第四百六十六話:隠れ里での修行(トア)
【聖女】が持つ可能性とその性質を自覚しつつある叶を確認したイズツミは、ファスや叶の予想以上の成果に冷や汗をダラダラと掻きながら食糧庫として利用している壁の分厚い蟻塚へ【転移】した。
吊り下げられた干し肉、瓶詰の砂糖煮に酒樽の横を歩いていくと広まった場所の中心でトアが地面につっぷしていた。
「もう、無理だべ~。攻防の定石に兵站から補給まで、脳がパンクするだ……絶対にパーティー単位では使わない知識だべ」
倒れたトアの周囲には小石と人形を使った戦場模型が複数置かれており、それぞれに半獣人達が兵法書を持って座っていた。
「うむ、なんだか安心するのだ」
これまでがこれまでだったので、逆に安心するイズツミである。
「団長、来たんスか。模型での模擬戦闘が終わって、反省点を詰め込んでいる最中っス」
空気が抜けるような特徴的な喋り方をする男性の半獣人が、イズツミを見つけて寄って来る。
「ギギ、成果はどうなのだ?」
「ん~。基礎の詰め込みが終わらねぇスね。本人のやる気しだいだと思うス」
「であるか」
ギギと呼ばれた獣人は話しながらイズツミに目配せをし、トアに見えないように懐からメモを取り出してイズツミに渡す。それを見た、イズツミはニヤリと笑みを浮かべた。
「吾輩が話すのだ。少し席を外すのだ」
「了解ス。皆、休憩だ」
ギギの掛け声に他の半獣人も反応してその場を後にして、残ったのはトアとイズツミのみになる。
倒れたままのトアの横にイズツミが胡坐をかく。しばしの沈黙の後、トアが顔を上げてイズツミを見上げた。
「オラにはこれで何ができようになるのかわかんねぇだ」
「お前はシンヤのパーティーにおける司令塔になるのだ。その為の修行であることは気づいているだろう」
「……オラは学のねぇ奴隷育ちだべ。戦闘だって旦那様に言われて適当にやってただけだ。知識があるからって上手くいくとは思えねぇだ」
耳をペタンと閉じ尻尾を力なく振ってトアは体を起こす。
「先の奇襲の際、一番に戦場を把握したのはお主なのだ。【四色】も思考の柔軟性と瞬発力を評価しているのだ」
「買い被りすぎだべ……オラはただの【料理人】だ。それ以上でもそれ以下でもねぇだ」
その言葉を聞いた体を揺すりながら、しばし思案する。
「……まったく、犬族だけあって主人によく似ているのだ。勝手に自らの殻を作るのは勝手だが、それで主人であるシンヤが死んでもいいのか?」
「いいわけねぇけんど、オラがどうかしたって――」
トアの言い訳を制してイズツミは言葉を被せる。
「一つ例え話をするのだ。とある場所に一人の料理人がいたのだ」
「急に何の話だべ?」
「いいから聞くのだ。その料理人は、客の求める料理を提供するが味はマチマチで旨い日もあれば不味い料理を出す日もあったのだ」
「日によって味が違うのけ?」
トアは首を捻り、イズツミは耳をピコピコ動かしながら話を続ける。
「そうなのだ。なにせその店にはいつも違う食材が持ち込まれ、調理をその場で考える必要があったのだ。そんな状況で料理人は己の経験のみで適当に調理してなんとか店を維持していたのだ。お主はその料理人をどう思う?」
「……もったいねぇだ」
「何がもったいないのだ?」
「経験だけで店を維持できるほどの料理が作れるなら、食材にあった調理法を仕入れる際に教えてもらえればもっと旨い飯が作れるはずだべ」
「その料理人は食材の知識もなくとも、見様見真似で調理を成立させていたのだ。調理道具も碌に扱えない状況でだ」
「そんなのありえないだ。それで料理を作るなんて失敗しないだけでも奇跡だべ」
「……もしくは、その料理人が調理の天才であるかなのだ」
イズツミはジッとトアを見る。その視線の意味をトアは理解していた。
「オラは……旦那様や皆の力になれるだか?」
「保障してやるのだ。お主は戦略を知らず経験のみで、高レベルの戦いに対応して戦場を維持していた。駒の優秀さもあるだろうが、それをパーティーとして成立させていたのはお主だ。いいか、兵法とはすなわち料理におけるレシピのようなものなのだ。主人が望む勝利を作り上げる。あの個性の強いパーティーを纏めてそうすることを他に誰ができる? お主ができないなら新しい奴隷でも雇うか?」
トアは耳をピンと立ててイズツミを正面から見据えた。
「嫌だべ……譲らねぇだ。旦那の好物も体の状況も、些細な変化も一番オラが知っているだ。ファスも、フクちゃんも、カナエもオラの料理で支えてきた。だから……オラがやるだ。他のことは自信ねぇけんども、皆のことなら専属料理人のオラが一番わかってるだ。オラが皆の勝利を『調理』するだ」
自分に自信はない。それでもこれだけ譲れない。
塩の一つまみ、数秒で明暗が分かれる肉の火入れ、食べる人のその日の体調と微かな変化を感じ取り、味と栄養を調える。数グラム、数ミリ、その世界で最善を目指す。それは誰も知らないトアの戦いだった。愛しい真也と大事な仲間の為に常に考えて料理を作り続けてきた。その心と体が少しでも満たされるようにと持てる知識と経験を注ぎ続けた。できるできないじゃない。自分がやりたいからやるのだ。
もし、それが戦場であっても自分のやることは変わらない。
「ごめんなさいだ。オラに戦術を教えて欲しいべ。ぶっ倒れても、モノにして見せるだ」
トアの言葉を聞いてイズツミは満足げに微笑む。
「ようやく、貴様の脳ミソから空腹の音が聞こえてきたのだ。休憩はこれまでなのだ」
「感謝するだ。エプロンを巻いた気分だべ」
「フン、精々励むのだ。ギギを呼んでくるのだ」
イズツミは下がっていたギギ達の元へいく。
「料理人がやる気を出したのだ。もう一度基礎から徹底的に仕込んでやるのだ」
「本当っスか。いやぁ、そうかぁ。参ったなぁ……」
「踏ん張るのだ。あれはシンヤと同じで追い込まないとダメなのだ。仮にも【魔尾の旅団】の戦術班が七人がかりでこんな体たらくなど恥ずべきことなのだ!」
ギギはボリボリと頭を掻きながら周囲の半獣人も苦笑する。イズツミは懐からメモを取り出してヒラヒラと振った。それはギギ達がまとめた戦場模型を使った模擬戦闘の成果である。
結果は戦術班の辛勝であり、場合にはよっては戦術的敗北になった模擬戦闘もあるほどだった。基本の知識もない相手に戦術の研究家が危うくやり込められそうになっていたのである。
「う~ん、やる気のない状態のトアさんにも俺らほとんど負けかけてるんスよね。恐らく定石を覚えたら勝ち目がないって言うか……」
「いいから、さっさと行ってくるのだ!」
「へいへい、負けても文句言わないでくださいよ」
ギギ達を見送ったイズツミはため息をつく。
「まったく、不味い日もあるどころか目隠しをしてほぼ正解を出し続けている料理人だったなど、例え話でも言えるわけないのだ。さて……残るは……あのオリジン種か」
そう言うとイズツミは最後の場所へと【転移】したのだった。
長くなったので一度切ります。フクちゃんはそれほどは長くないはず。
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