけど、なかなかそうはいかない。
女子の友達は皆、ドラマやオシャレのこと、たまに映画の話題は出てもゾンビもワニもサメも出ない恋愛映画だったりしてうんざりだ。
男友達には幼馴染の翔太君がいるが、彼は私のことを「こういうのが好きなんだろ?」みたいな感じで決めつけてくるので、正直お母さんに負けず劣らず疲れてしまう。
いや、別にそれが嫌ってわけじゃないし、友達と駅前のカフェに行ったり恋愛映画を見るのも楽しいのだが……たまには! 蜘蛛とかサソリとかダッシュするゾンビの映画とか見たいのだ!
でも一人だとなかなかああいった映画は行きづらいのよね。
「ハァ……」
鼻唄から一転、ため息が漏れる。自分の趣味嗜好が周りから外れていると自覚したのはいつだったか。
姉達が親に犬のぬいぐるみや人形をねだる横でジョークグッズのゴムでできた蛇を本気でねだった時だろうか、小学校でナメクジを指一杯に這わせて先生に見せた時か。
どちらにせよあまり良い記憶ではない。
周囲はドン引きして私を仲間はずれにした。特に母はそんな私を異常だと判断し、躍起になって矯正しようとした。
私の部屋にあった虫のフィギュアは全部捨てられ、姉と同じような犬とか猫のぬいぐるみを押し付けられた。
思春期を迎えるころには、周囲に合わせることの重要性を学び、そんな趣味があることは絶対に表にださないようにした。
特に女子は異物に対して敏感だ。私は目立つ容姿をしているので(自惚れじゃないはず)できるだけ周りに合わせるように努力した。
でもっ! 息抜きは大事だよね。というわけでこのEの棚は私の趣味全開の棚なのです。
かなりマニアックな本ばかりなので借りる人が少ないのが寂しいけど……。
「クトゥルフ系は借りる人がいてもいいと思うんだけどなー……アレ?」
触手がたくさん生えている邪神の本の下の列、都市伝説の本が一冊抜けている。
いや、いくらこの棚の利用者が少ないとはいえ、利用者がまったくいないわけじゃない。本が無いこと自体はおかしくないが、確か前に整理した時も抜けていた。
ここにあった本は私の私物の一つ(だって家に置いているとお母さんに捨てられるし)でお気に入りだったのでよく覚えている。
妖怪と現代の都市伝説の類似点が書かれているもので、挿絵が緻密で視点も面白い。
私的には素晴らしい本とはいえ、頻繁に借りられる人気の本ではない。
「うーん、ということは……」
受付に戻り、司書さんに許可を取って、パソコンで利用者履歴を見てみる。
「あー、やっぱり」
貸出期限を過ぎている。ずっと借りたまんまの人がいるのだ。
むぅ、あの本を読んでくれる人がいるのは嬉しいのだが、貸出期限は守って欲しいなぁ。
えっと名前は「吉井 真也」ね。
学年は私と同じ一年生か……。ちょっとくらいなら貸出履歴を見てもいいよね。
ライトノベルに妖怪の本か、他には……。
「すみません。本を借りたいんですけど」
おっと、急いで画面を閉じる。本を借りに来た人がいるらしい。
「はーい」
返事をして、カウンターに向き直る。そこには眠そうな目をした男子が立っていた。
「学生証を出してください」
お決まりの台詞を言いつつ、カウンターに置かれた本に目を滑らせると。
『鉄砲クワガタムシ』という題名が目に入る。
「ブフゥ!!」
「えっ」
思わず咽てしまった。だってこの本は私が仕入れたばかりの都市伝説本でさっきEの棚に置いたばかりのものだったのだ。
うわぁ、目の前の男子はドン引きしている。そりゃ目の前で急に女子が咽たら引くに決まっているよね。
顔が赤くなっていくのを自覚しながら、目を伏せ差し出された学生証を確認して番号を控える。
学生証に書かれていた名前は――。
『吉井 真也』
「ガフゥ! ゲホッ! ゲホッ!」
「大丈夫ですか!?」
こんどは咳き込んでしまった。
まさか今の今まで調べていた人がこのタイミングで来るとは思わなかった。でもこれは良いタイミングだ、貸出期限が過ぎていることを直接言える。
「だ、大丈夫です。それより、期限が過ぎた本があるので貸出はできませんよ」
「あれ? あぁ、『妖怪と都市伝説』か。しまったなぁ貸出期限過ぎてたか。じゃあ明日返します。この本は戻しときますね」
ポリポリと頭をかきながら、その男子は本を戻そうとカウンターに置かれた本に手を伸ばした。
別に取り置きとかできるのに。
そう思って制止しようと私も手を伸ばすと、手が重なる。
「おっと、すみません」
男子が少し大げさに手を引っ込めた。そんな全力で引かれるとちょっとショックかもしれない。
「いえ、こちらこそごめんなさい。それより、この本が借りたいなら一日までなら取り置きもできますよ」
「あー、じゃあそうしてください。明日本持ってきますんで」
片手で拝むように手を振る動作が、まるでおじさんみたいでちょっと可愛い。
その男子、吉井君はそのまま踵を返し図書館を出て行った。
私はその本を取り置き用の棚に置いて、明日も受付に入れるように司書の先生にお願いするのだった。
その日から彼は、Eの棚の前によく立つようになった。彼はいつも後ろの扉からこっそりと図書室に入ってくる。私はそれを見つけると、ラックを押してEの棚へ向かう。
何度目かの棚の前での会話を始めるために。本に集中している彼の背をチョンとつつく。
「こんにちわ、吉井君。今日は妖怪?」
「おっと、こんにちわ桜木さん。いやダンジョンズドラゴンソードのルールブック」
「TRPGもやるんだ」
「プレイはしないけど、読むだけでも面白いからなぁ。にしてもこの棚だけ周りと毛色が違うけど、どうしてか桜木さんは知ってる?」
「……さ、さぁどうしてだろうね。吉井君はいつもこの棚から本借りるけど、気に入ってるの?」
「この棚を自分の部屋に持っていきたいくらいには気に入ってる」
「……そうなんだ、じ、実はねこの棚――」
そうして、私は周りに秘密にしていたことを彼に話した。
実は、虫とか爬虫類が好きで、オカルトとかが大好物なんだと。
私としては清水の舞台から飛び降りる覚悟だったのだけれど、彼は薄々気づいていたらしく。
苦笑気味に「そうだと思った」と言った。
その日からEの棚の前で、彼と趣味の話をする時間は私にとって特別なものだった。
始めは、TRPGの話や都市伝説の話が主だったが、そのうちにカエルや虫のかつて周りに引かれた趣味の話をして、携帯のヤドクガエルやタランチュラのフォルダを見せて延々と語ったりした。
……それに関しては、ちょっと反省してるんだよね。こんなこと話せる人が周りにいなかったからつい調子に乗って話しちゃったけど、もうちょっと、こう、話すことがあったのではないかと思う。
まぁ、その時は本当に趣味の話ができるのが楽しかったから仕方ないのだけれど。
でもそれはじきに、『吉井君と』話をするのが目的になっていて。
特に劇的なことがあったわけじゃない。恋は落ちるものと何かの本に書いてあったが、私の場合は雪が積み重なって地面を染めていくように、ボールが坂道を転がっていくように、気づいた時にはもう彼を好きになっていた。
実は、告白のシチュエーションとか考えてたりして、彼の親友の葉月 悟志君とかに好みを聞いたりまでして、図書室でずっと待っていたのに。
彼はある日を境に様子がおかしくなった。いつも通り話をしているはずなのにどこか上の空で、ここでないどこかに思いを馳せているようにも見えた。
いつものように楽しく話しているはずなのに、何かがかみ合わない感触がもどかしく、でもそれを問いただせなくて。彼の目の下の隈が日に日に濃くなっていくのが嫌だった。
いよいよ、我慢できなくなり、そのことについて問いただそうと図書室で待ち構えていると、大きな紙袋を持った彼がやってきた。
「お疲れ、今大丈夫?」
大丈夫って聞きたいのは私の方だよ、でもいつもの調子で言葉を返す。
「あー、吉井君。延滞が溜まってるよ。谷崎潤一郎の全集とあと他数冊」
「大きな声で谷崎潤一郎の本借りてること暴露しないでよ、ちゃんと返すから!!」
いくら親しくなったとはいえ、普通女子が受付しているのに、谷崎潤一郎の本を持ってくるかなぁ。
ある意味セクハラだと思う。
「ほいこれで、借りてた本全部。あと桜木さんが読みたいって言ってた妖怪図鑑と都市伝説オカルト本」
いつも延滞に延滞を重ねる彼らしくなく、すべての本を返却してくれた。
そして周囲に人がいないのを確認してから、そっと紙袋を渡してきた。
中身は彼のとっておきのコレクションの数々。前々から読ませてほしいとねだっていたものだ。
こういった本は発行部数が少なく、一期一会のものなのでとても貴重だ。
思わず大好きな都市伝説の本でテンションが上がる私に、彼がとんでもないことを言い放つ。
「ところで僕今日で学校辞めるから。いままでありがとう。その本は差し上げます」
氷柱が胸に刺さったかのように、息が止まる。
震える声で問い詰めるが、彼は困ったように微笑を浮かべてはぐらかしてきた。
転校先や引っ越し先の住所も今度教えるといい、吉井君は逃げるように図書室を出て行った。
頭の中で「どうしよう」という思考だけがグルグルと回る。というかそんな急に転校なんて決まるものだろうか? そう思いながらとりあえず他の人に見られないために司書室の奥に紙袋を持っていく。
司書さんはいないようだ、彼が渡しくれた本を取り出す。
どれも私が好きそうなもので、すぐにでも開いて読みたい、でも感想を聞いてくれる吉井君がいなければ意味がない。
誰もいない部屋に入って、気が緩んだのか涙がボロボロと零れた。
「ずるいよ……」
口からそんな言葉が漏れた。だってそうでしょ? 私は一人でもあのEの棚さえあればよかったのに。
今ではあの棚は私と彼のものなのだ。彼が好きだろうか? と本を置いて、借りてくれた本の感想を言いあい。
一人の世界から二人の世界になったのに、また一人に戻れと言うのか。
それはあんまりにも残酷じゃないか、ひどいよ。
泣きながら本を取り出していくと、一番下の見えづらい位置に一冊の画集が隠れるように置かれていた。
真っ白な表紙に、ある分野では知らない人はいないだろう人の、若いころの画集。
どこにでもある背景にごく自然に神秘的な存在が描かれている、この本のことが彼との話題にあがったことはなかったが、これがとても大事なものであることは容易にわかった。
司書室を飛び出し、職員室へ、彼のクラスの担任に転校のことを聞くが担任もそんなことは知らないという。
とにかく会って話をしないと、そう思い階段を駆け下りていく最中に、フッと体が軽くなり。
気が付けば私は、大きなステンドグラスが印象的な教会の中で明らかに宗教色の強い服をきた人達の前に異世界転移をした。
その後は、他のお友達も転移していたことがわかったり、勇者である翔太君となぜかよく一緒に式典に出させられたりした。
TRPGが大好きだった身としては異世界は刺激的で本当に楽しくて、教会の騎士達とモンスターを倒し(後ろで回復魔法を唱えているだけだったけど)たり、知らない文化に触れているとあっという間に時間が過ぎて行った(もちろん魔物に関してもしらべてたよ、可愛い魔物がいっぱいです!)。
それでも、心のどこかには吉井君のことが気になっている私がいる。
彼が転移したという情報はないが、きっとこっちに来ているはずだ。
TRPGでは支援職が好きな彼はこっちではどんなクラスを手に入れただろうか?
私が後衛職なのでできれば彼には前衛をしてもらいたい。一緒にダンジョンを攻略したり、旅ができればどれだけ楽しいだろう。そんなことを考えるだけで、頑張ろう! という気になるのだ。
そして諸侯会議の催しで、やっと彼と再会した。Eの棚の前に立っていた時と変わらない後ろ姿で、一発でわかる。
高鳴る胸を必死で抑え、そして決意する。
今度は何があっても絶対に逃さないと。
そんな思いをドレスと薄いルージュの下に隠し、私は彼の背中をチョンとつついた。
というわけで桜木さんがどのような思いを吉井君に対して抱いていたかです。
ちなみに吉井君はまったく気づいていないと思います。
次回:トア視点の閑話になると思います。←の予定でしたが、トアの閑話はもう少し本編を進めてから書こうと思います。すみません。
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