閑話23:勇者の逃亡①
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これは、論功行賞が行われる数日前のこと。
「ヒィ……ヒィ!」
大森林を転がるように逃げる一団がいた。彼等は騎乗蜥蜴に乗って一心不乱に森を進んでいく。その先頭を走るのは、こけた頬に窪んだ眼をした宙野である。その後ろには彼の仲間である転移者が九名、さらに後ろに教会騎士であるルイスが続き、殿に教会騎士や魔術士が二十名ほどついてきていた。
「グッ……止まれ、止まれ!! 腹が、腹が痛いんだっ!」
唐突に先頭を走る宙野が止まり、蜥蜴から降りると草むらに入っていく。
「まーた、クソかよ。その下痢いい加減治んねぇのか」
うんざりした顔で磨金が自分が乗る蜥蜴を止め、他の者も蜥蜴から降りる。
「休息をとろう……ずっと移動して負担が大きい。セルティ……ここがどこかわかるか?」
ルイスが後ろの女児に話しかける。腰ほどの長さの黒髪に褐色の肌を持つラミアの魔王種、セルペンティヌはルイスに問いかけを受けて爪を齧りながら答えた。
「……二回ほど秘密の小道を使いました……そろそろ鉱山砦に近づいたことでしょう」
「ありがとう。セルティ、君だけが私達の導き手だ。きっと女神様が使わしてくれたんだろう。……だがこれからどうすればいい? 聖女様はおろか翠眼のエルフも手に入れることができなかった……」
セルペンティスが幼女化したことにすら疑問を持てないほどに洗脳されているルイスは、彼女のいいなりとなっている。叶が真也に抱かれたという事実でひび割れた心にセルペンティスは入り込み、これまでよりも強く彼を支配しているようだった。
「ウヒヒ、適当にエルフを攫って持って帰ればいいじゃねぇか。ラポーネなら権力者が馬鹿みたいな値段で買ってくれるぜぇ。教会だってエルフを抱きたい奴は多いだろうよ。帰る前にどっかの村を襲おうぜぇ」
自身の獣人奴隷に火を熾させ。自分は毛皮の上に座る磨金がそう言って下品に笑う。
「そんなことをする余裕があるのか? 我々は御尋ね者だぞ?」
「フヒ~、確かになぁ……肝心の勇者様はあの有り様だ。俺の可愛い奴隷だけじゃ、限界もあるなぁ。まっ、仮にも転移者が十人もいるんだ。どうにでもなるさ。まだ味方をしてくれる貴族はいるだろうからな」
「ふざけんな。こんなことになるなら俺達は付いてこなかったぞ」
そうだそうだと茶髪を始め【転移者】達が喚き散らす。彼等は宙野と共に捕まった転移者達である。
牢屋に閉じ込められていたわりには元気なあたり、高レベルの転移者は伊達ではないということだろう。
「そりゃ、俺もだ。フヒヒ、だがレアな獣人が手に入ったからな。遠征した甲斐はあったぜ。後は吉井の所の犬の獣人が欲しかったがなぁ。ありゃ、間違いなくSSRだ。おい、水を寄こせ」
磨金が【スキル】で出来た魔力の糸を出現させると、糸の先の猿と狐の獣人の女性が苦痛に顔を歪ませた。でっぷりと肥えた腹を抑えて磨金が差し出された水筒から水を飲む。そうこうしていると宙野が草むらから戻って来た。
「……ラポーネへ帰るぞ。すぐに出発だ」
血走った眼でそう告げるがルイスが首を横に振る。
「蜥蜴が限界だ。【魔物使い】のスキルの強化があるとはいえ、これ以上は走れない。今夜はここで野営だ。幸い、待機して怪我から回復したラポーネの魔術士達と合流ができた。セルティが取り返してくれた鎧を使えば魔力を貯めることもできる。今は休息をすべきだ」
「ふざけるなっ! あいつが……あいつが追って来るかもしれないんだぞ!」
宙野は自分を抱いて、ガタガタと震える。吉井 真也、俺の叶を奪った憎むべき敵。
この世界に来て初めて自分が敗北した相手……。ズキンと胃が痛む。瞼の裏にはあの時の戦いが鮮明にこびりついている。
魔力を蓄え防壁を作る国宝の鎧に、竜から作られた伝説の剣。
この二つを揃えた自分は無敵のはずだった。風船鯨には不覚を取ったが、あれは例外的な存在だ。
少なくとも吉井に……あの【宴会芸人】には負けるはずがなかった。
しかし、現実はそうはならなかった。魔力の防壁ごと殴りつけられた恐怖を今でも夢にみる。
歯を砕かれ、鼻を潰され、鎖骨を折られる。最強だと貴族達から賞賛されていた勇者の【スキル】を打ち砕かれ、何もできず殴られ続ける。そして、あの一撃……。
『【ハラワタ打ち】ィイ!』
何の変哲もないただのパンチが腹部に吸い込まれるように命中すると、絶対の防御を誇る鎧の内側が爆ぜた。ブチンと太いゴムが千切れるような音が体内から響き、次の瞬間。体内に焼けた鉄を流し込まれたかのような激痛が駆け巡った。回復のスキルを受けても、ポーションを飲んでも痛みは止むことなく。塗炭の苦しみにのたうちまわり、叫び続けた。
どれだけ醜態を晒しても、神に祈ろうとも、許しを乞うても、眠らされている時ですら常に激痛が続く。それは誇張なくただの地獄だった。
「腹が……痛い」
回復を受け続け、流石に治ったはずなのに……まだ痛みが残っているように感じる。こんなひどいことがどうしてできる。自分はただ愛おしい人を救いたいだけだったのに、正義の勇者に対してこんな仕打ちをする吉井は異常者のサイコパスで変態野郎だ。あんな狂人と正面から戦ってはいけない。……前に立つことを想像するだけで吐きそうになる。仲間を集めて、皆で協力して殺さなければならない。だから、今は逃げるのだ。そう、逃げなければならない。
「……勇者様。お可哀そうに……」
セルペンティスが近づこうとすると宙野は剣を向ける。
「近づくな……お前が魔物であることはわかってんだよ。俺を騙したな」
「シャァアアア……」
チロチロとセルペンティスが舌を出す。
「セルティに何をする!」
ルイスが割って入る。さらにゆっくりと立ち上がった磨金が近寄って来る。
「待て待て、今はそこの嬢ちゃんの力がねぇと移動もままならねぇだろ。『小道』とかいう通路もそいつの力で通れているしな。ここで嬢ちゃんがいなくなったらそれこそ吉井に追いつかれるか、エルフの兵に見つかんぞ」
「……チッ」
宙野が座りこむと、セルペンティスはシュルシュルと息を吐きながら語り掛ける。
「勇者様、確かに私は魔物ですがあの化け物を……【竜の後継】を殺したいという気持ちは同じでございます。勇者様達を安全にラポーネに戻す手筈は整っています。しかし、その前にどうしても手に入れる必要がある物がございます」
「……」
宙野は無言でセルペンティスを睨みつけ。他の転移者も二人の会話を聞いている。
「この近くにある鉱山砦に眠る【竜殺しの鎖】……ラポーネの聖宝です。あれさえあれば【竜の後継】を殺すことができるのです」
「……今は退却が先だ」
宙野は腹に手を当ててガタガタと震える。今、この瞬間にもあの化け物が追ってきているかもしれないと思うと震えが止まらなかった。
「【竜の後継】一行はニグナウーズの王城にいます。どう頑張っても鉱山砦には来れません。これは千載一遇の好機なのです。ここで【竜殺しの鎖】を手に入れ、ラポーネへ帰り体制を立て直せばすべては貴方様の思いのままです」
「て、転移してくる可能性はあるんじゃないか?」
後ろから茶髪が叫ぶ。彼もまた吉井達を恐れていた。
「長距離の転移は希少なダンジョントレジャーと莫大な魔力が必須です。そして、この国にある【転移】系のトレジャーは我が主の信奉者が掌握しています。勇者様、今しかないのです。聖女様を取り返したくはありませんか? それならば【竜殺しの鎖】があれば確実に可能です。もし【竜の後継】を生け捕りにすれば人質にして聖女も翠眼も思いのまま……さぁ……」
その言葉は耳朶をくすぐる。叶を……そしてあの美しいエルフを思い通りにできる。あの二人は処女ではないが……それでも魅力的だ。
そう考えると腹の痛みが幾分かやわらぐ気がした。こうして宙野達は鉱山砦に奇襲をしかけることとなったのだ。
次回:モグ太、がんばる。
ここから少し次の章に入るまでの間章になります。
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