第二百十一話:ミッション、風船鯨の腹を塞げ!
『ゴンドラ』の中は、蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。
客室を出ると、同じく三階にある管制室から出てきた船員達が、何とかしようと懸命に動き回っていた。
「急げ、着陸装置を起動しろ」
「無理です! 出港して格納したばかりです。再起動には数日かかります」
「不完全でもいいから動かせっ!」
「しかし、この揺れでは……」
どう見てもパニックだ。おまけに揺れが激しくて、船員達も身動きが取れないようだ。
【ふんばり】で動ける僕に糸を巻き付けることで、なんとかファス達も姿勢を保っていた。
「すみません、話を……」
「うるさいっ! 船員以外は、何かに掴まっていろっ!」
ダメか。状況を確認したかったが、話を聞ける状態ではない。
「ご主人様、任せてください」
ファスが揺れに翻弄される船員達に近づく。
『落ちついてください』
静かな声。しかしそれは、この騒乱の只中でも、雨水が大地に染み込むように、船員達に伝播する。
【慈愛】のスキルを発動させた状態での一声だった。
間髪を入れず、青白い光が船員達を包む。叶さんが精神強化のバフを周囲に振り撒いている。
「私たちはA級冒険者のパーティーです。状況を教えてください」
「……こ、これは。まさか【聖女】の……いや、今はそれどころではないな」
指示を出していた船員が僕らに向き直る。
どうやら冷静になってくれたようだ。
「本来ありえないことだが、【風船鯨】が負傷したようだ。こんな事は、聞いたこともない。傷口から、鯨の体内に流れている雲が噴出している。何とかしようとはしているが、どうしようもない……万事休すだ」
「鯨の傷口を塞げばいいってことですね?」
「そうだが……外は雷雲と、噴出された雲による冷気で、地獄のような有様だ。そもそもどうやって傷口を塞ぐ?」
「私が塞ぐよ。生き物ならなんだって治して見せる」
頼れる【聖女】が力強く宣言した。
「よし、行こう。時間がないぞ」
「待て、無理だっ」
「鯨は僕達に任せてくださいっ!」
揺れに翻弄されながらも、なんとか階段を上がっていく。
移動しながら、ゴーグルと防寒着を着るが、どこまで効果があるのやら。
「それにしても、あの鯨に傷を負わせるなんて、宙野の奴やっぱ強くなっているな」
「【竜の武具】とやらの力でしょう。確かに強力な【スキル】でした」
「こんな素敵な鯨さんを傷つけるなんて、信じられないよ。すぐに治療してあげなきゃ」
階段を上り切り、厳重に閉められた扉を開けると、外の様子がわかった。
雷雲が周囲を黒く染め上げ、稲光が明滅している。
風が強く、周囲を観察できない。
「【魔氷壁】」
ファスが氷の壁で風除けを作ってくれた。
上を見上げると、鯨の腹部の傷がはっきりと見えた。
「あそこだ。雲が漏れてる」
「治せると思う……でも距離が遠い」
話している間にも、腹部から雲が漏れ出している。心なしか高度も下がっているようだ。
時間はないのかもしれない。どうにかして近づく方法はないか……。辺りをみると、【水飴雲】に繋がるロープが上まで伸びている。
「……叶さん。僕がロープを登るから負ぶさってくれ。フクちゃん、叶さんの固定をたのむ」
ロープは100mほど上に伸び、そこから先は【水飴雲】が伸びている。
どこまで登れるかわからないが、行くしかない。
(イエス、マスター)
「私も行きます。【重力域】で負担を減らせるはずですし、【闇斥】で雲を吹き飛ばせます。何よりご主人様の足場を作ることができます」
「僕一人じゃ、この嵐の中で二人を連れて上がるのは無理だ」
「オラがファスを負ぶってロープを登るだ。どこまで行けるかわかんねぇけど、いけるとこまでファスを送るだよ。旦那様が上から糸で引っ張ってくれるなら、大丈夫だべ」
身体能力に優れた獣人とはいえ、雷と風が吹き荒れるロープをトアが登ることには反対だ。でも僕一人じゃ、ファスを連れていけない。
ファスとトアを連れて行っていいのか、一瞬悩む。何かあった時のフォローが必要なのも事実だけど……。
「……わかった。絶対に無理しないでくれ」
「ご主人様が言う言葉ではないと思います」
「僕はいいんだよ」
「よくねぇべ。皆で、無事に帰るだよ」
そうだな。僕は死にたくないんだ。絶対に生きて帰るぞ。
叶さんを背負ってロープに飛びついた。トアに背負われたファスが風よけを氷で作ってくれている。
【ふんばり】と【掴む】で登っていくが、かなりきついぞ。下を見ると、トアもかなり苦戦しているようだ。手袋をしているが、指先の感覚がいつまで続くかわからない。
手を滑らせたら、一巻の終わりだ。
フクちゃんは、僕とトアの間を行ったり来たりしながら、絶えず糸の調整をしてくれた。
流石フクちゃん……頼りになる子。
近づくにつれて、漏れ出している雲の勢いが強くなり、ロープに捕まるのが困難になる。
下を見ると、霜にまみれたトアとファスが見える。きっと僕らもそうだろう。
「グッ、まだ。いけるべ……」
「無理です。私は冷気に耐性がありますが……ご主人様っ! トアが限界です!」
「叶さんっ、【スキル】の射程まであとどのくらい?」
「あと……もうちょっと」
「オラは大丈夫だ。上るだよ旦那様っ!」
背中で叶さんが杖を懸命に伸ばすも、効果範囲外。ついにはロープの先端にたどり着いてしまう。
限界とファスが叫んでからもトアは必死にロープに捕まっていた。
ロープから鯨の口元まで伸びている【水飴雲】に触れるが、ぬるぬるして掴みづらい。さらに指先の感覚がなくなってきた。
この雲をトアが登るのは不可能だ。
吹き付ける冷気は、屋上にいた時の比ではなく、【呼吸】のスキルがあり、日頃からファスの氷に鍛えられている僕は無事だが……。
「コホッ……カヒュー」
叶さんは冷たい空気に耐え切れず、咳き込んでいる。
「叶さん、大丈夫か?」
「だい……ゴホッ、もうちょっとなのに……」
(マスター、どうする?)
時間は無い、回復の効果範囲まではあと少し……。
「真也君……ゴホッ……私を投げて」
ゴーグルを外し、叶さんがそう言った。危ない、やめるべきだ、そんな言葉が頭をよぎる。
しかし、弱音を吐いている暇なんてない。
「わかった。かならずキャッチする」
「信じてる」
チュ……。霜まみれの状態で短い口づけを合図に、僕らを固定した糸が解かれた。
「ファス! トア! 叶さんを上に投げるからフォローを頼むっ! フクちゃん【糸繰り】だっ!」
(わかった。カナエ、ガンバレ)
フクちゃんが僕の背中に張り付き、糸を腕に巻き付け、展開の準備をする。
ロープを蹴り、反作用で下に行かないように空を【ふんばり】で一歩蹴りつける。
「行くぞっ!」
「うん」
漏れ出す雲を避けるように調整しながら、鯨の腹部に向けて、叶さんを全力で投擲した。
ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
その直後、【風船鯨】が身じろぎをした。吹きだす雲が叶さんに迫る。
「しまっ――」
次の一歩を踏み出そうとするが、空中での【ふんばり】は数歩しかできない上に、風に翻弄される。
スローモーションのように、ゆっくりと白い刃のように噴き出る雲が叶さんに近づく――
「ガァアルルル【飛竜斧】!」
「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
背中越しに黒い火球と風を纏う手斧が通り過ぎる。
叶さんに迫った雲を弾き飛ばし、叶さんが鯨の腹部まで近づけた。
「ぐうぅうううう【星涙大癒光】っ!」
稲光にも負けない、青白い光が広がる。
噴出していた雲が消え、広がる視界の先には、塞がった鯨の白い腹部が見えた。
「よっしゃあああああ」
思わず、ガッツポーズ。ってそんなことしている場合じゃない。
「フクちゃああああああああああん、叶さんを回収しに行くぞおおお」
(まかせて。ファス、イイヨー)
「はいっ。【氷華:ホウセンカ】」
氷弾が複数発射される。速度が調整されたそれに指先を伝った糸が巻き付き、糸で結ばれている二人も一緒に叶さんの方へ飛ばされていく。
「うにゃあああああ。だ、旦那様、し、死んじゃうだああああ」
「ふんばれトアっ!」
氷弾からの糸を引っ張る腕の筋肉が、千切れそうだ。
振り返る余裕は無いが、ファスを背負い、僕と糸で繋がっているトアも悲惨だろう。
叶さんは、意識が無いのか、脱力した様子で落下している。
『ゴンドラ』から離れすぎたら、戻れなくなってしまう。
「……ファス、もう一発!」
「はいっ。任せてください」
「はい、じゃないだああああああああああ」
さらに加速された氷弾が叶さんの方向へ発射され、糸を巻き付けて僕らも一緒に飛んでいく。
「グゥウウウウウウウウウ」
「うにゃああああああああ」
(トドイタ)
フクちゃんも余裕が無いのか、片言の【念話】だ。
糸が何とか叶さんに届き、腕の悲鳴を無視して引き寄せる。
雷雲の隙間から暖かな日の光が差し込む中で、叶さんが抱き着いてきた。
気を失っていたわけではなかったようだ。
「待ってた。遅いんじゃない?」
「全速力で来たんだけどね。よし、トアっ。こっちへ」
「し、死ぬかと思っただ……」
逆の腕でトアも引き寄せる。ヘロヘロになっているが、何とか無事なようだ。
さて、一応ゴンドラよりも高い位置にいるが、どうやって戻るか……。
「……ファス、頼む」
「わかりました。それと、一番奴隷は私です。後で私にもキスしてくださいね。【氷華:ホウセンカ】」
「もういやだべえええええええええええええ」
今度は、四人抱き合いながらゴンドラに飛ばされ、叩きつけられるように屋上に着地……というか不時着する飛行機のように滑りこんだ。
『ゴンドラ』の揺れは収まり、雷雲は霧散し青空が広がっている。四人で仰向けになり、フクちゃんは僕のお腹に乗って青空を眺める。
「ハハッ、疲れた……」
先程までの嵐なんてなかったかのように、【風船鯨】は悠然と空を泳いでいるのだった。
というわけで、空の旅のアクシデントでした。
次回:風船鯨からのお礼?
後、空の旅がちょっと長くなってしまったので、章として分けようと思います。
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