第二百十四話:刃筋を立てる
大きなアクシデントはあったが、その後の空の旅は順調だった。今日も鯨は、空を泳ぐ。
……つまり、暇なのだ。砂海であれば、時折魔物が襲ってきていたが、空で【風船鯨】を襲ってくる存在はほとんどいないらしい。
というわけで、やることのない僕らがすることと言えば……そう、鍛錬だよね。
逆立ちからプランシェを延々と繰り返したり、型稽古、そして模擬戦闘をするわけなんだけど……。
さて、ここで話を変えるけど。数日前、各々【空渡り】の効果を確認したが……このスキルはもともと魔物のスキル。
【風船鯨】が空を泳ぐ為に使用しているのだろう。もしかしたら、雲海から飛び上がる跳躍は次の【空渡り】への待機時間なのかもしれない。
……話が脱線しちゃったけど、つまり僕らのパーティーで一番このスキルと相性が良かったのは、誰かってことだよ。
「じゃあ、いくよー。マスター」
「オッケ、本気で行くぞ」
合掌から中段に諸手を置く。
目の前の白い少女は短パンにワンピースで無邪気に笑っている。
「それでは行きます。始めっ!」
ファスの合図でお互いの体が爆ぜるように始動した。コンマ一秒だって同じ場所にいるわけにはいかない。
なぜなら、今のフクちゃんの戦型は……。
「あははー」
「グッ」
早速、フクちゃんが空を動き回る。近づこうと僕も跳びあがるが、空中に張られた糸に逃げ道を塞がれる。
【手刀】で切り払おうとするが、糸が弛み切ることができない。
そうしている間にも糸が巻き付いてくる。
糸を伝う魔力を読み取って、【空渡り】を使うことで空中宙返りをうつも、逃げた先には網目状の巣が広がっている。すでにこの空間は女王の領域と化していた。
「おそいよ。マスター」
「こっからだっ!」
そう。フクちゃんの【空渡り】は、自身の糸を空中に張る効果。魔物としての特性そのものが、強化されたのである。
フクちゃん最大の弱点だった、何も無い場所では糸を張れないという問題が、解決されてしまった。
狭い場所や、木々などの構造物の間に巣を張れないときには、地面に糸を這わすしかなかった。
それだけでも足元からの糸による捕縛や攻撃は厄介極まりないが、それでもまだ空中という逃げ道があった。
展開された糸も、押しのけることができたし、ピンと伸びて固定されているなら【手刀】で切ることもできる。
空を伝う糸も、重力に逆らって操る以上はその先はフクちゃんの体に繋がっていた。
だから対応できた。模擬戦でも10回に1回は勝てていた。
「……マジで反則だろ」
今のフクちゃんにはそんな弱点は存在しない。
自分の周囲に巨大な蜘蛛に巣を張られるということを、想像したことがあるだろうか。
空中に張られた巨大な円網型の巣を、フクちゃんは自由に歩き回ることができる。
こっちは触れた瞬間に糸が蠕動し、動きを封じられるというのに。
一本なら力尽くでなんとでもなるが、十本なら? 百本なら?
力が入らない方向に固定されたら?
正面の円網を引き裂くも、フクちゃんは他の巣に糸を伸ばし、見る間に四方八方と巣が増えていく。
しかも巣同士は、連動し生き物のように蠢く。まるで巨大な捕食者のようだ。
砂漠の職人達に習った複雑な糸の織り方を使い、より幾何学的かつ複雑に糸が繋がっていく。
ここまでの糸の展開が数秒にも満たないというのだから、あまりにでたらめだ。
破った巣の残骸を振り払い、次の巣の足場を捕まらないように移動していくが、糸を設置できるフクちゃんに追いつけない。
「すごーい。その巣、丈夫に作ったのに。さすがマスター」
「ありがと……」
離れた場所で構えるフクちゃんは決して容赦をしない。向かってくれればやりようはあるが、巣を張る蜘蛛はただ獲物が弱るのを待つのみ。
しばらく動き回れていたが、三次元的な機動を手に入れたフクちゃんに、僕の【空渡り】では追いつけない。水を得た魚のように、糸を渡っていく。
周囲から襲ってくる糸を躱しつつ、巣の中で強度の弱い部分を狙うが……そもそもそんな部分がないんだよっ。
少しずつ糸が体に巻き付き、バランスが崩れて【ふんばり】が緩んだ瞬間に、一気に体に巻き付けられた。
「くっそ、動け……ない」
そのまま逆さづりにされる。目の前には必殺の【切断糸】を構え笑う蜘蛛の女王。
「……参った」
「わーい。またボクの勝ちー」
こうして空の旅が始めてからの、通算十五敗目が決まったのである。
ミノムシのように捕縛されたまま、屋上に落下する。
フクちゃんが一瞬で糸を解いてくれた。
見物していたファス達が寄ってくる。
「マジで勝てん。フクちゃんやばすぎる」
「端から見ていると、真也君もヤバイ動きしているんだけどね……どうして、空中に張られた巣を足場にできるのかわかんないよ。フクちゃんって巣を操作して攻撃するのに、バリバリ回避しているし」
叶さんが水筒を手渡してくれたので、一気飲みする。
あぁ、水がうまい。
「フクちゃんが糸を操作する一瞬のラグの間に足をついて、移動するしかないな。後は粘着質の糸を避けて、待機時間が明けたら【空渡り】に切り替えている感じ」
「オラには絶対に無理だべ」
「私なら【氷華】で盤面をとりつつ、【息吹】で巣を焼き尽くせますが、近接攻撃主体のご主人様は厳しそうですね」
「ファスと戦うのニガテ」
移動せず正面から魔術で制圧してくるファスなら、フクちゃんとの相性は良さそうだ。
実は最近、糸も燃えにくくなっているとファスが言っているので、今後どうなるかはわからない。
「マスター、ほめてー」
ピョンと飛び込んでくるフクちゃんの頭を撫でると、ムフーと笑顔で見上げてくれる。
うん、可愛いな。しかし、仮にも主人として完全に勝てないってのは悔しい。
「なぁ、フクちゃん。今の戦いは、僕はどうすればいいと思った?」
ここは、フクちゃんに直接聞いてみよう。
「えーと、マスターの手でスパって切るやつ。をもっとすればいいと思った」
「【手刀】か。弛んだ糸を切るには、切れ味が足りないなぁ」
「そういえば、ご主人様は【手刀】を防御として使うのが多いですね。変形させて魔力の爪のように使うことはありますが」
あいかわらずファスは僕を良く見ている。
「そうだな。まぁ相手の刃を受け止める役割として使うことが多いかな。【手刀:鉤爪】に変えてもそうなんだけど、切れ味が悪いんだよ。精々斧程度かな」
「【手刀】のレベルは上がっているはずですし、切れ味も上がっているはずです。しかしご主人様はあえて切れ味を落としているような気がします」
「えっ、そうなの? どうして?」
叶さんも首をかしげる。あぁ、そのことか。後衛職二人には、わかりずらいかもしれない。
「切れ味が良くなるってことは、力を伝える難易度が上がるってことだべ」
横からトアが解説してくれた。普段から斧と包丁を使う彼女なら、実感しているのだろう。
刃物を扱う難しさ、すなわち『刃筋を立てる』ことの厄介さを。
「ちょっと試してみようか。フクちゃん、そこそこ強度のある糸を宙に張ってくれ」
「はーい」
フクちゃんが10本ほど束ねた糸を空中に張ってくれた。
「いつもの切れ味だと……ヨッ」
合気道で言う所の正面打ち、手刀の振り下ろしで切断する。
「切れますね」
ファスが、何をしているんかわからないとこっちを見ている。
「フクちゃん同じ強度の糸をもう一回頼む。そして集中して切れ味を上げると」
【手刀】に纏う魔力を擦り合わせるように研ぎ澄ませる。
「先程よりも、ずっと鋭いです。これなら糸も……」
「シッ」
正面打ちをするも、糸は切れない。わかりやすいように角度を少し変えたが、力も速度も同じくらいであるにも関わらずだ。
「切れない」
「えっなんで?」
叶さんが良いリアクションを取ってくれる。
種明かしをすれば簡単なことだ。
「素人は、日本刀よりも重たい木刀の方が、人を殺せるって言われる程なんだよ。つまり刃を鋭くすれば鋭くするほど、力が加わる角度がシビアになるんだよ。刃の方向と力の方向、そして対象に当てる際の角度を揃えることを、爺ちゃんは『刃先を立てる』って言ってた」
「物を切るっていうのは、とても繊細なことだべ。料理でも刃の向きには神経を使うだ。少しでも刃先の角度が違うと台無しになるべな」
実は斧を振るときに、刃筋を立てて当てるのは僕よりトアの方が上手かったりするほどだ。
「逆にそこそこ鈍い刃の方が、ぶれずに力を上手く伝えることができるから、腕力でぶった切るならそっちの方が都合がいいんだよ」
その道の達人であれば、対象にそって刃筋を立てることで力を十分に伝え、最小限の力で切ることができる。例え、張りの無い弛んだ糸でも切れるだろう。
逆に言えば、それができないのなら力任せにでこん棒を振り回した方が効果的だ。
そして僕は、こん棒派の人間だったのだ。脳筋とか言わないで欲しい。
実はこの『刃筋を立てる』という行為は、無手であっても剣術から派生した合気道において、めちゃくちゃ大事な身体操作なんだけど、習う前に爺ちゃんが死んじゃったし、動画サイトとかで見たことがある程度で、どうすればいいかわからないんだよ。
【手刀】に鋭い刃を付与すること自体が、集中力を要するのだ。その状態で『刃筋を立てる』のは、途方もない難易度だ。しかもそれを実戦の中でとなると、できる気がしない。
自分の技術不足を吐露させられ、ちょっと恥ずかしい。
ファスは、まだ首を傾げていた。
「わかりません」
「えと、どう説明すればいいかな」
「いえ、ご主人様の言わんとしていることは理解しました。つまり鋭い刃を扱うには精密な力の制御が必要であると」
「そうだな。だから難しいんだよ」
「であるなら……」
あっ、嫌な予感。
「できるようになるまで、練習すれば良いのです。切るものが必要なら私とフクちゃんでいくらでも用意できますし。【手刀】の魔力制御なら、私の目でいくらでもお手伝いできます。さぁやりましょうか」
「いや、そういう話じゃ……」
「フクちゃん。いろんな角度で糸張ってください。私は氷柱を出します。鋭い【手刀】で『刃筋を立てて』切るまで、ずっと練習しましょう」
「なつかしいねー」
脳裏に牢屋での魔力察知の特訓が思い出される。ただの地獄の特訓なら歓迎だが、ファスのそれは地獄を越える。しかも今回はゴールが途方もない場所にあるのだ。
「……まぁ、オラも付き合うべ旦那様」
「疲労回復のポーションもあるし、ガンバだよ真也君」
「……わかったよ。やってやろうじゃないかっ!」
顔を叩いて気合を入れる。ええい、僕だって武人の端くれ、技術の習得にビビっている場合じゃない。やってやろうじゃないか。
そうして、空の旅での過ごし方が決まったのだった。
フクちゃんに三次元殺法が導入されました。重ねて巻き付ける糸には【呪拳】の効果も薄いので、真也君メタと言っても過言ではありません。ちなみにファス相手には真也君は【掴む】と高機動によって優位を取れるので、なぜかパーティー内でメタを回しています。何やっているんでしょうね。
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